夏色リバイブ

微炭酸

第4話ただいまといってきます

「幽霊君ってさ、ずっとここにいるの?」
「そうだけど?」
「えっ!? じゃあ、私といるとき以外はずっとここにいるの?」
「……そうだけど?」
「うひゃー! 信じらんない」

 僕が十年後に来て、五日が経過していた。毎晩、日付が変わるごとに浮かぶ数字は、毎日一ずつ減っている。
 たぶん、僕が存在していられるタイムリミットなのだろう。数字がゼロになったとき、どうなるかは、わからない。たぶん、そのまま存在が消えてなくなる――世間的には成仏するか、それとも十年前に戻ってしまうか。個人的には後者はうれしくはない。また、一か月間苦しまなければいけなくなる。
 そこまで考えて、ふと思いついたことがある。僕は十年前、余命一か月であった。そして、この世界に来てからのタイムリミットも一か月。つまり、身体に異常がないからとはいえ、一か月後に僕はどうやっても死んでしまうのではないだろうか。

 ……別にいいけど。

 五日の内、三日は希と顔を合わせている。いや、今日を合わせると四日間顔を合わせていることになる。
 彼女は物好きなのか、僕の正体が幽霊だと分かってなお、普通にふるまう。

 そして、今日も立ち入り禁止のはずの屋上に来て、自然と僕の横に足を投げ出して座った。

 彼女が昨日、姿を見せなくて分かったことがある。彼女が来ないと、空腹を感じないのである。
 人と一緒にいることで空腹を感じるのか、それとも彼女といるからなのか。それは定かではないが、深く考えるだけ無駄だ。なんせこの身体は、訳が分からないことだらけなのだから。

「……君、友達とかいないの? ほぼ毎日来てるけど」

「えっ? 私……? いるよ、友達。っていうか、幽霊君と私ももう友達じゃん」

「そういうもんなの?」

「そういうもんだよ」

 幽霊と友達になるって、幽霊の僕が言うのもなんだけど、絶対におかしい人だ。

「でも、今日から三日間は学校にいないほうがいいかもね」

「……なんで?」

「野球部が合宿で学校に泊まるからね。夜は屋上でバーベキューをするんだってさ。君、幽霊だけど皆からは見えるからねぇ」

 彼女の話が本当であれば、今日からはどこか他の人が来ないところで夜を明かさねばいけない。
 どうせ息が苦しくならないなら、いっそのこと海の中で過ごしてみるのも面白いかもしれない。見つかったら水死自殺と間違えられて、大変な目に合うかもしれないけれど……。

 希が覗き込んでくる。最近では、彼女の顔をしっかりと吟味できるくらいには、環境の変化に慣れてきた。
 初見の時、直感的に彼女はそれなりに可愛いと思ったが、実際にまじまじ見てみると、やっぱりかなりの美少女だ。清楚とはまた違うけど、たぶん男にも女にも好かれる顔立ちだ。

「幽霊君、行く当てあるの?」

「……ないけど、探せばあるでしょ。最悪、墓地にでもいれば見つかっても、幽霊としての役割は全うできるし」

「幽霊君って、時々面白いよね。もしかして、狙ってる?」

「そんなわけないじゃん。っていうか、君はいつまで僕にかまうの? せっかく、JK最後の夏休みなんだから、こんなよくわからない幽霊に付き合ってないで、彼氏の一人でも作れば?」

 彼女は少しだけ驚いたように顎を引いた。

「無理、無理ー。私、確かにそこそこモテるけど、なんかみんなピンと来ないんだよね。ハートに響かないってやつ。付き合ったら、付き合ったで、どうせ男の子はすぐにエッチなことばっかり考えるんでしょ!」

「……男ならそんなもんでしょ」

「幽霊君もそうだったの? あ、もしかして今も?」

 彼女は少しふざけたように両手を交差させ、自分の肩を抱いた。

「生きてたら、そうだったかもね」

 数秒の沈黙。
 彼女がおもむろにぺちっと僕の手をたたいた。二度、三度繰り返す。

「何してんの?」

「うーん、私からしたら、君は生きてるんだよね」

「そうかもね。生きてるのか、死んでるのか、僕でも分からないよ。でも、どうせ八月いっぱいで僕は死ぬよ。今度こそ、絶対に」

「えっ? 幽霊君、死んじゃうの?」

 僕は暇だったこともあって、今の現状を彼女に話した。なんとなく、彼女であれば、他の人には言いふらさないと思った。というか、僕のことを他の誰にも話してないようだし、大丈夫だろう。

 一通り説明し終わると、彼女はうつむいて沈黙をつくった。もしかしたら、気を悪くさせてしまったのかもしれない。
 突然顔をあげた彼女は僕の手をガシッと握った。

「じゃあ! 思いっきり楽しまなくちゃ!」

「は? いいよ、そういうの。別にやり残したこととかないし」

 少しだけ、嘘をついた。やり残したことがない――わけではない。でも、それは彼女に話すつもりはない。話したら、きっとどうにかして実現させようとする。
 僕は、それを望んでいない。

「んー。じゃあ、私と幽霊君はひと夏の淡い関係になっちゃうんだね。寂しいなぁ」

「君が僕の前に来なければ、淡い関係にすらならなくて済むよ」

「おいおーい。友達にそういうことを言うもんじゃないぞ」

「僕はこっちに来てから友達をつくった記憶はないよ」

「カッチーン。今のはちょっとだけ私でも怒っちゃったぞー。よし、決めました。幽霊君、君は今日から私の家に泊まりなさい」

「……は?」

 僕の返事を待つこともなく、彼女は例のごとく僕を紙のように持ち上げた。

「ちょっと待って。なんで、そこまで僕にかまうの?」

 階段をものすごい勢いで駆け降りる彼女に問うた。彼女は振り向くことなく答える。

「だって、幽霊君は私と一緒に住んでても、襲ったりはしないでしょ?」

「当たり前じゃん」

「じゃ、そういうこと!」

「どういうことだよ……」

 きっと、本気で拒めば彼女は無理強いはしないだろう。しかし、実際今日の夜を過ごす場所を探すのは面倒だ。
 それに、彼女との食事は、不覚にも少しだけ楽しいと感じた。気のせいかもしれないくらい、淡く、小さな感情だった。
 でも、それが僕の背中を押すのである。



 彼女の家は、驚いたことに僕の住んでいた場所のすぐ近くであった。家の場所を把握してすぐに、僕は彼女に断って一人になった。
 彼女はしきりに「逃げないよねー?」とジト目で訪ねてきたが、もちろん、そんな野暮な真似はしない。
 
 彼女の家から歩くこと三分。ほとんど変わっていない商店街を通り抜け、目的の場所へと到着する。視界に入った瞬間、思わず泣きそうになった。
 懐かしすぎて、そして、もう二度と見ることはないと思っていた家。僕が十七年間を過ごした思い出の場所。なんてことのない一軒家が、とてつもなく大きく見えた。

 でも、さすがに親に会うわけにはいかない。たぶん、会えば未練が残る。それに、親にもいろいろな迷惑をかける。いざ、死ぬ瞬間に未練が残っていたら、さすがに死んでも死にきれなくなる。
 
 家の電気がすべてしっかり消えていることを確認し、自転車の座席の裏に貼り付けられた非常用のカギを手に取る。十年前と全く同じだ。この自転車は、僕が登校用につかっていたもので、もしかしたら処分されているかもと思ったが、やっぱりというべきか、そのまま残っていた。

 玄関のカギを開け、家の中に入る。十一年ぶりの帰宅。

「………………ただいま」

 小さく、小さくつぶやいた。

 二階の僕の部屋は、自転車と同じくそのまま残されていた。手つかずで、掃除だけはしっかりとしてくれていたようだ。
 この様子を見るからに、やはり親には会わないほうがいいだろう。会えばきっと、お互いに忘れられなくなる。

 本棚にある辞書の中から、札束を取り出した。親に内緒でバイトしていた時のものだ。当時、高校生だった僕が通帳をつくれるはずもなく、仕方なくこうして本の間に隠していたのである。
 確認すると、二十万ちょっとあった。バイトをしていたものの、ほとんど手を付けることなく、病気で入院した。

 現金を持ち、しっかりと元通りに物を直し、僕は家を出た。

 立ち止まり、振り向く。しっかりと目に焼き付ける。もう、二度と来ない。来てはいけない。

「……行ってきます!」

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