お母さんは魔王さまっ~朝薙紗凪が恋人になりたそうにこちらを見ている~

詩一

第18話 良かった

「いらっしゃいませ。あれ?」
受付のカウンターに肩まで浸かって、紗凪は俺に声を掛けた。勿論疑問の声も。
「いらっしゃいました」
「どうも」
後ろに霧裂さんが続く。
「どうしたの? 二人とも」
「唄いに来た。意気投合したので」
「ふーん」
紗凪が気だるげな瞼を一層下ろし、粘る様な目で俺を見つめる。
俺は周りに客がいないのを確認して紗凪に耳打ちする。
「お前が居ない店を選ばなかったと言う事が俺なりの配慮だ」
「へー」
紗凪は相も変わらず俺から目を切らないが、口角が少しだけ吊り上がったのを見て、安堵した。
更に紗凪の配慮が加わり、受付から一番近い部屋になった。更に普段はケチってワンドリンクだけにしているのだが、紗凪がランダムに選んだジュースを勝手に持ってくると言う、フリードリンクフルサービスと言う未知のシステムが導入された。
これでカラオケ業界の未来も明るい。
いや、こんなことやって大丈夫なのか?
「問題ない。暇だし。フリードリンクなら会計も変わらないし。後、忙しくなってきたら一切持っていかなくなるから」
なんて適当なシステムだ。
そうは言っても、なんだか顔見知りの店で優遇されている気分が味わえるので悪い気はしない。
部屋に入り電気を付ける。と、同時に紗凪が入ってきて二人分のコーラを置いた。そして去り際、照明の照度を最大にして、更には歌が始まると暗くなってブラックライトが点くシステムも切って行った。徹底している。良い雰囲気を作らせない為の努力が凄い。
カラオケリモコンを霧裂さんに渡すと、そのままスススっと返された。彼女は笑っている。
「緊張するなあ。なに唄おう」
「さっき唄っていたの、聴きたいな。凄く似てたし」
なんて嬉しい事を言ってくれるんだ。
俺は今、リア充爆発しろって言われたら爆発する側の人間になれるという事だ。こんな幸福な死が有ろうか。
と、青春を噛みしめていると、紗凪がノーノックでスタスタと入ってきた。
「忘れていた」
その一言のみをストローと共に置いて部屋を出て行く。
なるほど。これだけ頻繁に来る事を前提とするなら、毎回ジュースを持って来るのは店の売り上げが悪くなるから、ストロー等の備品で刻んでいくと言う寸法か。上手いやり口だが、客は絶対に減るな。
とにもかくにも俺が唄わなければ始まらない様だったので、曲を入れた。霧裂さんからも御指名を頂いたamazarashiのフィロソフィーと言う曲だ。
――ピッ。
流れる様なギターと同時にその音を縦に往復するように置かれるピンポン玉のようなシンセの音。遅れてドラムが合流し、音に厚みが出た瞬間鼓膜を置き去りにするかのようなギターソロ。それをバトンタッチされたかのようにベースが一言語り出す。目まぐるしい音源の前後、でありながら微かな違和感すら抱かせない包容力。
開け放たれたステージと言うよりは、空気が籠ったライブハウスの様な質感。否、もっと狭い、まるで自分の部屋の中に俄かに音それ自体が現れたような……そう、真っ暗闇に閉ざされた心の中に渦巻く煙の中で彼らの演奏は始まるのだ。
しゃがれて、それでいて伸びやかな、聴く者に訴えかける様な声色のヴォーカルの声を真似る。ただ真似るのではなく、彼の心の叫び声を代弁する為に持ち出す。自身に内在する彼の幻想を持ち出す。
俺は詩を自分に重ねる。自分の為に作られた曲などないから。俺は彼の曲を我が物にする為に入り込む。そうすればこの曲は俺の為に作られたものになるから。
やはり聴くだけではダメだ。唄わなければ。伝えなければ。この楽曲の素晴らしさを。
絶望の淵から、暗雲立ち込める世界から、希望と言う名の太陽の光を浴びる為に、目の前にある困難をぶち抜く為に叫ぶ。
爆ぜる風雨。
声をかき消す風。
意思の炎を消す雨。
雨も風も、走り出したら余計に強く降りしきるんだ。止まっている人の何倍も痛みと苦しみになって襲い来るんだ。
苦しいのは、痛いのは、辛いのは、疲れるのは、馬鹿みたいに息切れが止まないのは、走っているからだ。希望に置いて行かれない為に。足掻いてもがいているからだ。それは君に取って正しい事のはずだ。
届け。雨を超えて。風を超えて。
いや、風雨となって、ぶち破れ。
乾いた音が響き、黒塗りのガラスが破れる。
そのガラスの向こう側に、霧裂さん、貴女が居る。
これが答えだ。痛みに耐えて前を向いて走って辿り着いた真実だ。
貴女は笑っている。
唄い終わると、彼女から感嘆の吐息が溢れ、控えめなそれでいて熱を帯びた拍手が送られた。
「ありがとう」
俺がお礼を言ってマイクを置くと彼女は首を横に振った。
「こちらこそ」
そして座った俺の真横にぴったりと張り付く様に彼女は座りなおして、語り出す。
「一番のサビも良いけど、二番のサビ? サビ前? も凄く刺さったよ。謙虚も慎ましさも無暗に過剰なら卑屈だ。いつか屈辱を晴らすなら今日侮辱された弱さで。って、私に唄われているようで、心の内側から震えた」
興奮鳴り止まぬ内に曲について熱く語る。
そしてまたもノーノックで入ってきた紗凪が咳払いをすると、霧裂さんはおしり一つ分俺から離れた。
「どうぞ」
またもコーラを置いて去って行く。
それからも一曲終わるたびに霧裂さんが曲の感想を言って、紗凪が入ってくると言うパターンが続いた。もはやルーティーン。しかしながらきっちり一曲が終わるタイミングで入ってくるあたり彼女の心配りを感じる。
お互い歌を唄って、1時間が過ぎた頃、そのルーティーンが崩れた。紗凪が入って来なくなったのだ。偶然かな。そう思ったが、その後3曲程唄いあっても、入って来なかった。
忙しくなってきたんだろうなあ。そんな忙しい時に、俺が居たら気が散るよな。
「霧裂さん、そろそろ、出ない?」
霧裂さんはマイクを置いてふふっと悪戯っぽく笑う。
「どうして? 朝薙さんが来なくなったから?」
「あー、まあ、あいつ忙しくなったら来なくなるって言ってたからさ。忙しいならずっと居座るのも悪いかなって」
「そんな! もっと比々色君の歌声を聴きたいのに! それに私達はお客さんなんだよ?」
嬉しい事と同時にごもっともな事を言われてしまい、俺は返答に困った。
「なーんてね。嘘。大丈夫。私も気になっていたから」
「そっか。良かった」
「比々色君ってさ……朝薙さんと付き合っているの?」
「うぇ!?」
不意の質問に変な声を上げてしまう。コーラ飲んでなくて良かった。
「付き合ってはいないよ」
「そうなんだ。でも比々色君、朝薙さんと話す時、なんだか他の人と話す時と雰囲気変わるからさ。気になったんだよね」
「そんなに違うかな?」
「うん。例えば呼び名だってそう。私は霧裂さんって苗字でさん付けなのに、朝薙さんは紗凪って名前で呼び捨てだよ?」
「まあ、そうだね」
「後、言葉遣いも荒々しいよね。今も私にはそうだねって言ったけど、きっと朝薙さんにはそうだなって言うんじゃない?」
「言われてみれば。気にしてなかったけど、紗凪にはあまり気を遣わないのかも」
「私にも気を遣わないで? 友達同士なんだし、同じように扱って欲しい」
「あー、うん。気を付けるよ」
「試しに名前で呼び捨てにしてみて」
考えてみたら、紗凪以外の女子を名前で読んだことが無い。
「陽織……さん」
「さんもいらないってば」
「いや無理だよ。急には」
俺が照れ隠しに笑ってごまかすと、霧裂さん、いや陽織さんは想像以上に落ち込むような素振りを見せた。
「そうだよね。ごめん。何か私、焦っちゃって」
「焦るって、何を?」
「友達同士の距離感が違うと、なんか、ね」
なるほど。俺も紗凪も基本的に友達が少ない、と言うか居ないからそういう心配は無かったけど、複数人の友達と付き合うって言うのはそう言う事なんだな。そう言えば中学生の頃はなんとなく漠然とそう言う感覚が無くもなかったか。
「それに、付き合ってないかも知れないけど、朝薙さんは比々色君の事、好きなんじゃない?」
好き嫌いの前にあいつの中では結婚を前提にお付き合いをしている事になっていそうだ。俺は勿論良しとしてないけれど。
「それは……どうかな」
嘘を言う必要もないのだけれど、話が大きくなるのを恐れて俺は適当な返事をした。
「比々色君はどうなの? 朝薙さんの事」
さて、どうなんだろうか。
あいつから女性としての魅力を感じた事は無い。などと言っては失礼だが、あまりに女子らしくないのだから仕方ない。いつも無表情で無気力的にぼうっとしていて、何かに興味を示すという事が無い。例えば猫を見かけた時、「わあ、可愛い!」の一言が無いのだ。ただ何故か懐かれて、最終的には遊んであげているのだけれども。
そう言えば、バラエティ番組やアニメの話をした事もない。最近したサブカルトークらしいサブカルトークと言えばシオランか。いや思想をサブカル扱いしちゃダメだけど。
考えてみると、俺はあいつの事を何も知らないんだな。それなのに、あいつは俺の事を何もかも知っているようだった。だって、何も知らない相手と結婚をしようなんて思わないだろう。
すると、俺はどうして紗凪と一緒に居るのだろうか。
今まで隣に居る事が当たり前になっていて、その辺の事は考えたことが無かった。
そもそも中学時代の友人とだって何らかの利害があったから仲良くしていたわけじゃあない。ただなんとなく一緒に居て楽しいからだ。ならば理由は同じか。
いや待て。俺は、紗凪と居て楽しいか?
陽織さんの方がよほど俺の感情を揺らしてくれる。好きな歌を唄って、この数時間とても楽しかった。紗凪はいつもバイトだから、そもそもちゃんと遊んだことすらないのではないか。
楽しいか?
いや、問うのはよそう。バカバカしい。
紗凪に失礼だ。
楽しいとか楽しくないとか、ウキウキワクワクの定規では測定不能な感情が彼女に対してあるはずだ。
きっと俺が紗凪に抱いている思いは一般的な男子が女子に送る愛のようなものではない。
「ただ、消えそうで怖かったから。それだけなんだと思う」
「え? どういう意味?」
「あ、あれ?」
いつの間にか心の声が。
「いや、その……紗凪はなんだか生きるのに真面目過ぎて、周りから浮くんじゃなくて消えるんだよ。浮く奴ってさ、俺みたいに休み時間に話す友達がいないとそわそわしてたりするんだけど、あいつの場合、もう全く気にしてなくて、このまま誰にも認識されなくなっても一向に構わないって感じがして、俺はそれが嫌って言うか、ほっとけなかった。そしたら今度は紗凪から話し掛けてくれるようになって、それが嬉しくてさ。なんかまるで、そのままにしておいたら埋もれてしまう世紀の名作を、俺が見つけ出したみたいで。その名作に今度は俺自身が認められたみたいで。だから好きだの嫌いだのって言う感覚じゃあないんだよな」
陽織さんはクスクスと笑う。おさげ髪を縦に揺らして。
「おかしいかな」
「ううん。新しい」
「新しい?」
「そう言う風に人間が見えるのって、私にはない事だから。感覚が新しい。なぜだかわからないけれど、私はそう言う新しいものに出会うと、笑っちゃうみたい。お昼の時みたいに。きっとキャパが足りないんだよ」
「……はあ」
俺と彼女のどっちの器がデカいかって言ったらそりゃ陽織さんだろうと思う。いろいろ苦労しているみたいだし、俺なぞ比べるべくもない。ただ彼女は、そのデカい器に色々積載し過ぎて、あまりの隙間の無さにそれを小さいと勘違いしているだけなのだ。でも多分今それを言ったところで、彼女は納得も理解もしないだろう。ただの慰めは要らない。今彼女が欲しいものは恐らく同意だから。
「とにかく比々色君は朝薙さんに対して恋愛感情が無いって事だよね」
「まあ」
「良かった。じゃあ、帰りましょう?」
良かった?
「う、うん。帰ろう」

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