教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

2. 日常②



「どうしてもダメですか?」

「悪いな。生徒を恋愛対象には見れない」

「生徒は絶対無理? 相手が水野さんだとしても?」

 水野?
 どうして此処で水野が出てくる? あいつだって生徒だろ。当たり前のこと聞かれても困る。どんなに顔が良くたって、俺から言わせれば所詮ガキだ。それにアイツは勉強以外にあまり興味なさそうだし、面白味に欠ける。対象外もいいとこだ。

「水野に対しても、そんな感情は持てるはずないだろ? 教師なんてやめて、お前に相応しい相手をちゃんと見つけろ。今しかない時間を無駄にするな」

 水野でも無理って言葉は効き目があるのか。納得したか否かは分からないが、纏わり付いていたものは俺の腕からゆっくりと離れ、顔を上げたその瞳には涙が一杯に浮かんでいた。

「気持ちに答えられず、ごめんな。週明けからは期末も始る。ちゃんと勉強しろよ」

 浮かべていた涙が雫となり零れ落ちると、川島はコクンと頷き、走ってこの場から立ち去っていった。

 俺のことなんて何も知らないのに、あんな涙を流せるほど本気になれるもんなのかよ。そう思う自分と、あんな風に誰でもいいから想うことが出来たら、俺も少しは変われるのか? ふと頭を過る、らしくもない考え。
 あるはずないか。俺が誰かを好きになるなんて。あんな一時のあやふやな感情に流されるわけがない。

 再び誰もいなくなった屋上で、壁に寄りかかりながら2本目の煙草に火を点ける。肺まで吸い込んだ煙を吐き出すと、ポケットの中からスマホを取り出した。

 ────コイツでいいか。

 苗字を省いた女の名前を適当に呼び出し、手早く文字を打つ。

 “今夜付き合えよ”

 たった一言で、大人の付き合いをしてくれる女。

「俺にはこんな付き合いが丁度いい」

 風に消えいく紫煙を見ながら、一人ポツリと呟いた。


 いい加減仕事するか、と煙草をもみ消し、休憩は終わりだとばかりにドアに手を伸ばし掛けた丁度その時。ドアの向こうから聞こえる男女の声に俺の手が止まる。

「ずっと前から好きだったんだ。付き合ってくれないか?」

 チッ、と小さく舌打ちをする。

 今度は誰だよ。授業中だって言うのに、どいつもこいつもくだらないことでサボリやがって。これじゃ、俺が出るに出られないだろうが。

「ごめんなさい。私、貴島君のこと良く知らないから」

「これから徐々に知っていけばいいよ。それとも水野、付き合ってる奴いるの? いないなら考えてもらえないかな?」

 貴島に水野? これまた聞き覚えのある名前に盛大な溜息が漏れる。

 ふざけんなよ、2人ともうちのクラスじゃねぇか! 他の先生にばれたらどうすんだよ。頼むから担任と副担である俺達の手を煩わせるようなことはしないでくれ。

 うちの学校は進学校で真面目な生徒も多く、授業をサボる奴等も少ないだけに、教頭なんかに知られたら俺たちまでが嫌味を吐かれるのは確実だ。
 真面目な奴等が集まってるクラスだとばかり思っていたら、自習になるとこうも自由気ままになるとは。
 気持ちは分からなくもないが、しかし、俺に迷惑を掛けて貰っては困る。かと言って、今出て行くのも正直煩わしい。本来ならば、出て行き注意するのが正しき教師の姿ではあるとは思うが、さてどうするか⋯⋯。

 俺は五秒で即断。
 結果は、ドアノブに置いていた手をジャケットのポケットに移動し、三本目の煙草を取りだし留まることを選択した。

「ごめんなさい。私、彼氏とか作る気ないの」

 あの噂は本当なのかもしれない、と一人ひっそり思う。アレだけ美人なのに、水野は恋人を作らない事でも有名で、何人も玉砕しているらしいと言う話は、俺の耳にも届いていた。

 それなのに貴島、おまえチャレンジャーだな。
 あれだけの成績をキープしてる女だ。来年の大学受験に向けて一直線で、愛だの恋だの浮かれている暇などないんじゃねぇのか。
 教師の俺達からすれば、優等生そのもので理想の生徒だが、女としたらどうなんだよ。堅物な女は面白味がないぞ! と、貴島の勇気を称えて教えてやりたいくらいだ。

「どうしても無理?」
「ごめんなさい」
「いや、俺も無理だから。諦めるなんて出来ない」
「え⋯⋯? 痛っ! やめて!」

 何やってんだよ、おい。

「どうやっても受け入れてくれないなら、力ずくで手に入れるしかないだろ!」

「お願い、やめて!」

 貴島、残念ながらお前の勇気も台無しだ。こんな所で暴走されちゃ、流石の俺も無視できないだろ。

「こらっ! 何やってんだ!」
「っ⋯⋯!」

 突然の怒声に言葉を詰まらせ固まる貴島と俯く水野。全く、俺に余計な手間掛けさせやがって。

「貴島、女にこんな事してなんになんだ。好きな女の嫌がる事して楽しいか?」

「そ、それは⋯⋯、」

 怒鳴りつけるのを止め、淡々とした口調に変えた俺の声が奴を冷静にさせたのか、水野を壁に押し付け掴んでいたその肩からそっと手を離した。

「水野⋯⋯、ごめん」

 体の力が一気に抜けたように、貴島は頭を垂れ下げ弱々しく謝罪する。
 水野の顔を見れないのか、視線は床を彷徨い続けたままだ。だが、顔を上げた所で相手の水野もまた俯いていて、俺にもその表情は分からなかった。

「貴島、二度とこんな事すんなよ?」

「⋯⋯はい」

「水野? 貴島もこう言ってるし許してやるか?」

 貴島の様子を見ると、自分のしてしまった事に相当な動揺を見せている。元々、チャラチャラしている奴でもなければ、勉強も出来るだろう真面目なタイプだ。これ以上、追い詰めない方がいい。

 ましてや、教師の俺にこんな場面を見られたんだ。今後の事を考えると、焦りと不安と後悔とが入り混じって混乱に陥っているに違いない。何より、俺が騒ぎにしたくない。面倒な仕事が増えるのは、まっぴらごめんだ。

「もう、いいです。私なら大丈夫ですから」

 俯きながらも、漸く聞こえた水野の声。

「本当に、ごめん水野」

 ついさっきまで、女を襲おうとしていた奴とは思えないほど情けない声を出す貴島に、もう一度声を掛けた。

「今回の件は此処だけの話にしておいてやるから、馬鹿な真似はもうすんなよ? 分かったらお前は先に教室に戻れ」

 貴島は俺に向けて頭を下げると、上履きで床をキュッと鳴らしながら向きを変え、逃げるように階段を駆け下りていった。
 貴島がいなくなり、静まり返る屋上扉の前の踊り場で、未だ水野は顔を下に向けたままだ。

「大丈夫か? 何なら、少し保健室で休むか?」
「⋯⋯いえ、大丈夫です」

 大丈夫と言いながらも、右手で左腕を包むように押さえて俯く水野は、僅かに肩を震わせていた。その様子から、相当怖かったのだろうと窺える。

 コイツ男に免疫なさそうだもんな。だったら、ノコノコ男に付いて行かなきゃいいのに。

「水野、お前は人気があるからな。気を付けた方がいい。男は抑えが効かなくなる時があるんだよ。これからはお前も注意しろよ?」

「⋯⋯先生も? 先生も、抑えが効かなくなる時があるんですか?」

 コイツの事だから、“はい”と、大人しく頷くかと思えば、意外な切り替えし。しかも、俯いていた顔を少し傾けながら上げて、上目遣いで俺を見てくる。

 今、俺は気をつけろと言ったはずなんだが⋯⋯。

 年頃の男にそんな顔向けてみろ。十中八九、貴島みたいに暴走すんじゃねぇのか? 俺だからいいようなものの。

「俺は教師だぞ。ちゃんと理性は持ち合わせてる」
「でも、先生も男性だから⋯⋯」

 そうだな、その通りだ。でも、まともに言えるかよ。女をメチャクチャにしたくなる時があるなんて。正直に言うほどバカじゃない。
 欲望に勝てない男もいるって事は、それは経験でお前が徐々に学んで行け。高校教師の教える範囲に、それは含まれちゃいない。

「男でも大人の男は違うんだよ」

「そうなんですか?」

「そうなの。って言うか、お前とこんな所で課外授業してる訳にはいかないんだよ。大丈夫ならお前も教室に戻れ。自習だからって、もう抜け出すなよ?」

「はい、すみませんでした」

 水野はお辞儀をすると、いつものように綺麗な顔で微笑んで、再び口を開いた。

「あの、沢谷先生? 助けてくれてありがとう」

 真っ直ぐに向けられる澄んだ瞳。その大きな瞳に、思わず吸い込まれそうになる。

 あんま見んなよ。
 澱みのないそんな綺麗な目でジッと見つめられると、俺が汚らわしい人間に思えてくんだよ。まぁ、実際そうなんだけど⋯⋯。

「いいから早く戻りなさい」
「はい」

 取って付けた様な先生口調に、更に増した笑顔で答える優等生。さっきまで怯えていたのに、もうそんな笑顔かよ。

 汚いものに染まってない水野は、人を疑うってことを知らないに違いない。そんなんだと、また馬鹿な男に危険な目に合わされるぞ。

 立ち去る水野の華奢な背中を見つめながら、余計な忠告を胸の奥でひっそりと吐いた。

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