夢歩く囁き
第01話 白銀の少女
「あ、青陰……枢、くん?」
後ろから声を掛けられて振り向き、俺は息をのんだ。
どこか懐かしく、しかし初めてみる、中学生くらいの女の子が立っていた。
宝石のように輝く淡紅色の瞳。
それを強調するかのような雪肌の頬。
軽く被った麦わら帽子。
腰まで伸びた白銀の髪。天使とでも言わんばかりの純白のワンピース。
それらが風でふわりと靡くのを見て、自分が呼吸を忘れていたことに気づく。
「青陰、枢くん、だよね?」
少女が確認するように俺の名前を告げる。
耳元で囁かれるかのように、幼さの残る声が脳内へ響いてくる。
「そ、そうだけど……誰?」
なんとか吐き出した言葉に、少女が目を見開いた。
「わ、私はユリア! ユリアって……呼んでほしいな」
素敵なぬいぐるみでも見つけたかのような表情を浮かべられた。
イマイチ状況が掴めない。そう思っていると、彼女は笑顔を浮かべたままゆっくりと近づき、俺の周りをぐるぐると回る。
「身長……高いね」
「え? まあ、成長期も終わるころだし」
「夏休みは……終わったの?」
「まあ、もう九月入ったし」
「そうだよね……」
なんともぎこちない質問が投げかけられる。
この子は何を聞きたいんだ?
「君は俺に何か用事があるんじゃないのか?」
「え、えっと……あれ、何を言おうとしたんだっけ……」
少女はピタリと足を止め、今度は困った表情でわたわたと手を動かす。
うーん……新手の勧誘か何かだろうか。子供にやらせるなんて許せないな。
「と、とにかく、私のことはユリアって呼んで……欲しいなって」
「その……ユリア、は、お父さんかお母さんに言われて俺に話しかけてるのか?」
「ち、違うよっ! 私が青陰枢くんと話したかったの!」
少女ーーユリアは必死な顔で否定してくる。
なんだろう……ただ緊張しているだけなのだろうか。
「とりあえず深呼吸してみよっか」
「う、うん。スー、ハー」
ユリアが全身を使って深呼吸を始める。数回したところで、
「うん落ち着いた。それと、思い出した……けど、私も初めてだからどう説明すればいいかな……」
初めて? 何のことだ?
ユリアは、こめかみあたりに人差し指をついて唸り始める。そして、何か閃いたかのように両手をパンと叩くと、そのままその腕を大きく広げた。
「とりあえず、見てもらって分かる通り、この白い空間は青陰枢くんのいる世界とはちょっと違うところなの」
言われて辺りを見てみると、先ほどまでいた家路ではなく、ただただ、白に染まった空間が広がっていた。
「あれ? なんだここ……」
「俗にいう、白昼夢みたいなものだよ」
白昼夢。妄想とか幻想とか、そういう類をみるときのあれか。
「え、じゃあ何だ、俺は夢を見ているのか」
「そうだよ。あのくじらさんが見せてくれてるの」
そう言いながら、ユリアは上を指差した。追って見上げた先には、遠すぎて気付かなかった青空と、白く巨大なくじら雲があった。
「なんだ……あれ……」
円形に浮かぶ青空。いや、この白い空間が筒状になっているのか?
それにあの雲は……まるで生きているかのように――
「あのくじらさんはね、夢と現を繋げることができるんだよ」
夢と現? この少女は何を言っているんだ?
「ちょっと待ってくれ。つまり、あのくじら雲みたいなのが、俺に白昼夢を見せている。それじゃあ、この空間もユリアも現実ではなく幻なのか?」
「そういうことになるね。あ、証拠見せてあげるよ」
ユリアはそう言うと、被っていた麦わら帽子を外した。
「み……耳……?」
麦わら帽子の中からは、犬のような耳がピンと立って現れた。
「えへへ。普通の人にはこんな耳ないでしょ? 狐耳だよ。可愛いからつけてるの。アイデンティティと言ってもいいね」
髪と同じ白銀の耳をピコピコと動かしながら、ユリアは自慢げな顔をする。
この子……この耳を見せたかっただけじゃないよな。つけてるって……つけ耳なのか?
「ふひゃぁ!?」
気になって思わず狐耳を触ってしまった。突然だったためか、ユリアが変な声を出した。
「え、み、耳は敏感で……簡単に触っちゃだめ、なのぉ……」
確かに、この質感はペットショップで触る動物の耳と相違ない。引っ張っても取れる様子はない。絨毯のような触り心地のいい毛並みがピクピクと揺れてもふもふ――え、これ本物……?
「も、もうやめて……」
「あ、ごめん」
夢中に触っていたらユリアの顔が真っ赤になっていた。
慌てて手を放すと、耳は麦わら帽子の中へと消えていく。
「耳は本物でユリアは幻……。それなら耳も幻で、でも感触がある……?」
「余計混乱させちゃったかな」
百聞は一見にしかずとは言うが……それにしたって、女の子にあんなリアルな獣耳がついてるなんて信じられない。
「ユリアは……その、神様とか化け狐とか……そういう類なのか?」
「私が? 違うよ。確かに空想上の人物的なものではあるけど、それだけだよ。私はただの幻。強いて言えば、あのくじらさんがこの世界の神さまみたいなもの」
否定するように手を振ったユリアが、もう一度上空を指差す。
くじらさん。空を漂うくじら雲。
「あのくじら雲みたいなのは……生きてるのか」
「生きてるよ」
二人でその白鯨を見つめる。
夢と現を繋げるか……。
「私が言うのもなんだけど、青陰枢くんは慌てたりしないんだね」
「え、何が?」
「だって、白昼夢とか幻とか、そんなこと言われて、変だと……思わない?」
ユリアが心配そうな顔で俺のことを見つめてくる。
指摘されて、そういえばそうだと心の中で頷いた。
「俺、夢ってみたことないんだよ。正確には覚えていないなのかもしれないけど……。とにかく、起きた時には夢と言えるものは残ってないんだ」
夢。速い眼球の動き――レム睡眠時にみるもの。俺は今までそんなものを見たことがない。
毎朝、分厚いカーテンに閉ざされた部屋で起きる時、覚醒の瞬間、瞼を開く直前にあるのは暗闇だ。
何時間眠ろうが、何回眠ろうが、俺は夢を見た記憶がない。
夢というものは、俺にとって当たり前のものではない。だから、夢だ現実だの区別だってつきはしない。
「今が夢の中って言われても実感がわかないんだよ。確かにいきなり変な場所になってるけど、それですぐ現実じゃないなんて否定できないんだ」
「やっぱり……」
「え?」
その意味深な言葉は、どういうことだ?
「それって――」
「あ、ううん、なんでもないの。それより、青陰枢くんにお願いがあるの」
「……お願い?」
「そんな露骨に嫌な顔しないでほしいな……」
「だって、壺とか売る気じゃないよな?」
「違うよ! 手伝ってほしいことがあるの」
「壺を売るのは手伝わないぞ」
「違うよー!」
なんかめんどくさそうなことに巻き込まれる予感。
これ以上は関わらないほうがいいかもしれない。
「俺は忙しいから、他の人に頼むといいぞ。じゃあな」
「え、待ってよ! 青陰枢くんじゃないとダメなの!」
「他の奴にも同じこと言えば誰か手伝ってくれるって」
「ダメなのー!」
真っ白な道を進もうと思えば、ユリアに制服の袖を掴まれて止められる。
「俺、面倒なこととか他人に関わるようなこと好きじゃないんだ。一人が好きなの。関わるの家族だけで十分だから。だから離してくれ」
「そういうわけにはいかないの! 青陰枢くんの家族にも関わることだよ」
「今日会ったばかりの子にそんなこと言われても信じられるか!」
「この空間をみても信じてくれないの!?」
「だからこんなの夢なんて思えないって!」
と、ユリアが袖をつかんでいた手を放してくれた。
「それじゃあ、証拠みせるから」
「証拠? 何の」
「夢っていう証拠」
そういって、麦わら帽子の少女は大きく深呼吸をすると――小さな両手を俺の頬に添えた。
結構な身長差を背伸びで補い、淡紅色の瞳を近づけてくる。
それがわかってるのに、体が離れようとしてくれない。
「目を瞑って」
少女が囁いて、瞳が閉じられる。
唇が近づいて、重なりそうに――
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