お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

最終話 暗闇に燈す

今日は早起きをした。
紗凪さなぎが久しぶりに学校に行くから。
傷はふさがったとは言っても、まだ激しい運動は出来ない。なのでゆっくり歩いても十分余裕を持って到着できる上、電車が込み合う前の時間帯を狙う。
その為の早起きだ。
玄関を開け、外に出ると、早くも熱を持った空気達が、呼んでもいないのに出迎えてくれる。
「大丈夫か?」
最終確認をする。ここならまだ引き返せる。
「大丈夫。痛くないよ」
俺と紗凪は玄関のドアを閉めながら、中に居る母さんに行ってきますと挨拶をする。
「行ってらっしゃい」
見送られ、駅まで向かう。
紗凪に歩調を合わせたが、それほど遅くはならなかった。
なんでもない通学路を歩く、なんでもない日常。
それが一人から二人に変わっただけ。
しかしそれは俺から見たらの話。
紗凪にとってはそうじゃない。
この通学路だって、彼女にとっては初めての道だ。
学校から帰る家も今までとは違う。
これから色んな困難が待ち受けている。
今回の事件に全く無関係の奴らが、まるで被害者にでもなったように彼女を犯罪者の娘として扱い、心無い言葉で傷付けて来るだろう。俺も紗凪も被害者なのに、無関係の第三者が被害者面。その被害者面の加害者は、自分が加害者になった事も気付かずに大声で彼女を攻め立てる。そんな事が容易に予測できるから、俺は負けてたまるかと言う強い意志を持てる。
どうせ、クソッタレのゴミクズみたいな声のデカいマジョリティが、この世の正義だ。そんなの馬鹿みたいだと思う。けれどもそれなら、馬鹿の考える事をネガティヴに先読みして立ち回るまでだ。
それでもこれから彼女の未来に降りかかる悲しみを全て打ち砕く事は出来ない。でも、少なくする事ならできる。
そして同時に過去から来る苦しみも和らげてあげたい。
俺はそれに全力を尽くす。
そう決めた。
立ち止まり彼女に声を掛ける。
「紗凪」
彼女は足を止め、振り返った。
「なに?」
にわかに、道路横の雑木林から蝉時雨せみしぐれが響いた。
「俺は魔王の討伐を諦めたよ。折角せっかく辛い思いをして強くなってくれたのに、ごめんな」
「いい。私も無理だって解った。今回の事で」
「俺が魔王を倒さない所為せいで、お前は幸せにはなれないな」
燈瓏ひいろう君の所為にするつもりは毛頭もうとうないけれど、仮にそうであっても別に気にしない。私はそもそも幸せにはなってはいけないもの。メロンさんが言っていた、嫌な思いや消してしまいたい過去は忘れ去られる、と言うのも、ただ逃げているだけの様に思えるし」
「確かに、忘れてしまえばいいって言うのは、なんか違うよな。それに紗凪は、一生背負って行く覚悟があるんだろ? お母さんの事を」
「うん」
「罪を忘れないってのは、誰でもできる事じゃあない。凄い事だと思う。でも、幸せになる権利が無いという事と、それはイコールじゃないんじゃないか? いや、仮に幸せになる権利が無いのだとしても、俺は紗凪に幸せになって欲しい。俺の願いまでお前が打ち砕く権利は無いだろ」
「……暴論」
「卑怯者の暴論で良いさ。そんな俺に嫌気が差してお前が不幸をこいねがって走り出しても、俺は走ってすぐに追いつくよ。なぜって、俺にはその為に足が生えているんだからな」
「それ……」
「俺が懊悩おうのうに苦しんでいる時に大切な人が言ってくれた言葉だ。名言だろ?」
紗凪は気恥ずかしそうな微笑みをたたえる。
「前に紗凪は俺の事を信じていると言ってくれたな。何が起きようと、俺の事を信じると」
「うん」
「あの時、俺はその信じると言う言葉を受け止める事が出来なかった。今度はお前に信じられる覚悟が出来たから、もう一度信じて欲しい。俺はお前が幸せから遠ざかって絶望の中を彷徨さまよっても、その中でさえも幸せを与え続ける存在になる。嫌になるくらい。もう十分、降参、私は幸せになりましたって弱音吐くくらい幸せにする」
幸せにする。その言葉に紗凪が息を呑んだのが解った。
「それでも足りなくて、いつかへたり込む時が来るだろう。うずくまって起き上がれない日が来るだろう。でもそんな絶望の極みでも、俺は隣に一緒に居るから。勝手に一人で歩いて行ったりしないから、好きなだけへたればいい。そうしている内に、俺は何もできない自分の無力さに打ちひしがれるだろうから、その時はお前が俺を慰めてくれ」
紗凪は笑顔のまま首肯した。
「俺はお前からプロポーズをされた時、正直恋愛感情なんて無かったよ。それが何故なのかをずっと考えていたんだけど、多分俺はお前の事を何も知らないからだと思う」
紗凪は少し困ったような顔をする。
「だからもっともっと、色々教えてくれ。俺に、朝薙あさなぎ紗凪の事を。良いことばかりじゃないだろう。苦労の方が多いかもな。話すのが辛かったら途中でやめるのも有りだ。好きな事を好きなように教えてくれればいい。過去の事じゃなくてもいい。今何を思ったかとか、そう言う事でもいい。にもかくにも俺はお前の声を聞きたいんだ」
「今何を思ったか、と言うのなら、率直そっちょくに。どうして燈瓏君はそこまでしてくれるの?」
俺はドラマの主人公が大好きなヒロインに告白するみたいに言葉を放つ。
「ほっとけない、から」
紗凪の気だるげに開かれたまぶたの奥から、静謐せいひつな黒がのぞく。
全てを見透かす黒。
それがスッと俺の視線を捉える。
陽射しを浴びて輝く瞳。
徐々にその透明度が高まっていく。
瞼の裏側に描かれた絶望を、今だけは忘れている。
俺は空を仰ぎ深呼吸をして、もう一度彼女を見る。
「だからこれからはもうずっと、ほっとかない」
吸い込まれそうになる程深く深く蒼い空と、もこもこと泡立つ白い入道雲を背景に、アスファルトの上に立つ少女は、きっと今幸せになりたいって思っている。
なぜなら彼女は、今までにないくらいに目を大きく開いて俺を見つめているから。
そう。
――朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている。

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