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克全

第120話一八三三年、婚約者騒動

「はあ、まさか本気ではありませんよね、御爺様、父上。
いくら何でも天皇陛下の内親王を正室に迎えるなど、絶対に許されませんぞ。
どうしても降嫁が必要だと申されるのなら、宮家の王女殿下がおられるでしょ」

祖父と父がとんでもない話を持ち込んできやがった。
前天皇、百十九代光格天皇の第七皇女、蓁子内親王を宝鏡寺門跡から還俗させて正室に迎えろというのだ。
あまりの事に普段は丁寧に接している祖父と父を睨みつけてしまった。
だがそれも仕方ない事だろう、そんな事をすれば尊皇派に攻撃の口実を与えるようなモノだし、せっかく上手く行っている将軍家との関係も悪くなるのは必定だ。

「他家との争いを避けるために婚約話がある方を除いても、年恰好の合う女王がおられるではありませんか、問題を大きくしないためにも、伏見宮貞敬親王殿下の第九王女、宗諄女王を霊鑑寺門跡から還俗していただけばいいではありませんか」

俺も祖父と父の動きを知って色々と調べたのだ。
後の争いを避けるために、婚約話が順調に進んでいる王女は除いた。

それに、天保一二年(一八四一年)十月十二日、突如伏見宮家の御殿から乳母と共に家出するという騒動を起こすことになる、伏見宮貞敬親王殿下の第十一王女、隆子女王は除外した。
この時の伏見宮家は、恥を忍んで京都所司代に失踪届を出すほど心配し、京大阪を騒がすほどの大きな事件となるのだ。
十月二十九日に年上の甥(系譜上は異母兄)に当たる勧修寺門跡済範入道親王(後の山階宮晃親王)と同行しているところを、明石で与力と同心に発見されて京に連れ戻されるのだが、早い話が駆落ちなのだ。
この騒動に対する仁孝天皇の怒りはすさまじく、済範は門跡を解任された上、親王の身分も取り上げられて東寺に幽閉されることになる。
伏見宮邦家親王(隆子女王の異母兄、済範の実父)も閉門処分となる。
当事者である隆子女王は出家させられて瑞龍寺に生涯お預かりの処分となるのだ。
こんな恋に奔放な王女を正室に迎えるなんて、爆弾を抱えるのも同然だ。

まあ、同情の余地があるのも確かだ。
遙かに年下の妹達の結婚が決まり、結婚はできなくても門跡に決まっていた。
年上なのに結婚も門跡も決まらない状態で、十二歳も年下の直子女王が一橋家の 徳川慶寿の嫁ぐとなれば、その前日に発作的に家出したくなるのも仕方がない。
ここはおせっかいを焼いてやってやるか。

徳川家慶の顔を立ててやって、有栖川宮韶仁親王の第四王女、韶子女王のように徳川家慶の養女にして適当な将軍家一門に嫁がせる。
史実では死んでいるはずの子弟が生き延びるから、適当に御三卿の当主につけてから隆子女王を正室に迎えさせて、数年後に隠居させればいい。
幕府の財政も好転しているし、質素倹約に励んでいるから、貧しい公家の生活との差もそれほどないだろう。

「私の正室は伏見宮貞敬親王殿下の第九王女、宗諄女王でお願いしたい」

ここまで来たらこの辺で手を打っておかないと、あちらこちらを敵に回すことになり、今後の動きが制限されてしまう。
特に最大の味方で後ろ盾だった祖父と父の顔を潰し過ぎるわけにはいかない。

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