転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦

克全

第180話:一八三九年、転封政策二

周辺の大掃除が終わって、連合を組んで逆らわわいようにしておいて、いよいよ本命の岡山藩池田家三十一万五千石と鳥取藩池田家三十二万五千石に転封を命じた。
流石にこの両藩に本気で逆らわれると国内が大混乱する。
それに本家だけでなく支藩もある。
周辺の弱小外様が同調する可能性もあった。

岡山藩池田家:三十一万五千石
鴨方藩池田家:二万五千石
生坂藩池田家:一万五千石
鳥取藩池田家:三十二万五千石
若桜藩池田家:二万石
鹿奴藩池田家:三万石
竜野藩脇坂家:五万千八百石
出石藩仙石家:三万石
豊岡藩京極家:一万五千石
園部藩小出家:二万六千七百石
三田藩九鬼家:三万六千石
赤穂藩森家 :二万石
三日月藩森家:一万五千石
林田藩建部家:一万石
足守藩木下家:二万五千石

だが両藩とも素直にアメリカ戦線に向かう事を了承してくれた。
くれたが両藩とも強かな戦略を使ってきた。
この頃の両池田藩は後継者の夭折で混乱していた。
特に薩摩藩島津家から迎えるはずだった養嗣子を断念したのが大きかった。
だが俺は両家に恩を売りたかったから、支藩や分家からの養嗣子を黙認していた。

両池田家は歴史ある大藩だ。
何も他家から養嗣子を迎えなくても臣籍に降りた直系男系がある。
そこで生坂藩池田家から後継者を迎える事を許したのだ。
生坂藩六代藩主になるはずだった池田政範に、岡山藩池田家を継がせていた。
岡山藩家老、片桐池田家の第九代当主池田長紀の養嗣子になるはずだった池田長貞に、鳥取藩池田家を継がせていた。
岡山藩家老、天城池田家の第九代当主池田政孝の養嗣子になるはずだった、池田政徳を生坂藩六代藩主にした。

岡山藩池田家:池田政範
鳥取藩池田家:池田長貞

彼らが徳川家斉の子供を養嗣子に迎えたいと言いだしたのだ。
家斉の子供を養嗣子に迎えた、福岡藩黒田家と徳島藩蜂須賀家の特別待遇を自分達にも適用して欲しいと考えたようだ。

正直真剣に悩んだ。
断固として領地を引き払わせて備前に幕府を移した方がいいのか、一年二年我慢して、家斉の子供を養嗣子に迎えさせるのか。

結局俺の弱気な面が出てしまった。
俺に征夷大将軍を譲った徳川家慶の英断に報いることにした。
徳川家慶の英断のお陰で徳川幕府と松平幕府の内戦を勃発させないで済んだ。
俺に将軍暗殺という非常手段をとらせないでくれた。

だから岡山藩池田家の養嗣子として、徳川家定になるはずだった徳川家祥を、池田恕祥として送り込んだ。
鳥取藩池田家には、一橋徳川家を継いでいた徳川家慶の五男徳川慶昌を池田恕昌として送り込んだ。
池田恕昌はもう死んでいるはずだったのだが、歴史が大きく変わった影響で未だに生きていた。
結局アメリカ戦線結局には両池田家の半数の兵力派遣となった。

「転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「歴史」の人気作品

コメント

コメントを書く