夏色リバイブ
第28話当たり前
「父親が帰ってくるなら、僕はお暇するよ」
彼女の父親が帰ってくるとなれば、もうこの家に僕がいていいはずがない。久しぶりの我が家に娘が見知らぬ男と住んでいるなんてバレようものなら、一悶着起きることは目に見えている。
「うーん、確かに幽霊くんをお父さんに見せるのはちょっぴり――いや、ものすごーくまずいかな」
「そりゃ、自分が留守の間に娘が同棲していたってなったら、すごいショックだよね。もちろん、何もなかったとしてもね」
「いや、それももちろんあるんだけど……。とにかく、幽霊くんがお父さんに会うのはまずいんだよ。三日だけ帰ってくるって言ってるんだけど、どうしたもんかなぁ」
「だから、僕が三日間どっかに言っておけばいいんだよ」
「えっ、いや、う――――ん……幽霊くんはすぐに消えちゃいそうだから、目を離したくないんだよ」
歯切れ悪く答える希。何かと何かの間で葛藤しているようにも見える。
「ここまで一緒に居たんだから、消える時くらいしっかり言うよ」
「そうじゃなくて……。うがー! もう! 旅行に行きます!」
「はい?」
彼女の突拍子もない発言に思わず語尾が伸びる。
「旅行だよ! もしくは、駆け落ち。幽霊くん、どっか行きたいところないの?」
「いや、旅行って、君はこの前行って来たばっかりだろ? それに久々の父親との再開じゃないか。家族水入らずで過ごしなって」
「お父さんはちょっと顔見せれば十分だよ。それより、私は幽霊くんと思い出を作りたいの! あっ、でも私はお金ないから、旅費は全部幽霊くんのおごりね! もうそろそろお父さん来ちゃうから、駅で待ってて。私はお父さんと少し話してから行くから!」
僕に喋る隙を与えずに早口で言い切った彼女に気圧され、僕は背中をグイグイと押されるがままに外へと追い出された。
玄関の前で突っ立って居たら、ただの不審者なので、仕方なく彼女の言う通り駅にトボトボと向かう。
「行きたい場所か……」
正直、急には出てこない。
未練など、あったとすれば彼羽のことくらいなのだ。生前、特に行きたかった場所などなければ、やり残したことも思い当たらない。
幽霊って、現世に未練が残っているから存在していて、未練が無くなれば勝手に成仏するものだと思って居たけど、どうやらそれは違うらしい。
駅に着き、特にすることもなくぼんやりと行き交う人々に目を向ける。大きな荷物を持った旅行客。和やかに会話をしながらゆっくりと歩く老人たち。虫かごを持って元気に駆け回る小学生たち。
「みんな、生きてるんだよなぁ」
そんな当たり前のことを呟く。でも、当たり前ってなんだろうか。生きていることが当たり前なのだとしたら、今の僕は当たり前じゃない何かで、でも実際にここに存在している。行き交う人々から見ても、確かに僕はここに存在するし、彼らから見れば僕はいわゆる当たり前の存在なのだ。
「何ぼんやりしてるの?」
気がつくと、彼女が横で僕を覗き込んでいた。彼女にしては珍しい薄手の白ワンピースにそれに負けない白い素足を見せるサンダル。黒いリュックサックを背負い、手元にはスーツケース。
「本当に旅行に行くんだ」
「そう言ったでしょ! ほら、行く場所決めた?」
「うーん、どこでもいい……」
「私だって、どこでもいいんだから、こんなときくらいエスコートしてよね」
行きたいところ。正直、場所なんて関係なくて、彼女と一緒に居られるのならどこでもいい。でも、強いて行きたい場所をあげるとするなら――
「じゃあ、東京に行きたいかな。ベタだけど」
「幽霊くんにしては意外な場所をチョイスするね。てっきり、熱海とか近場を挙げてくるんだと思ったよ」
「別に明確な理由があるわけじゃないよ。でも、生きてたらきっと、高校を卒業して東京の大学に進学して、そのまま向こうで就職しているんだろうなって思ったら、東京に行きたくなった」
生きていたらなんて、ネガティブにも聞こえる表現にも関わらず、彼女はニッコリと満足げに頷いた。
「ちゃんと行きたいところあるじゃん! 私も東京なんて中学校の修学旅行以来だよ。なんか、ワクワクしてきたね!」
僕ら田舎の人間にとって、東京は未開の地であって、自分達には高校を卒業するまで縁がない場所だと思ってしまう。テレビで毎日目にする東京の景色はとても輝いていて、皆、そこでの生活に憧れてしまう。
たぶん、生きていたなら僕は東京の大学に進学していただろう。そして、テレビの中のような輝いた生活とまでは行かなくとも、都会の喧騒に身を染めていたはずだ。
そう考えると、途端に東京に行きたくなった。
「幽霊くん、早くー! 電車来ちゃったよ!」
気がつくと彼女は既に改札前で待機していた。
そんな無邪気な彼女に嬉しさ混じりのため息が出た。
「まだ切符買ってないよ」
僕と彼女の最初で最後の短い旅行が始まる。
彼女の父親が帰ってくるとなれば、もうこの家に僕がいていいはずがない。久しぶりの我が家に娘が見知らぬ男と住んでいるなんてバレようものなら、一悶着起きることは目に見えている。
「うーん、確かに幽霊くんをお父さんに見せるのはちょっぴり――いや、ものすごーくまずいかな」
「そりゃ、自分が留守の間に娘が同棲していたってなったら、すごいショックだよね。もちろん、何もなかったとしてもね」
「いや、それももちろんあるんだけど……。とにかく、幽霊くんがお父さんに会うのはまずいんだよ。三日だけ帰ってくるって言ってるんだけど、どうしたもんかなぁ」
「だから、僕が三日間どっかに言っておけばいいんだよ」
「えっ、いや、う――――ん……幽霊くんはすぐに消えちゃいそうだから、目を離したくないんだよ」
歯切れ悪く答える希。何かと何かの間で葛藤しているようにも見える。
「ここまで一緒に居たんだから、消える時くらいしっかり言うよ」
「そうじゃなくて……。うがー! もう! 旅行に行きます!」
「はい?」
彼女の突拍子もない発言に思わず語尾が伸びる。
「旅行だよ! もしくは、駆け落ち。幽霊くん、どっか行きたいところないの?」
「いや、旅行って、君はこの前行って来たばっかりだろ? それに久々の父親との再開じゃないか。家族水入らずで過ごしなって」
「お父さんはちょっと顔見せれば十分だよ。それより、私は幽霊くんと思い出を作りたいの! あっ、でも私はお金ないから、旅費は全部幽霊くんのおごりね! もうそろそろお父さん来ちゃうから、駅で待ってて。私はお父さんと少し話してから行くから!」
僕に喋る隙を与えずに早口で言い切った彼女に気圧され、僕は背中をグイグイと押されるがままに外へと追い出された。
玄関の前で突っ立って居たら、ただの不審者なので、仕方なく彼女の言う通り駅にトボトボと向かう。
「行きたい場所か……」
正直、急には出てこない。
未練など、あったとすれば彼羽のことくらいなのだ。生前、特に行きたかった場所などなければ、やり残したことも思い当たらない。
幽霊って、現世に未練が残っているから存在していて、未練が無くなれば勝手に成仏するものだと思って居たけど、どうやらそれは違うらしい。
駅に着き、特にすることもなくぼんやりと行き交う人々に目を向ける。大きな荷物を持った旅行客。和やかに会話をしながらゆっくりと歩く老人たち。虫かごを持って元気に駆け回る小学生たち。
「みんな、生きてるんだよなぁ」
そんな当たり前のことを呟く。でも、当たり前ってなんだろうか。生きていることが当たり前なのだとしたら、今の僕は当たり前じゃない何かで、でも実際にここに存在している。行き交う人々から見ても、確かに僕はここに存在するし、彼らから見れば僕はいわゆる当たり前の存在なのだ。
「何ぼんやりしてるの?」
気がつくと、彼女が横で僕を覗き込んでいた。彼女にしては珍しい薄手の白ワンピースにそれに負けない白い素足を見せるサンダル。黒いリュックサックを背負い、手元にはスーツケース。
「本当に旅行に行くんだ」
「そう言ったでしょ! ほら、行く場所決めた?」
「うーん、どこでもいい……」
「私だって、どこでもいいんだから、こんなときくらいエスコートしてよね」
行きたいところ。正直、場所なんて関係なくて、彼女と一緒に居られるのならどこでもいい。でも、強いて行きたい場所をあげるとするなら――
「じゃあ、東京に行きたいかな。ベタだけど」
「幽霊くんにしては意外な場所をチョイスするね。てっきり、熱海とか近場を挙げてくるんだと思ったよ」
「別に明確な理由があるわけじゃないよ。でも、生きてたらきっと、高校を卒業して東京の大学に進学して、そのまま向こうで就職しているんだろうなって思ったら、東京に行きたくなった」
生きていたらなんて、ネガティブにも聞こえる表現にも関わらず、彼女はニッコリと満足げに頷いた。
「ちゃんと行きたいところあるじゃん! 私も東京なんて中学校の修学旅行以来だよ。なんか、ワクワクしてきたね!」
僕ら田舎の人間にとって、東京は未開の地であって、自分達には高校を卒業するまで縁がない場所だと思ってしまう。テレビで毎日目にする東京の景色はとても輝いていて、皆、そこでの生活に憧れてしまう。
たぶん、生きていたなら僕は東京の大学に進学していただろう。そして、テレビの中のような輝いた生活とまでは行かなくとも、都会の喧騒に身を染めていたはずだ。
そう考えると、途端に東京に行きたくなった。
「幽霊くん、早くー! 電車来ちゃったよ!」
気がつくと彼女は既に改札前で待機していた。
そんな無邪気な彼女に嬉しさ混じりのため息が出た。
「まだ切符買ってないよ」
僕と彼女の最初で最後の短い旅行が始まる。
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