夢歩く囁き

沙漠みらい

第14話 過ち

「ママは仕事が忙しくて、家に帰ってくることは少ないんです。パパはいません。だからいつもはシャンスと二人きりです。それが何か?」
「いつ帰ってくるかは分かる?」
「帰れそうになったらスマートフォンにメッセージが来ますが」
「そのスマートフォンは、いまどこに?」
「ここにありますよ」
「いまそれをどこから出したの?」
「え? あれ……?」

 今、確かに姫川はスマートフォンを出した。
 ポケットとかからではなく、突然として手元に。
 一瞬聞こえた家庭事情はひとまず置いといて、ここでユリアの作戦が分かった。現実では起こりえないことを指摘して、ここが現実ではないと認識させるつもりだ。

「姫川さん。さっきまでそこにはこのふかふかなんてなかったよね? どうしてなの?」
「ふかふか……ソファ、ですか? ソファは最初からここに」
「なかったよ。私も枢くんも見てたもん」

 ユリアの口調はいつも通りのはずなのに、声のトーンが低いせいか、きつい感じになっている。

「お、おいユリア、もう少し優しく……」
「ぬっ……ふぅ。ごめんね姫川さん。でもはっきりさせないといけないの」

 俺の言葉に少し顔をしかめたユリアだが、一呼吸置くと、いつもの雰囲気で話し出した。

「姫川さん、あなたがいるべき世界はここじゃないの。ここはあなたしかいない夢なの」
「私しか、いない?」

 姫川の瞳が揺れる。現実だと思い込んでいた世界が夢だという、それこそ夢物語みたいなことを言われて。

「この夢はあなたが受け入れ続ける限り覚めない。だけど、ここには何もない」
「何もない……」
「白雪姫も最後は眠りから覚めるよ。でも姫川さんはまだ眠っている」
「なんで白雪姫を……」
「そう、あなたの好きな白雪姫。きっと他の人が知らないことを私たちは知っている。それはここが夢であなたの心の中だから。姫川さん、おとぎ話はもうおしまいにしよ。あなたは現実に戻るべきだよ」
「…………」

 姫川は俯いて黙り込んだ。しばらくその様子を眺める。相変わらずシャンスは彼女の膝の上で丸くなっているだけだ。
  きっと、白雪姫が好きだなんて、ましてや自分に似ているなんて現実では誰にも話していないだろう。それをあえて伝えることで、俺達が内情を知る夢の存在だと思わせるわけだ。

 十数秒経ったところで、姫川が顔を上げた。先ほど見せていた微笑や困惑の表所はなく、どこか機械的な笑みだ。

「ユリアさん。面白いことを言うのですね」
「……え?」

 姫川の言葉に、今度はユリアが困惑の表情を浮かべた。
 姫川は表情を崩さず続ける。

「これが夢? そんなわけないじゃないですか。夢というのは眠っている時に見るものですよ? 私は眠っていないですし、こうやって自分で考えて喋っている。それが夢なわけないじゃないですか。どこで私のことを調べたのか知りませんが、そんなことでは騙されません。ここは紛れもなく、現実ですよ」
「ちが、それはっ……」

 ユリアの口が止まる。
 これは、仕方がないことだ
 俺だって初めてユリアと出会ったときは夢だなんて思わなかった。姫川もそれと同じ感覚なのだろう。

 たぶん夢というのは、夢とわからない限り現実なんだ。
 俺がユリアと一緒にいる白昼夢も現実。姫川が見ているこの世界も現実。夢と確信が持てなければ、自分の生きている世界だ。
 俺はユリアの言葉と、現実での確認をしたからこそ、あの白昼夢を紛れもない夢だと認識できる。しかし、姫川はこの夢の世界に何日いる? きっとあの事故直後からいるはずだ。
 誰にも、何も言われず、現実だと思い込んで。

「じゃ、じゃあ私のこの耳は、尻尾は!? どっちもモノホンのフカフカだよ!!」
「最近では脳波で動く耳のカチューシャがあるとテレビで見ましたよ」
「いやいや、これ見てよ。ほら、引っ張っても取れないでしょ!」
「ウィッグに付けているんですね。珍しい髪の色だなって思ってたんですよ」

 変な言葉で自分のケモミミと尻尾を動かしながら見せるユリアだったが、姫川にはそれも通じない。そういうおもちゃが出ているのも知っている。時代がユリアに追いついてしまっている。技術進歩ヤバい。
 ユリアの作戦は失敗か。

「枢くん……」

 涙を浮かべたユリアが、俺に助けを乞うてきた。
 俺にどうしろと……いや、そうか、やれることをやればいいのか。

「姫川」
「青陰先輩」

 彼女の瞳に迷いはなく、ここが現実だという認識が強まってしまったように思える。

「一つ提案がある。現実で起こりえないようなことが起きたら、このいまが夢だと思ってもらえないか?」
「現実で起こりえないこと、ですか……」
「そう、例えば……俺が手を出さずに何かを消すとか」

 自分のできることなんて限られている。手元にあるカードで使えるものは使ってしまうしかない。

「それはマジックではないのですか?」

 姫川が訝しげな視線を向けてくる。まあそう考えるのが普通だろう。

「そうだな……それじゃあ俺が絶対に手を出せないような場所でタネも仕掛けもされていないことを君自身が証明できるようなもの……」

 口に出して整理しながら、的確な対象物を想像していく。
意識を集中、ものが消えるよう想像する。

「…………これとか」
「へっ!?」

 案の定、異変に気付いた姫川が消えたもの在りかを探すように、スカートの上からまさぐり、そして顔が真っ赤になってゆく。

「おわかりいただけただろうか」

 リプレイはないけど。

「あ、青陰先輩! どこに、私の……ぱ、パンツを!」

 そう、消したのはパンツ!
 本当に申し訳ない。あの時見たハニーオレンジのパンツが頭をよぎっちゃいました。自分の変態脳を恨みたい。他人ごとならグッジョブと言いたいところだが、自分がそれを起こしたとなると罪悪感しかない。
 あとユリアにも謝らないといけない。紅茶の実験で全体への影響が確認されてるし、ユリアのパンツも消えているはずだ。だって俺もパンツの感触がないもん。ちょっと涼しい。

「え? 何? 枢くん、パンツ消したの?」

 ユリアは何もなかったような反応を示している。表情も隠している様子がない。
 …………自室でユリアを抱きとめた時、お尻がむにっとした理由が分かった。
 ――こいつ、またパンツ穿いてねぇ!

「ユリア! パンツ穿けよっ!」
「え? あ、違う! いま枢くんが消したんでしょ!」

 自分の失言に気付いたユリアが、ワンピースを押さえながら反論してきたが、その真っ赤な顔はどっちの意味で染めているのか。一瞬きょとんとした時点でお察しだぞ。

「そうですよ! 青陰先輩の変態! パンツ返してください!」

 姫川がユリアに加勢してきた。変態、女の敵、社会のゴミ、はい私のことです。

「いやいやまてまて、パンツを返すのはいいが、その前にさっき言ったこと忘れてもらっちゃ困る」

 危うく自分で自分を貶めようとしたところを、なんとか話を戻すことで回避する。

「他人のパンツを消すようなこと現実じゃできないだろ。これでこの世界が現実じゃないことは分かったんじゃないか?」
「何ごまかそうとしているんですか! そんなこと言って、人のパンツを盗むのがあなたのやり方ですね。叶ちゃんのお兄さんがこんな人だとは思いませんでした!」
「どうしてそうなる!?」

 どちらかというと、姫川の方がごまかそうとしている気がするのだが。こんなに状況が悪化するとは思いもしなかった。

「おい、ユリアからも何とか言ってくれよ」
「知らない! パンツ返してくれるまで許さないもん!」
「もん! じゃねえよ! パンツ穿いてなかっただろ!」
「それじゃあ、パンツを元に戻せばいいんじゃない」

 言われてみれば確かに。パンツを脱がす高等テクニックが存在したとしても、穿かせるものはさすがに無いだろう。脱がせるのもあってほしくない。

「それじゃあ……」

 意識を集中して、パンツが元に戻るイメージをする。どんなイメージだよと言われても、女子の柔らかな局部にパンツを穿かせるようなイメージ……はまったくできなかったので、仕方なく自分がパンツを穿いているイメージ。

「ひぅ!?」

 見事に成功。姫川から小さな悲鳴が聞こえたので問題ないだろう。

「戻したの?」
「ユリアには戻してない」

 パンツのないユリアは、周りの状況から判断するしかないので、首を傾げていた。俺はユリアのパンツに干渉してないから。ほっぺた膨らませていないで自分で穿いてください。

「さて、これでわかっただろ。ここは夢なんだ。現実で起こりえないことが起きただろ?」

 そう言って姫川に問いかけるが、相変わらず汚物を見るような眼差のままだ。

「どうやったか知りませんが、こんな変態行為をして恥ずかしくないんですか!?」
「あれれ!?」
「ダメだよ枢くん。ウィスルの影響が大きいみたい。こんな口論じゃ夢だって認めるどころか、余計現実だと思いこんじゃう」

 姫川の開き直り具合に驚きを隠せない俺に、ユリアが耳打ちする。
 まずったなあ。ふりだしに戻った感ある。いや、最初より悪化しているか。
 変わらず俺にできることは夢への干渉だ。
 他に手がないか、辺りを見回す。

 ソファ、テーブル、紅茶、クッキー、シャンス。
 シャンス……目の前で生き物が別のものに変わったらどうだろうか。ゴブレットとか。ゴブレットじゃ変わり過ぎか。それなら、ぬいぐるみとか。

「悪いがシャンス、犠牲になってもらうぞ!」
「まだ何かするつも………え……」

 シャンスがぬいぐるみに変わるように強く念じる。姫川が文句を吐き出す前に、その膝の上にいたシャンスが、泣くこともなく猫のぬいぐるみにと変化した。配達魔女さんの黒猫みたいな、なりきりぬいぐるみではなく、本物のぬいぐるみに。

「え、え、え? シャンス? あれ? シャンス?」

 ぬいぐるみに触れる姫川の顔が青ざめていく。
 それ見て、自分の失態に気付いた。
 姫川はシャンスの遺体を見ている。この夢でその記憶がどうなっているかわからない。しかし、姫川はシャンスを溺愛していた。
 それは現実だけでなく、記憶の世界でも、夢の世界でも。
 シャンスは姫川にとって大事なもののはずだ。
 手を出していいものではなかった。
 間違いを犯した。

「シャンス……シャンス……どこ、シャンス」
「お、おい、姫川」
「姫川さん……?」

 ユリアと共に声を掛けるが、彼女には届いていない。シャンスを探すその声が徐々に大きくなり、やがて悲鳴へと変わる。

「やだ、シャンス、どこ、いかないで、シャンス、シャンスシャンスシャンス、やだ、やだやだ、やだ、やだああああああああああああああああああああああああああああ――!!」

 姫川の叫び声が、空間を捻じ曲げていく。空気が揺れ、ティーカップが割れ、テーブルが砕け、ソファが千切れ、床が崩壊を始める。

「枢くん! 脱出しないとまずいよ!」
「いや、脱出って言っても……」

 ユリアが姫川の叫びに負けないよう声を張り上げながら、俺に脱出を促す。しかし、彼女をこのままにして脱出していいのだろうか。

「大丈夫、精神状態は不安定になってるけど、夢の崩壊が始まったから、結果としてはこの夢は終わるよ!」

 俺の懸念を拭うかのように、ユリアが言葉を付け足す。
 今回の作戦、やり方としては大失敗だ。しかし、これが結果としてウィスルの計画を崩すならいいのかもしれない。
 夢が夢で終わってくれるなら。
 目覚めた時に悪夢だったと怯えるだけで済むなら。
 今はそう思い込むしか――

「返してよ!」

 姫川の怒号が、思考を回らしていた俺を引き戻す。

「シャンスを! シャンスを返して!」

 鬼の形相で睨みつけてくる姫川の周りには、黒い煙のようなものがまとわりつき始めていた。そして、それが俺たちの方へと寄ってくる。

「なに……これ、拒絶とは違う……?」

 ユリアが、疑問の声をあげる。
 その疑問は俺にもすぐわかった。
 黒い煙が近づいてくればくるほど、ウィスルと初めて対面した夢での感覚が蘇ってくる。
 何かに押されるよう――まるで拒絶されるような感覚。それと似ているのに、どこか違う感覚が、全身を襲ってくる。
 体が動かない。すべてが何かに蝕まれていくような気がした。

「これは……浸食!? 姫川さんが私たちを取り込もうとしてるの!?」

 はっきりと聞こえるユリアの声。
 そして――

「枢くん! ダメ! 飲み込ま――」

 消えた。
 光景が、空間が、俺自身が。

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