夢歩く囁き

沙漠みらい

第19話 正体


 暗闇。眠りの世界。
 そこには何もない。そこには夢がない。
 ただ暗いだけの世界で、俺という意識が芽生える。
 そして――

「目を覚ましてえええ!」

 バッチーン!
 甲高い声と共に、頬に強烈な痛みが走った。

「……俺は、どうしたんだ」

 揺れる視界には、目元に涙を溜めたユリア。彼女が俺の頬を叩いてくれたのだろう。
 たぶん、俺は眠っていた。自分の意識の中に沈んでいた。夢の中なのに。
 どうしてそんなことに? 俺は苦しそうにしているユリアを介抱していた気がするのだが、いつの間にやら立場が逆転している。

「よかった! 戻ってきた!」

 ユリアが俺をぎゅっと抱きしめる。温度のない体から、何とも言えない温もりが伝わってきた。
 本当に、何があったんだ?
 周囲に視線だけを巡らすと、手元に何かが落ちている。
 茶色い……なんだこれ。古びた紙みたいにパサパサしている。少し触っただけで形が崩れてしまった。

「俺たち……姫川を……」
「そうだよ。姫川さんを助けに来たんだよ。そして助けたんだよ」

 ……え? 助けた?

 姫川はどこだ。現実逃避真っ最中な表情しか記憶にないぞ。

「ちょ、ユリア、苦しい。離して」
「あ、ごめんね」

 骨を折らんばかりの勢いで抱きしめてきたユリアから解放され、改めて周辺を見渡す。
 姫川は、俺の真後ろにいた。
 胸元に人形――ではなく、シャンスを抱えて。

「ごめんね。ありがとう、シャンス。もう大丈夫だから。私は大丈夫だから」

 鳴かない猫に、ひたすらそう告げる少女。
 その言葉は、迷いや後悔のものではなく、決意のものだとわかる。
 本当に解決してるっぽい。

 えーっと? 俺が意識を失った間に何があったんだ?
 いや、解決したならいいんだけどさ……。なんというか、不完全燃焼。
 いつの間にやら、姫川はユリアと同じ白のワンピースだし。手元のパサパサの紙くずも何かわからないし。

「ユリア、何があったんだ?」
「えっと……」

 ユリアの戸惑ったような表情を浮かべる。
 え、なんか言えないようなことがあったの? あんまり倫理的によろしくないのはどうかと思うよ。

「か、枢くんのの熱意が姫川さんに届いたんだよ」
「……本当は?」
「私にも一瞬の出来事で……気付いたら姫川さんが元に戻ってたの」

 結局何もわからずじまい。
 過程はともかく、結果として姫川の憂いは解決したみたいである。

「青陰先輩」

 状況把握に首を傾げていると、いつの間にやら姫川がこちらへと来ていた。
 腕の中にはシャンスを抱えたままだ。

「なんだか、ごめんなさい。たくさん迷惑をかけてしまったみたいで」

 姫川の声は叫んだり泣いたりしたおかげで、数時間カラオケにでも行った後のようにガラガラに枯れていた。

「もう、この夢は必要ないんだな?」
「はい」

 俺の問いに、姫川は元気よく返してきた。
 姫川がここを夢と認識すること、そして夢から覚めることが、俺たちの本来の目的だ。
 今の言葉の意味を理解して返しているなら、あとは覚めるだけだ。

「私はシャンスに固執していたあまりに、自分のすべきことを見失っていました。青陰先輩たちのおかげで、自分の気持ちを見直すことができたんです。本当にありがとうございました」

 そう言いながら頭を下げる姫川。
 そして、抱えていたシャンスを、頭上へと持ち上げる。

「バイバイ、シャンス」

 すると、シャンスは赤と銀の光を放ちながら上空へと消えていった。
 それを見つめる姫川の表情に曇りはなく、小さな笑みを浮かべていた。

 これで姫川はシャンスとの別れを綺麗に終えられたんだと思う。
 大切なものとの別れはいつだって辛い。でもそれは必ず訪れるものだ。
 俺たちにできるのは、そういった別れも抱えながら、前へ進むことだけなのだろう。

 この夢も終わりだ。
 ユリアに支えられたままなのもどうかと思うので、肩を借りながら立ち上がる。

「目が覚めたら、学校にもくるんだよな?」
「はい。もう一つ解決しないといけないことがあるので」

 馬場たちのことだろう。実際問題、シャンスをゴミ山の冷蔵庫に閉じ込めたのはあいつらだ。他人のペットを殺しても器物損壊罪にしかならなかった気がする。動物愛護法もあるのかな。証拠がなさそうだから立証も難しそうだが……。それがどうしようもなくても、姫川自身の今後の学校生活の問題もある。あれだけやらかしてるんだ。姫川が自分で動けばどうとでもなるだろう。
 自分でなんとかする。そんな気持ちが姫川の表情から窺えた。

「あ、そうだ。一人じゃどうしようもないことがあったら、同じクラスの叶でも頼るといい」
「叶ちゃん、ですか?」
「うちの妹はしっかりしてるからな。頼めば三食昼寝付きを用意してくれる」
「そこまではちょっと……」
「それに、叶は君と友達になりたがってたぞ」
「……そうですか」
「わ、私も! 私も友達になりたい! 服もお揃いだし!」

 何を思ったのか、ユリアが手を上げてお友達立候補。いや、君は幻でしょうが……。

「うふふ、ありがとうございます。でも、ここは私の夢なんですよね?」
「ん? そうだが」

「それじゃあ、青陰先輩もユリアさんも、私の夢が作ったものなんですね」

 ああそうか。姫川からすれば俺たちも夢の一部に過ぎないんだな。

「そ、そうだな。現実じゃ俺たちは赤の他人だ。気にせず叶と仲良くやってくれ!」

 これ以上関わることはないだろう。ここで夢として消えるのが一番。俺は泡沫なのさ。

「私の夢なら、何をしてもいいですよね」
「え――」

 ふわりと金の髪が舞い――唇に温もりと新しい感触。目を瞑った姫川の顔。
 数秒――瞬のようで、長く感じたその時間が過ぎ唇が離れると、頬を紅潮させたライトブルーの瞳が、幼稚で小悪魔的な笑みを浮かべた。その表情に思わずときめいてしまう。

「やっぱり、ここに温もりなんてないですね」

 姫川が何かぽつりとつぶやくと、

「今回は、王子様代理のキスで目覚めることにしますね」

 と、すぐに明るい口調になった。
 蠱惑的な彼女を見てしまうと、今まで恋した思春期男児諸君の気持ちが少しだけわかる気がする。こいつ天然のサキュバスかなんかじゃないだろうな。これファーストキスだったら落ちていたかもわからん。ファーストキスをしてくれちゃったユリアに感謝する日が来るとは……。あれ? ユリアとのキスはキスに換算しないって自分で言ったような。まあいいや。
 そんなユリアは絶賛硬直中。

「ななななな、なにやってるのー!?」

 と、思いきや突然動き出し狐耳をピンと立てて叫び声をあげた。

「キスって、き、キスって王子様からしなきゃ意味ないんじゃないの!?」
「あ、そこなんですね」

 確かに、眠っているお姫さまからキスなんてしたら、ただの寝相悪い子になってしまう。どこかのハーレム系主人( )になれるな。ただ、姫川自身は思っていたことと違う反応をされたらしいようで、少し困った顔をしていた。
 しかしそれもすぐに直すと、改めてこちらを向き、

「青陰先輩も、お友達になってくれると嬉しいです」
「え、あ、ああ」

 泡沫で終わりそうにはなかった。
 幼さの残る笑顔は、紫ちゃんを思い出す。これで紫ちゃんもゆっくりと眠りにつけることだろう。

「それでは、またあちらでお会いしましょう」

 姫川は名前と同じ紫色の光を放ちながら消えていった。

「終わったな」
「終わったね」

 俺とユリアの言葉が重なり合い、お互いを見てから、軽く笑いあう。

 なんだか、滅茶苦茶な展開だったが、ひとまずはこれで終わりだ。
 姫川が目を覚ましても、学校に復帰するのは数日かかるだろう。そのあとは姫川が一つずつ解決していかないといけない。
 だけど、今度は俺や叶が手伝ってやればいい。姫川の問題であっても、友達が手助けしちゃいけないなんてことはない。そうやって、新しく積み上げていけばいい。

「そういや、姫川が消えたのにこの世界は残っているんだな」
「あ、それはね――」

『完全に睡眠から覚めてないからさ』

 ユリアの言葉を遮り、知らない声が響いた。
 男とも女とも読み取れない、中性的な声。聞こえた方向には、顔に左目しかない黒い棒人間のような奴が立っていた。

「ウィスル……」
『青陰枢、まずはおめでとうと言っておこうか。なかなか興味深い展開だったよ。キミという存在は本当に面白い』

 ユリアが尻尾を逆立てて唸り声を上げるが、俺が肩に手を置いて止めさせる。

「お前はもっと子供っぽい声をしていたと思うんだが」
『初めて会ったときかい? 余計な声が聞こえたみたいだね。あれは僕ではないよ』
「……そうか」

 姫川が蹲っていた夢の中で邂逅したとき、俺には子供のような声が聞こえていた。あれはウィスルのものではなかったらしい。
 では誰の……あの声は俺に話しかけてきたようだった。ウィスルのような存在が他にもいる? じっくり考えたいところだが、いまは目先の棒人間に集中しなければならない。
 ウィスルが左手を大きく振ると、アンティーク染みた茶色のアームチェアが三脚現れた。

『立ち話もなんだ、掛けてくれ』

 相手の言葉に乗るのもどうかとは思うが、俺自身ウィスルに聞きたいことがいくらかる。黙ってアームチェアに座ると、ユリアも続いた。
 ウィスルは足を組み背筋を伸ばして座り込む。その見た目に似合わない、しかし様になっているのは彼の喋り方や雰囲気のせいだろうか。

『それでは、寝言でも語り合おうか』

 こうして口火が切られた。


◆■◆


「それで、何しに来たんだ」
『僕が手伝った世界の最後を見届けに来たに決まっているじゃないか。彼女を閉じ込めることは比較的簡単ではあったけれど、それでもすぐにできることではないのだよ』
「閉じ込めて……どうするつもりだったんだ」
『……ん? 君は僕の目的を知らないのかい?』
「閉じ込めて……得られるものがあるとは聞いているが」

 俺の返答聞いたウィスルの左目がユリアの方へ向けられる。ユリアはウィスルを睨み続けているものの、その表情はどこか青白く感じられる。

『……ああそうか。そういうことか。それでか……くふふ、それを優しさとするのか。いや、また違った嗜好なのか……』

 突然にウィスルから小さな笑い声が漏れだした。左目からは表情が読み取れない。しかし、勝手に何かを悟ったような言動が妙に不愉快に感じ、思わず眉間に皺を寄せてしまう。
 そんな様子に気が付いたのか、ウィスルが笑いを我慢しながら、

『ああいや、僕が勘違いしていたことと、ユリアが大事なことを一つも言っていないことが分かっただけだよ。うん、それだけだ』
「ウィスル!」

 ウィスルの説明を、ユリアの大声が遮る。

「あなたは、いい加減こっちに戻ってくるべきだよ」
『そんなに怖い顔をするなよ。何度も愛し合った仲じゃないか』
「あ、愛し合ったって、あれは……」

 愛し合った? ユリアと……ウィスルが?
 黒い棒人間の言うことが理解できず、自分が口を開けたままになっていることに気付いたのは、ユリアが「枢くん、信じないで!」と喚起してくれてからだった。

『嘘じゃないだろ? 何度も何度も愛を囁き、想いをつつめきあい結ばれてきたじゃないか。僕と君はそのためにこの世界にいるのだろ?』
「おい、一体何の話をしているんだ」

 思わず口を挟んでしまった。
 なんとなく、聞かずにはいられなかった。

『そうだね。僕もユリアも隠し事が大好きって話さ』
「は? なんだよそれ」
『夢の世界なんて君からすれば空想的なものでしかないだろ? 事実それが正解だ。夢は空想、僕たちも空想でしかない。僕とユリアが顔見知りなのは、同じ空想から生まれているからさ』

 夢は記憶や感情から作られている。それはユリアも言っていたことだ。
 ユリアはてっきりファンタジー的な別世界の住人だと思い込んでいた。それが違うというのなら、記憶や感情、人から生まれるものからできた存在。

 ユリアは誰かの空想から生まれた……?

『僕らは愛し合うために生まれた。故に愛し合った。回数なんて覚えてないよ、途中で数えるのをやめてしまったんだ』
「ウィスル! 枢くんに余計なこと吹き込まないで!」
『ユリア、少し黙っていてくれないか』

 ユリアが叫ぶが、ウィスルの言葉に強制されたかのように小さな呻き声を上げて黙りこむ。

『僕はこの場に力をほとんど残していないって言うのに……こんなことで使わせないでくれよ』
「おい、ユリアに何をした」
『少しだけ黙っていてもらえるように干渉しただけさ。彼女の正体を少しだけ、君に教えてあげるためにね』

 ウィスルの言葉に、ユリアの顔がこわばり、尻尾の毛が逆立つ。

「ユリアの……正体?」
『そうだ。君も考えが辿り着いたのではないのかい? 僕たちのような幻が、誰かの創造物であるということを』

 創造物。その言葉に、心臓の鼓動が早くなっていく。今すぐ破裂させろと言わんばかりに、内部から圧迫してくる。

『君はどうやってユリアと出会った?』
「それは……白鯨がユリアを連れてきて……」
『なるほど。白鯨は確かに彼女を運んだだろうが、それだけで君と彼女が出会えるわけではない。彼女が君といない間、どこにいるか知っているかい?』
「それは、白昼夢の中じゃ……」
『それは違うな。彼女は君の中にいるのだよ』
「俺の……中?」
『そうだな……。青陰枢、君は中学以前の記憶があるかい?』
「……なんだよ、唐突に」

 そんなの、あたり…………あれ?

『どうだ、思い出せないことの方が多いのではないか? とても大切な何かを忘れているのではないのかい?』

 何かを……小さい頃大切にしていた記憶があったはずなのに、あった気がするのに、何も思い出せない。そんな記憶があったかすら疑わしいほどに。何も出てこない。
 それだけじゃない。自分がどんな小学生時代を送ってきたか、断片的にしか思い出せない。妹や家族のことのような、自分に近いものは覚えているのに、自分から遠ければ遠いほど、覚えていない。

 俺は誰と関わり、誰と話し、誰に触れてきた?
誰と繋がって生きてきた?
その記憶が完全に閉ざされている。

『君の中にいるユリアが、その記憶を意図的に隠しているとしたら?』
「……なんだよ、それ」
『君とユリアは以前会ったことがある。それをユリアは思い出せないようにしているのさ』
「俺と、ユリアが?」

 そんなこと思いもしなかった。初めてユリアに会ったとき、彼女みたいな知り合いはいないと思い込んでいた。
 そう思い込んだのは、ユリアのせい?

「まてよ、それはおかしいだろ。お前はユリアが誰かの創造物だって……それならユリアと以前会ってるなんてこと、あるわけがない」
『うん、ちゃんと思考を巡らせているね。正確に言えば、ユリアを創造した人物だ』

 ユリアと想像した人物。俺の印象に残っていないなら、見た目はユリアと全然違うのだろう。それすらも、ユリアに記憶を隠されているのかもしれないが……。

『君はもう少しユリアを疑うべきだったね。彼女の目的は聞いたかい? それが本当だと思うかい? これが結果として正しいのか君に分かるのかい?』

 ユリアの目的。それはウィスルの目的を阻止すること。
 なぜ阻止するのか、そこまで教えてくれなかった。
 俺は聞かなかった。その理由は――。

「そうか……」
『君はこれ以上干渉しないことだね。それが一番君のためでもある』
「そうだな。それが一番いいのかもしれない。俺は誰とも関わりを持とうとしなかった。他人に対して不干渉であろうとした」

 誰かと関わることに興味が持てない。誰かと関わることに意味が見出せない。誰かと関わることに楽しさを感じない。
 面倒で、億劫で、茶番で、欺瞞で。そんな感情が頭の中で渦巻いて、今の俺を作り上げている。

『ということだ、ユリア』

 ウィスルが左手を大きく横に振ると、ユリアが「あっ」と小声を上げる。

「枢くん……」
「ごめん、ユリア」

 俺は立ち上がりユリアの前に立つ。ユリアの瞳が、少しずつ濁っていくように見えた。
 たった数日だけだが、ユリアとの時間はとても密度の濃いものだった。何年分か喋ったんじゃないかってくらい会話した。今までになく行動した。他人に、姫川の夢にまで干渉した。不干渉であった俺はどこにいった? 今ならそれを取り戻せるんじゃないのか。今ここで積み重なったユリアへの不信感を投げつければ、俺はいつもの日常に戻れるんじゃないのか。
 白いワンピースを着た少女。
 非現実的で、幻想的な少女。
 萎れた狐耳と尻尾。輝きを失いかけた白銀の髪。今にも泣きだしそうな淡紅色の瞳。

「これが、俺の答えだ」

 幻の少女、ユリアに――キスをした。

コメント

コメントを書く

「学園」の人気作品

書籍化作品