お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

第35話 強靭な脆さ

「失礼します」
「どうぞ」
俺は理三郎りざぶろうさんに呼ばれて、書斎に来ていた。
一人で来るように。との事だった。
理三郎さんは畳の上に置かれた座椅子に目配せを送り笑んだ。
そこに座ると、都合、テーブルを挟んで向かい合わせと言う形である。
「実は、お願いがありまして」
「お願い? 自分にできる事ならなんでもしますよ」
「そうですか。そう言って頂けると心強い。いえね、断られても無理矢理頼むつもりではいたのですよ、実際の所」
この心優しいお爺さんが無理矢理と言うのだから、相当必要性のあるお願いなのだろう。
「それで、お願いとは?」
「他でもない朝薙あさなぎさんの事です。彼女は物凄く熱心に良煙寺りょうえんじ家に受け継がれる古武術を覚えてくれた。頼もしい弟子です。習熟も早く、彼女はたった1週間で覚えた。異例の天才と言える」
自分の事ではないが、なぜだか褒められると誇らしい気持ちになる。
「そんな彼女を、是非とも守って頂きたい」
「え。守る? 自分が、ですか? あいつ、強くなったんですよね?」
「ええ。強いですよ。ですが、同時にとても脆い」
理三郎さんは座椅子の肘置きに肘を置いて深く腰掛け直した。
「刃先は細ければ細い程良く切れますが、その分向こうからの打撃には弱くなるものです。刀は何度も何度も鍛えてその脆さを補完していきます。同じく武術も鍛錬によって己の脆さを補完するのです。彼女は呑み込みが早い上、やる気もあったので、刃先はあっさり鋭くなりました。されとてその土台となる刀身は未熟。本来その未熟さを補う為、日々鍛錬していくものですが、彼女には学生としての領分がある。いつまでもここに居続ける事もできない。ですから後は彼女の自主性に任せる他ありません。まあ、未熟と言っても、肉体的な未熟さはまだ良いです。なぜなら未熟な肉体からは未熟な技しか繰り出せないので、己が怪我することはまずない。しかし心はどうか」
紗凪さなぎは強い心を持っていますよ」
「でしょうね。でなければ到底耐えられない稽古をしましたから。しかし人の心の強さとは刹那的なものなのですよ。筋肉より万倍強くなりやすいが、万倍弱くもなりやすい。彼女が稽古に励んでいる時は、確かに強かった。ですが稽古以外の時の彼女を私は知りません。相当仲が良いと見受けられる貴方ですら、強いと思ってしまうという事は、相当弱いのでしょう」
強いという事は弱い? なんだか矛盾している気が。
「どういう事ですか?」
「朝薙さんは、大親友である比々色ひひいろさんの前ですら、弱さを見せられないときている」
心臓の奥深くが、ガコ、と音を立てて後ろにズレ落ちた。
その衝撃で、前のめりになっていた姿勢が後ろに持っていかれる。
座椅子の背もたれに背中が当たる。
「武術を覚えたいという事は、何か目的があるはずです。一番の目的は強くなりたいという事ですが、それが何の為なのか。そこが重要です。きっと彼女は貴方の為に武術を覚えに来たのでしょうね」
「お恥ずかしい話ですが、その通りです」
「貴方が恥ずかしがる必要はありませんよ。彼女はただ貴方を助けたいと思った。純粋にその一点を称賛すべきです。しかし、ですからきっとあの子は、貴方の為なら躊躇ちゅうちょなく人を殺せるでしょう」
ドキッとして思わず目を剥いてしまう。
「そんな……」
「そもそも武術と言うのは、武を以って相手を無力化する為にはどうすれば効率的かを考える術なのです。皆さんが想像するスポーツの様なそれは、武道と言われるものです。武道は、それを通じて礼儀や作法を学び、常の生活に活かすものですから、根本が違う。彼女は空手部の主将はもう倒したから、道ではなく術を学びたいと志願して来たのです。つまりわかっていながらに私の元に来たのです。私が教えたのは全て、いかにして敵を無力化するかという事。対複数、対武器などあらゆる状況を想定して。端的に言えば、どんな状況下からでも必ず相手を殺す術を教えたのです」
彼女が望んだこととは言え……いや、そもそも俺が言い出した事だ。討伐すると。決まり切ってない内から話してしまったものだから、彼女はここまで来た。これを彼女の勝手な暴走と一言にまとめ上げる程に俺は無責任ではない。こうなったのも全て俺の所為だ。
「何か落ち込んでいらっしゃるようですが?」
「殺しの術って言われたら、なんか」
「ご自分の所為で朝薙さんが人殺しになってしまうのでは、と心配しておられるのでしょう」
「ええ」
「だからこそ、守って頂きたいのです。彼女が道を誤る事無きよう。貴方にはそれができます。いえ、やらなければいけない。恐らく、貴方にしかできない事なのだから」
「そう、ですね」
「この事をあまり後ろ向きに捉えないでください。ピストルは確かに人殺しの道具だが、使い方を誤らなければ、人を助ける事も出来る。武術もまた同じ。選択肢が増えたのだと思って頂きたい。武術を覚える前の紗凪さんは、もしか誰かに襲われた時、ただ殺されるしかなかった。その未来を本人が変えた。更に貴方の未来までも丸ごと変えた。これは揺ぎ無い事実です。その事実があるからこそ、私も武術を覚えている。いざと言う時、本当に大切な人を、思いを、正義を守る為に、自分が戦うと言う選択肢を選べるように」
理三郎さんは人差し指を立てた。
「最後にもう一つ、誤解を解かなければいけない。私は貴方に彼女を守る様に言いましたが、決して責任や罪を貴方が被りなさいと言っているわけじゃあない。もしも貴方の制止を聞かず、彼女が罪を犯すようなことがあれば、それは私の責任なのですから」
「いえ、それは流石に」
「武術を教えるという事は、扱いを知らぬ子供にピストルを渡すようなもの。ですから弟子がもしも罪を犯し、結果死罪となるなら私も死にます」
「そんな! そこまでしなくても!」
「いいえ。そこまでするのです。それほどの覚悟を持って教えましたから。覚悟無き武は、ただの暴力です。私は弟子を通して知らぬ人に暴力を振るうくらいなら、死にたいのです」
本当の覚悟とは、この達人の領域に来て、初めて口にして良い言葉なのだろう。
彼の覚悟を変える事は出来ない。
「しかしそれならどうして、紗凪に武術を教えたんですか? 危うい、と途中から気付いていたのでは?」
理三郎さんは笑みを浮かべる。
「目を見た時、彼女の優しさは感ぜられました。同時に、彼女が全力で守ろうとしている誰かは、恐らく彼女の事を悪用するような人間ではないとも」
「え、それってただの勘じゃあないですか」
「でも、その通りだった。直感はただの博奕じゃあないと言うのは、先程も話しましたよ?」
「う。……でもそれだと逆に変ですよ。紗凪の優しさを信じて教えたのなら、暴力なんて振るわないと思っているって事ですよね。だったら自分の助けなんて必要ないのでは?」
「先も言った通り、人間の心の強度と言うのは刹那に変わりゆくものなのです。私にだってそれは当て嵌まる。武術を覚えてもよさそうな人間は私や朝薙さんを含めて世の中に巨万ごまんと居るでしょうが、絶対に覚えても良いと言う人間は一人も居ない。武器と同じです。軍人が武器を持ってもいいのは多分正義の為に使うからです。絶対とは言い切れない。それでも我々人間が武力を手放せないのは、ひとえに他人が信用ならないから。悲しいですが、綺麗事がまかり通る世の中なら、我々はとっくに戦争などやってないはずです。もっと身近なところで言うなら、錠前を掛けずに家を出られるはずです。ですが皆さんはそうしない」
「家の錠前は流石に、誰でも掛けると言うか癖みたいなものですし」
「いいえ。うちは掛けていませんでしたよ。最近までは」
「最近までは?」
「錠前を掛けないで家を空けるなど、田舎ではよくある事なんですがね。全員の事を信じていますから。ですが最近はこんな田舎にもわざわざ都会から空き巣に来る方が増えましてね。そう言うのには気を配る様になったのです」
「なるほど」
「錠前を掛けるのも、武器を持つのも、武術を覚えるのも同じ事です。他人の悪意から、自分の大切なもの或いは家族、恋人、友人、知人を守る為、不完全ながらも手にせざるを得ない。誰が手にしても不完全なのだから、恐らく大丈夫であろう人が持つ他ない。彼女にはその資質があったがしかし、私にはまだ見抜けていない部分も大いにあるでしょうから、貴方の助けが必要だと言うのです。どうか、納得頂きたい」
テーブルに両の手を突き、深々と頭を下げられる。
俺も同じく手を突いて頭を下げた。
俺は、二人の命を守る為に、紗凪に正しい守られ方をしよう。
古書の匂い漂う一室で、密かに誓いを立てたのであった。

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