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克全

第125話一八三四年、下準備

アメリカ大陸における大麻煙草、大麻樹脂、マリファナチンキの販売は想像以上に順調で、白人社会に蔓延している。
特にアンドリュー・ジャクソンを支援する連中を中毒にした。
そのお陰で現地工作資金は潤沢で、貧しさからのネイティブアメリカ部族内外の争いを抑え、対白人戦争の準備が着実に進んでいた。

「殿、馬の育成と水田の開発が順調だという報告が届いております」

当初はアメリカ大陸にも若党隊を送り込むつもりだった。
その為に多くの清国貧民を移民として引き受け軍事訓練を行ってきた。
だが輸送に多くの時間が必要で、なかなか思い通りにはいかない。
だが決してあきらめることなく、準備だけは進めている。

大軍を送り込んでも食糧が補給でいなければ、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の愚を俺が行うことになる。
現地で食糧を生産できることが重要なのだ。
その為に軍馬にも使用できて、最悪食べる事もできる馬を送っている。
粗食に耐える日本の在来馬は、軍馬としては三流でも家畜と考えれば悪くない。

南部藩から連れてこられていた北海道和種は、体高が約百二十五センチから百三十五センチで、体重が約三百五十キロから四百キロと日本在来馬の中では比較的大きく、北海道の厳しい寒さの中で鍛えられた丈夫な体質と、原野を走り回る強靭な体力を兼ね備え、二百キロ近くの荷物を運ぶことができる。
軍馬の代用にもできるし、旅人を乗せ物資を運搬することもできる。

元々は蒙古の大陸系の馬で、二世紀から三世紀にかけて朝鮮半島を南下して渡来したと言われている木曽馬は、粗食に耐え草だけでも生きていくことができる。
体高の平均は牡馬で約百三十六センチ、牝馬で約百三十三センチ、体重は約三百五十キロから四百二十キロで、日本在来馬の中では中型だ。
山間部で飼育されていたので足腰が強く、丈夫で蹄も固く、軽い労働や農作業をさせる程度なら、蹄鉄を打たないで働かせることができる。
何より性格はおとなしく人懐っこい馬なので、女子供でも扱えるのが大きい。

四国の土佐駒や越智駒なども、頑強で粗食にも耐える。
体高の平均が約百十センチから百二十センチと小柄ではあるが、七十キロくらいの荷物なら蹄鉄を履かなくても運べるから、アメリカ大陸で使うのにはとても便利だ。
何より日本人や痩せた清国人なら、蹄鉄なしでもアラスカからチェロキー族のいるジョージア州にまで運ぶことができる。

俺の領地となっている対馬の対馬馬は、体高の平均が約百十センチから百三十センチで、青毛が多い。
鎌倉時代の元寇では武将を乗せて活躍したという伝説がある。
多くの日本在来馬と同じく、おとなしい性格で粗食にも耐える。
剛健で蹄が固く、蹄鉄を打たなくても重い荷物を運ぶことができる。
今も農耕はもちろん、木材、農作物、日用品などの運搬に活躍している。
対馬は坂道が多く、親馬の歩く姿見て育つので、坂道を上るのに適した側対歩(速歩の時に右側の前後肢がペアに、左側の前後肢がペアになる歩法)を調教しなくても自然に覚えるので、山岳地帯を走破するのにとても役に立つ。
何より大きいのは、大人しい日本在来馬の中でも特に大人しい事だ。
男衆が漁業に励む対馬では、女衆が農業の担い手だった。
女衆が対馬馬に乗る時はハミを使わず、無口頭絡の左の口元に手綱一本を結び付けただけで、馬を操作しているのだ。
急増の騎馬部隊には最適の馬だと思う。
この時のために、日本中で馬の繁殖を奨励して買い取っていたのだ。

俺は行軍で移動ができないアリューシャン列島を渡る小舟の建造と、ベーリング海峡を渡ることを前提にした、街道と宿場町の整備を進めた。

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