転生 徳川慶勝 日露開戦 日米開戦

克全

第95話一八三〇年、アラスカ・極東進出

「殿、露国の民の調略が順調でございます」

軍師役の家臣が報告してくれるが、現地で発生してから一カ月以上経ってしまった情報なので、下手な指示は出さない方がいい。
信じて送り出した指揮官と、援軍に送り出した部隊の指揮官、補給に往復している艦船や荷駄隊の指揮官を信用するしかない。

露国は予想通りヨーロッパ方面を重視しており、正規軍や大軍を援軍として派遣してはこなかった。
露国はオスマン帝国との戦争に全力を注いでおり、わずかにアムール川支流やビラ川やゼヤ川沿岸に入植していたコサック軍団が派遣されてきていた。

だが、コサック軍団の主力はオスマン帝国とコーカサス戦争に投入されており、極東に残っていたコサック軍団は二線級の少数部隊だった。
俺はその情報をコサック入植者と対立している原住民から得て、コサック入植者の集落を奇襲してその土地と家財を奪った。

俺にはまだ情報が届いていなかったが、極東のコサック領を占領した事で、ロシアの攻撃力が減少していたようだ。
後に分かった事だが、ガージャール朝ペルシャは改革派と保守派が激しく争い、皇室を二つに割って謀殺合戦を行っており、とても露国と戦争できる状態ではなかったのだ。

だがそれでも、俺が極東で露国の領地を奪っている現状が大きく影響し、アドリアノープル条約(アドリアノープル条約)の内容が全く違っていた。
オスマン帝国は、露国にドナウ川口とグルジアのアハルツィヘとアハルカラキ要塞への通行を許可しなかった。
ダーダネルス海峡の自由化も認めなかった。

ただオスマン帝国は、グルジア、エレヴァン・ハン国、ナヒチェヴァン・ハン国領有権を放棄し、現地指導者の望みを取り入れ、独立国とした。
この影響はとても大きく、露国は独立を承認された国に侵略しなければいけなくなり、ガジ・マホメドがダゲスタンの初代イマームを宣言ししてジハードを布告した。
イスラム神秘主義のナクシュバンディー教団が、イマーム国の建国を宣言し、軍事と政治制度を整備して強大なロシア帝国に対抗しはじめた。

これが、なんとかオスマン帝国とは休戦できた露国に、更なる激烈な戦争を発生させ、泥沼の侵略戦争を継続させることになった。
それは史実の戦争よりも激烈で、露国の経済と戦力を浪費させることになった。

更に俺がシーボルトに託した密書がポーランドの指導者層に渡り、ピョトル・ヴィソツキの戦争指導を的確なものにした。
準備万端整えての十一月蜂起となり、ポーランド軍はリトアニアに戦線を築くことに成功し、コーカサス戦争におけるガジ・マホメド軍、ナクシュバンディー教団軍と連携し、露国軍に大きな損害を与えていた。

俺はその間に、アラスカ、チュクチ、マガダン、ハバロフスク、アムール、沿海に進出し、沿岸部に拠点を築くとともに、現地人に案内され、コサックの入植している奥地にも侵攻攻撃して、コサックの入植地と拠点を奪っていった。

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