夢歩く囁き

沙漠みらい

第13話 紅茶とクッキー


 木漏れ日が神秘的な雰囲気をもたらす林地と、広大な花畑がそこにはあった。幾種類もの花々が色鮮やかに咲き空間を彩っている。そびえ立つ木々の奥に見えるのは、黄土色にストレートで葺かれた屋根が目立つ木造の小さな家。避暑地によくあるペンションのような見た目だ。
 初めてユリアと訪れた場所とは打って変わった光景である。

「ここが、本当にあの姫川の夢なのか……」
「うん。間違いないよ」

 思わず口から漏れた言葉を、ユリアに肯定される。
 最初の夢は虚無や絶望に包まれたかのような世界だった。その上、馬場たちの不気味な笑い声も聞こえていたのだが……。ここではそんなことはなく、心地の良い鳥の囀りが聞こえ、温かな春の風が肌を撫でていく。

「ちょっとまて……風?」

 どういうことだ。
 記憶の夢ではこんなことはなかった。それは記憶を見ている間の話ではなく、紫ちゃんと一緒にいた時だ。ソファに座っていたりしたが、あれの感触だってなかった。
 それなのに、今は風の感触が確かにあったのだ。

「ん? 風がどうかしたの?」
「いや、音は今までも聞こえていたが、何かの感触なんて……」

 ワンピースの裾を揺らしながら、小首を傾げているユリアに説明しようとして、一つ思い出した。
 初めての夢でも感触はあった。俺はあの時見えない壁に触れている。さらにいえば、扉にも、骨にも、強風にだって。

「ユリア、夢の世界では五感が働くのか?」

 その質問に、ユリアが「ああ」と呟き、具体的な説明を始めてくれた。

「枢くんは夢をみたことがないから、感覚がないときに違和感を覚えたんだね」
「そう、だな。……確かにそうだ」
「本来、夢っていうのは五感が働かないの。よくある、頬を抓って痛くなかったら夢っていうのはそれだね。でも夢の中で頬を抓れる人なら痛覚は働くんだよ」
「そうなのか? どうしてだ」
「夢で意識的な行動ができるっていうのは、夢を操れるってことだからね。いわゆる明晰夢ってやつだよ」
「そうなると、痛覚は働くのに頬を抓っても痛くない状態になるのか?」
「それは人次第かな。普通は、『頬を抓ったら痛い』と意識するところだけど、『頬を抓って痛くなかったら夢』っていう期待感が優先しちゃった人は実際にそうなっちゃうの」
「なるほど。俺はそれを知らず、触れたら感触があるって思い込んでたから、触れるものに感触があったんだな」
「そういうこと。枢くんは明晰夢みたいな状態にあるから、五感が働いていたの。白昼夢でも私に触れれば感触があったでしょ? お尻とか」
「そうだな。お尻がむにっと…………って」
「謝ってほしかったなあ……」

 じとーと見つめてくるユリアを見て、どばーと汗が噴き出すような感覚に襲われる。

「枢くんは何も言わずおいしい思いをしてるね?」
「今とてもまずい思いをしております」
「どうせなら、ごちそうさまでしたくらい言ってもよかったのに」
「いただく気もなかったのに、それはどうなんだ?」
「でもつまみ食いしたよね」
「本当に申し訳ございませんでした。ごちそうさまでした」
「よろしい」

 ユリアの鋭い視線から解放されて、思わず大きく息を吐いた。
 まったく、後味の悪いつまみ食いだった。

「話がそれちゃったね。枢くんはどこで感覚がなくなったの?」
「記憶の世界だな。ソファに座ったんだが感触がなかった」
「記憶の世界かあ……私は行ったことないから正確なことは分からないけど、五感で感じた情報が詰め込まれた、総合的な世界なんだろうね」
「それはそうだとは思うが、ならどうして感覚がなくなるんだ?」
「記憶は引き出すものだからかな。枢くんが望まない限りは、最低限の情報しか享受できない、みたいな?」
「みたいなって……」
「純粋な記憶はね、本人の意思に関係なく、完成された過去の情報なの。だから枢くんの意識が干渉する余地がないんじゃないかな。あくまで推測だけどね」

 姫川の記憶を思い出すと、そんな気もしてくる。記憶の中では、何にも触れられず、何も感覚がなく、テレビを見ているかのような状態だった。

「それじゃあ、この世界で五感が働いているのは、記憶ではなく夢だから?」
「そう、夢の世界は不完全な創造物だから干渉の余地があるの。逆に干渉もされる。感覚の共有と言い換えるべきかな。姫川さんの感覚があるから、鳥の囀りや風の感触があるんだよ」

 要約すると、明晰夢なら五感が働き、互いに干渉できるわけだ。
 ユリアが具体的な説明をしてくれたが、理解すれば簡単なことだった。互いの感覚を共有し、干渉し合えるのがこの世界なのだ

「干渉して、この夢を夢だと姫川にわからせればいいんだな」
「そゆこと。とりあえず、姫川さんの様子を見にいこ」

 再確認を済ませると、ユリアが先頭に立ち、こっちこっちと手で俺を急かす。
 姫川の夢のはずなのに、花畑に立つ麦わら帽子の少女は絵になる。そんな場合ではないのに、思わず見惚れてしまいそうになった。美術とかにはあまり興味ないが、普段絵画に触れている人はこんな気持ちになるのだろうか。

 ユリアについていき、家の前まできた。いきなりノックをしていいものだろうかと悩んでいたが、ユリアが先に動き、窓のない開口部まできて、中から見えないようにしゃがむ。

「ここから中が覗けるよ」

 麦わら帽子を外しながら、小声でユリアがこっちに来いと促してくる。
 どうして俺たちがこんな怪しい行動をしなくてはならないのか疑問だが、まだ状況を詳しく聞いてないのもあり、おとなしく従った。
 こっそりと家の中を覗く。すぐ目に入ってきたのは、水色のコルセット風ワンピースを纏った金髪の少女と、ワンピースが強調する二つの大きな……じゃなかった、さらに視線を落としたところの、膝の上で撫でられている黒猫だ。

「……あれ? ここって」

 全体を見渡せば、白い壁と暖炉に、メープル色のフローリング。ガラスのテーブルと大きなテレビ。姫川とシャンスが座っているのは、クリーム色のソファだ。

「枢くん、知ってるの?」
「たぶん姫川家のリビングだ。記憶の世界でみた」
「なるほどね。家の外と中の違和感はそういうわけなんだ」
「どういうことだ?」

 ユリアが一人で何を納得しているのかわからず、小首を傾げる。

「うーんとね、本来はこんなんでもおかしくないんだよ。夢なんて基本めちゃくちゃなものだから。だけどここは明晰夢みたいなもので、ある程度は姫川さんの思い通りなの。だけど、童話風の景色に現代的なリビングを配置したのはなんでかなと思って」

 そう言われて、改めて外を確認する。この景色もどこかで見たことがある気がした。
自分の記憶を辿っていき、ひとつ思い出す。記憶の世界で読んだ、白雪姫の絵本の絵そのものだ。
 姫川は、現実の家と架空の世界をひとつにしているのか。

「なるほど、つまり」

 姫川は今、白雪姫を――

「あの……誰、ですか?」

 現状に対する仮定を巡らせていたところ、頭上から声がして思わず顔を上げる。
 そこには、原因となっている姫川紫がいた。
 あかん、見つかった。見つかったのはユリアの耳のせいじゃなかろうか。頭を隠しても見えそうだし。

「あ、えと、私たちは」

 ユリアが慌てて口を挟んだが、この状況をどう説明しようというのか。どうみても部屋を覗いてた、ただの不審者二名である。

「……とりあえず、上がりますか?」
「え……?」

 姫川からの思わぬ提案。上がりますかって、家の中にか? それとも屋根の上にか?
 冗談は置いといて、これは姫川と話すチャンスだ。乗るしかない。

「ユリア、そうさせてもらおう」
「えっ? う、うん」

 俺の意図などユリアに伝わらず「いいのかな……」なんて言っているが、この世界を作り出した張本人との面会だ。悪いわけがない。
 家に上がらせてもらうと、リビングは記憶の世界で見たものとは少し違う。あったはずのものがなかったり、なかったはずものがあったり、細部がいくつも違えば全体的に見た時に分かるものだ。

「いまお茶を用意しますので、ソファに掛けていてください」

 そう言った姫川はキッチンの方へと向かう。身長が低いせいか、鏡の国のアリスを連想させる後姿だ。その足元にいたシャンスもテコテコと付いていった。
 ソファに腰掛けると、今度はちゃんと感触があった。体が沈んでいくような感覚。上質なソファなのだろう。我が家には人をダメにするソファぐらいしかない。
 隣に座っていたユリアが同じくソファの柔らかさに驚いたらしく、俺の肩を揺らす。頭の上の耳が今まで以上に高速でピコピコと動いているので、興奮度高めなのがよくわかる。

「ちょ、ちょっと枢くん、なにこれ、ふっかふかなのなにこれ」

 なにこれと言われてもソファですよ、ソファ。ユリアをダメにするソファなんじゃないかな。
 室内に視線を巡らすと、記憶の世界と同じ薄型のテレビがある。時代を考えれば、姫川の幼少期は箱のようなアナログテレビが主流だったはずだ。となると、記憶の世界も、この夢の世界も、姫川の現在の情報が使われているのか。
 そんな推理をしていると、ユリアがまたも肩を揺らす。そんな興奮することじゃないだろうと宥めようと思い顔を向けると、さっきとは違って真面目な顔をしていた。

「枢くん、私は姫川さんの様子だけをみて、どう夢から覚ますのか話し合おうと思ってたんだよ。なのにどうして上がっちゃったの。どうしてこのソファふかふかなの」

 何を聞きたいのかわかんないけど、ソファはふかふかですね、はい。そのネタいつまで引っ張るんだ?
 とりあえず、ユリアに説明するため、キッチンにいる姫川に聞こえないよう声量を落とす。

「ユリアにはまだ話してなかったけど、大まかな状況は掴めてるんだ」
「そうなの?」
「姫川は白雪姫が大好きなんだ。外があんな風になってるのは、白雪姫の絵本の影響だ。でも、絵本には家の中の絵なんてなかった。だからここは姫川家のリビングになっているわけだ。たぶん」

 俺自身に確証はなかったが、ユリアはその仮説を聞いて納得いったのか、目を何度も瞬かせて頷く。

「白雪姫……なるほどなるほど。それじゃあ、これを夢だと気付かせるのも簡単だね」
「……えっ?」

 この状況が白雪姫の絵本と被っているということは分かったが、俺の中ではまだ解決策には至っていない。単純に姫川と話すことで、何かしら新しい情報が手に入るのではと思っていただけだ。だが、ユリアは解決の糸口がつかめたらしい。それなら大人しくユリアに任せた方がいいかな。

「お待たせしました。よかったらこちらもどうぞ」

 話が終わったところで、姫川が紅茶を運んできてくれた。白のトレーから花の絵柄の入った可愛らしいティーカップが出される。
 一緒に置かれたのは、市松模様の四角いクッキーだ。

「わっ、おいしそう! いただきます!」

 ユリアは特に遠慮もなく、クッキーを口に運ぶ。サクッと小さな音がしたところで、淡紅色の瞳が、ルビーのように輝きだした。

「これ、すごくおいしい!」
「ふふ、ありがと。それ、私の手作りなんです。今日のは特に自信作」

 感想を漏らすユリアに、姫川が小さな微笑みを向ける。
 姫川は向かいのソファに座ると、「紅茶もどうぞ」と勧めてきた。そして、姫川の膝にシャンスが乗っかる。
 ……あれ? いつの間に向かい側にソファが? さっきまでテレビがあったはずなのに、それが消えている。
 いや、何もおかしくないのか。ここは夢だ。姫川の都合のいいようにものの場所が変わるということか。

 確認のために、俺もクッキーをひとついただく。確かにおいしい。可愛らしい女子高生の手作りクッキーなんてなかなか食べられ……変態なこと言っている場合ではない。というか、叶も時々クッキーを焼いてくれる。比べるというわけでもないが、姫川の手作りクッキーは叶がいつも作るのよりもおいしい。
 特に自信作というのは、実際にそうなのだろう。姫川の今まで作ったクッキーの中で、特においしかったものがでてきているはずだ。

 都合のいいようにできている世界。そこへの干渉。どこまでできるのか。
 ティーカップへ手を伸ばし、紅茶を一口。素敵な香りの時点でお察しだが、こちらもおいしい。市販のものとは全然違う。お取り寄せだろうか。
 食べたことのないクッキー、飲んだことのない紅茶、これらの味は、すべて姫川が味わったものなのだろう。

「紅茶もすごくおいしい!」
「よかった。それはね――」

 二人は、女の子らしい会話を繰り広げている。
 その間に、俺は試したいことをひとつ行う。手元のティーカップを見つめ、あるものを想像。すると、徐々に中にあった紅茶が、白く濁り始める。渦巻き模様を作りながら、全体にの色が変わったところでそれを飲んでみる。
 ――間違いない。我が家でよく飲むミルクティーそのものだ。夢に干渉できる。

 ほーう……ほほーう……!

 魔法みたいで楽しいとか思っちゃった。男の子だもん。

「ふっ!?」

 紅茶を口にしていたユリアが、それを噴き出しそうになる。なんとか持ちこたえたが、「何してるの」と言いたげな目線を俺の方に向けた。自分のものだけ変えたつもりだったのだが、周りにも影響が出たらしい。しかし、おかげで結果が出た。
 一応はこの夢に干渉できることと、その干渉が全体にわたるということ。全体がどの規模まで広げられるかわからないが、とりあえず飲み物を変えるくらいのことはできる。

 姫川は、ユリアの驚いた様子に首を傾げていただけで、手元のティーカップには目も向けていなかった。すぐにミルクティーを先ほどの紅茶に戻す。
あっさりとミルクティーが紅茶に戻ったところで、姫川がそれを口にしテーブルに置くと、

「あ、つい忘れるところでした。お二人の名前をまだ聞いてないですね」

 そう言って、彼女は可愛らしく両手を口元で合わせる。
 そして、姿勢を正すと、こちらに目線を合わせてすこし真面目な表情になった。

「私は姫川紫と言います。初めてお会いしたと思うので一応。お名前を伺っても?」

 俺たちは姫川のことをいくらか知っているが、彼女自身は俺たちと初対面だ。いや、本当は一度会っているのだが、全く覚えていないのはあの記憶の世界からして明白だ。こうなるのが当たり前である。
 そして、それに対する答えを用意していなかった。正直に本名を言うべきではない、というのは分かっていた。ここで本名を教えた場合、夢から覚めた後どう影響するかわからない。
 なんて考えていると、

「私はユリア。そして、隣にいるのが青陰枢くんです」

 あっさりと言いやがった。しかもフルネームかよ。姫川のクラスには叶もいるんだぞ。

「青陰っていうと……あ、叶ちゃんの」

 ほーら言わんこっちゃない。

「……叶の兄の枢です。一応同じ学校です。どうぞよろしく」

「先輩さんでしたか。こちらこそよろしくお願いします。と言っても、まだ叶ちゃんとはそんなに仲良くなれていなくて……」
「ん? 猫の話をしたと聞いていたが」
「それは入学したばかりの頃ですね。この子、シャンスって言うんですけど、幸運を呼ぶ黒猫とか言われちゃっていて。その話を聞いた時は驚きました」

 そう言ってシャンスの頭を撫でながら、姫川は話を続ける。
 俺自身も、幸運を呼ぶ黒猫の噂は高校に入ってから知った。周辺の中学校にまではその噂は入ってこなかったみたいだ。俺はともかく、叶も中学の時は知らなかったみたいだし。

「黒猫の噂って三年くらい前からだけど、引っ越してきたのもその頃か?」
「そうですね。中学校入学に合わせて引っ越してきました」

 その言い方だと、まるで学校を変えるために引っ越してきたみたいに聞こえる。
 そういえば、今もいじめられているんだよな。馬場たちは姫川が誰くんだかの告白を断ったことに文句垂らしていたな。小学校の頃も似たようなことが原因で被害にあっているのかも知れない。

「シャンスが高校の近くをよく散歩しているのは前々から聞いていたのでこちらに入学したんです」

 姫川の高校入学までの経緯は分かった。情報として重要度の高さは不明だが。
いまの会話の問題点は別にある。話ぶりからすると、姫川はこの世界を現実だとすでに思い込んでいる節があるな。

「それで、お父さんとお母さんはどこにいるの?」

 カチャリとティーカップを置く音と共に、ユリアから質問が投げられた。淡紅色の瞳が鋭く感じられるのは気のせいではないだろう。もう仕掛けに入ったのだ。

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