夢歩く囁き

沙漠みらい

第23話 決意


 ユリアの言っていた大切な人とは誰だろうか。
 実はそれが姫川で、目的は果たされ、俺は用済みになったから現れないのではないか。
 考えるだけ無駄なのに、不安ばかりが募る。
 変わらない日常。ユリアと出会う前の空気のような生活。俺が望んでいたはずの空間なのに、どこかぽっかりと穴が開いたような、そんな無力感がある。

 黒崎から話を聞いた翌日。一部の生徒は馬場の話をしているのが聞こえてきたが、それほど話題になっているという感じではなかった。みんなどこかで「やっぱりな」なんて思っていたのかもしれない。それくらい常日頃の馬場はイメージが悪かったのだろう。学校は大忙しだろうが、それもいくらか時間がたてば薄れていく。
 人ひとりの問題なんてその程度だ。みんなが長く話題にするのは、被害者の数で決まっていると思う。今回の被害者と言えば、姫川とシャンスだが、シャンスのことは表沙汰になっていないのだろう。
 傍から見れば被害者と言える被害者はいない。この話題はすぐ終わる。
 だから俺がそんな事後を気にしていても意味がない。

 ウィスルが次に狙うのは誰か。誰であれ、それを阻止するためにはユリアの力がいる。にも関わらず、ユリアが現れてくれない。
 夢の世界での話もわかっていないことばかり。
 姫川の件は確かに終わった。
 ただ、俺自身に絡んだ問題は何一つ解決していない。
 不干渉であろうとした俺に絡まった夢という世界が、その存在の謎がなにも分からないままなのだ。

 授業中、机の引き出しから取り出したノートにはユリアの頼みごとを整理した内容が書き残されている。最初に書かれているのは、白昼夢を白鯨が作っているということ。
 俺が白鯨と話せれば、逆に俺がユリアのいる場所までいけるのではないだろうか。姫川の記憶の中に入れたのだ。自分の記憶の中にだって入れるかもしれない。そこなら、俺の記憶にフィルターをかけているユリアがいるかもしれない。
 そんなことをぼんやりと考える。しかし、ユリアがいない以上、あちら側に行くことすらできないのだ。
 夢の中に入るのは、ユリアとキスをしなければならない。自分の唇に触れながら、今までのユリアとのキスを思いだす。温度のない柔らかな感触。それがユリアから感じ取れるものだった。

 休み時間も、長い髪の人が通ると体が勝手に反応してしまう。思わず振り返り、黒い髪なのを見てため息を吐く。それの繰り返し。
 ユリアは綺麗に輝くしろがね色の髪だった。俺はあの髪も好きだった。世界の他の人がみんな髪の毛を短くしてくれれば、ユリアも見つけやすいだろうに。
 いや、ユリアは現実にはいないんだ。
 そうだ、彼女は幻だ。やはり俺の妄想でしかなかったのだろうか。
 幾度となく否定したはずの考えを掘り起こしてまた否定する。そんなことをしているうちに放課後。

 さっさと帰ろうとした時だった。
 ふわりと、また長い髪が目に入った。気付いて視線を動かしたときに、すでにその姿はなかった。
そこは屋上へと続く階段。

「……ユリア?」

 もしかしたら……いやそんなはずは。
 両極端な考えが拮抗しながらも、屋上へと足を運ぶ。階段をすべて上ると、、その先にあるドアは開けっ放しになっていた。
 心臓の鼓動が早くなっていく。
 この先に、いる。
 根拠のない確信があった。
 ゆっくりとドアを開く。



 確信ははずれた。
 赤く染まり始めた空。秋の寒気を抱えた風がゆっくりと流れている。
 普段なら誰もいない屋上。
 そこに一人だけいる。
 ジャージ姿の馬場が、虚ろな瞳で――フェンスの向こう側に。

 状況が呑み込めない。
 ユリアだと思ったら違う人間だった。まったく、俺の妄想力も手に負えない域に達してしまったか。さっさと帰ろう。とかそんな感じで普通に家に帰るつもりでいた。
 本日の話題の中心である馬場が学校いるというだけでもおかしいのに、その馬場の姿にフェンスが重なって見える。
 レイヤーの貼り間違え、とかふざけたこと言っている場合ではない。
 あいつ、フェンスをよじ上ったのか?
 それで、フェンスを越えて何を?
 そんなの、決まっている。世の中にある幾多の作品で行われ、多くの人間が現実で行ってきたことだ。

 止めないと。
 それだけに意識が集中する。
 馬場は俺に気付いていないのか、見向きもしない。
 走って、上って、それで止められるのか?
 わからない。それでも止めないと。
 体が自然に前へと動こうとする。

「待って」

 その動きが止まった。
 直接脳内に響いてくるような、透き通った囁きの声。
 温度のない感触が、俺の腕を掴んでいる。
 振り返る。待ち望んでいた姿がそこにあった。
 白銀の髪と白いワンピース。麦わら帽子を被った幻想的な少女。
 淡紅色の瞳が、じっと俺を見つめてくる。
 嬉しかった。本当なら抱きしめてやりたいくらいに。
 だけど、どうして、いま、このタイミングなのか。

「ユリア……」
「いま助けようとしたら、枢くんまで危険だよ」

 そんなのは分かっている。考えなしに突っ込んだって駄目なことくらいわかっている。
 フェンスを越えた先にまともな足場なんてない。助けに行こうとしたって、最悪二人とも落ちるなんてこともあり得る。
 足場がないなら、近くで声をかけるだけでもいい。踏みとどまる言葉をかけてやればいい。
 そうだ、姫川の時みたいに。

 どんな言葉を? 姫川にかけた言葉は、姫川のことを知ったからこそのものだった。
 俺は馬場のことなんて何も知らない。
 彼女が、どうしてあそこにいるのか何もわからない。
 そうだ。普通はそういうものだ。
 他人のことなんて何もわからない。
 俺は不干渉だ。そんな人間が他人を知れるはずもない。
 ただ、手の届く場所で命が消えようとしている。

「それでも、助けな――」

 ユリアの腕を振り払おうとして、馬場の方に視線を戻した時、そこには誰もいなかった。
 遠くから、しかし、確かに重量のある音がした。そして、女生徒の悲鳴が聞こえてくる。

 視界には誰もいない。屋上には誰もいない。
 ふと、空を見上げると、白鯨が泳いでいた。
 何事もなかったかのように、不干渉であるかのように、無関心であるかのように。ただ、空を優雅に漂っている。

 これは、白昼夢ではないのか。



 気付いた時には、俺は自分のベッドに腰掛けていた。
 カーテンが開かれたままの窓からはオレンジ色の光が射し込んでおり、暗い室内を赤黒く染め上げている。
 脹脛が痛い。腕が痛い。顎が重くて、口は開いたままだ。
 学校から家まで走ってきたのだろうか。制服の下のシャツは汗で皮膚にくっついている。その感触は冷たくて気持ち悪い。

「風邪……引くな」

 錆びた機械のような動きしかしてくれない体を無理やり立たせて、洗面所へと向かう。
 何も考えず、呆然とシャワーを浴びる。
 流れていく汗が、染みていく温かさが、体に感覚を取り戻させてくれて、気持ちいと感じられる。
 シャワーを浴びた後、灰色の部屋着に着替えてから洗面所を出ると、玄関から騒がしい音がした。

「枢!」

 叶が珍しく息を荒げながら家の中に入ってきた。

「おかえり、叶」
「……いつ帰ってきたの?」
「学校が終わってすぐだよ。何かあったのか」
「……学校で、生徒が自殺したって」
「そうなんだ」

 そりゃほとんどの生徒が帰宅前だっただろう。
 しかし、自殺か。現場なんて誰も見ていないだろうに、すぐそういった噂が立つのは、馬場の自業自得というやつか。

「……枢、どうしたの」
「ん? いや、汗かいたからシャワー浴びただけ」
「……そうじゃなくて、様子がおかしい」

 叶の目はいつもの冷たいものとは違って、本気で家族を心配しているものだった。いつもはあんななのに、こういう時には素を見せちゃうのだから、本当にかわいい妹だ。

「んー、汗のせいで風邪ひいちゃったかな。部屋で寝てるわ。移るかもしれないから、あんま近づくなよ」

 そう言い残して自室に戻った。
 部屋には、狐耳をピンと立たせたユリアがカーペットの上に座っていた。いや、部屋を出るときにもいた気がする。そこにまで意識がいってなかった。
 俺は再度ベッドに腰掛ける。
 しばらくの間、沈黙が続く。

 久しぶりに見た彼女は、いつもと変わらない非現実さを纏っている。
 彼女が現れたら、適当な嫌味を言った後に抱きしめてやろうと思っていた。それくらい彼女が恋しかった。
 いまは、そんな気力すら起きない。
 代わりに、別の言葉が漏れだす。

「どうして、止めたんだ」

 案の定、ユリアの表情が暗くなっていく。

「枢くんなら無理してでも止めちゃいそうだったから……枢くんが危険な目に遭うのは、ダメなの」
「それでも止めるべきじゃなかっただろ! 無理してでも助けるべきだっただろ!」

 思わず声を張り上げる。ユリアが俺の身を案じてしてくれたことなのに、それがわかっているのに。それでも考えられずにはいられない。あの時止められなかったら助けられたかもしれないと。

「本当に助けられたと思う? ドアから馬場さんのところまで結構な距離があったよ。それに、馬場さんには枢くんが見えていなかった。枢くんがいくら叫んでも気付かなかったんじゃないの」
「っ……それでも……でも……」

 そうだ、馬場は俺に見向きもしなかった。俺に気付いていなかった。そんなの当たり前だ。誰にも関わらないようにして、誰にも不干渉でいようとした俺が、死を決意した人間の前に現れたって気付かれるわけがない。彼女は終わりを見ていたのだ。関わってこなかった俺が、関わろうとしない俺が声を張り上げたって届きはしなかっただろう。
 ユリアの言うことは間違っていない。しかしそれを正しいとは思えない。

「ごめんね。枢くんは優しいから、やっぱりこうなっちゃうんだね。本当はもっと早く止めるべきだったね」
「……やっぱりって、どういうことだよ」

 ユリアの言葉が引っ掛かって、問いかける。ユリアは表情を変えず、静かに答えた。

「私も姫川さんの感情を一時的に取り込んだから分かるの。姫川さんの心を壊す引き金になったのが馬場さんだって。だから姫川さんが目覚めた後にこうなることは分かってた。ウィスルが何もしないわけがないから」

 ウィスル……そうか、あいつが馬場の夢に入り込んで小細工をしたということか。あいつなら可能だろう。姫川もそうやって夢の世界に閉じ込めたのだ。どうせ罪悪感を募らせるような悪夢をいっぱい見せつけて、死ぬ以外に償えないと思い込ませるようにしたのだろう。

「分かってて、ユリアは何もしなかったんだな」
「そうだよ。本当はもっと早くに枢くんを止めようと思ったんだけど……」
「俺を止めるんじゃなくて、馬場を救おうとは思わなかったのか?」
「枢くんに余計な負担をさせたくなかったの」

 負担? 馬場を助けることが? 人の命を救うことが負担なのか?

「俺しかできないと言ったことを、負担だと、そう言って他人の命を切り捨てるのか」
「そうじゃないよ。現に枢くんはあの場面に遭遇してこんな状態でしょ。こうならないためにも、枢くんは馬場さんに近づけさせたくなかったの」
「だから……それなら馬場を救えばいい話で……」
「それは絶対にできない」

 ユリアを睨みつける。ユリアも、真剣な眼差しになっていた。

「ウィスルが言っていた通り、私には創造主が……お母さんがいるの。お母さんはいじめを許さない人だから、お母さんから作られた私とウィスルは何があっても、まずその感情が動いちゃうの」

 俺と出会ったことがあるはずの誰か。そのお母さんと呼ばれる人間がいじめを嫌うから――

「だから見殺しにしたのか」
「枢くん、その言い方は卑怯だよ……」

 ユリアの視線と耳が垂れる。
 俺だってユリアを責めたいわけじゃない。
 ユリアが救い出そうと言って、それで姫川の時のように上手くいく保証もない。俺が干渉すればすべてが丸く収まるだなんて自惚れるつもりはない。

「だけど、だからって何もしないでこんな結果……受け入れられるわけがないだろ」

 何も見たくない様に、みなかったことにしたいがために、両手で顔を覆い隠す。

 ウィスルの干渉がなければ、姫川にはもっと悲惨な未来が待っていた。
 ウィスルの干渉がなければ、俺は姫川に干渉することはなかった。

 俺が干渉しなければ、姫川は永遠に夢の中だった。
 俺が干渉しなければ、馬場が死に追い込まれることはなかった。

 こんなの予測していなければ、すべて救うことなんてできない。

 第一、俺は何のために干渉した?
 全部救う必要なんてない。本当なら姫川も馬場も不干渉でよかったはず。
 こんな結末が待っているなんて知っていたら、何も知らないほうがよかった。

「枢くん」

 声と共に、何かに包まれる。柔らかな感触だけが伝わってきて、混乱し始めた俺の思考を鈍らせる。

「いいんだよ。枢くんは自分のためだけを考えていて。もし、それでも枢くんの心が壊れちゃうなら、どんな手を使ってでも、私が枢くんを救いだすから」

 ユリアの言葉が心を満たそうとする。優しい言葉に惑わされてはいけないのに、それでなかったことにはできないのに、逃げ出そうとしている気持ちがそれを受け入れようとしていた。

「俺は……どうすればいいんだ」
「ウィスルはまだ何か仕掛けてくるはず。次こそ枢くんの身近な人が狙われると思う。これ以上、姫川さんや馬場さんみたいな人が出ないように……枢くんの力を貸して」

 力。人の夢の中に入り干渉するもの。俺にしかできないと、ユリアが教えてくれたもの。
 そうだ、悩んでいても結果は変わらない。俺にできることは、救えなかったことを悔やむことではない。馬場のような被害者を二度と生み出さないことだ。
 そのためには、ウィスルの企みを完全に阻止しなければならない。
 もう、それでしか俺は前を見ることができない。
 ユリアを俺から放して、その瞳を見つめる。

「分かった……やるよ。俺はウィスルを止める。誰も夢に閉じ込めさせない。そして二度とこんな結果にならないようにする」
「ありがとう……枢くん」

 改めて、ユリアを抱きしめる。ユリアも両手を俺の背中に回してくれた。
 もう、他人に不干渉だなんて言ってられない。俺は俺が守りたいもののために、家族とユリアのために、ウィスルを止める。

 日が沈んだ窓からは、街路灯が点滅しながら部屋を覗いていた。

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