葉桜の由来

こんぱす

前書き

去る八月の半ばに亡くなった曾祖母は、幼いころから日記をつけていました。
曾祖母の生まれたのは昭和二年、一九二七年のことで、それから亡くなるまで欠かさず日記帳に一日の出来事を綴っていたそうです。
日記の始まりは昭和六年の一月。拙い文字で次のようにあります。

『おとうさまがにっきお(を)しゆうかん(しゅうかん)とせよとゆうのでまいにちかく むかしのさそく(きぞく?)もにき(にっき)お(を)かいたらしい きよう(きょう)はれだった』

かっこの中は、成人した後の曾祖母が注として追記したものだそうです。曾祖母は自らの生きた記憶を時折見返して誤りを修正し、またその時代に思いをはせていたそうです。自ら記したものに注釈をつけるなんて、なんて不思議な営為でしょう。
この日記には、わたしたちが教科書でしか知りえないようなことも記されています。
例えば、日記を始めてから一年後の五月には次のような記述がありました。

『五月十五日 はれ ていとでいぬかいしゅそう(しゅしょう:犬養毅首相)がぐんたいにさつがいされたそう。お父さまやおじさまはつぎはだれになるんだとはなしている いもうととりんごをたべた』

いうまでもなく五・一五事件の記述です。
さらにそれから数年後、尋常小学校に通う頃には、日々の執筆の賜物か、おそらく同年代の児童とは比べ物にならないほどの文筆能力を身に着けていきました。記述も長く詳細になっていきました。

『二月二十六日 くもり。 遠い帝都で大事件が起きたらしい。オカ田首相(岡田啓介。なぜここに記したか不解。実際には首相の義弟の松尾伝蔵という秘書が誤って殺害されたそうで、岡田首相は生存)、サイトウ首相(斎藤実前首相)、マキ野大じん(牧野伸顕前内大臣。なぜここに記したか不解。実際は生存)、スズ木じゅじゅう(じじゅう)長(鈴木貫太郎侍従長。重傷だったが一命をとりとめた。戦争終結時には総理大臣)、渡辺教育そうかん(渡辺錠太郎教育総監)、高橋大じん(高橋是清大蔵大臣)が殺されたらしい。前の日記に、同じようなことが書いてあった。首相が殺されるのはこれで二回目。東京は大丈夫なのか。先生は非常事能(態)とおっしゃった。くわしく聞くと、ここ数年、政府のえらい人がころされる事件が多いという。名前はわすれたけれど、首相が殺されることもしばしばとか。わたしが生まれる前にもおなじようなことがあったのかもしれない。
父は、サイオンジ公も殺害されたらしい(西園寺公望。元老とよばれる。実際には襲撃を逃れた)。陛下はどうなさるのかとこの事件にきょうみしんしん。
妹たちはよくわからないという。母も政治のことはわからないという。

和子が泣くので、しかたなくいもを分けてあげた。 夜になってにわかに雨がふった』

わたしが同じくらいの歳だった時には、きっとここまでのことを書くことはできなかったでしょう。曾祖母の賢さの一端を垣間見たような心地になりました。

さて、上の二つの記事を読むだけでも、曾祖母の日記は、自分から遠く離れたことか身の回りのことかの、遠近感の違いはあるとしても、現実に起こったことを対象としていることがわかると思います。ここでは省きますが、他にも戦時中の勤労動員や戦後の混乱の記録もあり、また妹との病別、おじの復員などの記録もあります。
日記の本質はそういうものだとは思うのですが、一つだけ、その本質を逸脱した、不思議な記述があるのです。
それまで、そしてそれ以降もない、思わず眉をひそめてしまうような記述が突如として現れるのです。
その記述があるのは戦時中、昭和二十年の春から初夏にかけての短い期間なのですが、ほんとうにそこにあることが真実なのか空想なのかはわかりません。
そこで、わたしはあえてその箇所を小説という形にすることで、その是非を考察したいと思っています。
なぜそんなことをするのかは、決して大した理由ではないのですが、全てを完成させた後に記したいと思います。

          

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