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克全

第154話:一八三六年、エジプト戦線

俺が知っている範囲の能力者はできるだけ松前藩に召し抱えて教育を施した。
特に明治維新で汚名を着せられたり敗死した者達に挽回の機会を与えたくて。
大きく歴史が変わってしまっているので、生まれてこない者もいるだろう。
思っていたほど優秀でない者もいるだろう。
まだ幼過ぎて教育鍛錬中もの者多いが、中には既に働いてくれている者もいる。

佐久間修理国忠、前世では佐久間象山という名で有名な兵学家だ。
特に大砲の鋳造に成功し西洋砲術家として名声を得ている。
だがこの世界では、それがすでに導入してる。
佐久間修理は最初軍師役で働いていたが、志願して最前線に行っている。
今ではエジプト戦線司令官の一人として八面六臂の大活躍だ。

調所清八恒篤、前世では調所広郷という名で有名な財政と農政と軍制の改革者だ。
今では薩摩藩が無くなり、元藩士は多くの派閥に分かれて反目している。
調所清八はその内の島津斉興派に属している。
島津斉興派の中でも一番大きな派閥を率い、常に最前線で戦い元藩士の待遇をよくしようとしている。

今では元藩士の男子を率いてエジプト戦線司令官の一人として、内政と財政を主任務にしながらも、時に実戦指揮も行う大活躍だ。
まあ、元薩摩藩士には前線指揮官の資質のある者が多く、調所清八は総司令官として戦略を考えればいい立場だ。

若い家臣が多い松前藩にあって、老練な五十九歳の調所清八は重鎮といっていい立場となっている。
調所清八という老練な家臣が、常に最前線の農政と財政を担ってくれたからこそ、ここまで早い侵攻なのにネイティブが納得する政治が行えたのだと思う。
清濁併せ吞む漢というのは調所清八のような人間の事だろう。

そして彼らの下には、エジプトまでのネイティブ調略とロシアやネイティブとの戦いで、戦闘力と胆力を証明した人間が下級中級指揮官として配下にいる。
ネイティブの傭兵や降伏臣従した者が、褒美の金銀や領地を得たくて、尖兵としてついてきている。

元薩摩藩士の選び抜かれた武士も、武芸大会で腕前を証明した武士もいた。
特に浪人や部屋住みから新規召し抱えられた剣客達は、名声と富を得るために命懸けで戦い続けている。
その中には北辰一刀流玄武館出身の森要蔵、庄司弁吉、稲垣定之助、塚田孔平のような、父祖代々の藩の影響を拒否するような者も数多くいた。

だが流石に欧米列強もトルコとペルシャが力を見過ごせなかったのだろう。
特にトルコから独立させようとしていたエジプトが、トルコと強固な同盟を結んだ軍事大国になる事は見過ごせないという判断をしたのだろう。
我が軍が捕虜にしているムハンマド・アリーと子供達を支援しようとした。
特に仏国と英国は海軍を動員して海兵隊を使って上陸作戦行ってきた。

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