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克全

第65話一八二七年、大奥改革

「巫覡殿、それは、流石に厳し過ぎるのではないか」

「上様がそう申されるのなら、厳し過ぎるのでしょう。
上様の判断で全てを決められ、東照神君の下知を待たれれば宜しいでしょう」

俺は御告げの実現を待って、大奥の改革に乗り出した。
徳川家斉が贅沢三昧していた頃に膨れ上がった大奥の経費は、二十万両を超えており、大奥経費を五万両程度に抑えなければ、幕府財政は破綻してしまうのだ。

「徳川家斉時代の歳入と歳費(一八四三年)」
「歳入」
年貢  :三十七万両
諸役所金:二万両
運上金 :九万七千両
国役金 :一万両
小普請金:二万両
雑収入 :十八万三千両
計   :七十万五千両
貨幣鋳造:二十四万二千両
合計  :九十四万七千両
「歳出」
切米役料:二十四万八千両
役所経費:二十万四千両
米買い上:五万三千両
奥向き :五万三千両
日光参拝:六万三千両
その他 :二十六万六千両
合計  :八十八万七千両

収支:五万両の黒字だが貨幣改鋳による収入に頼っている。

俺の知っている資料では、徳川幕府は常に莫大な大奥費用で赤字である。
皇女和宮が輿入れして以降は、毎年二十五万両くらいの費用がかかっている。
今は表向き五万両程度になっているが、実際の費用は二十万両を超えている。
何故そうなっているかといえば、大奥が使った費用を、その他の費用として誤魔化してたからだ。

最初は抵抗していた徳川家斉も、俺の御告げで火事が未然に防がれ、一つの地震と二つの大台風の襲来があったものの、俺の御告げで人的経済的被害が著しく抑えられ、甲府の風土病も抑え込めそうになっているので、俺に逆らえなくなっている。

大奥に入る度に、御台所の茂姫から尻を叩かれているのだろうが、表に出るたびに幕閣や三百諸侯、いや、徳川家慶をはじめとした子弟からまで蔑んだ目で見られてしまい、いたたまれない状態なのだろう。
徐々に大奥改革を認めだしたが、それでも素直に言う事を聞こうとしなかったので、強気な態度に出てやった。

俺は約束取り江戸城に登城しなくなり、病気療養を理由に蝦夷松前への帰領願いを留守居に提出させた。
同時に噂を江戸城下に広めさせた。
徳川家斉はどれほど多くの子供を生ませても、前将軍の世子である徳川家基公を毒殺して将軍位を奪った事で、徳川家基公に祟られ、更に東照神君の怒りまで買っているので、全て死に絶えると。
子供が生き延びても孫が産まれず、孫が生まれても長生きできず、徐々に死んで行き、四代までに死に絶えるという噂を流させた。

最初は市井にだけ広まった噂が、直ぐに武家地にも広まり、江戸城内でも普通に話される内容となり、大奥にも伝わった、
徳川家斉の子供はもちろんだが、兄弟姉妹の子供達も怒りを隠せなかった。
自分達が次期将軍を殺して将軍位を盗んだ極悪人の子孫だと、蔑みの眼を向けられたからだ。

徳川家斉の子を生んだ側室達は、茂姫に怨念の眼を向けていた。
茂姫のせいで巫覡様の怒りにふれ、愛する大切な子供が祟りと天罰で殺されると。
今の俺には、何も命じなくても、自然と数多くの情報が手に入る
俺の御告げで台風被害から救われた、大名旗本御家人から、城中や大奥の情報が全て手に入るようになったからだ。
そして、大奥が大きく動いた。


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