金色天狗とツノ無し鬼

ナルミヤタイ

第23話 琵琶女

町中の端っこに座り込んで琵琶を弾く女。
まだ若い娘だと言うのに、それは目を見張る程の綺麗な顔をして一端の女の表情をしていたものだから、通り過ぎる男達は皆視線を向けていく。
そして一人の例外もなく、視線を交わし去っていく。
女は通り過ぎるもの全てを見ていた。
そんな風にしていれば近寄ってくる輩もいそうではあるが、しかし誰も近寄らない。
女は旋律にもならない、それはひどい音を奏でていたものだから、まともな神経を持つ人間ではないと思われ、皆避けて通っていたのだった。

それでも果敢に近づいて来る男がいた。近くに住む男で、余りにもひどい音が聞こえてくるので、童が泣き出し、これは一つ文句でも言ってやろうと飛び出して来たのだった。
男はその音から、どんな汚れた人間が弾いているのかと想像したが、見てみればその美しさに目を奪われた。
女の着ているものもそれは上質なものだとわかったし、髪の毛だって櫛を通している髪だ。

女は男と視線をかわし、男は息を飲む。
しかしすぐ我に帰り声をかけた。
「おい、女、その音を何とかしてくれ」
侮辱してやろうと準備していた口が紡いだのは、気遣いを散りばめた優しい言葉だった。

女はその言葉に、指を止める。

「何だってこんな所で。迷惑じゃ」
迷惑、と言った所で罪悪感を感じたのか男は目を逸らす。
すると女は丸でこびでも売るような声で喋りをした。
「迷惑か、そうか。お前はいい奴だなぁ、だが逃しやせん」
細い糸の様な甘い声。
男は意味を理解できず、口を動かそうとした瞬間。
全身を何かの刃で何箇所も斬られた。
「…!」
もちろん刀など無いし、女も誰もそんな事はしていない。見えない何かがそうしたのだ。

血は女に飛び散り、女はそれを舐めた。
「はやく童の所へお帰り」
なぜ童がいる事を知っているのか、男は女の言葉に恐れ、足早に去って行く。
「んふふ。殺しゃあせん」
女は糸の様なか細い声で呟き、また琵琶を弾き始める。
「大事な大事な、我の傀儡くぐつじゃからな」
女は狂った音を奏で、人を狂わせていたのだった。

女の近くを通る者の中に、口喧嘩をする男と女。
少し離れた所には、殴り合う男と男。
更にその近くでは悲鳴を上げて逃げる男。
何かに恐れて戸を閉める音。

甘美かんびじゃあ…」
女はそれらを見て聞いては恍惚こうこつとしている。

女に餓鬼がきが近寄る。
人間の子供程の大きさの鬼だ。
耳障りな蝉の様な声を出して甘えてくる。
女は不機嫌極まりない顔をし、向きは変えずに視線だけを送ると、失せろと合図した。
餓鬼はまたうるさい蝉のような声を出して家の隙間に逃げて行った。
「お前はもういらん」
甘ったるい声で女は言った。
「欲しいのは人間じゃぁ」
やっと望んでいたものを手に入れたと、女は悦に入っていた。

そうしていると、数人の男を連れた男が目の前にやってくる。
取り巻きの男達はいぶかしげに女を見た。
「どうしたんだい」
そんな視線に反応する事も無く女は男に問いた。
「これは随分と変わられましたな」
男は女と会う時、いつも距離を取っていた。内心、近づきたく無いのだ。
「よい体じゃろう、落ちておったのだ。して何の用かい」
早く本題に入れとばかりに急かす。
「いえですね、今度鬼を連れて来ようと思いまして。これが馬鹿な鬼で、穂律ほのりどののお役に立つのでは無いかと思いまして」
女は急に不機嫌な顔をして男を睨みつける。
「鬼などいらぬ。欲しいのは人間じゃ」
欲を露わにするその声色は取り巻きの男達を虜にした。
女の機嫌を取れるとばかり思っていた男は、これは失敗したと焦り、声の張りはなくなるも早口で物申す。
「人間になると望む鬼でございましてな…人間達の中に放り込んだらそりゃあ面白い事になるのではないかと思いましてね…」
そう言ってちらりと女の顔を伺うと、一気に笑みを浮かべたものだから男は安堵した。
「人間になりたい」
男の言葉を切り取ってただ繰り返す。
「え、ええ…」
男は安堵も束の間、嫌な予感に襲われる。
「んふふ、何を怯えておる。人間になりたい鬼。可愛いなぁ、良いではないか。では早よう連れて来い」
男の、自分に対する怯えに気づいている女はわざと可笑しそうにしながら言う。
「人間になるなど夢物語だと我が教えてやろう」
琵琶が奏でる狂った音。女にとっては優しく包み込む子守唄でもあった。

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