お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

第41話 藍香の夫

なんだか眠りが浅くて、その日は疲れていたのに朝早くに目が覚めてしまった。
「まだ5時か」
自室の扉を開けると台所の方から明かりと音が漏れて来ていた。
台所の扉を開けると母さんが料理をしていた。
「おはよう」
「あら、おはよう。今日は早起きさんね」
「うん。なんだか眠りが浅くてね」
「ちょっと待っていてね。すぐ朝ごはん作るから」
「ゆっくりでいいよ。学校行く時間はいつもと変わらないから」
「そう」
俺はダイニングテーブルの椅子に腰掛け、母の姿を見る。
「いつもこんなに早いの? 何時起き?」
「さっき起きたばかりよ」
グータラ息子の弁当と朝ごはんを作る為に、毎朝こんなにも早く起きているのだ。食器洗いや洗濯もしてから出勤するのだから、一緒に起きていたのでは間に合わないからな。
俺は立ち上がって食器を洗い始めた。
「あらあら、座ってて。大丈夫だから」
俺は無視して洗い物を続ける。
母さんの顔を見ないで、なるべく平常心で言う。
「母さん……いつもありがとう」
母さんはしばらく無言で居たが、暫くすると鼻をすすり出した。ティッシュで鼻をかんで、大きく息を吐いていた。
「どういたしまして」
こんな日常を、幸福だと思う事の何が悪いのか。
感謝の気持ちを述べて、清々しい気持ちになる。
この心の起伏を、神は否定すると言うのか。
俺は確かに片親で、世間一般的に見れば不幸な子なのかも知れない。父親の顔も思い出せないし、今更出会っても気付かないだろう。だが、不足を味わった事は無い。母さんが居ればそれで十分だったから。人によって幸福と不幸の感度は違うだろう。ただ片親だからって言うだけの理由で悲観に暮れる人も居れば、俺みたいに幸福を感じられる人も居る。こんな風に、人それぞれ幸福の感じ方が違ってもいいはずじゃあないか。同一に感じなくても。
そう言えば、俺は今まで紗凪さなぎの様に考えたことが無かった。
自分の所為で二人は別れたのだ。と。
そう考えなかったのは多分、母さんのおかげだ。
もしもこの家庭に何らかの不満を感じていれば、俺はその不満の原因を探るべく考えるだろう。そこで気付き、うたぐる。俺には父親が居ないから、不満が在るのではないか。そうすれば当然行き当るのは二人の離婚はどうして起こったのか、だ。離婚の理由を考えて、絶対に自分の所為ではないと言い切れる子供は居るだろうか。少なくとも、俺は自分が原因ではないかと考え始める。そして終には自分を責めるだろう。
「なあ、母さん」
「何?」
「母さんは、なんで離婚したの?」
突然の質問に母さんは戸惑っているようだった。
「別に、今更知ったからって何になるわけでもないんだけどさ。ただ、今まで気にもしてこなかった事が、急に気になっただけ。ほら、この間コンビニで母さんが投げ……円運動に巻き込んでいなしたおっさん居るだろう? そのむすめが、俺の友達の紗凪って言う奴になるわけなんだけど、親子関係が良好ではないんだよな。人それぞれ、いろんな家庭事情を抱えているなって考えていたら、うちの事も考えだしちゃっただけ」
「そうなの」
母さんは卵焼きを巻きながら語り出す。
「お父さんはね、とってもいい人だった。ただ少し精神的に脆くて、色々考え過ぎちゃう人だった。母さんが大丈夫だよって言っても、不安がる人だった。それでも私はお父さんの事が好きだったし、ずっと一緒に居ると思っていた。でもある日、燈瓏ちゃんが産まれて3年くらい経った時かな。お父さんは新興宗教にまっちゃって。最初は直ぐに間違いに気付いてくれると信じていたんだけれど、なかなかやめてくれなくて。お布施ふせにじゃんじゃんお金を使うようになってね。最後には燈瓏ちゃんの為の貯金にまで手を出したから、我慢できなくなって離婚したの」
「そうだったんだ」
「自分のお父さんが新興宗教に嵌まって家のお金にまで手を出したなんて、知りたくもないかなと思って言わなかったんだけれど、今まで黙っていてごめんね」
「いや、いいよ。話してくれてありがとう」
食器を洗い終える頃、母さんもお弁当を作り終わっていた。
自分のやれることは終わったので、邪魔にならないようにテーブルに戻った。
「もしも、俺が生まれてなかったら、母さんは離婚しなかった?」
「そうね」
間髪入れず断言されて、ドキッとしてしまう。
心のどこかで、二人の離婚は自分の所為ではないと思いたがっている自分が居たから。
「お母さんはお父さんの事が大好きだったから。きっと一緒の宗教に入って、ずっと悪い人に騙され続けながら、お父さんの幸せそうな顔を見て、隣に居る事に喜びを覚えていたと思う。そのお金が更なる悲劇を生むことを知っているのに、他の人の不幸なんて知らない振りして笑っていたと思う」
悪党の資金源を増やす事の罪を知りながらに笑えるほど、母さんは別れた父の事を愛していたのか。
「だから、燈瓏ひいろうちゃんが生まれて来てくれて良かった」
「え。なんで? そんなに好きな人と別れる破目になったのに?」
「だって、燈瓏ちゃんが居てくれたおかげで、燈瓏ちゃんを守らなきゃって思えて、お父さんと離婚する事が出来たんだから。そのおかげで私は他の人の不幸の傍で笑っていられるような人間に成り下がらないですんだんだから。燈瓏ちゃんが居なかったら、多分、自分で自分を許せない人間になっても、お父さんから離れられなかったと思う。だから、生まれて来てくれてありがとう」
母さんはそう言って、目の前にご飯とみそ汁を置いた。
今のありがとうに返すほどの言葉を俺は現在持ち合わせていない。
代わりに手を合わせて、いただきます、と挨拶をした。

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