勇者が世界を滅ぼす日
捕らわれの女神
「女神が降臨した娘って……可愛すぎでしょ……いくら何でも爺にはもったいない!」
「あの……この娘……衰弱が激しいです……ナナ!」
会話から察するに、彼女たちはボクを助けに来てくれたわけではないようだ。
ジオルドから拉致された女神がヴェスタルへ来たことで、無防備になっているという情報を聞きつけてやって来た。
女神が降臨してからすでに一週間ちょっと。
多くの勢力がボクを狙いっていることもわかった。幸い女神が降臨した依り代が魔王であることは知られていない様子。
ボクがアシュインであることを、アミかナナにこっそり伝えることができたら助かる道はまだあるかもしれない。
ただ、今は何か食べないと本当に死んでしまう。
ナナに抱きかかえられて、身体の状態を診られている。衰弱が激しく物を飲み込む力もなさそうだと判断し、薬液を布にしみこませて口へ含ませた。
「吸って!」
滋養剤、それに魔力回復薬だ。魔力はかなり回復してきているが、いまは体力がほとんどない。やっとの事で吸い、飲むことができた。
ちゅうちゅう……。
「わ、飲んでる……かわいい!」
「つ、つぎあたしがやりたい!」
一応女神なのに扱いが赤ん坊みたいだ。でも彼女たちのおかげでひとまず生命の危機は脱した。
現れたのは紅蓮の魔女、ベルフェゴール、アミ、ナナの四人。
指示を出していることから紅蓮の魔女がこのユニットのリーダーだとわかる。
アミとナナが都合のいい理由をつけて、使われているように見えた。女神がボクであることに気がついていない彼女たちは、命令を優先させるだろう。
何とかボクである事を知らせる方法はないか……。
「さて、さっさとずらかるよ!」
「は、はい……空間転移!!」
彼女が使う魔法陣も新しく改良されたのだろう。転移速度が速い。
それに壁に穴をあけたアミの反魔核は、海洋戦のときよりさらに精度があがり、切断面が滑らかにくり貫かれている。
彼女の成長は特に目覚ましく、会う度に驚かされる。逆にナナはそれに対して劣等感を抱いている気がする。
――グランディオル王国、アルフィールド領主城。
連れてこられたのはアルフィールド領主城。
装飾様式の特徴を覚えていたからすぐにわかる。ここは北の寒い地域が理由で特徴的な建物が多い。今の時期は稀に雪が降るので結構寒い。
薄着のふわふわドレスだけでは凍えそうだ。
その上これからあのアロバトロスと相まみえることになるだろう。あの男と再び会うかと思うと、はぁというため息が出た。
抱きかかえられながらの移動中に体力と魔力に少し余裕が出て来たので、打開策を模索する。
回復している魔力を確かめると、枷を全部無理やり外して空間転移を使うほどの余裕はない。
今の量ならば片手を外して空間転移を使うのがギリギリ間に合うかどうか。一か八かの賭けになるが、失敗したら絶望的になる。
どの機会が最善かを見極めなければならない。
「……あーあ。もったいないなぁ……この娘、ちょろまかせない?」
「でも……この娘がいれば、ひどい奴隷制度が無くなるんですよね?」
「あ? ……ああ、そうだなぁ」
……なにそれ? アミ騙されていない?
やはりジオルドの奴隷制度が悪辣なものであると伝わっていた。世界中が一斉に改正する予定で、ジオルドだけが反対している。
それもこれも魔王アシュリーゼが君臨して軍事的均衡崩している所為だと。
その悪辣なジオルド帝国にボクが騙されて利用されていると思っているらしく、気に喰わないようだ。
……アミの真っ直ぐな性質を、うまく利用されてしまっている。
「師匠~。 あたしまだ魔女になれないの? 結構、頑張っているのに」
「教会で鍛えてもらうとおもったら、分裂騒ぎだからな。その元凶がこの娘さ」
「つまりこの娘をあの爺に渡せば、晴れて分裂が無くなってあたしが修行できるってこと?」
「そういうこった。 それよりあんた。また魔力増幅の練習さぼったろ!」
「あ~~~~~!!」
ナナは奴隷制度に思う事はないようだ。魔女の称号のみが彼女の目的。そう言うところは彼女らしい。
アミもナナも紅蓮の魔女とは師弟関係にある。奴は気に喰わないが、二人が楽しそうにじゃれ合っている様子を見ていると初対面の時の印象が崩れた。
「でも渡す前に、この娘に何か食べさせないと、死んじゃうよ」
やっとご飯にありつた。
食事は胃に優しい柔らかいスープ状のものばかりだった。ナナは明け透けな性格とは裏腹に、きめ細かい気遣いができる。
それがまた魅力的だと改めて思った。
彼女が抱きかかえて、食べさせてくれる。栄養が流し込まれて、身体の真が温かくなっていくのがわかった。
「うぅ……う……」
もう五日ぶりの食事だ。彼女の温かさを感じて嬉しくて、でも情けなくて泣いてしまった。
いくら不老長寿薬を飲んで、格が高くなろうと食事をとらなければ死んでしまう。
自分のことなどと蔑ろにしていたものが、今一番必要なものだと改めて思い知らされた。
ボクの容体が落ち着くと、使用人たちがばたばたと入って来てお風呂へと連れていかれた。
もう五日も身体を清めてない。女神のように扱われていても生身。洗わないと臭うし汚れる。
真っ先に風呂を選択されるというのは、やはり匂いが気になったのかもしれないとおもうと恥ずかしくなった。
「奇麗な御髪……この仕事になって初めて嬉しいと思いました」
洗ってくれた使用人がそんなことをこぼす。手慣れた手つきはとても気持ちいいはずなのに、髪から漏れ出ている霊魂の所為で、触られるとゾワゾワとして気持ち悪くて不快だ。
嬉しそうにしている使用人の女性に申し訳なくて、じっと寒気を我慢するしかなかった。
「わぁ、素敵! ……まさに女神様!」
「カカカッ! 依り代が人間とは思えない美しさだ!」
「おいおい……こりゃすげぇな……」
「なんだっていいじゃないですか! かわいいんだから!」
着せてくれた衣装は真っ白なドレス。輝く髪と良く似合っていた。着飾ってくれるのは構わないけれど、これがアルバトロスに値踏みされるためだと思うと乗り気にはとてもなれない。
アミとナナは変わらず、ボクだと言うことに気がついていない。話をすることができるようになれば気がついてくれるかもしれない。
しかし時間切れだ。
「おぉおおお……!! なんとも美しい……まさに女神だ……!!」
「「おぉおおお!!」」
待ち構えていたのは、アルバトロス本人とその息子たち、それから数名の腹心だ。脂ぎった親父たちにじろじろ見られるのは、ほんとうに嫌な気分になる。
できれば髪にだけは触れないでほしい。
「でかしたぞ……‼ 報酬は弾む!」
テーブルの上に置かれた報酬は、白金貨で五十枚。
その金額に驚いた。
主要人物の拉致ではどれほどの者でも白金貨数枚が相場だろうに、これは小国の国家予算並みの金額だ。
紅蓮の魔女がお金を空間書庫にしまう。それと同時に周囲の男たちはボクに群がる。
「……んっ……んっ」
嫌だと首を振り必死で訴えるが、こちらを見てくれる者はいなかった。そして無情にも魔力的に強い枷が、喉、両手足に取り付けられる。
新しい枷は装飾品の様になっており、一目で奴隷だとはわかり難い。物理的には拘束されていないから外聞も悪くないのだ。
これが最新技術による隷属の枷……。
……くそ!! これをアシュティで外すのは無理だ……。
報酬を受け取った彼女たちは出て行ってしまった。
引き渡すことを躊躇っていたにもかかわらず、あっさりと引き下がって行ったことに違和感を覚える。
出鱈目な奴隷制度と天秤にかけて利を取ったと言うところだろうか。ボクであることに気がついていないのだから責めるつもりはないが、悲しかった。
「父上!! こんな危険を冒してまで、こんな幼子を攫うにたる利はあるのですか?」
「そうだ!! この娘が特別なのは見ればわかるが、一体何なのです⁉」
「ふん……少し前からスカラディア教の分裂話があったであろう?」
やはり分裂話と降臨の情報は得ていた。
教会内部に子飼いがいたのだろう。
当初、多くの勢力はミザリの教会分裂に興味がなかった。ミザリ自身は新米の教皇でしかないのだから。
しかし女神降臨は世界中の国家中枢へ影響を及ぼす説得力を持つことになる。
しかもただでさえ魔王アシュリーゼという強権を持っているジオルドで新教を作るとなれば、その力たるや全世界を支配できるだろうと。
そして一番手で隙をつけたのがヴェスタル共和国。彼らは職業奴隷の違法な使い方に長けていたのが勝因だろう。
しかし自国は隙だらけ。あっさりと女神をアミたちに奪われた。
唯一その経緯を確認する中で、アシュティが魔王である事を知らないようだ。
「教会をこちらに引き寄せるために?」
「いいや? それだからまだ甘いと言うのだ。ヴィンセント」
「……っ」
「つまり御父上は、その娘をつかって魔王アシュリーゼを引き寄せようというのですね?」
「さすがはアーノルド! ヴィンセントと違い優秀だ」
いや……優秀じゃないし。
ボクをつかって、ボクを引き寄せる? ……馬鹿だろう。
ただそんな愚かな親子に抵抗できずになすすべなく捕まっているボクも同じ穴の狢だけれど。なんとか機会をさぐるが、状況は悪化するばかりだ。
望みのアミやナナに頼る希望は潰えた今、するべきことはなんだ?
とにかく周囲を観察する。現状を打開するためのものは無いだろうか。いまは親子が下らない話をしているが、もう情報を吟味しつつ使えるものを探す。
悪戯される可能性も否定できないから、出来るだけ神々しさを保つ。触ることさえ恐れ多いということをわからせる必要があるだろう。
「しかしここに来て、ほとんど動かないな。 女神様?」
「おい! 父上が問うている。 答えろ」
首を振り、話すことができないと身振りをする。準備をした使用人達も話せないことを見ていたようで補足してくれた。
出来るだけ彼らの琴線に触れないよう、最低限の所作にとどめる。一挙手一投足を大事に行動し、少しでも生存率を高めることが今やるべきことだろう。
それからは隷属の生活が始まった。
領主城では丁寧なもてなしを受けた。食事も衣服も部屋も与えられ、使用人が世話をしてくれる。ここの使用人達はとても働き者で、仕事の練度も高い。
ここでシルフィが出産できたのは、ある意味幸運だったのかもしれない。
ただ着せられる衣装が、より一層ふわふわしている高級なのが気になる。まるで使用人達の着せ替え人形になった気分だ。
ここに来てつけられた隷属の首輪、枷は特に物理的な拘束はない。ただ主人から一定距離以上、離れることができないという呪縛がある。
もよおしたと偽って厠で、魔法を試してみるが発動しなかった。それどころか枷が勝手に四方に離れたので、動けなくなって漏らした。
試行錯誤しているのがバレバレなのだ。
それでも絶対に解けない確信があるのか、使用人達は微笑ましいとばかりにこちらを見ている。
日中、ボクは奴の執務室でずっと待機だ。
幸いアルバトロスは女性としてのアシュティには興味を示さなかった。単純に女神として利用したようだ。
そして観察するにつれ、奴の好みがわかって来た。
……強い女だ。
なかなかいい趣味をしていらっしゃる。
やつはアイリスの固執し、魔王アシュリーゼの登場で鞍替えしたことも赤裸々に独白していた。自分の執務室では警戒が解けるようで、一人の時も野望を口ずさんでいる。
「……忙しいのですね」
「ふふふ……退屈かね?」
今はもう話すことができるようになった。なるべく丁寧な言葉を選ぶ。そして退屈させないことも。
今はただただ機会を窺う事が、ボクのすべきことだ。
アルバトロスがジオルドに打診すると、速度重視で小鳥を使用して返答してきた。秘蔵の通信手段をつかうということは、なりふり構っていないのかもしれない。
ジオルド側は交渉するという。
何か思惑があるのか、アルバトロスは場所日時を一週間後のグランディオル王国のカスターヌ公演場に指定していた。
でもアシュリーゼも女神もここに居ると言うのに、どうやって交渉するのだろうか。
できればみんなには無茶はしてほしくない……。
ただ、これは好機だ。
交渉が成立せずとも、この枷を外すことができればどうとでもなるだろう。
……一週間後のその時に賭ける。
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