星の子どもたち-Stars-

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第一章 「星」の章



     1

 僕が、ユーフォーをよべるようになったのは、小学四年生の「こいのぼり運動会」が終わったころのことである。


 僕の住む港町、「いるか町」では、「たんごのせっく」が過ぎると、「こいのぼり」の代わりに、「いるか」をかたどった、布でできた吹き流し、「いるかのぼり」を、近所の林から取ってきて、枝を落とした竹につるし、家の庭なんかに立てるという、ちょっとかわった風習があった。
 その名も、ずばり、「いるか祭り」。
この風習は、昔から、この季節になると、「いるかみさき」の沖合を、南の方から旅してきた、くじらやいるかのむれが泳ぎ回り、それを、大漁をもたらす福の神として町の人たちが祭っていた、という伝統から来ているらしい。そう、生活科の時間に、学校の担任の先生に習った。この町に、先祖代々、伝えられてきた、いるかにまつわる、「うらしまたろう」のような「伝説」も、小さいころから、耳の中でたこがおどりだすくらい、聞かされてきた。なのに、本当に海で泳いでいる、いるかのすがたを見たことがある人は、最近ではほとんどいない。
赤、青、緑、桃色、色とりどりの、「いるかのぼり」を、竹につるして、風に泳がせ、下の方に残した枝の、ささの葉を付けた枝の部分には、お札や、願い事を書く短冊を下げる。
「いるかのぼり」と、「こいのぼり」のちがいは、ただ、「こい」のかわりに「いるか」を布であしらったというだけなので、他の町から来たひとは、うっかり、そのびみょうな「曲線」や、「うろこがないこと」や、「頭の上の、息をする穴」を見のがして、「こいのぼり」と、かんちがいしてしまうかもしれない。
かんちがいして、「もう、『たんごのせっく』は過ぎたのに、何をやっているんだ!」と、「いるかのぼり」を、夕方、学校の運動場に立っている「ポール」から、「学校の旗」をおろすみたいに、勝手におろそうとしたあげく、町のひとにあわてて止められ、「いえいえ、そうではなく、太古の昔、いるか姫が、この浜に『ごこうりん』され……」から始まり、「というわけで、近年、『いるか』はあんまり見られないけど、その『風習』は、受けつがれているのです」と、「太古の昔」から、「今、かんちがいをされるまで」について、二時間くらい、説明をしなくちゃいけないかもしれない。
でも、海と山にはさまれた、ぎりぎりのとこに開けた小さな「はこにわ」のような、もしくは、父さんがテレビでよく見ている「ゴルフ」のたとえで言えば、「『池・ぽちゃ』寸前で、何とかふみとどまった、ボール」のような、いるか町に、他の町から、ひとが来ることは、ほとんどないので、安心である。
 それぞれの家にも、先祖代々伝わる、小さなものはあるんだけど、町全体がみわたせる、小高い丘の上に、それよりもっとはなばなしく、でっかい「いるかのぼり」を立てるのは、その年、数えで十歳になった子供たちの役目とされていた。
 といっても、ふだんは、町の人たちが、遠くから風向きを見るのに使う、「赤と白の、しましまの吹き流し」を付けている、背が高くてぶっとい「もうそう竹」から、「しましま・吹き流し」を下ろし、みんなで「いるかのぼり」を取り付けた後に、ロープを引っ張って「滑車」で引き上げる、という、ただそれだけの「伝統行事」なんだけど。
 二人の五年生に付きそわれて、無事、「いるかのぼり」を空に泳がせることに成功した僕たち「いるか小・四年一組」は、れんげ畑でみつを集めて飛び回るみつばちのように、うわんうわんと、丘の上のあちこちをかけ回ったり、集まったりしながら、短冊に願い事を書き終えた。
僕が、散らばったペンや短冊をビニール袋に拾い集め、丘を下っていくみんなの後を追いかけようとして、ふと、ふりむいた。髪の長い、一人の女の子が、ばたばたと風になびく、口を開けた「いるかのぼり」たちの下で、短冊を片手に、ぼんやりと、水平線の方をながめている。
 同じクラスの、同じ班、「ミコ」と、よばれている女子だった。
 班長の僕には、ちゃんと、みんなを「いるか神社」まで連れて帰ったことを大人たちに伝えて、そこでふるまわれる「いるかまんじゅう」を、真っ先に頂くという、重大な使命が残っていた。なのに、このままでは、給食の時間、余ったプリンを一人占めするタイチのやつに、先をこされてしまうではないか。
 僕は、あせりながらミコの方へ走って行った。ミコは、長い髪を潮風になびかせ、ペンをにぎったまま、目のやり場に困ったように、短冊と水平線の間で、視線を何度も行ったり来たりさせていた。
「何してんの? みんな、先におりてったよ」
 そう言って、のぞきこんだ藤色の短冊には、何も書きこまれていなかった。ミコは、そのとき初めて、僕に気付いたように、こちらを見ると、首をかしげながら、ぽつりとつぶやいた。
「何をお願いしようと思ってたか、忘れちゃった。家を出るまでは、覚えていたんだけど……」
「そういうときはこうだ!」
「あ!」小さくさけぶミコから、短冊とペンをひったくった僕は、さらさらと、願い事を「代筆」した。
「『ユーフォー』にのった、うちゅう人に、あいたいです」
 それを見て、あっけにとられていたミコの大きな黒い瞳に、うるうると水のつぶがせり上がり、口がへの字に曲がった。そして、僕の手からペンをかっさらうと、はげしいタッチで、僕の顔にペンを走らせ、そのまま丘をかけ下りて行った。
 僕はと言えば、突然の出来事に、しばらく、ぼうぜんとして立ちつくすしかなかった。
 気を取り直して、今、「お願い」を書いたばかりの短冊の先に付いている「こより」を、竹ざさの細い枝に結び付け、草むらに落ちたペンを回収し、神社へとぼとぼ向かう。
 当然の結果として、ねらっていた「いるかまんじゅう」を、タイチにあらかた平らげられ、いっしゅんの早わざで、「×」「○」「+」「÷」などと顔に落書きされて、算数の答案のようになった僕は、みんなのいい笑いものになったのだった。

 ユーフォーが出現するようになったのは、その日の晩ご飯のときからだった。
 父さんは、いつものようにビールを飲みながら、テレビで野球を見ており、小学二年生の妹は、あぐらをかいた父さんのひざの上で、まんがに読みふけっていた。
 母さんが台所から、みそ汁の鍋を運んでくると、たたみの上で「えらい人の本シリーズ」や「小学生図鑑シリーズ」をしんちょうにならべ、「シリーズ・ドミノたおし」をしようともくろむ僕の耳を引っ張り、食器をテーブルにならべるよう、命令した。
 しぶしぶ、その命令に従い、水屋の戸を開いたとき、一枚の平べったい皿が、宙に浮いているのを発見した。
 最初は、目のさっかくかと思った。
 何故なら、それは、父さんに無理やり連れていかれた「陶器市」で、四枚セットで買った、普段はもっぱら、あじのひらきを食べるために使っている、何のへんてつもない、ただの安物の皿の一枚だったからだ。
 しかし、よく見ると、皿は回転しており、ときおり、ばちばち、と、青白い光を放ちながら、水屋の中を照らしていた。
 僕は、とっさに皿をつかむ。そのまま片手をのばして、ステンレスの流し台の上にあった「ママ・オレンジ」をひっつかみ、オレンジ色の洗剤をぶっかけ、たわしでこすって、水洗いした上に、「ふきん」でぴかぴかにみがくと、両手で頭の上に皿をかざし、頭突きをかました。
 このとき、産まれて初めて、あまりにも、びっくりした人間―つまり、僕のことだが―は、とっぴょうしもないことをしでかすのだと知った。
「サキ! あんた、さっきから、なにやってんの?」
 母さんの言葉に我に返った僕は、床にしゃがみ込み、台所の床に粉々になって散らばっているはずの、皿のかけらを探したが、どこにも見当たらなかった。
 何度も首をひねりながら、夕食を終え、風呂に入り、小型ゲーム機で遊ぼうと、ベッドにあお向けに寝転んだとき、僕は、うわっ、と叫んで、ベッドから転がり落ちた。
 天井からつり下がっている、丸い「蛍光灯」の一つが外れ、空中をふわふわとただよい、回転しながら、青白く点滅していた。
「丸けりゃ、なんでもいいのか!」
 僕の、じゃっかん、まと外れなこうぎを、あざ笑うかのように、回転する蛍光灯は、窓ガラスを、何のていこうもなくすり抜け、暗闇の中に光のあとを残しながら、飛び去って行った。



 僕は、金属のレールのきしみ声に気を付けながら、そろりそろりと窓ガラスを開け、木のわくに手をついて、ふわりと庭へ飛び降りた。
 夜つゆで、ひんやり湿った、しばふの先が、足にくすぐったい。
 僕の頭の上、一メートルちょいのところでは、まるで、網戸の目の間を通り抜けていく、蚊取り線香の煙のように、窓ガラスを通りぬけた蛍光灯が、青白い光を放ちながら、ぶぶぶ、と小さな音を立てて回転している。
 ジャンプすれば、届きそうで届かないような、とてもびみょうな位置に浮かぶ蛍光灯を、横目で見ながら、僕はしゃがみ込んで、かくしてあるズックを探そうと、ほこりっぽい床下に、腕を突っ込んだ。
 この、月印が側面にプリントされた、ビニール製のズック、僕がこっそり部屋を抜け出すためには、なくてはならないしろものなのだ。つい先日も、居間の棚の上にある、小型の懐中電灯を持ちだし、丘の近くを流れる小川のほとりで、むれまう蛍たちと、二秒間に一回、光をぱかぱかさせて、交信を試みたときに、使ったばかりだ。
 他にも、夏の夜に、いるか神社のクヌギの木に傷を付け、翌朝、誰も目を覚まさないうちに、カブトやクワガタを捕まえに行ったり、秋には、「いるか寺」の和尚さんが朝の鐘を突くより早く、先端に切り込みを入れた竹の竿で、お寺の塀から突き出した枝に成る、熟した柿をもいだり、冬には、夜の内に通学路沿いの田んぼにつもった雪の上へ足あとを付けたり、体ごと倒れ込んで人型をつくるなど、オール・シーズン、僕にとっては、なくてはならない「必需品」なのである。
 それを知ってか知らずか、回転する蛍光灯が、親切な感じに、やや角度を斜めに向けて、床下を照らしていたため、両親に発覚することをさけて、慎重にかくしていたズックを、いがいと、簡単に見つけることができた。そして、もう一つの「秘密兵器」も。
 蛍光灯の光を背中に受けながら、ズックをはき、つま先を、とんとん、と、二三度、芝生をノックするように押し込んだ。蛍光灯が、羽虫のような音を立てながら、先程の位置に、うかんでいることを、光の角度から確認する。
 振り向きざま、ふひゅん、と風を切り、僕の秘密兵器が、蛍光灯に襲いかかった。
 しかし、やはり、というべきか、蛍光灯は、僕のもくろみなど、お見通しのように、ひょい、と高度を上げ、僕の「虫取り網」は空しく宙を掻いた。
 さらに、あろうことか、蛍光灯は、はがみして見上げる僕の目の前で、空中を、すっ、すすーっと、明滅しながら、ぎざぎざに飛行し、光の航跡を描いた。線香花火の赤い玉で、暗闇に文字を描いたような、その軌跡はこう読めた。
「バ カ」
 そのしゅんかん、僕の中で、何かのスイッチが入った。こんにゃろうさま、蛍光灯のぶんざいで、「バカ」だと!? 「バカ」っていうやつの方が、「バカ」なんだぞ!! なんか、そんな風な「かべ」とか「へい」とか「いけがき」を作っちゃいけないのです、って、校長先生も、「朝の全校朝礼」のとき、言ってたっぽいぞ、半分、ねてたけど!!!
 僕は、虫取り網を、ぶんぶん振り回しながら、庭の垣根の方へ逃げてゆく、蛍光灯を追った。
 蛍光灯が垣根の上を飛び越える。僕は素早く、虫取り網を垣根の向こうに放り投げ、横木の下をくぐって、網を拾うと、路地を走った。
 街灯もないうえ、土を固めただけの路地だが、皮肉なことに、追跡している蛍光灯の放つ光のおかげで、転ぶこともなく、僕は、あざ笑うかのように、つかず離れずの距離を保って浮遊する蛍光灯を、網を振り回しながら、走って追いかけた。
 住宅地を抜け、いるか寺の塀に挟まれたせまい道を通り過ぎ、ため池の横を迂回し、切り通しになった竹やぶを潜り抜け、どんどん、木がもくもくとおいしげる、山の方へと向かって行ったが、僕の中のスイッチは、入りっぱなしだった。
もし、よくテレビで見かける、「だいたい、しぶいおじさんと、けんかっぱやいお兄さんからなる、二人組のコートを着た男の人たち」が、いざというときに、車の窓から出して屋根に取り付けるランプがあったら、フルパワーで回転させて、うーうー、と、サイレンを鳴らしているところなのだが、残念なことに、「いるか町」には、そんなかっこいい車はないので、「ちゅうざいさん」のおじさんは、紺色の服と帽子で、自転車にのって、「ベル」を、ちりんちりん、と鳴らしている。なので、僕も、「いるか町」のしきたりに則って、全力で「ちりんちりん!」とおたけびを上げながら、にっくき「蛍光灯」の、ついせきをしぶとく続けた。
 走り続け、網を持った腕を振り回し続け、ときどき、地面をけって飛び上がり、息を切らしているうちに、僕の頭の中に、一つのしんこくな問題が思い浮かんだ。
 我が「サキカワ家」には、「蛍光灯・ローテーション」なるものが、存在する。ある部屋の、二個ある内の一個の蛍光灯が暗くなってきたら、それは使い古しのまま取っておいて、他の部屋の蛍光灯を外してそこにはめる。どれかが完全に切れたら、使い古しの物をはめて、新品を買って取っておく、というものである。
 つまり、家の部屋の蛍光灯は、たいがい、どこか一個が足りないのだが、母さんの提唱する、電気代の節約という目的で、このローテーションは行われている。ちなみに、僕が、「それじゃ、目がわるくなるじゃない」と、しごく真っ当な反論をしたところ、「その分、早く寝なさい!」と、ゴール・ポストを外れて、ラインの外に出てしまった、フリー・キックの後のボールみたく、どっか適当な所目がけて、一蹴されてしまった。
 ここで、万が一、僕が、蛍光灯を取り逃がしてしまったら、我が家の「蛍光灯・ローテーション」は、もろくも崩れ去ってしまうではないか。
 そうなると、母さんが、新聞から適当に拾った文字や文章を、意味もなくひたすら書き写すという、「むずかしい漢字書き取り・ドリル」という、僕のいたずらが発覚したときの苦行を強いられるのは、目に見えている。
 その間、まんが読み放題の妹に、お菓子を見せびらかされつつ、汗と涙とよだれをたらしながら、その「屈辱的」な仕打ちに、たえなければならないのである。それだけは、何が何でも、かんべんしてほしい。我が家では、「ローテーションの、谷間」は、なんとしても、避けなければならない事態なのだ。
 いつの間にか、ペナント・レースと化した、僕と蛍光灯の追いかけっこは、いるか神社の境内を通り過ぎ、階段を上り、丘を巻く坂道にまでさしかかっていた。
 そして、決着は、ふいに訪れた。
 夜空に向ってはためく、「いるかのぼり」の竹のそばで、蛍光灯は、ぶぶぶーん、と回転速度を増し、一際まぶしく光り輝いた。
 その下には、一人の女の子の姿があった。
 蛍光灯は、女の子の頭上を照らす、天使のような光輪となって瞬き、ふつり、と、電気コードを抜かれたように光を消して落下すると、地面にころころと転がった。
 僕は、息を切らしながら、足元に転がってきた蛍光灯を拾い上げた。目を細めて、月明かりにぼんやりと照らされた、夜の丘を見る。その中にとけこむように立つ、女の子のりんかくだけが、うっすらと見えた。
 僕が声を発する前に、女の子が、たたっ、と、僕の方へ駆け寄ってくると、口を開いた。
「サキ君、わたしのお願い、かえして、はやく!」
 聞き間違えようはずもない、四年一組、「い」班、出席番号、三十一番、ミコの声だった。ミコは、僕の肩を両手でつかんで、がくがくと揺さぶった。
 ペナント・レースに全力を投入しきった僕は、荒い息をはずませ、膝から下の力が抜けて、くたくたと、草原の上に横たわった。
「え、ちょっと、どうしたの?」
 潮風が吹き抜ける丘の上、竹竿を泳ぐ、いるか達のはためく音と、ミコの声が重なりつつ、遠くへ流れていくのを感じる。天球の星空をあおいで、僕はしばらくの間、いるかのぼりのように、口をぱくぱくさせながら、汗だくのまま、胸を上下させ続けていた。

     3

「だ、大丈夫?」
 月明かりの下、心配そうな表情で横に屈みこみ、僕の顔をのぞき込むミコ。その長い黒髪が風に揺れ、僕の頬をくすぐる。
 早なる心臓の、「ばくばく音」を何とかおさえながら、僕は、呼吸を整え、草原の上に、上半身を起こした。ここは、何としても、「い」班・班長としての「いげん」を取り戻さねばならない。湿り気を帯びた背中の草を払い、余裕の笑みで、ミコに向って、声を発した。
「アー、アー、タダイマ、まいくノ、てすとチュウ」
 しゃがんだミコと、草の上に手を付いて座った僕の視線が、がっしり握手するように空中で一つに結ばれた。ミコの目は、焼きたてのたい焼きさながらに、まん丸に見開かれている。その目に映っている僕の目も、たぶん、焼き上がってすぐ、とんびにさらわれた、たこ焼きなみに、まん丸くなっているのだろう。
 ミコは、一瞬の間をおき、ぷ、と吹きだすと、悲鳴のような声と共に、腹を抱えて笑い始めた。草の上を転げ回るミコに、あたふたしながら弁解しようとする僕の口から出てきたのは、
「あめんぼ、アカイナ、アイウエオ……。おーけー、ちゅーにんぐ、カンリョウ」
 という、これまた、弁解からは程遠い、意味不明な発声練習らしきものだった。しかも、夏に扇風機に向って「ふぅ~じこちゃぁぁ~ん」と、「三代目・名怪盗」のものまねをするときのような、普段の僕の声より、数オクターブ高い、ふるえを伴う音質だった。
 え、おい! ちょっと、まて! 僕は、一体、どうしたっていうんだ!
 ずさっ、と立ち上がり、うろたえ、慌てふためき、わたわたと草原の上を歩きまわる僕の口から、第三の言葉が発せられる。
「『さきクン、シンパイハ、イリマセン。ジドウホンヤクつーるニ、ソナタノ、ゲンゴチュウスウヲ、チョイ、カリテイルダケデ、ゴザイマ……』 いや、そうじゃなくて!」
 これは、とても、まずいです。もしかして、僕は、本当に、ユーフォーに乗った宇宙人か何かに、体をのっとられてしまったのだろうか。そんな思いが頭を駆け巡り、全身に鳥肌がぶわっと立った。プールで遊びすぎた後のように、体が勝手にぶるっと震え、歯がかちかち鳴る。僕は、思わず前かがみになるとシャツの上から、自分の体を両手で抱きしめた。
「『さきクン、ニンゲンノ、セイリゲンショウハ、シカタノナイコトデス……』 ちがーう!!」 
 ミコの前で、これじゃいくらなんでも、かっこ悪すぎる! 笑い転げるミコを尻目に、突如、僕は、地面をけって走り出すと、「いるかのぼり」の、ぶっとい竹竿に向かって突進し、頭突きをかました。
 こんしんの「逆・脳天から竹割り」。竹の枝がさわさわ揺れる。反動で再び地面にぶっ倒れ、じーん、とうずく頭を抱える僕の上に、笹の葉や、短冊が、はらはらと降ってきた。顔に、ばさっ、と落ちてきた、小型のいるかのぼりを払いのけ、すっくと立ち上がる。これで、どうだ。さすがに……。
「『サスガニ、ソレハ、イタイデショウ、さきクン……』って、うるさい! 『ハイ』 だから、だまってろ!!」
 僕は、片手の親指と人差し指で、洗濯バサミのように自分の口をつまんでねじると、片手で頭をさすりながら、うおー、と、心の中だけで叫びながら、竹やぶにつっこむ。わさわさと、至る所に生えている、「もうそう竹」のしなりを利用して、僕は、竹を相手に、「一人・まんじ固まり」や、「一人・コブラ・ツイスター」、「一人・きんにく・バント・エンドラン」などの荒技を自分にかけ続けた。
「ちょ、ちょっと、サキくん!」
竹やぶ相手に、シャドー・プロレスを始めた僕を心配してか、茂みを掻きわけながら近づいてきたミコの声が聞こえた。究極奥義、「一人・きんにく・プラスマイナス・ドライバー」を敢行しようとする直前、体中、引っかき傷だらけの僕は、ミコの方を振り向くと、目ざとくその手に持っているものを見つけて、叫んだ。
「それだ! 『ソレデス!』 ああ、もう、やかましいわ!! 『スミマセン!』」
 僕は、ミコ目がけて駆け出すと、さっき竹竿に頭突きをかました際に落ちてきた、「いるかのぼり」をひったくって、空中に放り投げた。普通の「こいのぼり」と同様、風を吹き抜けさせる為に、その口は、プラスチックの輪によって、丸くあんぐりと開かれている。
丸けりゃいいんだろ、丸けりゃ。そんなら、これで、どうだ?!
『ないす・あいであ。さきクン、アンガイ、ばかデモナイヨウデスネ……』
 おせじとも悪態ともつかない言葉を発しながら、思惑通り、いるかのぼりは、はたはたと、尾びれを、はためかせながら空中に浮かんでいる。そいつは、丸い口を開け、ゆっくりと上空に正確な円を描いて回遊しながら、青白い光を放ち始めた。
「あ、あ、あ……あう~ん。よしっ、元に戻った! やったぜ……」
 僕は、喉元でチョップを前後に揺らし、じゃっかん口を両横へ引き気味に、あごを突き出す仕草をしながら、へなへなと草原に座りこんで、ふうううう、と深い深いため息をついた。
 ミコは、僕と、宙を舞う、いるかのぼりを、きょとんとして、交互に見比べていた。
 いるかのぼりは、そんな僕たちの様子にはお構いなしに、扇風機声で、こう言った。
『ワレワレハ、ウチュウジンニゴザイマス。ソシテ、アナタガタモ、ウチュウジンニ、ゴザイマス』
 どっかで聞いたようなせりふの使い回しっぽい気がしたが、僕とミコは、青白く瞬きながら、頭上に広がる、夜空の月と星々の海を泳ぐように、くるくると旋回する、いるかのぼりに目を奪われていた。

     4

「宇宙人……」
 自分の声を取り戻した僕は、宙を見上げながら、ぽつりと呟く。
僕の愛読する、『小学生の図鑑シリーズ・はてしない宇宙』の巻末イラストによれば、水星人は、太陽に近くて、日がな一日暑いため、地中でアリのような姿で暮らしており、少し暑さのやわらぐ金星では、バッタのような金星人が、地面の熱さから足を守るべく、バッタのように跳びはねているらしい。
そして、かの有名な火星人は、読者の期待をうらぎらず、ちゃんと、タコかクラゲのような恰好をしており、木星人は、何故かするめに似ており、土星人は、セミのぬけがらのような姿が描かれ、最後に、「みんなで、そうぞうしてみるのも、楽しいよ!」と、結ばれていた。もしかすると、太陽から遠くなるにつれて、絵を描くひとが、だんだん、面倒くさくなって行っただけのかもしれないが、とにかく、そんな風に、かいてあった。
 やたらと丸いものにこだわりをみせ、勝手に人の口を使う、これまでの「けいい」から、こいつが、これらの「水」から「土」までの、星から来た宇宙人である可能性は、ほぼ消えた。『小学生の図鑑シリーズ』に、そんな「とくちょう」は、一行も書いていなかった。普段は、ドミノの代わりに使っている『小学生の図鑑シリーズ』だが、その中身に、間違いがあるはずはない。
 なぜなら、十歳の誕生日に、となり町の「いるか・ショッピング・センター」で、新発売のゲームを、はげしく要求する僕に、「この図鑑は、えらい人が書いた、えらい本であり、これを読めばえらい人になれるのだ」と、父さんが、いつになくひたむきな眼差しで、おごそかに告げたからである。
 いつもは、野球と、ビールと、枝豆にしか興味がなさそうな父さんの、その「いげん」に満ちた口調には、僕もそれ以上の反論ができず、なくなく、ゲームをあきらめざるを得なかった。そして、千円分の図書カードで、おつりをもらい、駐車場のスタンプをもらえないかと、店員さんとねばり強く交渉している父さんの、僕の将来を思う気持ちに打たれたものだ。そうか、父さん、本当は、「ドルフィン・スウィマーズ」の「土端選手」よりも、僕のことが好きだったんだね、と、胸が熱くなったものだ。
 なので、僕の考えが正しければ、『小学生の図鑑シリーズ』には、描かれていなかった、もっと太陽系の外側の星、天王星とか、冥王星とか、おおよそ、そのあたりから来たやつに違いない。
『ぶー! チガイマス。ソレハ、イワユル、“コドモダマシ”トイウヤツデス。ぶぶー!!』
 この「ぶー」を聞いた僕は、とっさに足元を探り、小石を拾って、いるかのぼりに投げつけた。「ぶー」は、「バカ」と「そうへき」をなす、僕にとっての「言ってはならない、禁断の言葉」である。授業中に先生に当てられて、僕が答えを間違えるたびに、この「ぶー」をすかさず放って、クラス中の笑いを取る「ヨウタ」の、口をとがらせた「ぶー」顔が、よみがえる。教室のろうか側のすみっこの席に陣取り、そこから、「名・すないぱー」のように、輪ゴムをぶつけてくる、あのにくたらしいヨウタに、ちぎった消しゴムの破片を投げつけたりして、原始的に「おうしゅう」するのが、ほぼ、僕にとっては、日課となっているくらいなのだ。
 しかし、いるかのぼりは、ひょい、と向きを変えると、ぽっかり空いた口の中に小石を飲みこみ、悠然と空中を泳ぎながら、「ぶー、ぶぶー」と連呼し続けた。
 おのれ、と、歯がみして、虫取り網を振りかざそうとする、僕の手をつかんで止めたのは、ミコだった。
「待って! いるかのぼりさん、絵はがきをくれたのは、あなたなの?」
片手で僕の手を握りながら、ミコは、真剣な口調で問いかけた。
「絵はがき?」ミコの顔をまじまじと見る。なんだそりゃ? 宇宙人が、宛て先の住所氏名とか書いて、切手を貼って、絵ハガキをよこすなんて、そんな面倒なことするのか?
『ハイ、ソウデス。アノ、エハガキ、キニイッテ、モラエタマスカ』
 ……どうやら、するようだ。しかも、僕に対する反応とちがって、ミコに向けられた口調は、やたらと優しい。いるかのぼりは、ミコの周りを、まとわりつくように回った。くすぐったそうに笑いながら、ミコも、「やっぱり!」と、嬉しそうに答える。
 何だ、その、あつかいの差は。僕は、少しいらだって、虫取り網の竿の部分を両肩で担ぎ、手を垂らすと、斜めった口調で言ってみた。
「えっとさあ、『宇宙人』さん。あんた誰、とか、どっからきたの、とか、そういうの、別に、ぜんぜん、どうでもいいんだけど、その扇風機みたいな、変なしゃべり方、やめてくんないかな? なんか、こう、背中がむずむずするんだよ、むずむずー、って」
 いるかのぼりは、ぴた、と空中に静止して僕に向き直り、次のしゅんかん、
『宿題終わってから、遊びに行きなさい!!』と、怒鳴った。
 間違いなく、僕の母さんの声だった。世界約四億人の、全小学生が、ふるえおののく、禁断の言葉を、こいつはどうやら知っているようだった。反射的に、直立不動の姿勢で飛び上がりかけた僕に、いるかのぼりは、「じょうだん、じょうだん」、と声を発した。その声は、同じクラスの友達である、「タイチ」のものだった。
「これが一番、おちつくでしょう。そう、絵ハガキを送ったのは、私です。ミコさんは、厳正な抽選の結果、『ユーフォーにのった、宇宙人に会おう』の当選者に選ばれました。なので、ミコさんを迎えに来ようと思ったんだけど、サキ君が、合言葉になるキーワードを勝手に書いてしまっていたみたいだね。だから、こうして、君を連れてきたわけ」
 ……ミコ、いったい、いつの間にそんな懸賞に応募していたんだよ。というか、どこに、そんな得体のしれない応募があるっていうんだ。
 ミコは、ほっとした表情で、胸をなでおろしながら言った。
「よかったー。誕生日に、くまのぬいぐるみじゃなくって、『小学生の図鑑シリーズ・はてしない宇宙』を、お父さんに買ってもらって!」
 僕は、思わず丘の斜面を転げ落ちそうになりながら、内心、「ミコよ、お前もか!」と叫んでいた。

     5

 丘の草の上を、二、三メートル滑り落ちたところで、僕は、はっしと、ハマダイコンの群生をひっつかんだ。アブラナのような、つんとした香りに、頭がくらくらした。
 背中を冷や汗が伝う。もうあと数メートル落下していたら、急斜面のがけ。その向こうには、黒い鏡のような海が広がっている。浅瀬の岩場に乗り上げ、「ざしょう」したまま引き揚げる方法がなく、そのままほったらかしの貨物船の上に取り付けられた、二本のやぐらの様な灯台が、白銀に点滅しているのを見ながら、僕は、ため息をついた。
「まったくもって、君は、分かりやすいなあ」
 空中を旋回する、いるかのぼりが、尾びれで、僕の頭をぺしぺしと叩きながらそう言った。
「びっくりするようなことに出会ったら、いきなり、すっとんきょうな行動に出て、べつの『びっくり』で、バランスを取り戻すのが君のくせらしいね。いわゆる、『反応パターン』というやつだよ」
 タイチのくせに、こむずかしいことを……。僕は、斜面をはい上りながら、いるかのぼりを、横目でにらみつけた。そんなことには、全くお構いなしに、いるかのぼりは、しゃべり続けた。
「ここへ連れて来るように、君の気持ちをゆさぶる言葉を、いくつかこの星の『惑星辞典』から、拾って、君に送ってみたら、案の定の反応が返ってきて、じつに、やりやすかったよ」
 頂上にたどり着いた僕は、ねこじゃらしに飛びつく猫のように、尾びれを何とか捕まえようとジャンプしてみたが、そのたびに、いるかのぼりは、すばしこい魚のように、するりと、僕の手をかいくぐって身をかわす。
「『魚』、ね……。『バカ』で怒る、『ぶぶー』で、むきになる、『宿題しなさい!』で、飛び上がって、おそれおののく。それって、魚をつっついたら逃げて、えさをばらまいたら寄ってくる、というのと、どうちがうのかな? ああ、いるかは、魚の仲間じゃないからね。念のため」
 うぬぬぬ。僕は、内心、歯ぎしりした。ここで怒れば、こいつの言ってることを、その通りとみとめるようなものだし、自分の考えが、すけすけに読まれていることにも、腹が立つ。やり場のない、いきどおりにもだえる僕をかばう様に、ミコが、僕の前に進み出た。
「ちょっと待って、いるかのぼりさん。私だって、何かひどいこと言われたり、されたりしたら、おこったり、ないたりするし、楽しいこととか、面白いことがあったら、笑ったりするよ。お父さん、お母さんも、友達も、学校の先生だって、そうだよ。サキ君だけじゃないんだよ」
 ふふ、といるかのぼりは、愉快そうな声を上げて、一つ宙返りをした。その布でできた、ぺらぺらの顔のあたりがふるえ、すこし笑っているように見えた。
「それが、分かっているだけでも、大したものだと思うよ……。ところで、絵ハガキは、持ってきているね?」
 こくりと頷いて、ミコが、スカートのポケットから、四つ折りにした絵ハガキらしきものを取り出す。ミコの手が、それを開くと、色とりどりの金平糖の様な光の粒が、絵ハガキから飛び出して、辺りをまぶしく照らした。お祭りの屋台で、大きな鉄なべから弾け飛ぶ、ポップコーンさながら、虹色の光の粒は、つきることなく、丘の上いっぱいに飛び散っていく。
 光の粒は、空中にまで広がり、回転する輪っかの様な文字の列を形作った。
 その文字はこう読めた。
「おめでとうございます。あなたはこのたび、『ユーフォーに乗った宇宙人にあおう』ツアーに、選ばれました。この絵ハガキ兼・チケットと、歯ブラシ、タオルを持ってきて下さい。それ以外はこちらで準備いたします。合言葉は、『ユーフォーに乗った宇宙人にあいたいです』。迎えに行くから、忘れないでね!」
 絵ハガキを草の上に置いたミコは、ポケットから、おもむろに、歯ブラシと、ハンドタオルを取り出して両手に握ると、びしっ、と、いるかのぼりに突き出して見せた。
「オッケー、オッケー! 『お土産』は、よし、と。あとは、『キーワード』の問題だけだね!」
「そうね……」
 そう言って、いるかのぼりと、ミコが、同時に僕の方を振り向いた。
 ミコの長い髪が、海から吹き上げる潮風になびく。金平糖の光の粒を、虹色に映すその目は、なぜか、少しさびしそうに見えた。

     6

「な、なんだよ」
思わずうろたえる僕に、ミコが、この丘で会ったときと、同じ言葉を繰り返した。
「ね、サキ君、私のお願いを、返してくれる?」
 消えそうな声で呟く、ミコの手のひらが、僕の手を包む。そのあたたかく、やわらかい手で、そっと、にぎられたように、心臓が、しゃっくりをした。
 こっここっ、こんなことが、あってもよいのでしょうか。
 クラスでは、目立たないようにしているけれど、僕は、知っている。ミコのことは、クラスの中で、僕がいちばん、よく知っているんだ。たぶん、そうだ。
 どれだけ、わかめを食べたら、こうなるのだろう、と、ついつい思ってしまう程の、黒くてさらさらな、長い髪。アーモンド型の目が、ぱちぱちと瞬くたびに、オルゴールの小さな針がこすれあって、音色を奏で出しそうな、ぴんと上を向いたまつ毛。「いるか川」上流にある、「いるか沢」の深い淵一杯にたたえられた清水のように澄んだ、吸い込まれそうになる瞳。
 ときどき、ほおづえをついて、教室の窓から外を眺めているワンピース姿のミコは、クラス中の生徒が、港町の潮風と、ぎんぎんの太陽にさらされて、こんがりきつね色に焼き上がっている中で、波に洗われる浜辺に、ぽつんと取り残された小さな貝がらのようだった。
 勉強もできるし、足も速い。泳ぐのだって、たいていの生徒は登るのもためらう、コンクリートに番号がかかれた、一段高い方の台から飛び込むと、まるで、本当のいるかみたいに、すいすいと水をかき分け、ほとんど息継ぎなしで潜ったまま、25メートルプールの向こうの壁にタッチするのだった。
 それなのに、ミコは、ぜんぜん、目立たない。クラスのみんなとは、仲良く話したり、休み時間も他の女子達とよく遊んでいる。よく笑うし、追いかけあって、はしゃぎ回ったりもする。
 たまに、先生の気まぐれで、体育の時間に、男子・女子まざってのサッカーをすることがあるのだが、いつの間にか、どこに行ったか分からなくなり、気が付くと、相手のゴールポストの横にいて、転がってきたボールを、ぽこ、と、かかとで蹴って、ゴールを決めたりする。僕のクラスのルールでは、女子のゴールは二点であるため、ミコは、「すがたなきフォワード」として、サッカー・クラブに入っている男子達にさえ、一目置かれている。
 僕に「ぶぶー」を連発するのみならず、僕や、他の子の、ふでばこやうわばきを隠したり、机の中に隠した、割り箸製の「ゴム銃」で、授業時間でも、頭や背中を輪ゴムで狙い撃ちするという、クラス内では、海のギャング・「ウツボ」の仲間に分類される、ヨウタ一味も、ミコにだけは、手を出さない。
 それは、ミコが、「近寄りがたい、ウニ的なオーラ」を出しているからではなく、「近寄ると、ぶしゅっと墨をはかれて、思わぬ反撃にあいそうな、タコ・イカ的オーラ」を出しているためでもなく、ひとえに、その、夏の浅瀬に、ゆったりとうちよせるかすかな波紋のような、「無色透明さ」のためだった。そう、あんなにいろんなことができるのに、ミコは、「透明」なんだ。
 ミコは、目立たないけど、クラス中のみんなが、それぞれのかたちで、ミコのことが好きなのは、僕も分かっていた。
だから、僕も、新学期の班分けで、ミコと同じ組に入れたときは、もう、頭に「いそぎんちゃく」を乗っけて、廊下を隅から隅まで走り回りたいほど、うれしかったのだ。それで、がらにもなく、先生に手を上げて、班長に「りっこうほ」した。その直後に、ひれつなヨウタに背後から、輪ゴムで撃たれ、給食時間に、タイチに、デザートの「れいとうミカン」をかっさらわれたのは、たぶん、二人が、僕と、にたような気持ちだったからなのだろう。
 同じ気持ち。無色透明なミコのことを、いつも心のすみで、目のはしで、追いかけていた、僕の気持ち。無色透明なはずのミコのことを、どうして、僕がこんなにくわしいのか。
 そうだよ。ああ、そうだとも。僕は、ミコのことが、すっ、すっ、すっ、好きだからだ! 「バカ」や「ぶぶー」で怒っても、「宿題しなさい!」で、びびっても、それがどうしたってんだ。「分かりやす」くて、「すっとんきょう」で、わるかったな! でも、好きなものは、好きなんだよ、こんにゃろうさま!! それが、僕なんだよ、へーんっ、だ!!!
 僕の内心の「げきはく」は、後半に行くにつれ、ほとんど、あくたいに近いものになった。なぜか。
 それは、さっきから、僕の頭を、こにくらしくも、ぺしぺし、と、いるかのぼりが、尾びれでたたいているからである。要するに、こいつには、僕の気持なんか、すっけすけにお見通しというわけなのだ。
 ふふん、しかし、「いるかのぼり」よ。ミコはこうして、しっかり、僕の手を握ってくれているじゃないか。それはだな、僕のかっこよさに、ミコも、ひとかたならず、めろめろだからだ。たぶん、そうなんじゃないか、と思う。だけどな、これは、限りなく、「かくしん」に近い、「たぶん」だ。
 この日のために、ミコが鉛筆を落としたときには、さりげなくひろってやり、給食時間に、ミコが苦手なピーマンを、そっと、アルミのお皿のはしによけているときは、気付かれぬよう、さらにそれを、そっと、タイチの皿によそってやり、ミコが休み時間に、次の国語の教科書を忘れて困っている、というときには、「使えよ」、と、ぶっきらぼうに僕の教科書を貸してやり、僕は、ひそかに、ヨウタの机の中から、一時的に借りた、落書きだらけの、きったない教科書を使い、先生に叱られたヨウタが、廊下に立たされて、「完全教科書貸し借り」に成功する、という、実にまめな、「こころくばり」を行ってきたのだ。
 「けいぞくは、力なり」。学校の校門のそばにある、昔の校長先生か誰かのどうぞうの下にも、そう書いてあった。言いかえれば、「砂もつもれば山となる」。それが、今、こうして実を結んでいるのだ。どうだ、みたか、いるかのぼり。
「はい、これ!」
 ミコのぎゅっと握りしめた温かい手が、ややそりぎみに胸をそらし、鼻をふくらませた僕の手から離れ、手の中には、短冊と、ペンが残されていた。
「これで、私のお願い、早く書いてね!」
「……」
ふ。ふふふふふ。ふははははは!
 僕は、宙を見上げ、乾いた笑いを響かせながら、つみかさねた「けいぞく」が「カ」になって、ぶんぶん飛び回り、浜辺に積み上げた砂の山が、打ちよせる波のいちげきで、ようしゃなく、どっぱーん、と海に帰って行くしゅんかんを見たような気がした。
 すくいと言えば、いるかのぼりが、頭をたたくのをやめ、9回裏までノーヒットで来て、連打を浴びたピッチャーに交代を告げる野球チームの監督か、ピッチング・コーチのように、僕の尻を、ぽんぽん、といたわるようにたたいていることくらいだった。
 う、うう、ありがとう、五反田ピッチング・コーチ、いや、「いるかのぼり」……。僕は思わず、さっきまでの「おんしゅう」を忘れ、いるかのぼりの、温かいはいりょに、父さんが好きな野球チーム、「ドルフィン・スウィマーズ」の背番号111番、心優しき五反田ピッチング・コーチの姿を重ね、次の登板こそは、きめてみせます、と、かろうじて前向きな感じを残しつつ、がっくしうなだれた。
 マウンドを下りた僕は、目の前がねじれてゆがみそうになるのをこらえながら、ペンのキャップを、きゅぽん、と開け、短冊にペン先を向けた。

     7

 僕は、どさりと、草の上に、あぐらをかいて座りこむと、こきざみにマジック・ペンを持つ手がふるえているのがばれないよう、びんぼうゆすりみたいに、ひざを細かく上下に動かした。
「……んで、なんで、がげば、いいんだよ」
 短冊に目を落としたまま、ずびずびの鼻声で言う僕。
 ちなみに、この鼻声、だれが始めたのか知らないけど、「泣いたら、まけ」という、「にほん・だんじ」にすりこまれた、根拠のよくわからないルールをこくふくするために、なみだを、目から鼻の方へ、「バイパス・吸引」するという、僕のとっくんがあみだしたあらわざである。
 給食時間中に、「みてみて!」と、いきなり立ち上がったタイチが、鼻をつまんで、飲んだ牛乳を目から出すという、ひじょうにきけんな、よい子は、ぜったいにまねをしてはいけない、きんだんのパフォーマンスをおこない、クラス中の男子のしょうさんと、クラス中の女子のひんしゅくをかったあげく、先生に引きずられて保健室へれんこうされる、という、実にひとさわがせなひとまくから、ヒントをえた僕は、はっそうのぎゃくてんにより、なみだを引っ込めるすべを、あらぎょうのすえ、ついに、身につけたのである。
 ぱっと見、泣いてそうで、泣いてないような、このわざの弱点は、「目が赤いのは、かくせない」、「泣いてから、無敵になるモード」が使えない、「泣く子は、そだつ」が使えない、などがあるが、この場合、なんといっても、ミコの前で泣くわけには、いかないのである。なので、弱点をおぎなってあまりある、わざといえるだろう。この日のために、母さんが台所の三角コーナーに捨てた、たまねぎの皮をひろいあつめて、お風呂場の鏡の前でとっくんしたかいがあったというものだ。
 それに、もう、書く内容は、大体、想像がついている。たぶん、「僕のお願いは、なしにして、これは、ミコにゆずります」とかなんとか、だいたい、そんなもんだろう。僕は、鼻をすすりながら、「僕」という漢字の「左側」は、「にんべん」だったか、「てへん」、または、「さんずい」だったか、はっきりしなかったので、ひらがなで書こうと、おもむろに、「ぼ」に着手しようとペンを短冊におろそうとして……。
 ミコの声が、降ってきた。
「『私がいなくなっても、みんながしあわせでありますように』って、かいて」
 ぴたり、と、僕の指が止まった。時計の11時の方向へ、顔を上げると、虹色の光を映す、ミコの瞳が、僕を優しく見つめていた。
 僕は、少しの間、口をあんぐりさせながら、ミコの顔を見ていたが、な、な、な、と、口走りながら、ずお、と、立ち上がって、ミコの前につめよった。
「今なんつった? ていうか、なんつった、今? なんで、僕が、そんなこと、書かなくちゃいけないんだ! それに、なんだよ、その願い事は。『いなくなる』って、どういういみだ!」
 まくし立てる僕に、ミコはおだやかなほほえみをうかべたまま、口を開いた。
「あのね、『ユーフォーにのった、宇宙人にあいたいです』っていうのは、さっき、いるかのぼりさんが言ったように、『キーワード』、合言葉なの。その合言葉を思いだして、それを、この場所で書いたなら、最後のお願いがかなう。そして、私は、ふるさとに帰れるの」
 はあ? ふるさと? 「ふるさと」って言ったら、ここじゃん。小さいころから育ってきた「いるか町」じゃん。僕は、髪の毛をかきむしった。はっきり言って、ぜんぜん、意味がわからん。
「つまりね、サキ君。ミコはこれから『行く』んじゃない、『かえる』んだよ。ミコが元いたところにね」
 助け船を出すように、ミコの右肩から、ひょい、と顔をのぞかせた、いるかのぼりが、丸い輪っかの口をこちらに向けて、言葉を発した。それは、今までのタイチ声とは、全然似ても似つかない、声の響きだった。
 音楽室で、ピアノの音を合わせるのに、先生が使う「おんさ」とかいう、「U」字型の金属を、木琴をひくときに使う、布で巻かれた丸い球が先端についた「ばち」で、たたいたときに出るような音。体育の時間、先生が鳴らす「ホイッスル」を、プールの中で聞いたときのような、水を伝わって、あっちこっちから、くぐもったような、それでいて、澄んでいるような、響く鈴の音。いつか、どこかで、聞いたことのあるような、なつかしい、声。
「さっき、言ったよね。『ミコさんは、厳正な抽選の結果、ユーフォーにのった、宇宙人に会おう』の当選者に選ばれたので、迎えに来た』と。『我々も、君たちも、宇宙人』だとも。ミコはね、君たち、宇宙人に会うために、この星に来た。そして、この『地球時間』での、十年間のツアーを終えて、今、故郷にかえる。抽選が行われたのは、ミコの故郷でのできごと。絵葉書を送ったのはこの星のしきたりにのっとって、ミコが旅に出る前の記憶を、呼び戻すためだよ。旅行者が、『かえりの船』に、ちゃんと乗れるようにするための、『保険』みたいなものなんだ」
 僕は、その、「おんさ」のような響きが奏でる音色に、のうみそをゆさぶられて、立ちつくしていた。はっ、として、すっかり、音に引き込まれていた頭を振ると、あわてて言い返す。
「僕も、ミコも、地球人だ! さっきから、わけわかんないことばっかり、いいやがって。 ミコ、帰ろう。こんなやつ、あいてにすることないんだ! お前なんか、『いりこ』になっちまえ!」
 ミコの手を握ろうとしたが、その手は、すかっ、と宙を切った。手に触れようとするが、すか、すか、と、蚊取り線香のけむりをつかもうとするみたいに、ミコの手に触ることはできなかった。
 ミコは、ゆっくりと、首を横に振った。
「わたし、全部、思いだしたんだ。ふるさとで、たくさんの友達といっしょに、ツアーに参加して、十年前に、この星にきたこと。きれいな青い星が気に入って、この小さな星の、小さな島の、小さなこのまちに住んでる、優しいお父さんとお母さんが好きで、いっしょにくらしたいなあ、って思ったこと。お父さん、お母さんには、すごく感謝してるんだ。私を、赤ちゃんのころから、ずっと大事にして、育ててくれたんだもの。もちろん、このまちの人たちも、学校のみんなも好き。だからね……」
 ミコは、言葉を切り、にっこり笑って言った。
「サキ君のことも、好きだよ!」

     8

 「サキ君のこと、好き」。そんなこと、不肖、サキ君こと、サキカワ・サキ、この世に生まれて十年ちょい。初めて、言われました。
 心臓が、はげしく和太鼓を打ち鳴らす。今、僕の胸の中では、学校の行事で、「郷土の芸能を学ぼう」の時間にきてくれた、三角形に編隊を組み、はっぴにしめこみ姿の、りりしくはちまきで頭を結んだ、七人のくっきょうなお兄さんたちが、光る汗を飛び散らしながら、ぶっとい切り株のような和太鼓に、どんどこどんどこと、こん棒みたいな「ばち」をたたきつけている。
 僕は……(どんどこ)……僕は(どんどこ)……僕は……(どんどこどんどんどん、だだん!)。
「いるか、みさきっ!」の掛け声と共に、ハッ! と「ばち」を両手で天高く宙にあげた、お兄さんたちの「ゆうし」に後押しされるように、僕は、ミコの虹色に輝く瞳を見すえながら、「ぼくも、すきだよ!! ハッ!!!」と、叫んだ……つもりだったが、僕の口から出てきたのは、ごにょごにょ口調の、えらくにえきらない、しんちょうな言葉だった。
「あ、あのさ……。それって、僕のこと好きっていみ? それとも、さっき言ってたみたいな、『地球人として好き』って、いみ?」
 かつて、寝る前に妹が読んでいた少女まんがをとり上げて、そんなシーンを、読んだことがある。泣きわめいて取り返そうとする妹のこうげきを、枕でかるくいなしながら、その一ページ全部使って、大きな瞳にこれでもかと星が散りばめた女の子が、サッカーのユニフォームを着た、髪の長い男子に「それって、『友達』として好きって意味?」とか言われてた。それを思い出して、「じじつは、まんがより、きなり」、などと感想をもらすひまも与えず、ミコは、しっかり、はっきり頷いて、きっぱり言い放った。
「うん! 『地球人』として、好き!!」
「………………」
 やっぱりねーっ!! 
 その答えを聞いたしゅんかん、僕は、内心そう叫び、宙に両手で突き上げた和太鼓のばちが、くるくる回転しながら飛んで行き、星空の彼方にすいこまれていくのを感じた。
 つまり、これ、「フラれた」って、いみですか。まんがや、アニメでいうところの、「しつれん」って、やつですか。そうですか。これは、けっこう、こたえますな。
 いっしゅん、妹のまんがで読んだ、次のページのサッカー少年のように、天高く両足をがにまたにして突き出し、頭を起点に、すてーん、とひっくり返ろうかとも思ったが、地面と僕の頭の固さを「ひかくけんとう」して、やめることにした。そもそも、まんがでよく見るあのポーズ、突き出た足の部分しかかいてないので、どうやって、上半身で、あの姿勢を保つのか、なぞなのである。
 去年の夏、家族で海水浴に行ったとき、砂浜に頭を半分突っ込んでためしたことがあるが、とつぜん、打ち寄せてきた波にけとばされ、きりもみをしながら、あやうく、引き潮で海へかえって行きそうになった。耳や鼻からじゃりじゃりの砂をほじくり出している僕を見て、爆笑しながら、「リアル・すけきよ」と父さんが命名した、このわざは、それ以来、げんじゅうにふういんしている。
 僕の、この、ひじょうにもってまわった、心のつづれおりは、「幼稚園のときは、カウントしない、はつこい・グッバイ・ダメージ」を、いささかなりとも、「けいげん」しようという、ひたむきな努力の表れなのである。僕は、必死で、鼻を、ずびずび、すすりあげた。
 そんな僕の気持ちを分かっているのかいないのか、にこにこと満面の笑顔で僕を見つめるミコ。その肩をはなれ、いるかのぼりが、僕の方へ、ふわふわと漂って近づいてきた。
「また、早とちりしているね。『フラれた』だとか、君が考えているような、そういう意味じゃない。ミコは、むしろ、言葉にならないくらいに、君のことが『大好き』なんだよ。私達は、『特定の誰か』を区別して、好悪の感情を抱くことはないんだ。そんなことは、もう、とっくに卒業している。そんな彼女に、『好き』と言われるなんて、奇跡のような、素晴らしい贈り物なんだぞ」
 いるかのぼりは、今までのように、僕をからかうような口調をやめて、少し、しんみりした響きで言った。
「私も、はるか以前―『以前』ってのは、『地球時間』での表現だけど―幾度となく『男』や『女』だったから、分かるよ、君の気持ちは。でも、気にすることはない。さっきは、ちょっと厳しいことも言ったけれど、君のずっと深い所には、とても素晴らしいものがある。自分では気が付いていないだろうけどね」
「何、ぞれ?」シャツのすそで、滝のように流れる鼻水をぬぐいながら、首をひねる僕に、いるかのぼりは、「おんさ」声で続けた。
「これを、地球の言葉で言うのは難しいんだが……そうだな、『君の忘れている本当の君を、そのまま表す力』とでも言ったらいいかな。簡単に言うなら、『純粋さ』、『透明さ』、そんな所だろう」
 それを言うなら、ミコの方だろう。僕は、そんな「透明」なミコのことが、好きなわけで……。いや、ミコが、もし、こいつの言うような「宇宙人」なら、そりゃそうか。ん? でも、僕も「地球人」っていう、「宇宙人」なんだっけ? ああ、なんか、頭がこんがらがってきた。
「もっと、詳しく説明するなら、こうだ。大抵の『地球人』は、自分が『地球人』であることを、知らない。いや、意識していない、という方が正確かな。自分の体とか、考えとか、気持ちとか、『自分それ自身』にくっついている、その他のいろんなことを、『自分』だと思っている。まあ、せいぜい、『どこどこの国の出身の人間』だから、『何々人』て、ところかな。例外もあるけど、自分を『地球人』と本当の意味で知っていて、『地球人』として生きている人は、まだそれほど多くはない。まして、『宇宙人』の自覚がある人となると、それより少ない。更に、もっと、その先、その先……が、ある。要は、『無限』なんだよ。実際のところ」
 いるかのぼりが、また、わけのわからんことを、言い始めた、と思った僕だったが、どこか、心の奥深くの方で、「そうそう、そうなんだよ!」と、うなずいている「自分」がいることに、ふっ、と気が付いた。その「気付いた感じ」は、海にもぐって、きらきら差し込む太陽のシャワーの間を泳ぐ魚を、夢中で追っかけてるとき、自分も魚になったような、自分も魚も海に溶け込んで、いっしょになってダンスをおどっているような、お腹の底から笑いがこみあげてくる、あのふしぎな気持ちに、よくにていたんだ。
 いつの間にか、鼻水は引っ込んでいた。僕は、なぜだか、ゆかいな気分になり、くすくす笑いながら、ずっと分からなかったことを、このさい、聞いてみることにした。
「なんか、なんとなく、『分かった』ような……うーん、ちがうな。『おもいだした』ような気がするんだけど。あのさ、何で、僕らが『ユーフォーにのった宇宙人』なわけ? 何で、わざわざ、そんなもん、見に来るの?」
 いるかのぼりも、僕のくすくす笑いがうつったみたいに、愉快そうな「おんさ」の響きを伝えてきた。
「地球人が言う『ユーフォー』ってのはね、『未確認飛行物体』っていう意味。『まだ正体がよく分からない、飛ぶもの』ってことだよ。その正体を、君だったら、知りたいって思うだろう? で、それが、最初の質問の答えになってる。君が住んでいるこの星で、一番速くて、遠くまで行けて、安全な、飛ぶのりものは、何だと思う?」
「スペースシャトル!!」
 『小学生の図鑑シリーズ・いろんな乗り物』の、あいどくしゃである僕は、自信満々に、そう答えた。
「ぶぶー、だね。おっ、サキ君、怒らないね。かんしん、かんしん……」
 いるかのぼりは、いたずらっぽい響きで、僕のにやにや笑いに答えた。
「正解はこの、『地球』だよ」

     9

 あん? 僕は、足元のくさむらを、ズックのつま先で、ざかざかこすり、あらわれた地面に手をついてみたが、ひんやりした土のかんしょくが伝わってくるだけで、それがどうしても、スペースシャトルよりも速くて、遠くまで行けて、安全な、飛ぶのりもののようには思えなかった。だって、ぜんぜん、動いてないじゃんか。
「まあ、これから言うことは、ただの、『もののたとえ』、または、『よもやまばなし』として聞いてもらいたいのだけれど……」
 いるかのぼりは、まるで、僕が、「この、赤ペケだらけの、27点の算数のテスト、どこにかくしたものか」と、悩んでいるときのように、どこか、ためらいがちな響きで、そう言った。
「……たしかに、スペースシャトルは、地球上では、速い乗り物の一つみたいだね。宇宙に打ち上げられるときの一番速いスピードが、だいたい、1秒間に8キロ進む速さかな。この速さを、『秒速約8km』というんだ。1秒で、ここから、となり町の、『いるか・ショッピング・センター』まで行ける速さで飛んでいくわけだね。その速さでお父さんが飛べれば、君が欲しがってたゲームを、往復2秒くらいで買って帰ってこれるかもね。お父さんが、『秒速約8km』で飛ぶ気になって、しかも、ゲームを買おうという気になればの話だけど」
 僕は、父さんが、地面と平行に「気を付け」の姿勢で前を見すえ、ばさばさと、すだれ髪を風になびかせながら、「いるか・ショッピング・センター」目がけて、いさましく飛行する姿を、ぼんやり想像した。2秒で戻ってきた父さんが、笑顔で僕に差しだした手には、なぜか、ゲームソフトではなく、「野球マガジン~栄光への軌跡・土端選手特集~」が、しっかりとにぎられていた。僕は、その恐ろしい空想を、ぶるぶると首を振って、打ち消した。
「さて、これを、一時間に進む速さ、つまり、『時速』でいうと、『時速約2万8800km』。これも、まあ、だいたいの話だけど、この、いるかまちから、1時間で、東の二つの大陸に挟まれた、『もじゃもじゃ髪に、ひげの海賊が暴れている海』を見に行って、戻ってこれるくらいかな。でも、海水浴の方がいいなら、君の家から、いるか浜まで、走って10分で行けるね」
 ふむふむ。国語の時間に教科書を開いて、「ここで、さくしゃのいいたいことは、なにか」の答えを、「たじろぎ」と、白チョークで先生が黒板に書きながら、説明しているときのように、言ってる意味は、さっぱり分からないが、とりあえず、ふむふむ。
「サキ君、『国語』は、あまり関係ないんだが。どちらかというと、『算数』を思い浮かべてもらいたいのだけど……。おや、『速さ=道のり÷時間』は、小学四年生では、習っていないのか。まあ、いいよ。どのみち、こういう単純な式を使っても、本当のところは、計算できないからね」
 僕は、首を回して、海の方を眺める。真黒な海に、ホタルイカのような、ざしょうした船にともる灯り。「東の二つの大陸にはさまれた海」も、この、いるか浜の海のように、しょっぱいのだろうか。それとも、かすかに、しょうゆ味とかがするのだろうか。その点は、少し気になるところではある。
「さらに、これを、音の進む速さと比べてみようか。音は、空気の中を、だいたい、1秒間に340から350メートルの速さで伝わる。さっきの『秒速』でいうと、『秒速約340m』、一時間に1224㎞進むから、『時速約1224㎞』。それでね、『空気や水なんかの、ものの流れ』の中で、動くものを、『音の伝わる速さ』と比べたときの速さを、『マッハ』っていうんだけど、むりやり、それでいうなら、スペースシャトルの速さは、さっき言ったように、『時速約2万8800km』だから、音の速さの『時速約1224㎞』で割ると、『マッハ・約23~24』かな」
 いや、外国の海だから、そこは、じゃっかん、ソース味や、ペパーミント味かもしれない、と、僕の心の中で、どこまでも広がっていく、「世界の海・味比べ」とは関係なく、いるかのぼりは、ひびき声を続けた。
「『マッハ・約23~24』、要するに、音の速さの、23から24倍。だから、スペースシャトルは、音よりも『ずっと速く飛べる』とは、言ってもいいかもね。これって、『空気の温度、湿度、濃度』、『体積や重量の変化』、『加速度』、『それ自体が動いている、地面との関係』、その他いろいろを、反則気味にとりはらった、ものすごく、ざっくばらんな計算だけどね。そもそも、宇宙には、空気がないんだし」
 「マッハ」……「ナッパ」……「タッパー」……「バッター」……「バッター・代打・土端。背番号、64」……。僕の、空想は、とどまるところをしらず、かいしんげきを続けた。
「まあ、スペースシャトルというものは、人が住んでいる空の上を飛ぶことはできないし、『飛んでいる』っていうよりも、ロケットで打ち上げて、落っこちてくる、って感じかな。イメージでいえば、そうだな……。君の好きな空想癖でいうなら、でっかい打ち上げ花火に、ひとをくくりつけて、宇宙まで飛ばして、落っことして、無事、着地に成功させる、みたいなものだろうね」
 僕は、先生が授業中に、とつぜん、「きのうの夢・だっせん話」を始めたときみたいに、がばっと、顔を上げた。
 それだ! それを、まっていたんだ、いるかのぼり!! 打ち上げるのは、ぜひ、ヨウタのやつにしてほしい。そして、落っことす所は、ぜひとも、運動場のはしっこにある、ニワトリ小屋でたのむ! 
 いるかのぼりは、ニワトリに体中をつつき回され、頭を抱えて逃げまどうヨウタの姿を思い浮かべたように、くすくす笑いのような軽いふるえを響かせた。
「ひとが乗っている、『国際宇宙ステーション』なら、『秒速約7.7km』、『時速約2万7700km』かな。ひとを乗せなくていいのなら、理屈の上では、もっと速く出来るだろうね。地球の周りの、地面に近いところを回っている、人工衛星でも、『秒速約7.9 km』、『時速2万8400km』くらいの速さで『飛ぶ』。これより遅かったら、地球に落っこちちゃうんだけど、一時間半くらいで、だいたい、地球の上空を一周できるわけだ。この、地球の力をはなれて『飛ぶ』のに必要な速さを、君たちは、『第一宇宙速度』っていうみたいだね。ちなみに、地球の力をのがれる速さを、『第二宇宙速度』というらしいけど、これだと、『秒速約11.2km』、『時速約4万270km』。地球や太陽の力からのがれて、もっと遠い宇宙の果てまですっ飛んでいく速さ、『第三宇宙速度』だと、『秒速約 16.7 km』、『時速約6万120km』。ただし、これだと、特別な方法を使わなければ、ひとは乗せられない。行ったっきり、帰ってこなくていいのなら、話は別だけどね。だから、ヨウタ君は、乗れないよ。彼がいないと、君もさびしいだろう?」
 僕は、魔法使いならぬ、いるかのぼりが、ろうろうと唱え続ける、呪文のような話の合間に、「ベホラマ・ベズラマ・ベーゴマ……『ヨウタ』・ズン!」と、とつぜん、知った名前が出てきたのを聞いて、少しおどろいた。
「あ、えっ? あいつがいないと、って……。うーん。はっきりいって、さびしくはない、かな。さびしくはないけど……、なんか、つまんないかも」
 こくこく、と、さっきからだまって話を聞いていた、ミコがうなずく。
 それを見た僕は、はっ、と気付いた。いるかのぼりの「おんさ声」に、いつの間にか引き込まれ、かんじんの、ミコが「かえってしまう」ことを、忘れかけていた。「かえる」ってことは、「いなくなる」ってことじゃないか! いるかのぼりの長い「よもやま・速い話」は、僕にそのことを忘れさせようとするためだったのか?
 すると、ミコが僕の方へ歩み寄ってきた。ミコは、となりにかがんで、僕の手の上に、手のひらを重ねた。その手からは、たしかに、さっき短冊とペンを受け取ったのと同じあたたかさが伝わってくる。驚いて尻もちをつきそうになった僕の手が、ミコの肩にふれそうになったが、その手はミコの肩を、すかっ、と素通りしてしまった。
 とっさに、ミコの手が、倒れそうになった僕の体を引っ張って支えた。
「???」
 僕の指先は、ミコの体の向こう側に突き出ていた。腕をぶんぶん振ってみたが、まるで、「飛びだす映画」みたいに、僕の手は、空を切った。まじまじと、自分の手のひらをながめる。どうやら、僕の手は、ミコにさわれない。でも、ミコの方からは、僕にさわれるらしい。
 ミコは、僕の両手を手のひらで包み込むように、上から地面に押さえつけた。
 そのしゅんかん、僕は、地面に両手をついて、しゃがみ込んだまま、ものすごい速さでぶっとんでいた。遊園地で乗った、ジェットコースターなんか、くらべものにならない。昼休みによく遊ぶ、運動場の、鉄のパイプでできた「かいせんとう」。網目の球の形をしていて、真ん中の「心棒」を中心に、ぐるぐる回転するやつ。あのパイプにつかまって、体が地面と平行になるまで、ぐるんぐるん、猛スピードでぶん回る、それを、たて横、あらゆる方向へ回転させた、そんな感じ。人間サッカーボールになって、空中を「ドライブ・シュート」で、ぶっとんでいく感じ。
「それが、地球の『回転』からくる『速さ』だよ、サキ君」
「かっ、かっ、かっ、かっ、かっ、かっ!!!」僕の口から、声にならない叫び声が飛びだす。
「地球の自転だけでも、『時速約1224㎞』の、音の速さを、かるくこえている。簡単な計算だよ。地球で一番太い、赤道の周りが約4万キロとして、それを、1日24時間で割ればいい。つまり、『40000÷24=1666.6……』。だから、その速さは、赤道付近で『時速約1700km』。ここ、いるかまちでは、『時速約1400km』くらいかな。で、それにだね……」
「ぼっ、ぼっ、ぼっ、ぼっ、ぼっ!!!」僕は、算数は、苦手なんだ!!!
「地球は、太陽の周りを1年・約365日かけて回っている。その距離、約9億3981万9740km。さっきといっしょで、『939819740km÷365日=1日で約260万km』、これを『時速』になおすと、『時速約10万km』、『秒速約30km」、になるわけだ。そして、さらに!」
「まっ、まっ、まっ、まっ、まっ、まっ、まっ!!!」まだあんのか!!!
「この地球をふくめた、太陽系は、銀河系の中を回っている。その『速度』をプラス、さらにさらに、太陽系、銀河系も含めた、『宇宙の膨張の加速』をくわえると!!」
「くわっ、くわっ、くわっ、くわっ、くわっ!!!」くわえんでくれ!!!!!
 いるかのぼりの、ふむ、という、思案のひびきとともに、ミコが手を離し、僕は、ばったりと、大の字になって、地面にうつぶせた。「回転」と「速度」の感じは、いっしゅんで、消えた。ああ、地面……地面、大好き。僕は、地球にほおずりしたい気分だった。
「サキ君も、分かったと思う。70億人以上のひとや、花や木や動物や虫や、ありとあらゆる生き物たち、海や山や川や砂漠や氷河や、ありとあらゆる自然、ひとのつくったもの、そうでないもの、全部を乗せて飛ぶ、一番、速くて、安全で、遠くまで行けるのが、『地球』だ……」
 思わず、僕は、いるかのぼりの前にひれ伏して、今までの思いちがいを、あやまりたくなった。つまり、スペースシャトルは、一番ではない、そういうことなのだ。
「そして、これが、一番、かんじんなことなのだが……」
 いげんにみちた響きで告げる、いるかのぼり。僕は、いるか神社のおみくじを引くときのように、ごくり、とつばを飲みこんで、つぎの「ことば」にそなえた。
「いままでのは、全部、『地球人ルール』、つまりは、『じゃんけんのローカル・ルール』のような……はやい話が、君たち『地球人』の『おもいこみ』なのだ。まぎらわしくて、すまない」
 つぎのしゅんかん、僕は、体育の時間にならった三角倒立で逆立ちをし、足をがにまたに、天高くつきあげていた。
それは、生まれて初めて、ふういん技、「リアル・すけきよ」に、完全成功した、記念すべきしゅんかんだった。なるほど、あの「ポーズ」はこうやって、上半身で支えるのですか。
 このさい、もののついでに、「ずごっ!」と、まんがのふきだしのようにさけぶ、僕の声を、さわやかな潮風がさらって、丘の上をかけぬけていった。

     10

 三角倒立とは、別名、「三点倒立」。頭のてっぺんと、両手のひら、もしくは、前うでの部分が形づくる、正三角形の、ばんじゃくのきばんのもとに、逆立ちをするという、まだ逆立ちができないときに、一段階前の「ロケット・ブースター」としてのやくわりをはたす、土台なのである。
自転車の「ほじょりん」、水泳の「ビートばん」にあたるものなのだが、「二手歩行」も可能な逆立ちに比べて、足の自由度は高いという、「りてん」がある。その「りてん」を、さいだいげんに、活かしきったとき、その「きょうち」が、「リアル・すけきよ」を、可能にする。
 父さん、見てるかい。僕、ついに、やったよ! 今、僕は、だれなのかしらんけど、「すけきよ君」を、越えたんだ。僕の成長ぶりを、よろこんでくれるかい?
 でも、おそらく、今ごろ、父さんは、「ドルフィン・スウィマーズ」の18連敗にがっくりきて、冷蔵庫の缶ビールをこっそりあさろうとしている最中だろう。そして、それをびんかんにさっちした、食器を洗っている母さんの、「あんたっ! ビールは一日一缶でしょっ!」という振り向きざまの声と共に、ぎゅーぎゅーと、おしりで冷蔵庫のドアをあっぱくする、母さんの「おしり力」によって、冷蔵庫にからだをはさまれ、すごすご退散しているはずである。さらに、妹に「どれ、宿題でもみてやるか」、と声をかけたあげく、「もう、やったもーん」と、まんが片手に妹にも逃走され、仕方なく、麦茶を飲みながら、新聞の「サラリーマン・ポエム」欄に投稿する作品を、筆ペンでパチンコの広告の裏に、したためているにちがいない。
 ようするに、それが、毎晩のように、わがやでくりかひろげられる、「ゆうげのひととき」であり、僕が、どこでなにしてようが、あんまり、大してかんけいないのだった。
 あまりのしょうげきに、「ずごっ!」と、妹の読むまんがっぽくさけんだ、僕の声を、海から吹きぬける、さわやかな潮風がさらって、丘の上をかけぬけていったものの、いかんせん、この三角倒立からの「リアル・すけきよ」ポーズでは、あらゆる、「してきひょうげん」が、だいなしになってしまうのである。げに、おそるべきは、「リアル・すけきよ」。
「ふむ、それは、実に興味深いスタイルだな。ミコも、あれはできるのかい?」
 いるかのぼりが、感心したように、ミコの方を向く。
ミコは、「できるよ」と笑って、すこし後ろに下がり、助走をつけると、体操選手のように、横転、後方宙返り、ジャンプして「ムーン・サルト」を決めると、着地と同時に背中をそらせて、倒立。そのまま、とことこ手で歩いて、僕と顔を見合わせる位置まで来た。
みごとなばかりの、「元祖・倒立」である。さすがは、ミコ。「さかだちしても、おいつけない」というのは、まさに、このことを、さすのだろう。
 僕とミコの顔が、上下ぎゃくのままで向かい合った。僕たちは、目を合わせてしばらく口をひくひくさせていたが、ついにがまんできなくなって、同時に吹きだした。僕たちは、地面にひっくりかえると、お腹を抱え、草むらの上を転げまわって笑った。
 ひとしきり笑い、草むらの上に腰かけて、汗がひんやりとした風にまきあげられていくのを感じていると、いるかのぼりが、愉快そうな響きで言った。
「やはり、『地球人』というのは、素敵だね。君たちを見ていると、本当に、心から、そう思うよ」
僕は、まだ少し息をはずませながら、いるかのぼりに、たずねてみた。 
「でもさあ、さっきのあれ、何だったの? えーと、ユーフォーが地球で、それに乗ってる僕らを見に来るのが楽しい、ってのは、なんとなく、分かったんだけどさ。その、最後に言ってたやつ……何だっけ?」
「『思いこみ』のことかい?」
「そう、それそれ!」
「いや、大したことではないんだ。それに、たんなる、「特徴」であって、『いい・わるい』の問題でもない。それも含めて、『地球人』ってことなんだが……」
 いるかのぼりは、そう「まえおき」した後で、こう言った。
「サキ君、ケーキは好きかい? 誕生日の、バースデイ・ケーキ。ロウソクを立てる丸いやつ」
「もちろん!」かんぱついれず、僕は答えた。
 「サキカワ家」で食べる誕生日のケーキは、年輪の入った「丸太」を横に倒したような形をしているが、母さんによれば、それは、ふつうのケーキ屋さんで見るような、「切り株」の形をしたものより、年輪が見える分、お正月のおせちで出る「エビ」とか「ほしがき」みたいな、「ながいき」の意味がこもった、縁起ものなのだという。
だが、困ったことに、あの「丸太ケーキ」は一家四人で四等分に分けると、あっという間になくなってしまうのだ。なので、僕は、友達の誕生会にお呼ばれしたときしか、切り株型を食べたことはないが、いつか、丸太型ではなく、切り株型、それも、どこかの有名なお寺みたいな、五段重ねくらいのやつを、たらふく食べたいものである。
「じゃあ、例えば、君がいつか食べたい、切り株型の丸いケーキがあったとする。で、これを四角い箱に収めたいんだが、箱の方が、丸いケーキよりも小さい。君だったら、どうする?」
「はみ出たとこを、すぐ食べる!」
僕は、ためらいなく、そう答えた。とうぜんである。ぐずぐずしていたら、妹のやつに、横からフォークをつきだされて、あっという間に平らげられてしまうではないか。
「うん、君らしい答えだね。じゃあ、この丸いケーキが、もう、とてつもなくでっかかったとする。端っこが見えないくらいにでかいんだ。で、四角いケーキの箱も、それにあわせて大きくするんだが、どうしても、丸いものを、四角い箱に納めようとすると、いつまでたっても、『あまり』ができることになる。サキ君、どうする?」
「そんなにでっかいケーキなら、もう、中に飛びこんで、むしゃむしゃ食べながら、穴をほってすすむよ。もぐらみたいに」
「ご名答。君なら、そうするだろうね。さっきも言ったけど、君には、『透明さ』がある。だから、『思いこみ』……言いかえれば、『信念体系』に、しばられない、自由な発想ができる」
 あああ……。いるかのぼりの伝えたいことが、何となく、分かった……いや、まただ……。なにかを「思いだした」気がする。
いるかのぼりは、ただ、たんたんと、続けた。
「この『四角い箱』が、『信念体系』とか『おもいこみ』、『もののみかた』と呼ばれるものだ。少し難しいが、君たちの世界の大人が使う言葉でいえば、『思考の枠組み』、『拡大されたパラダイム』ともいう。『丸いケーキ』箱の『世界全部』、無限でありながら、しかも拡大し続ける、『全ての宇宙』のこと」
 むむむ。「ケーキ」が、「せかい」で、「箱」が、「おもいこみ」……。
 そういえば、クリスマスの朝、まくらもとに、でっかい箱が置いてあって、「やった!! やぶれた「くつした」の中のメモに書いて、お願いしといたとおり、サンタさんが、『PS5』をプレゼントしてくれた!!」と、大喜びで飛び起きたことがある。
なのに、その箱をあけたら、その中にも箱があり、そしてその中にも箱が……と、だんだん小さくなっていって、さいごの小さな箱を開けたら、新しい「くつした」が二足入っており、「これは、きっと、ゆめだ」とさけんで、もう一度ふとんの中に「ダイブ」した。たぶん、あれが、あの「PS5」と思ったら、じつは、「くつした二足」というのが、おもいこみなのだ。
「実は、この四角い箱を通して見たものが、そのひとの、『世界』を形づくる。意識的にか、本人も知らない、無意識のうちにか、文字通り、『想像』することで、『創造』し続けている。しかし、必ずそこには、四角い枠に収まりきれない、『例外』が出てくる。それを収めようと、箱を大きくしようとして、また別の『例外』を作り出し……結局、『いたちごっこ』になる。それは、終わることのない、『ゲーム』だ……」
 うん、それは、すごく、わかる。ゲームをやりはじめると、とまらなくなることがあるから。ゲームをしながら、学校から帰り、ゲームをしながら、宿題をし、ゲームをしながら、お風呂に入って、ゲームをしながら、夕ごはんをたべようと部屋からでてきたら、ふだんは、めったにおこらない父さんが、顔を真っ赤にしておこり、おしりをたたかれたあげく、「父さんが、ゴルフで、80をきるまで、かえさん!!」としかられたことがある。
 僕は、もう、いっしょう、ゲームができないのか、と、「ひたんのなみだ」にあけくれ、何度も「ごめんなさい」とあやまったが、次の日曜日に、「今日は、OBが、一個もなかった!」と、「えがお・まんめん」の父さんに、あっさり返してもらったことがある。それからは、僕は部屋でしかゲームはしないし、どんなゲームにでてくる、どんなボスよりも、我が家では強い母さんが、髪の毛を「カール」でぐるぐる巻きの完全武装にしたうえで、ろうかを、みし、みし、と音を立てながら、見回りにくるまえに「セーブ」して、電気をけすことにしている。
「もう一度、念のため、言っておくけど、『いい・わるい』の話じゃないよ。それもまた、何かの『必要』があるから、それがあり、そうしているのだろう。そうした、真剣な『ゲーム』を楽しむのも、『地球人』としての、興味深い所だ。『ゲーム』は、真剣にするから、楽しいって『もののみかた』もある。だけど、どうせなら、サキ君のように、そこに丸ごと、飛びこんで、味わってみることを、お勧めするね」 
 ケーキに、まるごと飛び込む……。それは、なんて、すばらしいことだろう。
理科の「おくがい・かんさつ」の時間に、いるか浜にクラスみんなで出かけたとき、波打ちぎわで、日光浴をしている「なまこ」をみて、きゃーきゃー、さわぐ女子や、棒でつっついたり、貝がらを投げたりするヨウタ一味を見て、僕は、「すなをたべる、こいつにとっては、ケーキの上にねころんでるみたいなものなんだよなあ、いいなあ」とか、思ったことがある。
僕は、「なまこ」をひっつかんで、海にほうり投げて帰してあげたので、そのうち、「なまこのおんがえし」があるかもしれない。でも、なまこに乗って、竜宮城には、あんまり、行きたくないな。
「この若々しい星、『地球』に来て、『地球人』を経験することは、実は、多くの『宇宙人』にとっては、あこがれなんだよ。ここでは、本当にたくさんのことが『学べる』。時間と空間、つまり、時空間にしばられないものにとっては、逆に、その中でしか経験できないこと、思い通りにいかなかったり、不自由だったりする中で、それをどうやって、尊いものにしていくか。それが素晴らしい『チャレンジ』であり、『冒険』なんだ。そうやって、『冒険のツアー』に参加したひとりが、ミコってわけさ」
「え? そうなの?」僕は、髪の毛についた草の葉っぱをていねいにとっている、ミコにたずねた。ミコは、はじけそうな笑顔で、僕に息せき切って、答えた。
「そうだよ! お父さん、お母さんから、すごく大切にしてもらって、愛情をいっぱいもらって、毎日、ご飯をたべさせてくれたり、子守歌を歌ってくれたり、絵本を読んでくれたり、海とか山とか川とか、お家でもいっぱい遊んでもらったし。七五三にはきれいな着物を着せてくれてお参りをして、運動会とか、じゅぎょうさんかんに来てくれたり……。すっごく、かんしゃしてるんだ!」
 はあ……。僕の父さん、母さんは、なんか、もうちょっと、こう、「わいるど」な感じがするけど、そういわれてみれば、たしかに、そんなことをしてもらったような気がする。「みそ汁には、みそがはいっている」みたいに、当たり前のようなことに思ってたけど、ミコが言うと、それって、もしかすると、すごいことなんじゃないかって、思えてくるのが、ふしぎだった。
「春にはね、きれいなお花がいっぱいさいて、田んぼのれんげで、お花のかんむりをつくったり、ひなまつりのお人形をかざったり。夏はあついけど、起きたら、あさがおが、ぱーっ、て、笑ってるみたいだったり、いるか神社にあつまって、みんなでラジオ体操したり、夏祭りのやたいに行ったり、花火をしたり。秋には、ほしがきを作ったり、じゅず玉のおじゃみをつくったり、コスモスの草原にもつれていってもらったこともあるんだ! 冬にはクリスマスに、だいすきなクマのぬいぐるみを、枕のそばに、サンタさんがとどけてくれたり。お正月のお参りしたあとに、お年玉をもらって、なにをかおうっかなーってわくわくしたり、こな雪がふってきて、どきどきしたり、みんなでかまくらをつくって、中でおもちを食べたり……。もう、数えきれないくらいだよ!!」
 僕は、こんなにたくさんのことを、いっぺんに話すミコを、はじめて見た。口数が少ないわけじゃないけど、あのミコが、今まで心の中の宝箱に、そっとしまっておいた中身を、僕にだけ、見せてくれた気がしたんだ。
でも、なぜだか、僕はそれを聞いて、おなかの底が、むずむずするような、落ち着かない気持ちになった。
「学校のおともだちも、そうだよ! クラスのみんなも、先生も、みーんな、大好き!! テレビとかまんがのことにすごくくわしくって、おしゃべりが大好きなたのしいユカちゃん、いちばん小さくって、給食が食べられなくって、いつも泣いてるけど、うさぎやにわとりや、動物のおせわが大好きな、やさしいマユちゃん。たくさんの弟や妹たちのめんどうをみてて、おりょうりもできる、しっかりもののアカネちゃん。おしゃれが大好きで、いろんな服のこととか、だれがだれを好きとかいちばん知ってて、いじっぱりだけど、ほんとうはさびしがりやさんのサヤちゃん。食いしん坊で、目立ちたがり屋さんの、いっつもみんなを笑わせてくれるタイチ君。野球のことになったら、目がきらきらするショウスケ君、サッカーボールをいっつも追いかけてるリュウジ君、おっちょこちょいだけど、みんなのことをいっしょうけんめい思ってる、委員長のユウキ君。あばれんぼうで、先生やみんなをこまらせてるけど、ぜったいに弱い者いじめはしない、ヨウタ君。みんな、みんな、大好き。そして……」
 黒いミコの目が、「レーザー・ビーム」みたいに、僕の目をとらえる。う。また、「心臓・太鼓祭り」が始まりそうな、よかん。
「クラス一のかわりもので、いっつも、ぼーっ、と、してて、へんないたずらばっかりしてて、こっそり空とか雲とか草とか虫とか見てて……。こっそりのつもりで、実は、ばればれで、私のこと、ず―――っと見てる、サキ君!!」
 ミコは、そこまで言うと、両手でお腹を抱えて笑った。ほんとうに、楽しくって、楽しくって、しかたがないって、ようすだった。僕は、どんな顔をしていいのかわからず、ぽりぽりと、「湯たんぽ」みたいにほてったほっぺたを指でかいた。
「この『ツアー』にさんかして、ほんとうに、ほんとうに、よかった、って思ってる。宝物だよ、みんなと過ごした時間はこの星に産まれてよかったよ。ぜんぶの、ぜんぶに、かんしゃしてるよ。ああ、この気持ちが、みんなにつたえてあげられたらなあ……」
 僕は、そのとき、たしかに感じた。ミコから、まるで、いるかみさきに打ちよせる大波のような、「黄金色の思い」が、僕目がけておしよせてくるのを。それは、もう、体中を、光の束が、つきぬけていくような、「あっとうてき」な気持ちだった。
 春の南風みたいにあったかいのに、夏のサイダーのような、ふしぎなさわやかな感じ。秋の夕焼けに照らされたみたいに体中がふつふつとあわだって、どこまでもかけ出したくなるような感じ。冬の、かーん、と澄みきった朝の空に白い頭をのばす、いるか山からのぼってくる、朝の光のような感じ。それを、ぜんぶ、糸でよりあわせてぬった、大きな大きな布に包みこまれた感じ。
「だけどね、私、そろそろ、かえらなくっちゃ。『楽しい時間は、いつかおわる』。これも、この星で、私が教えてもらったことなんだ。私の『十年間の楽しい思い出』は、みんながくれたもの。だから、私も、みんなにお返ししたいの。そのためには……サキ君、わかるよね?」
 それで、はっきりと、分かった。僕は、ミコの「十年間」の思いがつまった手のひらに、すっぽりと包みこまれていたんだ。
その「思い」を、みんなのかわりに、あずけられた、僕が、しなければならないことは……僕が、いま、このときに、しないといけないことは……。
「私のおねがい、書いてくれる?」
 きらきら輝くまなざしをなげかけるミコに、僕はうなずくしかなかった。
 風にたなびく、いるかのぼり達が泳ぐ、竹竿に向ってあるく。周りには、風で飛ばされたのか、何枚かの色とりどりの短冊が散らばっていた。
 そして、僕は、その中から、さっきミコから受け取って、地面に落とした短冊とペンを拾い上げ、こう書き記した。
「僕、こと、サキカワ・サキは、『ユーフォーにのった、うちゅうじんにあいたいです』の、おねがいを、ミコに、返します。そして、ミコのかわりに、おねがいします」
 これだけで、短冊の表は、僕の下手くそな字でうまってしまった。僕は、短冊を裏返すと、ふう、と、ひとこきゅうおいて、一気にペンを走らせた。
「ミコが、いなくなっても、みんなが、しあわせでありますように」

     11


 短冊にペンで記した最後の一文字、「に」を書き終えたしゅんかん、いるかのぼりが、丸い口をすぼめ、ぺしゃんこになると、ぐうううっ、と、力をためるようなしぐさを見せ、くあっ、と口を「フラフープ」のように広げた。
 つむじ風がまきおこり、大きく開いた、いるかのぼりの口に、周りを照らしていた、金平糖の光が吸いこまれ、円をえがくように竹竿が大きくしなると、笹の葉や、枝につるされていた短冊が、うずを巻いて吸い込まれていった。
 いるかのぼりの口。それはまるで、光さえのがれられない、宇宙の掃除機、「ブラック・ホール」のようだった。
 僕は、ばしばし飛んでくる、ちぎれた草や笹の葉や竹の枝から、必死で顔をかばいながら、ミコのお願いを書いた短冊を守ろうとしたが、それは、昼から大しけになった日に、校庭のポールにつるされた「学校の旗」のように、僕がつかんだ指の間で「縦横無尽」にあばれまくり、あっ、と思ったときには、はしっこを残してちぎれ飛び、ぎゅるぎゅると、いるかのぼりのお腹の中に、吸い込まれていってしまった。
 このままでは、僕まで吸い込まれる、そう思ったとき。ミコが、僕の前に、すっくと立ちはだかった。
 ミコは、さかまく風の渦をものともせず、いるか山の上に立つ、一本杉のように、りんとした表情で、いるかのぼりに向かい合っていた。ありがとう、ミコ。さすがは、ミコ! きみがたよりだ、ミコ!!
 しかし……、と、僕は思った。未知のいるかのぼりの、未知のこうどうによる、未知の「ブラック・ホールてき・きゅうしゅうりょく」とはいえ、女の子の背中に、かばってもらうというのは、いかがなものでしょうか。
そう思ったとたん、僕のお腹の底で、小さなマグマがばくはつし、僕は、がばっと、ミコの前に進み出て、両腕を広げた。
「ミコ、ここは、僕にまかせ……ぶっ!」
 言い終わらないうちに、竹竿から飛んできたらしい、節のついた枝が、僕のほっぺたをしたたかにたたいて、いるかのぼり目がけて吸い込まれていった。しなる節付きの竹の枝で、ひっぱたかれる「だめーじ」、それは、縄飛びで「二重飛び」に失敗し、太ももを痛打したときの、みみずばれをともなう痛みに、「匹敵」する。
声にならない痛みに、口をとがらせ、「ふおおおお……」と、ほっぺたを押さえる僕の前に、再び、ミコが、たちはだかった。
「サキ君、だいじょうぶ?」
こちらを振り向かず、さかまく風の音にもかき消されない、いるか神社の澄んだ鈴の音のような声で、ミコが言った。
「まかせろ、しょうぶはこれからだ!……くおっ!!」
 大ピンチから逆転する、まんがのヒーローみたいなせりふを、とっさに言い放った僕だったが、飛来した、さっきより太めの、竹の枝に、思い切り、むこうずねをちょくげきされ、すねをかかえて、とびはねた。
「むこうずね」。それは、「しびれがきれる」、「ひざ・かっくん」とならぶ、僕たち「地球人」にとって、おそらく、「ばんこくきょうつう」の弱点である。ここを、さりげなくねらってくるとは、おそるべし、いるかのぼり。
「くっかかかか……」と、これまた、声にならない声で、叫ぶ僕の前に、ミコが立ちはだかり、いや、そうはさせじと、半分くらいふっかつした僕が前に出て、と、くりかえすうち、僕たちは、どんどん、うずの中心、いるかのぼりに近づいて行った。
 すると、「逆・台風の目」となり、「ブラック・ホール」のかぎりをつくしていた、いるかのぼりが、きみょうな仕草を見せた。
 たらふく、笹の葉や、お願いを書いた短冊や、あたりいちめんの空気をすいこんで、「イーストきん」をまぜた、「パンきじ」のように、ぱんぱんにふくれあがった、いるかのぼりは、もう、本当のいるかか、子供のくじら位の大きさになっている。そのすいこむ勢いで、フラフープの口を地面につけると、さっきまで僕とミコがしていたように、尾びれを空に向けて、逆立ちになった。
 つむじ風の中で、顔をかくした指のすき間から、その様子を見た僕はこんどは、地面をすいこむつもりなのか、と思ったが、そうじゃなかった。
 いるかのぼりは、そのまま、僕の母さんがせんたく物をたたむとき、くつしたの裏表をひっくり返すみたいに、口の輪っかの部分で、布の体を、どんどん、うらっかわに巻き取っていく。金平糖の光をすいこんで輝く、輪っかの部分がどんどん上へ上がって行き、尾っぽを通り越して、何もない空中に、輪っかがくるくる回転しながら、夕立ちの後の雲の間からさしこむ日差しのように、虹色の光を、丘の上にふりまいていた。
 いつの間にか、おおしけの海が凪いで、波が眠りにつくように、つむじ風は、やんでいた。
 あんぐり、口を開けて、回転する虹色の輪っかを見上げていると、その輪っかから、砂時計をひっくり返したみたいに、流れ星のむれが、さらさらと、落っこちてきた。
いや、ちがう。天の河みたいな、星の集まりでできた、いるか並みに大きな、ひとの形をしたなにかが、頭の上に、光る輪っかを乗っけて、空中に浮かんでいたんだ。
 僕は、その周りを駆け巡り、寝そべり、ジャンプして、首をひねったり、足の間から見てみたりと、ありとあらゆる「あんぐる」から、その姿を観察してみたが、どっからどうみても、それは、「星でできたひと」、「星のひと」としか、言いようのないものだった。
 「星のひと」は、もし、夜空に浮かぶ星の群れが、おたがいにはじきあって、音楽をかなでたら、こんな風になるんだろうな、という「星声」を体中から響かせた。
「やあ、『ミコ』、『久しぶり』だね。そして、サキ君、『初めまして』」
 「星のひと」が、ゆらゆらと、星をまたたかせて、手を振り、僕に、かるく「えしゃく」するように、頭の部分を下げた。その頭上の虹色の輪っかが、ふわふわと、回転しながらゆれる。
 それを見たとたん、僕は、竹竿めがけて、かけ出すと、その根元に吹き寄せられていた虫取り網をひっつかみ、どこかの「伝統民芸品」のおみやげさながら、サルのように、竹竿をよじ登った。竹の「しなり」を利用して、思い切り、体重を後ろへかたむけ、その反動でジャンプ。僕は、「星のひと」の上にうかぶ、虹色の輪っかへと、網を振り下ろした。
 しかし、案の定というか、僕の網は、輪っかをとらえることなく、「星のひと」の体を通過して、思いっきり、空を切っていた。落下しながら、僕は、「ああ、この、『ユーフォー』っぽいものをみたら、つかまえようとせずには、おれない、ってのも、さっき言ってた、『はんのう・ぱたーん』ってやつなのねー」、などと思いながら、地面にぶつかるしょうげきに備えた。
ところが、僕の体は、秋の校庭のイチョウの木の葉みたいに、くるくる回転しながら、ふわりと、草むらの上に、背中から着地したのだった。
「……宇宙広しといえど、私の『光輪』を、虫取り網で捕まえようとしたのは、君が初めてだと思うよ、サキ君。ところで、『ミコ』、準備が整ったのなら、そろそろ、出発するとしようか」
 その「星声」に、ミコがうなずき、「星のひと」の方へ向けて歩いて行った。ミコは、「星のひと」が伸ばした「星の手」に、手を差し出した。すると、ミコの指先から、小さなさざ波が渦になって伝わって行くように、その手が、星のかけらに変わって行った。
それはまるで、ものすごく小さな、野球の「スコア・ボード」を回転させ、ひっくり返してまたたく星になり、それが次々とドミノのように、腕の方へ、伝わっていくようだった。
「ちょ、まっ、待てよっ! ミコっ!! ミコは、自分のとこに『かえる』んだろうけど、のこった僕たちは、どうなるんだよ、おいっ!!」
 僕の叫びに、ミコの腕の「星化」がとまった。ミコはこちらへ顔を向けると、僕の目を見つめた。
その目は、どこまでも深い宇宙の暗闇の黒と、どこまでも高い光り輝く星のまたたきを、同時に映していた。
 それは、もう、僕の知っている、あの「ミコ」じゃなかった。
僕が、教室で、廊下で、階段で、体育館で、帰り道で、いるか神社の境内で、そして、たった今まで僕が話していた、「ミコ」ではなく、ずっとずっと、遠い、どこか知らない星から来たひとのようだった。
それでも、僕は、何かにつき動かされるようにして、さけび続けた。
「僕達もだけど、お父さんや、お母さんや、きょうだいは、どうなるんだよ! ミコがいなくなったら、みんな、さびしがるだろ!」
 言ってしまってから、はっとした。僕は、思わず口を両手でふさぎたくなった。ミコの家族のことを、僕が知っていると、ミコは、気付いてしまっただろうか。
 僕の住むいるか町は、せまい港町だ。どんなうわさでも、あっという間に伝わってしまう。それは、昔からこの町が、山と海にはさまれて、身を寄せ合うように、みんながくらす町だったからで、どんなささいなことでも、助け合わないと、生きていけなかったから。
 例えば、身寄りのない、一人暮らしのおばあちゃんの具合がよくなかったとする。そのうわさは、すぐに、隣近所に伝わり、「だれかかれか」が、おばあちゃんの家へ顔を出したり、晩ご飯のおかずをおすそわけしたり、お医者さんの「おうしん」を頼んだり、遠くのしんせきに手紙を出したりなんかもする。
 それは、「親切」というよりも、いってみれば、「当たり前」のことで、理由は、かんたん。「あすは、わがみ」。自分だけが、そうはならないなんて「ほしょう」は、どこにもないのだ。助け合わないと、生きていけない。こんな「へんぴ」なところに、ずっとずっと昔から、しがみつくみたいに住んできた「ご先祖様」のころからの、「風習」なのだ。
「……だから、サキ君に、たのんだんだよ。『私』のお願い、書いてって。そうしたら、きっと、かなうから」
 「ミコ」は、「星声」で、そう言った。
そして、僕の方まで歩いてくると、はげしく、鼻水を流している僕の頭を「星の手」で、なでて、「だいじょうぶ、きっと、また会えるから」とつぶやいた。見上げると、「ミコ」は、満天の星のような、満面の笑顔で、ほほえんでいた。それが、僕が、さいごに見た、僕のよく知っている、「ミコ」の姿だった。
 次のしゅんかん、「ミコ」は、ふっ、と、吸い込まれるように、「星のひと」の中に、消えた。その無数の星々の中に、「ミコ」の姿をさがそうとしたが、星は星であって、ぼうだいな、宇宙の中に、その「形」を見つけることは、できなかった。
 「星のひと」は、星のむれが、ふわりとゆれるように、一つ頷く仕草を見せた。ついで、その頭上に輝く光の輪から、いくつもの輪が、暗い海へめがけて放たれる。光の輪は、夏祭りの打ち上げ花火のように、めくるめくような、光の「こうずい」をまきちらし、眠る海をかがやかせた。
 海に、コンパスで何重にも円を描いたような、光の「輪投げ」の中から、とてつもなく大きな、何かが浮かび上がってきた。
それは、ぎしぎしと、岩と鉄がこすり合うような音を立て、プールの後の授業中に、うつらうつら居眠りしていたところを、先生に定規で、ぴしっ、と、たたかれて目を覚まし、背中をぴんと伸ばすように、いきなり、がばっ、とその体を起こした。
 回転する光の輪が、何重にも取り巻いて、一個の光る球の中に、閉じ込められたように見える、その大きなかたまりは、どっどどどどっ、と、細い口の花瓶にたまった水を一気に吐き出すような音を立て、とがった先っぽを、まだ眠たそうに、しぶしぶといった様子で、こちらへ向け、ぐんぐん近づいてきた。
 それは、岩場にのりあげて、くちはてるままに、ほったらかしにされていた貨物船、「ざしょうせん」だった。
「ざしょうせん」は、滝のように、にごった泥水を流しながら、丘の上めがけて向かってくる。「ざしょうせん」は、雨に降られた後の犬みたいに、体を、ぶるぶるとふるわせ、あらかた、水しぶきをまきちらし、ぴたりと、僕の頭上に、「へさき」を向けて、空中に停まった。
 「星のひと」が、その長い腕のようなものを一振りすると、「ざしょうせん」は、ストローで吸ったジュースの紙パックが、べこべことへこむように、ぶ厚い鉄板が形を変え、もりもりと、盛り上がったり、とろとろと、あめ細工のように溶けてはくっつき、をくりかえしていた。
べこべこや、もりもりや、とろとろが、一段落して、「ざしょうせん」が、やれやれ、と、肩を鳴らすように、ぷおー、と、汽笛をあげた。
虹色の光の輪に包まれて、空中にいかりを降ろしていたのは、社会の教科書で見たことがある、古い「じょうきせん」だった。たしか、石炭とかを火にくべて、お湯をわかし、そこから出る湯気で、船の外の両側についている、「水車」みたいな車輪を回して進むってやつ。
よく見ると、「星のひと」が、いくつも放った、船の周りの輪っかだけじゃなく、車輪の部分も、星の輝きみたいに、がっしゅ、がっしゅ、と、回りながら、白銀色に光っている。えんとつから出ているのは、灰色のけむりじゃなくって、星のくずみたいな、数えきれないほどの、またたく小さな青い光。てことはこの船、「じょうきせん」じゃなく、星の力で動く、「じょう星せん」……「星の船」なのだろうか。
「『郷に入っては、郷に従え』。君たちの星のことわざだね。本当言うと、時空間をこえたものにとっては、乗り物に乗ってわざわざやってくる必要はない。『丸いユーフォー』である必要もない。ただ、これは、『冒険のツアー』だ。そして、『冒険』は、楽しむものだ。ケーキの中に飛び込むみたいにね」
 「星のひと」が、僕に、いたずらっぽくウィンクしたような気がした。「星のひと」は、僕の前から、ふっ、と姿を消し、いつの間にか、船の甲板の上に、大きく腕を広げてそびえ立っていた。
すると、空を切り裂くように、四方八方から、流れ星が、次々と、甲板の上に集まってきた。流れ星達が、「星のひと」の体に飛び込んでいくのを見て、僕は、それが、ミコのように、この地球への「冒険のツアー」を終えて、かえっていこうとする、仲間達なのだろう、と思った。
「では、サキ君、ごきげんよう。また、いつか、あえるといいね」そう、手を振る、「星のひと」。
「ま、待って! 僕も連れてってくれよ!!」あわてて、僕は、そう叫んだ。
 すると、甲板の上に、いくつもの星の影のような姿があらわれ、くすくす笑って、さざ波のような大合唱になった。
「絵ハガキ・チケットもってるかい? チケットないひと、乗せらんなーい」
 僕は、ありもしないチケットを探し、むちゅうでポケットをさぐった。出てきたのは、さっき、ミコのお願いを書くときに使った、短冊の束と、マジック・ペンだけ。このときばかりは、僕は後悔した。あの『小学生の図鑑シリーズ・はてしない宇宙』についていた、応募用紙を、紙相撲の力士に切り取って、遊ぶのではなかった。
「絵ハガキ・チケットもってても、よめないひとは、乗せらんなーい」歌声は続く。
 ああ、そうか。僕は、「なっとく」した。あれを持ってても、これまで、いるかのぼりと話したときに、ふっ、と、心をよぎった、あの「分かる」……「思い出す」感じ、あれがないと、チケットに書かれていることが、読めないのだ。僕には、もっと、「分か」らないと、「思い出」さないと、いけないことが、いっぱいある。だから、あの船には、あの船には……まだ、乗れないんだ。
 甲板の上では、再会を喜び合う友達どうしの、はしゃぐような声が、響き渡っていた。きっと、その中には、ミコもいるのだろう。僕は、鼻水を「こうずい」のようにほとばしらせながら、船を見上げた。
 「星の輪」のように、光る車輪が、回転速度をまし、青く光るいかりが、くさりとともに、じゃらじゃらと、引き上げられていく。
「サキ君、『せんべつ』に、いいことを教えてあげよう。『思い出す』ために、必要なことだ。『太陽』は、『地球』を照らす。『太陽』は、『地球』を昼に照らす、『鏡』だ。そして、『月』は、『太陽』の光を受けて、『地球』を夜に照らす『鏡』だ。『太陽』と『月』にとっては、『地球』が、『鏡』だ。さらに、宇宙の、『無数の星々』も、そうだ。つまり、世界は、互いが互いを映し出す、『鏡』なんだよ。この意味が、本当に分かったとき、この船で、それとも、別の、どこかで、また、会おう……」
「ざっばり、いみ、わがんねえよ……」
 うなだれる僕の方を見て、「星のひと」は、肩をすくめるような仕草をして、「君は、もう分かってる。じきに、そうだと、気付くよ……。そうだ!」
「なになに? 連れてってくれる気になった?!」
とたんに、がばっ、と、顔を上げて、聞き返す、「げんきん」な僕に、「星のひと」はこう告げた。
「最後の最後に、『置き土産』だ。『流れ星が消えるまでに、お願いを唱える』って、おまじないがあるだろう? この船が、目的地へ進路を定めて、地球圏外を離れるまでに、君のお願いを、短冊に書きなさい。書いただけのお願いは、きっと、かなえられるよ」
「うそっ、まじで、まじで!!」ここまできて、あくまでも、げんきんな、僕であった。
「じゃあ、もう、行くよ。また会おうね。『ユーフォーに乗った、宇宙人さんたち』、ありがとう。『地球人』さんたち、ありがとう」
甲板から流れる、鈴の音のような、大合唱。それに続くように、しゃっきり目が覚めた「星の船」の、「星笛」が、ぷああああん、と、響き渡った。スイッチを「強」にした扇風機の羽が、一枚のお皿のように見えるみたいに、ふぃぃぃぃん、と、「星の輪」の回転速度が上がり、ついには、目が追いつかなくなったのか、丸い白銀色の光となった。それを待っていたかのように、船は、しずしずと、丘の上空をすべるように進みだす。
 僕は、船を走って追いかけながら、短冊に、ペンを走らせた。
「足が速くなりますように」、「あたまがよくなりますように」、「『えらいひとの本』みたいに、しょうらい、えらいひとになれますように」、「おこづかい、もっともらえますように」、「まんが、よんでもしかられませんように」、「ドルフィン・ファイターズ、ゆうしょうできますように」!
 ちがう、ちがーう!! なんか、もっと、大事なことがあるだろう!!! 
僕は、船と短冊をかわるがわる見ながら、走り続けた。
「タイチが、食べすぎて、これいじょう太りませんように」、「ヨウタのやつを、こらしめてやれますように」、「先生に、ぼくのいたずらが、ばれませんように」、「妹に、僕のおやつがとられませんように」!
 そうじゃないんだ、もっと、何か、ずっと大切なことがあるはずなんだ!!
「かくしたテストが、母さんにみつかりませんように」、「PS5とゲームが100こもらえますように」、「おかねが、10おく万円、もらえますように」、「なまこみたいに、いっしょう、らくして、あそんでくらせますように」!!!
 あせればあせるほど、僕の願いは、わけの分からないものになり、足がもつれ、息がどんどんあらくなっていった。書いてはちぎり、ちぎっては書く短冊が、どんどん、風に吹かれて、空へと舞い上がっていく。
 そのとき、見上げた船の舳先に、こちらへ向けて手を振る、長い「星髪」の、女の子の姿が見えたような気がした。
 はっ、とした僕は、目まぐるしい勢いで、ペンを走らせた。
「ミコのお父さんやお母さん、家族の人たちが、みんな元気で、しあわせにくらせますように」「ミコや、ミコの友達や、星のひとたちと、もっとなかよくなれますように」
「僕の家族が、仲良く元気にくらしていけますように」
 短冊は、色とりどりの紙吹雪となって、僕の手から飛んでいく。
「僕も『ユーフォーにのった、うちゅうじん』に、あえますように」
 船は、どんどん、遠ざかる。ちびた消しゴムくらいに小さくなった船の、えんとつからたなびく、かすかにきらめを残す「星煙」の中、鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、僕は、走り続けた。
「このほしのひとたちが、みんな、えがおで、なかよく、しあわせにくらせますように」
 星の船は、夜空の星の中にまぎれて、もう、見分けがつかなくなっていた。
「ミコに、いますぐ、あいたいです」
 その言葉を書き終えたしゅんかん、僕の足は、空をかいていた。
 丘の上から、がけを飛び出して、海へと投げ出される僕。頭を下に、短冊とペンをにぎりしめて、はてしなく落下しながら、僕は、「そういえば、あの船、どこから来て、どこにかえるのか、きいてなかったな……」などと、まぬけなことを考えていた。
 ざばーん、と水しぶきが上がり、僕は、ごぼごぼと、せいだいにあわを立てて、海の底の底へと、しずんで行った。どこまでも、どこまでも、冷たい水の層をいくどもくぐりぬけ、なぜか、その先に、どこかで見おぼえのある、白い布のようなものがふわふわただよっており、それをつかんでたぐりよせ……。



 僕は、ぱちりと、目を覚ました。
ほっぺたに、しめった枕のかんしょく。僕は、自分の目がぬれているのに気が付いた。
ははあ、夢の中では、僕も泣くのだな、と感心しながら、どういうわけか、左手でにぎりしめていた白いシーツで、目のまわりをぬぐう。小型ゲーム機が、ベッドから、たたみの床に、ことり、と落ちた。
 右手に、何かがはさまっていた。かけ布団をめくると、指の先が、本の間で、サンドイッチになっていた。
『小学生の図鑑シリーズ・はてしない宇宙』。どうやら、これを読んでいる内に、眠ってしまったらしい。さっきまで、ゲームをしてたような気がするんだけどなあ、と思いながら、指がはさまったページを開けると、「天の川ふきんの星座」の章だった。
 僕の人差し指の先は、たくさんの星座達に囲まれた中の、「いるか座」を指し示していた。
 ぼんやりと、天井を見上げる僕。大切な、何かを、忘れてしまったような。大切な、何かを、思い出したような。そんな、宙ぶらりんな、気持ち。
 天井につるされた、丸い輪っかの蛍光灯が、じじじ、と音を立てて、青白く点滅した。

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