夢歩く囁き
第09話 状況整理
翌日、クラスは事故なんてなかったかのように生徒たちの明るい声が蔓延していた。姫川とは学年も違うしこんなものだろう。まあ、事故当日も別の意味で賑わってはいたが。滅多にない出来事というのは人の興味関心を煽るものだ。
教室に入ると、俺の席と対照にある、廊下側の一番前の席に黒崎が座っており、黒崎を囲うように生徒が数人集まっている。
黒崎は、たった四日でクラスの中心人物へと成り上がっていた。コミュニケーション力というものを常に求められる社会では彼みたいな人間が上に立つのだろうか。まあ、俺には関係ないか。
自分の席についてひと眠りしようと思った所で、余計なことを思い出した。
ユリアの力によって夢の中に入った翌日、叶に夢を見たかと質問された。その時挙げた可能性として、夢を見ている間は寝言を言っているかもしれないということだ。今までは夢を見たことがないので、そういったことを気に掛けもしなかった。しかし、夢の中だけでなく、白昼夢でも寝言と捉えられる言葉が出るとしたら……。
白昼夢は現実で起きているわけではない。いくら現実味を帯びていても、あくまで幻だ。ということでいいはずなのだが、確信が持てない。
初めてユリアと遭遇したときの俺はどうだったのだろうか。自室でユリアと喋っている俺はどうだったのだろうか。滑稽だっただろうな。自室はともかく、帰り道で白昼夢をみたとき、叶より先に通り過ぎて行った人がいないことを祈るしかない。
それにいくら空気といえど、授業中に寝言でも洩らしたらさすがに注目を浴びるだろう。そういうのは避けたい。恥ずかしいのは嫌だ。
というわけで、寝るならこっそり授業を抜け出して屋上でだな。今から向かってもいいが、ホームルームをスルーするのはよくない。突然転校生が来ても知らないままになったりするから。
そう決断したところでチャイムが鳴る。生徒が各々の席へ戻っていく中、なぜかこちらのほうに歩いてくる人影があった。
「やっと見つけたー!」
うちの制服を纏った、長い白銀の髪を靡かせる少女。頭にはピコピコと動く狐耳、黒のニーハイで作られた二つの絶対領域の間から見えるふさふさの尻尾。
「もー、いきなりトイレの個室だったからびっくりだったよ。しかも男子トイレ! 枢くんも近くにいないし迷子になっちゃうところだったんだよ」
淡紅色の瞳から少しだけ涙を浮かべながら口を尖らせるユリア。
……なんでいるんだよ。
「……あれ? 枢くん? おーい、聞こえてますかー? 見えてますかー?」
驚きのあまり硬直していた俺の前で、ユリアが手を振りながら確認をとる。
予想していなかったわけじゃない。こうならないために教室では寝ないようにしようと思っていたのだ。
しかし、白昼夢は目が覚めている時に起きていたし、いつどのタイミングでくるかわからない。
こうなってしまった以上、俺がとるべき行動はひとつ。
ホームルームを諦めて今すぐ屋上に――
「よーし、みんな席につけー」
ダメでした。
くそっ、教室から出るタイミングを逃した。いくら空気的存在の俺だって、いきなり教室から出ていこうとすれば先生も止めるに決まっている。止められなかったらちょっと泣く。
「あ、これからホームルームなんだね。ホームルームと言えば、登校中に街角でぶつかった子が自分のクラスに転校してきて『あー! あなた今朝の!』って叫ぶところだよね」
ホームルームの存在意義が限定的すぎる。そんな展開普通ねぇよ。てかなんでまだいるの。少し落ち着こう。気を抜いたらツッコミを入れてしまいそうだ。
白昼夢と現実とのリンクがどれくらいなのかはわからないが、先生が入ってきたくらいでは覚めないらしい。
いや、わからないことは知っていそうな奴に聞けばいい。隣で、ホームルームのあり方について語っている子に。
引出しからノートを一冊取り出して適当にページを開き、ユリアへの質問を書き込む。
「ん? なに書いてるの?」
ユリアの声が耳元で囁かれるように響いてきて、思わず体が固まる。
背後に気配があると思ったら、ユリアが俺の肩口から顔を覗かせてきた。
肩に軽く手を乗せて体重をかけてくる。首元に髪の毛が当たって少しばかりくすぐったい。重さなんて気にするほどないが、ユリアの存在感がどっと増す。
近くに異性の存在感があると、どうにも落ち着かない。経験値不足ですね。
あれ? でも噂でよく聞く女子特有のいい匂いとかしてこない。無臭。まあ幻だし、そういうものか。
仕方がないので、ユリアの見やすいようにノートをずらす。
“白昼夢で喋ると、現実に寝言としてでるのか?”
「…………」
ノートを向けられたユリアは、その質問をじっと見た後、ふふんと鼻を鳴らした。
少しだけ頭をめぐらせると、ユリアがいたずらな笑みを浮かべていた。
「枢くん、口は口心は心とか言ってたよね。別に何喋っても寝言にはでないんじゃないかなー?」
なんだそのドヤ顔は! 言ってることと心の中で思ってることが違うだろ絶対! そして近い!
ユリアの言葉が信用ならないので、他人のいる所で白昼夢に巻き込まれたら喋らないと決意した。
続けて質問をノートに書き込んでいく。
“どうして先生が来た時に目が覚めなかった?”
前回自室にユリアが現れたとき、叶が部屋に入ってきたと同時にユリアはいなくなっていた。それは、俺が白昼夢から覚めたということだろう。
しかし今回はそれなりに騒がしい教室で、しかも先生が入ってくることに気が付いた。そんな状況であってもユリアが居続けている。白昼夢はまだ終わっていないのだ。
「うーん、白昼夢には現実と夢のどちらの感覚も入ってくるから、枢くんの慣れ具合ってところかな。それに、枢くんは夢を見ない分、現実側の影響が強そうだから覚めにくいのかも」
そこらへんはユリアも曖昧らしい。まあ、ユリアが白昼夢を作っているわけじゃないから仕方ないのか。
窓から空を見上げると、この白昼夢を形成しているであろう雲のような白鯨が遊泳している。
あの白鯨が一体何なのかはわからないが、ユリアが言うには神様的存在。その存在なしではこの状況はないということだ。
ひとまず、わかっていること整理しよう。
ユリアの今までの話を思い出しながら、隣のページに書き込んでいく。
① 白昼夢は白鯨が作っている。それは現実でも夢でもない場所。
② ユリアの頼み事は、俺が他人の夢に干渉すること。理由は、人を夢の中に閉じ込めようとしているやつを止めるため(俺にしかできないことらしい)。
③ ユリアの力を借りないと夢の中に入れない。力を借りるにはキスをする?
④ 夢への干渉は寝言として出る可能性大(重要)。
⑤ ユリアはパンツを穿き忘れていた。
「ねえ、最後のいらないよね?」
一緒にノートを見ていたユリアが頬を膨らませる。冗談が過ぎたので消す。
さて、他人の夢に干渉しなければならない原因となっているのが、人を夢の中に閉じ込めようとしているやつだが。
“ウィスルだっけ? どんなやつなんだ?”
ノートに質問を書いてユリアに見せる。その名前を見たユリアの顔が肩口から離れた。それでも手はまだ肩に乗せられていて、少し力が入っているのが伝わってくる。
「ウィスルは私と同じ、幻だよ……。枢くんも察しているとは思うけど、私が追っているのが彼だよ」
ユリアの声はどこか重々しいものだった。
ウィスルがユリアと同じ存在ということは、なんとなくわかっていたことだ。夢への干渉なんていう非現実的な話が少女一人だけで収まっているわけがない。ユリアのような存在が他にあると考えるのは至極当然である。
ユリアは、ウィスルについて話し始めてくれた。
「彼……ウィスルの目的は、誰かを永遠の夢に閉じ込めること。それはただの夢じゃないの。現実を否定し、拒絶し、夢を受け入れること。理想で作られた偽物の現実を享受することなの」
それが何を生み出すのかはわからない。しかし、ユリアは言っていた。それで得られるものがあると。
「ウィスルも、私も、夢の中の存在。夢の中で生き続けるもの…………」
そこで少しだけ間が生まれた。なぜかは分からない。彼女は続ける。
「夢の中の存在だから、夢に干渉できる。でも、それだけじゃウィスルを止められないの。彼の意思は強い。私では到底及ばない。だから……枢くんの力が必要なの。夢を見ない、あなたの存在が」
チョークの走る音が響く中、ぎゅっと肩に圧力がかかった。ユリアの腕が振るえているのも微かに伝わる。また頭を回らせると、淡紅色の瞳は俯き、白い狐耳は垂れていた。
「わかってる。あの子は、枢くんとまったく関係のないことは……でも、それでも、私は枢くんの助けが必要なの」
その言葉を告げる少女の顔が、すこしばかり赤くなる。それは、一人ではどうすることもできない自分への怒りのように見えた。
だからこそ、俺の協力が必要となるわけだが、当の俺は他人に関わる気がない。彼女としては、これ以上どうすることもできないのかもしれない。
そんな様子を見ていて、ひとつだけ確認したいことができた。
「どうしてそこまでするんだ」
周りの生徒に聞こえないように、彼女だけに聞こえるように、小さく呟いた。
肩に乗せられた手の震えが止まる。
「……守りたい人たちがいるの。私の大切な人たち。枢くんを巻き込むことになるのはわかってる。それでも……お願い」
目元に涙をためながらも、その瞳からは確かに意思を感じた。
それを見て思ってしまった。美しいと。淡紅色の瞳を輝かせながら、俺にないものを持つこの少女が美しいと。
初めてお願いしてきた日、彼女のあの笑顔は今も脳裏に焼き付いている。
また見たい。今の美しさとはまた違うあの笑顔を。俺の心を揺るがした、あの日の少女を。
大きく息を吐いた。周りに不審に思われることも気にしない。
そして小さく呟く。
「できることはやる」
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