勇者が世界を滅ぼす日

みくりや

満月





 ごとん、ごとんと揺れている。




 ……はぁ……少し肌寒い。




 波に揺られて荷物が揺れている音だろう。つまり今は船で輸送されている最中だ。出航してしまえば、この広いカルド海の中でこの船を発見するのは難しい。


 それにボクが海に捨てられていないことを考えると、殺害目的ではないということか。いまの女神の姿であれば利用価値があるからかもしれない。
 魔王アシュリーゼに戻れば、誰にも止められない。アシュインはそもそも利用価値が無い。だからアシュティという事なのだ。




 ……自分に利用価値が無いなんて、自虐的で笑えない。




 アシュティを奪取すると言うことは、つまり教会から情報を得ている。あの時点で知れているのは教会、アイマ領。そもそもジオルド内部も。
 それから一番怪しくて利があるのは……ヴェスタル共和国だ。


 恐らく内通者に降臨の現場を見られている。その降臨した女神がヴェスタルではなくジオルドに行ってしまうのは阻止したいだろう。女神がいるとなれば世界に自分たちの主張を押し通せるのだから。




 自分の状態を確認する。
 もう痺れはない。でも目がぼやけてあまり見えない。毒が残っているのだろうか。手と足、そして首まで枷がはめられている。それぞれに魔力的な封印がされていた。


 周囲をまさぐると鉄格子があった。床は木板が張られているが鉄の箱のようなものに閉じ込められていることがわかる。
 さらにまさぐっていると何か柔らかいものに触れ、微量の気配と魔力があった。




「……んっ」
「誰?」
「……あ、あの……や、やめ」




 子供の声がした。少年の様だ。かさかさと動き回っているようで、枷で拘束されているわけではなさそうだ。




「キミ名前は?」
「ボク、ニール。八歳……お、おねぇちゃんは?」
「ボクはアシュティ。わかることを教えてくれる?」
「おねぇちゃんなのに、ボク?」




 ニールハ突然男数名につかまって、箱に閉じ込められていた。彼が捕まった次の日にボクが運び込まれ、すでに二日経過しているようだ。
 鉄の牢の上に布が被せられているので光は入らない。でもボクの髪が発光しているからか、暗くないし怖くないと強がっている。




「それに……お、おねえちゃん……か、かわいいね……」
「それはありがと。でも今はやれることをやろう」




 ニールは六歳にしてはませているのだろうけど、中身が男と知ったら精神的な傷が残りそうだ。あまりその話題には触れたくない。


 それより、予想通りならもうすぐヴェスタル共和国の港につくはず。荷下ろしされた隙に逃げだせないだろうか。
 魔力も結構元に戻りつつあるので、枷は外せないけれど、多少の魔法は使えるようになるだろう。うまく空間転移ゲートが使えれば、逃げることができるかもしれない。




「ニール。港についたら逃がすから教会を訪ねてくれる?」
「う、うん……でもおねぇちゃんは?」
「ボクは枷があって逃げられないから、ニールが逃げて?」
「い、いやだよ! おねぇちゃんを置いて行けない! おねぇちゃんはボクが守るんだ!」




 頼もしい限りだけれど、逃げて助けを呼んできてほしいのだ。この場にいても二人とも利用されるか殺されるしかないのだから。




「教会で「女神がヴェスタルに盗まれた」というと、おねえちゃんも助かるかもしれない」
「ほんと? ボク頑張るよ……!」
「かっこいいね、ニール。ニールが助けてよ」
「うん!」




 布が掛けられているから誰にも聞こえないと思っていたら、監視の声が聞こえた。さすがに話しすぎたようだ。
 布が少しだけ捲られ、隻眼で強面の男が覗いて来た。




「おい……うるせぇぞ!」
「ごめんなさい」
「お……おおう……」




 素直に謝ると、強面の顔が緩んだ。
 どうやらこの容姿に、見惚れているようだ。だったら少し情報を引き出せないか話してみることにした。




「あの……お兄さん。少しお話してくれませんか? 暗いとこわくて……」
「このままで良ければしてやるよ」




 ……うへ。ちょろい。


 ボクは女性の怖さを知った。男とはこれほど単純な者なのだろうか。よほど偏屈な奴でなければ、色香にかかりやすいのかもしれない。
 ボクだってアイリスに一瞬で魅了されたのだから人の事はいえないか。




「お兄さんのお話を教えて?」
「おおう! いいぜ!」




 ものすごくうれしそうだ。
 ボクはあまり会話が上手くないから、ミルやルシェに聞いたことを思い出して実践してみた。男は特に自分の事に興味を持たれると、とても嬉しくなるそうだ。
 そしてかなり誇張した自慢話が始まるので、そこから掘り下げてほしい情報をついばんでいくのだとか。




 この男はムーアという。ジオルドよりさらに東にある小さな島の国から出稼ぎ出来ていた。しかし思うようにいかないところを職業奴隷として雇われると、やっと生活が安定した。
 真面目な正確が功を奏して職業奴隷の中でも裕福な暮らしができているし、実家の方にもお金を送ることができていたそうだ。


 そしてその奴隷制度を改変して、地位向上も目指すこととした世界的な政策に、唯一ジオルド帝国が反対していることを聞きつけた。
 そのため職業奴隷の中でも優秀な人材は、連合国付きになって対ジオルドの仕事を与えられるようになった。
 ムーアは優秀だと認められたことがよほどうれしかったようで、今回の仕事も嬉々として参加したそうだ。




「すごい! ムーアさんは優秀なのですね」
「むふふ……そうだろう?」




 だんだん自分が気持ち悪くなってきた。
 でもその苦労のおかげで、良い情報が手に入った。明らかに逆の事を民間人に触れ回っているようだ。それに職業奴隷の人達に、自ら首を絞めるような行為をさせている。
 なんとかムーアを懐柔できないだろうか。


 この船は予想通りヴェスタル帝国に向かっていて、もう一時間もすれば到着するそうだ。それまでに味方につけることができれば、ニールを逃がすこともできるだろう。




「ところでおめぇ……もしかして目が見えてないのか?」
「あ……はい」




 ボクの視線が何もない方向を向いていて、周囲をまさぐっている様子をみてそう思ったらしい。たしかにまだ毒が抜けて無くてぼんやりとしか見えない。




「毒を飲まされて連れてこられたので……枷もあるしあまり動けません」
「え……うそだろぉ……」




 いままで話に夢中だったのか、積み下ろしの時に中を見ていなかったのか、今初めて気がついたようだ。ボクの状態をみて、衝撃を受けているようだ。
 連れて来た船の船員で見張りをしているのに、何も聞かされていなかったのか。




「知らなかったの?」
「知っていたらこんな仕事受けなかった……これじゃぁ海賊じゃねぇか!」




 ボクの事は知らぬ方が良いこともあるという部分だったのだろう。職業奴隷は孤児がなることもある。だから積み荷が職業奴隷であるのはよくあるのだそうだ。
 でもこんな鉄格子で閉じ込められているのはないので、不思議に思っていた。そしてこの枷、毒とくれば、職業奴隷ではなく、奴隷以下の扱いだ。
 明らかに誘拐目的である場合には賊とみなされ、極刑になる。


 しかもこの仕事の雇い元が連合国ことからすれば、彼の中にある今までの事が全て覆ってしまう。


 優秀だと言われたのは何だったのか。


 真面目に働いていたのは何だったのか。


 実家にお母さんに仕送りをした金が、薄汚れた物だったのではないか。




 その衝撃は計り知れないだろう。
 ボクも国には散々騙されてきた口だから気持ちはわかる。相手が巨大すぎて絶望以外には何もなくなるのだ。




「ねぇ……ムーアさん。あの少年だけでも逃がしてあげられないかな?」
「お、おめぇ……一番ひどい目に合っているのはおめぇだろう!」
「枷が外せないし、毒が抜けてないから逃げられないよ。でも彼を逃がすことができたら助けを呼べるかも」




 それができたらムーアさんは仕事を辞めて、ジオルド帝国へ行くことを薦める。ボクの名前を出せば、きっと雇ってくれるだろう。




「そういえば名前……」
「アシュティ……いやアシュインが言っていたと言えば確実だよ」




 この容姿ではムーアという無関係な人間がその名前を知っていれば、それだけで本人との関係が証明できる。
 せめて絶望した彼には、もう少しまともな人生が待っていることを期待したい。




「やってやる……絶対におめぇも逃がしてやる!」
「……ムーアさんはニールを逃がしたら、すぐ逃げてよ」
「……なんかおめぇが女神さまに見えて来た……」




 一応女神という体だけれど、人間です。
 ムーアが打ち震えて、やる気を出しているところに野暮な突っ込みはしない。でもこの容姿だと褒められすぎて、照れ臭いのだ。
 いろいろと恥ずかしいことが多すぎるから、早くアシュインに戻りたい……。








――ヴェスタル共和国、ローデンブルグ港。




 船は着岸し、すでに積み荷を降ろされ始めている。ボクたちが入っている箱も港におろされた。他の職業奴隷の子どもたちが箱から出されたところで、それに紛れてニールも逃がすという。
 ボクはそのまま待機だ。




「絶対に助けるからね!」
「ふふ……期待している」
「おい、急げ……」




 ニールは連れていかれ、うまく他の子たちに紛れることができたようだ。とりあえず二人が上手いことここを離れて、助けを呼んでくれたらまだ希望はあるだろう。


 ボクの入っている箱は再び、何かに積み込まれた。ゴトゴトとうるさいので荷馬車にでも乗せられたのだろう。船の時より居心地が悪い。
 しびれは無くなっているのに、視界が一向に回復しないのも気になる。それに気持ちも悪くなってきた。
 あとお腹が空いてさっきから、くぅくぅとなっている。








 荷馬車に乗せられてから、一日ほど全力で走ったようだ。馬が悲鳴を上げるほどに急いでいたのか、ものすごく揺れてこちらは気持ち悪い。
 すでに海のような波の音は聞こえず離れた場所までやって来たのがわかる。途中で村や町を通ったが、素通りした様子だ。
 せめて食べるものを買ってほしかった。




「おなかすいたなぁ……」




 そろそろアシュインに戻れるんじゃないかと思っていたが、枷をはめられていた所為で、その様子もなかった。状況は最悪になってきているのではないだろうか。
 だんだん抵抗する気力もなくなってくる。
 やっぱり食事って大事だ。




 荷馬車が止まると、鉄格子の扉が開けられて外に出るように言われる。久しぶりの空が眩しくて気持ちがいい。でも体調は最悪だ。




「さっさと出ろ!」
「あう……」




 出るように言われるが、体力が落ちてほとんど歩くことができなかった。力が入らずにかくんと足が折れて倒れてしまう。
 すでに枷なんか必要のないほどに行動力が無い状態だ。




「貴様! 女神様になんて乱暴な! ……失礼いたします」




 ボクを引っ張った男は、男性貴族のような衣装の女性に蹴倒される。そしてすぐにボクを抱きかかえてくれた。もう動けないから身を任せるしかないだろう。
 おちないようにしがみつくと、女性は嬉しそうにしている。こっちは落とされるのが怖いだけだ。
 ほとんど動けなくなってしまったのだから、あとはニールにかけるしかない。




 抱きかかえられて目の前の建物を見上げると城に近い様式の建物だが、用途が違うのかすこし形が違う。広くて清潔、荘厳な佇まいの建物だった。この国も教会本部があるくらいなのだから、ジオルドよりは潤っているのだろう。




「さぁ、参りましょう、アシュティ様! わたくしはエレン。ヴィスタル王城の執政官である。以後お見知りおきを。」




 すでに名前も知られていた。となればやはり教会から情報が洩れているのだろう。さすがに時間的にジオルド経由ではない。
 ボクにとって共和国という国の形態にあまりなじみがないが、王政のような絶対君主はいないそうだ。
 宗教、軍部、貴族、そして執政官がいる中央政機関が統治をするのだとか。


 健全な政治体制にみえるけれど、均衡が崩れればそんなことが無くなるらしい。今現在はスカラディア教会が一強。他は均衡がとれている。
 そしてそのスカラディア教もミザリが教皇になったことで、政治に不干渉になってくれたそうだ。


 では現状はとても良い状態なのだからボクを拉致する意味がわからない。出来るだけ現状維持に努めたほうが楽できると言うものだろう。




「ミザリ教皇は逸材です。 彼女と女神を失うのは我が国にとって、大きな損失……あら?」




 情報を聞けるのは嬉しいけれど、もうお腹が空きすぎて、毒も抜けてくれないので調子が悪い。ぐったりして何も聞く気になれない。




「な⁉ ……もしや……食事は?」
「もう五日ほど……」
「ぐっ……通りで軽いわけだ! すぐに食事の用意を!」




 なんか嫌な予感しかしない。
 また毒を混ぜられる可能性が否定できない。それにもうずっと食べていない所為か、貴族が食べるような食事を出されても、戻してしまうだろう。




「い、いら……ない」
「何をおっしゃるんですか! 衰弱しているじゃないですか‼」




 無理にでも食べさせられそうだ。
 このままでは栄養不足か毒かで本当に命を落としてしまう。早く助けに来てくれないと、いよいよ危ない気がする。






 案の定、食堂へと通されると貴族用の食事が並んでいる。そして足枷と手枷はそのまま。生殺し過ぎて余計に苦しい。それとも犬の様に這いつくばって食べろということだろうか。


あのエレンという女も、ボクを椅子に座らせるとどこかへ行ってしまった。周囲に使用人がいて給仕もいるのに、話を聞いてくれないしもうあまり声も出せない。
 わざとやっているのだろうか。








 しばらくはその状態のまま食事をじっと見ていた。だんだんと空腹の苛立ちが膨らんでいく。
 もう空腹すぎて、くぅくぅとなるのも忘れている。こんな生殺し状態で放っておかれるのなら、無いほうがマシだった。




「うぅ……!!」




 空腹の苛立ちが止まらず、目の前の食事を腕で払いのけぶちまけた。
 すると給仕の女性がそれに腹をたてて、蹴り飛ばしてくる。枷があるので頭から落ちるしかなかった。




「あぅ……」
「おい! 何をやっている⁉」
「女神様がご乱心なされて、床に倒れてしまわれました」
「……食事はお口に合いませんか? ……料理人が腕に寄りをかけた食事でしたのに」




 言い訳をした給仕の女性は、エレンの死角でにたにたと笑っている。これは単なる嫌がらせか。来た早々この調子では先も短そうだ。
 再び椅子に座らされてじっと見つめられる。




「……かえ……して……」
「申し訳ございません。 それはできません。貴方はこの国に必要なのです! ですから食べてください!」
「ころ……す、きか……」
「な⁉ これほどもてなしておりますのに?」
「……」




 この女は話がまったく通じない。凛々しく奇麗な女性だが、まったく融通が利かない上に自分が常に正しいと思っている。一番厄介な人間だ。




 ……もう我慢しているのも限界。




 最後の魔力をどう使うかと考えていたけれど、栄養不足で頭も回らない。ニールはどうやら間に合わないようだ。
 両方の枷を外すのは無理だから、逃げるための足だけ外そうと――。






――その時、急に周囲が騒がしくなる。
 エレンは周囲の騎士たちに確認するように命令している。命令された騎士たちはばたばたと外に出ていく。次の瞬間――






 扉側ではなく壁がまん丸に削れた。








 いきなり壁に本当に満月のような穴が空いたことに、目を見開いて驚いてしまった。あの削れ具合は見たことがある。
 あのカルド海洋戦の時だ。




「わぁお! まん丸! やっるぅ!」
「……目的の人早く探してください」
「カカカ、相変わらずつれないねぇ?」
「さっさと入ろうぜぇ?」




 ……あれは……。
 ぼんやりとした視界に、聞き覚えのある声が聞こえて来た。まったく身体が動かないときに最悪なタイミングだ。

















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