勇者が世界を滅ぼす日

みくりや

新しい宗教





 ……どこだ? ここは。




 まったく動けないし、視界も真っ暗だ。でも気持ちいい。頭を撫でられている感触がある。
 心地よくて身をゆだねると、呟く声が聞こえる。




「アーシュ……」
「……んっ、シルフィ?」
「っ! アーシュ!! おきたのだわ?」




 ボクが頷くと、すぐに何かを準備している。




「……じゃあこれを飲むのだわ……」




 すると唇に柔らかいものが当たる。魅惑的なお誘いに身を委ねようとすると、口の中に異物が入って来る。




「……んっ……ぐっ!! ……なっ……」




 なにこれ?


 と言えずに彼女の唇は離れてくれない。口の中は酸っぱいような苦いような、それでいて甘ったるくてとにかく不味い。
 それに体中が痛くて胸元が重い。


 目がぼんやりと慣れてくると、まだ唇の感覚があってシルフィの顔が近くにあるのがわかった。


 ものすごく体中が痛くて、魂を削り取った時のような感覚だ。外傷はないのにジンジンと内側から捻じ切られるような痛み。
 シルフィの口付けはそれを和らげてくれる。




 時間にしてどれくらいか、かなり長い時間をずっと口付けしたまま、薬を流し込まれ体の痛みと気持ちよさの波を繰り返していた。


やがて体が落ち着いてくると、やっと唇を放してくれる。




「……んっ……あっ……ふぅ……あ、あれ?」
「……ごめんなのだわ……」
「ん……なにが?」




 先ほどから恍惚とした彼女の顔は、どこか悲しそうだ。それにボクの声がアシュリーゼのままだ。そして身体も小さい。


 変化の魔法であれば、多少の変化はあるけれど質量保存の法則からさほど小さくはなれなかった。
 でも今は身体の大きさも女性そのもの。




「こ、これは……」
「……今はアシュインでもアシュリーゼでもないのだわ」




 どういうことだろう。でも何となくわかる。
 目を手に落とすと小さいし、声も女性。しかもアシュリーゼの時より少し幼い。それにアシュリーゼより胸が小さいのか、少しだけ肩が軽い。




「……嫌がられると思ったから、この機会をつかってクリスティアーネと仕掛けた・・・・のだわ」




 そういう彼女の顔は辛そうだ。
 まだ頭がぐらぐらするけれど、彼女の一言で目が覚めた。なぜ彼女とクリスティアーネがこんなことをしたのか。
 ボクは彼女を疑うなんて気は、一切ない。わざと嫌な言い方をしているだけだ。
 それでもシルフィは目を合せようとしない。




「……ボクは……どうなった?」
「一時的に……女性そのものになっているのだわ」




 一時的ならばとくに嫌だと言うこともない。彼女が後ろめたさを感じることではない。
 これがどんな意味があったのか。彼女はぽつりぽつりと独白する。


 結論から言えば、これはボクを魔女にするためのするための彼女たちの謀りだった。




「魔女? ……それって」
「……そう。アーシュに不老長寿薬エリクサーを飲めるようにするためなのだわ」




 先ほど飲んだすごく不味い薬品は、不老長寿薬エリクサーだったようだ。つまり……。






――人間ではなくなった。






 理由を考えればわかる。
 リーゼちゃんと、これから生まれてくる子供の為。
 ボクだって彼女たちが、よくわからないうちに死んでしまうのは嫌だ。
 それにボクは始めから、人類でなくなる覚悟があった。




「今更じゃないか? ボクは……勇者の変異体と知って、既に人間辞めていると思っていたよ」
「……うん でもアーシュ……たぶん、これは……神への叛逆行為」




 長い歴史の中で、勇者の変異体の行く末がどうなったのか。それについて書かれている文献はなかった。
 ボクとクリスティアーネが調べた中では、見つけることができなかった。
 しかし一切見ていないものがある。それは上位魔女の共有書庫だ。その中でも本当に高位の者だけが見られるものがあった。


 彼女が出産のために、ベッドからあまり離れなくなって、それに手を付ける時間ができたのが要因の様だ。


 つまり『勇者の血ブラッド』による浄化の仕組みが壊れる可能性がある。
 それと同時に真実を知る上位魔女は浄化の恐怖が増して、研究や実験、依頼などをかなぐり捨ててでも殺しにかかって来る。


 でも一つはっきりさせたい事がある。




「神っているの?」
「存在という意味ではいないのだわ。 文献記される神とはスカラディア神のこと。でもそれはただの崇拝対象の呼称で、禁忌とされ確信を記した書には共通して『因果律』や『理』の事を指しているのだわ」




 それはあるべき流れ、あるべき姿。それを覆そうとしても流れに引き戻される。
 それは抗いようがない。それに逆らってもいずれもどされてしまうのではないだろうか。




「女性という崩れた理は、すぐ戻るのだわ。魔女という格もなくなるのだわ。でも不老長寿薬エリクサーだけは神薬。つまり唯一人類に許された理の外にあるものなのだわ」




 俯いて淡々と語るシルフィは、魔女たる矜持を全うしているように思う。それほどに正確で無慈悲で。




「それだけは残るんだね」
「代わりに、造物主は天啓を受けるはずなのだわ。つじつまを合せろと」
「造物主はぶっつぶすつもりだったから、構わない」




 たしかに正体が知れない造物主を相手にするなんて怖い。ボクだって、怖いものはある。
 でももう決めているのだから。




「アイリスと戦う事になっても?」
「なっ⁉」




 たしかに魔王の因子の件で、戦う羽目になるかもしれない予感はあった。でもこれとは別問題だと思っていた。
 もし彼女がこの神の徒となるのであれば、ボクは一体どうすればいいのだろうか。




「……どうすれば、どうしろと……」
「……だから……あちと奴は、アーシュに嫌われる覚悟で――」
「それはない! ……もう、絶対に……だからそんなこと……いわないでよ」




 そう言って彼女を抱きしめる。
 いま彼女たちと離れてしまったら、それこそボクは生きていけない。だから




「……でも……」




「――たとえアイリスと戦う羽目になっても、彼女も諦めない」
「……っ!」




 ボクの諦めの悪さに、彼女は抱きしめる手に力が入る。あいかわらずなボクに呆れると思ったけれど、逆だった。




「ふふ……それでこそ、あちの大好きなアーシュなのだわ……」












 ボク達が抱き合っていると、天幕の向こう側から咳払いが聞こえて来た。




「……んっんっ……うぇっほん!」




 そのわざとらしい咳払いにびっくりして、暗い話も忘れたように思わず顔を見合わせて笑いあった。
 あまり言いたくないが折角いい雰囲気だったのに、邪魔されてすこし気分が悪い。




「……よろしいですか? ミザリです」
「ああぁ……いいよ」
「……ん? あ⁉ 不味いのだわ!!」
「え?」




 慌てるシルフィだけれど、すでに天幕は捲られてミザリが中へと入って来た。二人でベッドにいることに、恥ずかしいと思ったのかと思ったら、どうやら違うようだった。




「アーシュ! シーツ! 裸なのだわ!!」
「え? あ!!」
「うそ……奇麗……ず、ずるいわ……」




 今気がついたが、ずっと素っ裸だったようだ。それにアシュリーゼより小さい女性の姿に、余計に恥ずかしさが増した。




「……なにこれ、すごく恥ずかしいんだけど!!」
「ケケケ! アーシュは本物の女の子になっても、かわいいのだわ」
「ちょっともっとよく見せ――」




 ミザリの目が結構怖い。
 血走った目はクリスティアーネで慣れているはずなのに、彼女の目は、ぞくりとするほどに変態的に見えた。
 あわててシーツにくるまって話すことになる。




「今はまだ本調子じゃないから、このままで勘弁してください」
「いいですよ? もっとよく見たいし」




 心なしか、以前より言葉が崩れ親しみを感じる。それに変態的な目の中にも、どこか優しさを感じた。
 また強姦魔などと言われてしまうかと不安だったけれど、あれは単にボクを試す為だった。覚えているかどうかを。
 だから彼女との間にはもう蟠りもない。




 彼女は腹を割って話したいという。だから人払いもしているし言葉も崩す。彼女は変態的な血走った目を止め、少しばかり真剣な目をこちらにじっと向けている。




「……真面目な話をします。その天使のような容姿と、あの天変地異で情勢が大きく動くでしょう」
「天変地異?」
「一時的に女性にする魔法。変化の魔法では無い、遺伝子構造を作り変えて女性になっているのだわ。それは理に触れるほどの魔力を要したから、周囲に影響が出たのだわ」




 確かにすでに魔力はすっからかんだ。今の魔力がどのくらいかわからないけれど、以前王城で捕まった時点でも魔力スカウターで測った時の三倍には達していた。
 それほどの魔力が一気に消費すれば周囲にも漏れるし、影響が出てもおかしくない。




「空は一時的に真っ黒になり、太陽が消えました。そして大きな魔力渦が教会の外まで漏れ出ていましたので……おそらく中央には嗅ぎつかれます」




 ヴェスタルの中央はあまり主体的に行動を起こすことはなかったから、ボクの中では影が薄かった。
 それでも一応共和国という元々多数の自治区をまとめ上げた中央政機関が、それほど緩いはずもない。




「ところで、アシュイン・・・・・。貴方のその女性の容姿の名前……ありますか?」
「ん……いま目が覚めたところだから考えてないよ?」
「ケケケ! いま! あちが考えるのだわ! んーと、んーと!」




 シルフィが楽しそうに考えている。この姿は一時的なものだしなんだっていいかなと思っている。
 しかし今は中央や勢力の話をするものだとばかり思っていたから、ちょっと驚いている。




「なんで今、名前?」
「いいから! 一生懸命考えてください!」




 ミザリはもっと、冷たいけれど、どこか優しくて真面目な性格だと思っていた。けれど少し親しくなって自分を晒す彼女は、ちょっと強引な感じがする。
 それに名前に対して、なぜかワクワクしているのが気になる。




「んーと! アシュフィ……シルイン……あんまり可愛くないのだわ……」




 シルフィとアシュインをくっつけようとしているのが面白いけど、確かになんか言いづらい。


 ボクも少し考えてみる。
 たとえばクリスティアーネとくっつけてみると、アシュティアーネ? クリスティイン? 微妙であるのと、シルフィが機嫌を悪くしそうだ。




「こういうのはどうなのだわ。『アシュリス』!『アシュティアーネ』!」




 そう思っていたのに、アイリスとクリスティアーネから引っ張って来た。そういえばシルフィは繋がりを増やすことに、既視感がなかったし嫉妬もあまりしない方だったことを思い出した。




「わぁ! かわいい! ちょっと短くして『アシュティ』ではいかがでしょうか?」
「うん……いいと思うよ!」
「おお! かっこいいのだわ!」




 かっこいい?
 それにはちょっと共感できないけれど、いい名前を付けてもらえるのは嬉しい。
 二人は満足そうにして、楽しそうだ。




「ところでなんで名前?」
「つ・ま・り……今からアシュティ教を設立します」
「「はぁ!?」」




 さすがにシルフィも聞いていなかったようで、ものすごく驚いている。
 ここにボクたちが来た理由もそうだけれど、彼女は政治力に長けている。その彼女が宗教を一から作るというのだから驚かざるを得ない。




「先ほどのアシュティ神の現世降臨は、多くの人間にも見られています。そして新しい神が誕生したことを喧伝しておきました」
「おおい! なにしてるの!」




 ボクがあの魔法を使って気を失った時には、彼女の頭と計算は完了していたようだ。もともと政治的に矛盾が生じていたこともあり分裂する予定ではあったのだという。
 世界が魔王討伐に向けて一体化するのは、ボクが狙った通りだけれど、彼女はそれがどうしても嫌らしい。




「わたくしは! あなたが子供の頃から酷い目ばかりに合っているのが嫌で、嫌で! 嫌で! 嫌で!」
「お、落ち着いて……」
「……はぁ……はぁ」
「ちょっと待って? 子供頃?」




 子供の頃に、彼女の護衛をしたことがあったと言う。その頃は彼女が十歳、ボクが七歳くらいだ。
 十年も前の話だったし、あの頃は何人も護衛をしたことがあったからまったく覚えていない。




「……わたくしが、入信するきっかけですよ」
「ケケケ……そんなに小さいころから強かったのだわぁ」
「ええ! 子供一人なのに、武器を持った盗賊団に立ち向かって無傷で倒したのです! かぁっこよかったぁ」




 その時見た、ボクは身分や肌の色によって確実に差別を受けていた。それをみた彼女が、その時救えなかったことをずっと気に病んで、なんとか教会を変えようとしていたそうだ。
 だから厄介ごとではあるけれど、教皇になれたことで今最大限にそれを利用しているのだとか。




「わたくしは……世界の敵になっても、あなたを味方します」
「ありがとう……」




 すこし照れ臭い。十年前の行いがこんなところでつながるとは案外運に見放されていないのかもしれない。
 だからというわけでもないが、彼女の話に乗ろうと思う。当初の目的どおり懐柔という意味では達成できそうだ。




「おおよそスカラディア教の三割は、賛同をいただけました」
「おぉお……思った以上に有能な教皇様なのだわ!」




 アシュティを見た人は、ほぼ全員が入信するという。そしてそれらの勢力も確約を得たそうだ。アシュティという後ろ盾の周知が完了すればもっと増えるだろうと踏んでいる。
 これからの課題は山積しているが、これだけの基盤があって独立するのなら、すぐに軌道に乗るだろう。













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