転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦

克全

第179話:一八三九年、転封政策一

俺は征夷大将軍の権限を行使した。
薩摩藩を解体した力は三百諸侯を従わせるのに十分な力だ。
彼らは俺がアメリカ大陸に攻め込んで領地を切り取っている事も知っている。
藩士子弟からの連絡で俺の戦力をほぼ確実に認識している。
絶対に逆らえない事を誰もが理解している。
遠く南蛮まで攻め込み領地を切り取っていの事には恐怖すら感じている。

俺は断固とした態度で転封を命じた。
備前国、岡山県に幕府を移すための強制命令だ。
一番目障りな毛利家からロシア戦線に送り込んだ。
逆らう場合は根切りにする覚悟だったが素直に応じてくれた。

長州藩毛利家:三十六万九千石
徳山藩毛利家:四万石
長府藩毛利家:五万石
清末藩毛利家:一万石
岩国藩吉川家:六万石

城地の受け取りには周辺の親藩譜代大名を使った。

浜田藩松平家 :六万千石
小倉藩小笠原家:十五万石

毛利一族が領地を引き払ったのを確認してから、浅野一族にも転封を命じた。
一緒に亀井家にも転封を命じた。
四万三百石くらい残しても危険はないのだが、念のためだった。

広島藩浅野家 :四十二万六千石
新田藩浅野家 :三万石
津和野藩亀井家:四万三百石

城地の受け取りには周辺の親藩譜代大名を使った。

福山藩阿部家:十万石
松江藩松平家:十八万石
広瀬藩松平家:三万石

浅野一族と亀井家が領地を引き払ったのを確認してから、四国の外様大名にも転封を命じたが、徳川家斉の二十三男斉裕を養子に迎えてボルガ戦線に遠征してる、徳島藩蜂須賀家は阿波に残した。

それと紀州藩の流れを汲む一族は天封させた。
はっきり言えば、紀州藩第十代藩主、徳川治寶に対する懲罰だ。

一番問題だったのは高松藩松平家十二万石だった。
俺に遠慮して隠居したとはいえ、塩田開発と砂糖栽培で藩財政を好転させた松平頼恕が、家臣領民に慕われ実権を握っている。
松平頼恕は水戸徳川家から養嗣子入った徳川治紀の次男だ。
水戸学に大きな影響を受けていて「一代要記」に継ぐ「歴朝要紀」を編纂させて朝廷に献上している。

逆らうようなら根切りも覚悟して転封を命じた。
八代藩主松平頼儀の実子で、松平頼恕とは血の繋がりのない現藩主松平頼胤には可哀想だが、俺は松平頼恕の弟である斉昭を罠に嵌めて殺している。
大伯父にあたるとはいえ油断するわけにはいかないのだ。
だから情け容赦はしなかった。

大洲藩加藤家 :六万石
新谷藩加藤家 :一万石
宇和島藩伊達家:十万石
吉田藩伊達家 :三万石
高知藩山内家 :二十四万二千石
新田藩山内家 :一万三千石
丸亀藩京極家 :五万千石
多度津藩京極家:一万石
小松藩一柳家 :一万石
西条藩松平家 :三万石
高松藩松平家 :十二万石

五万石未満の小藩であろうと、本家があれば連合して戦うことができる。
先に松前藩に仕官して実戦経験を重ねた者がいる大藩は、陣代や戦目付にしてそれなりに戦わせることができる。
だが一万石の小松藩一柳家を最前線に送るのは可哀想だ。
だから関東にある徳川幕府の蔵入地に転封させた。
城地の受け取りには周辺の親藩譜代大名を使った。

徳島藩蜂須賀家:二十五万七千石
松山藩久松家 :十五万石
今治藩久松家 :三万五千石

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