勇者が世界を滅ぼす日

みくりや

閑話 母 その3





 あまり生きる気力もない。
 でも自殺できるほど軟でもない。ただ緩やかに死を待つ以外に手が無いのだ。我を殺せるとしたらアーシュか……上位魔女ぐらいだろうか。
 それとも魔力を無駄に使えば死ねるだろうか。




 そうはいっても、これ以上アーシュの罪を重くしないためには騎士団長としての務めを果たさなければならない。


 そもそも元の将軍であるエルダートについての報告を受けていない事に気がついて、ヴィンセントに聞いてみることにした。




「帝国へ寝返ったようです。すでにシルフィ様がいらっしゃるのだから、もう必要ないでしょう」
「様だなんてやめてくれ……我は貴族でもなんでもない」




 以前は気にしていなかったが、こいつに言われると妙に厭味ったらしく聞こえて癪にさわった。




「それからエルランティーヌ女王陛下が失墜したようですね」
「なに⁉ 本当か? それは」
「ええ。 王位をそう簡単に継承はできないのでまだ彼女にありますが、すでに行方をくらませています。 他国へ亡命したともっぱらの噂です。まったく逃げ足の速いこと」




 彼女の事情もあるが、これはやはりアーシュの一件だ。
 宰相に納得させるための取引材料でもあった騎士団の強さの確保は絶対だった。それが成されるからあの締約の条件が満たされたようなものだ。
 下手をすれば国家の危機に陥る可能性もあったから、当然反故になれば重罪人として罪は問われる。その後押しをした女王もただでは済まない。
 それに魔王領との関係も微妙なものになっている。
 エルランティーヌの鶴の一声で始まったこの交易は、宰相によってすべて差し押さえられた。つまり締約会議で支援をすると言う内容が一切行われていない。
 このままいけば魔王領と王国の関係は最悪、戦争まで行く可能性だってある。




「シルフィ様にはぜひ聞いていただきたい話がございます」
「なんだ?」
「……」
「みんな、悪いがちょっと下がってくれ」
「「は!」」




 執務室に来ていた文官と班長の数名は執務の手を止めて出て行った。また噂されそうだから、こいつとは距離を取っていた。しかし何か政治的なことならば話は別だ。




「シルフィ様には我が家と深いお付き合いになっていただきたい」
「そんな話なら、もうよいな」
「待ってください!! 私は貴方をお慕い申しております……!」
「……い、いや……!」




 ――いきなり抱き着かれて口づけを迫るヴィンセント。




 しかし身長差もあって距離は遠いから、その隙に腕からすり抜けて投げ飛ばす。




「ぐはっ!!」
「あっ!! す、すまん……」




 ものすごいアーシュに対する罪悪感に襲われた。
 最近は従順で真面目に執務もこなしていたし、ぼんぼんだと噂されていても、家柄に恥じないように頑張っていた。だから大分気を許してしまっていたのは事実だ。
 だから急に抱き着かれて驚いて、つい投げ飛ばしてしまった。




「い、いえ……それほど本気なのです。すぐにではなくて良いので考えておいてください……」
「……ぁ……うん」




 投げ飛ばされて怪我をしたのにさわやかに笑って見せるこの男に、どこかアーシュと重なって急に恥ずかしくなって、つい考えると返事してしまった。




「ふふ……嫌われていないようで良かった。それに言いたくはないですが、政治的な意味もあるのです」
「と言うと?」




 エルランティーヌの失墜により、王国は一気にロゼルタ姫の治世へと流れるそうだ。ロゼルタ派を動かしているのは宰相であり、その裏に就いているのが、アルフィールド家。現アルバトロス・アルフィールドによるものだ。
 政治的に老練なヴィンセントの父親であるアルバトロスに気に入られることになれば、王国で暮らす上でさまざまな支援を受けることができる。
 それに今の地位もずっと約束される。
 逆をいえばアルフィールド家に目の敵にされたら、王都どころか王国にはいられなくなる。
 いよいよ身の振り方を考えろと言う事だ。




 あわよくばアーシュが帰って来るかもしれないという淡い期待はあったが、もうかなりの期間が経過しているのに全く音沙汰もない。




「それに……シルフィ様……体調がすぐれないのでないですか? 心配です」
「なぜそれを?」
「いえ、もしやと思いますが……子を身ごもっておりませんか?」
「へ⁉」




 いきなりそんなことを言われても、精霊と人間のハーフが子を身ごもるなんて話しは聞いたことがない。
 そもそも精霊と人間のハーフ自体が稀有な存在だ。子供ができるかどうかよくわかっていない。しかし奴の言う通り体の変調はずっと感じていた。




「なんで?」
「酸っぱいものを欲しがり、眩暈や吐き気の症状を騎士たちに見られていますからね」
「……我はそう言う知識がないのだ」




 そういってお腹のあたりをさすってみる。こんな小さな体から子供が生まれる者なのだろうか。下っ腹のあたりをこすると、確かに感じた。
 ……自分以外の魔力だ。




「……そう……なのかもな……」
「きっと私との子供ですよ! これはめでたい! ですから、我が家へ来ませんかと。 ぜひ改めて父に紹介したいのです」
「へ? そんなわけがないだろう?」




 我が子共はどうやってできるかなど知らぬわけがない。むしろこんな奴より精通していると言っていい。
 この男とは一度も閨を共にしていないのだ。あるわけがない。




「シルフィ様の種族を考えれば間違いでもないですよ? 精霊は心を通わせた相手と子を成すそうですよ?」
「……そうなのか?」




 そもそも精霊の事も我の方が詳しいはずなのに、そんな話は聞いたことがない。それにこんな男との子供なんて考えたくもなかった。
 これはきっとアーシュとの子だ。




 ……そうに決まっている。そうに決まっているのだ。






「まぁ……それより、子が生まれるとなれば、産婆も必要でしょうし、シルフィ様の体格を考えれば様々な事が予想されます。我が家の乳母からの受け売りですがね」
「……い、いったいどうすれば……」
「ですから、我が家に来ませんか?」




 確かにここで産み世話押してくれる人など誰もいない。それらしい伝手もないのだ。 客室の使用人はいるが、貴族でもない人間の子などの産む手伝いをしてくれるものはいない。
 それがこのおぼっちゃん付きならば子細にまで面倒を見てもらえる。
 いやいや……そんなことをすれば……。




「お返事はずっと先でいいのです。それよりは子供の事を考えてあげてください。それにアイツはもういないのですから……」
「……っ!!」




 アイツ……アーシュはもう帰ってこない。
 そう思うと急に目頭が熱くなって、零れる雫を必死に抑える。






「わかった……いずれ休暇を取るからその時には世話になる」
「本当ですか⁉ うれしいです! ぜひいらしてくださいね!」




 奴は先ほどより柔らかい顔になって有頂天になった。無邪気な様子は彼も男の子なのだろう。
 確かにこの男の言う通り、他の人間よりは気を許してしまっている。帰ってこないアーシュを待ち続けて子と心中するぐらいなら、少しぐらい気を許して子をこの男に面倒見てもらった方が良い。
 そんな最低な言い訳だ。










 それからアルフィールド領に訪れ、現領主のアルバトロス・アルフィールドとの改めた挨拶も済ませた。奴の父親は何とも老練で若い頃は武勲をあげた騎士でもあった。
 その風格たるや、我でも少し怖気づいてしまうほどだ。そして現役を引退した後も政の最前線に居続けた男。奴には嘘や謀りは通用しないと直感させられた。




 出産が近くなったらこちらの領主城でお世話をしてくれることになったが、それまでの間にお願い・・・を聞くことになってしまった。
 ひとまずしばらくは宰相命令を聞くように言われた。








 宰相の言い分は合理性に欠いていた。
 やられたからやり返せ、あそこが足りないから増員させろと、逐一怒鳴り込まれては他の騎士たちの信用も下がっていった。
 逆にヴィンセントは気を使ってか、仕事以外は周囲に感付かれないようにしてくれた。そうして普段はあまり近寄らず、体調の悪い時は助けてくれた。


 それでも自分の腹に生命が宿っていると思うと、何故か幸せを感じ始めていた。何かを期待していた。
 これが母になるということなのかと実感し始めていた。






 しかし国の情勢は悪化していくのが見て取れた。
 王国は以前エルランティーヌとアイリスがくっついたおかげで、帝国という共通の敵を討ち滅ぼすために強い結びつきがあった。しかしそれも崩れた今は帝国に押され始めた。
 いや元から押されていたが、拠点を取られた上に召喚勇者同士の争いも怒って、周囲にいた騎士や一般の国民が巻き込まれて、勇者以外は全滅してしまった。




「何をやっているのだ! 差が激しいのだから一緒に戦ったら巻き込まれるのは当たり前だろう?」
「お言葉ですが、そこに召喚勇者を投入させたのは騎士団長と副団長ですよ!」
「えぇ……割とごり押しされましたね……それも宰相が出てこられては我々は反論できません」
「……そ、そうだったな……」




 明らかに宰相の指示は騎士団内に不協和を生んでいた。それどころか実際に大量の死者を出してしまっている。
 この死者は宰相のせいではない。騎士団長の我の責任であり、宰相に流されてしまった所為だ。




「それにあの召喚勇者の連中最悪です。 性格がまるで赤ん坊のようだ!」
「わかった……これ以上、出来るだけ彼らを使うのはやめる。 それでいいな」
「「は!」」




 それより大量に出てしまった死体の処理作業に騎士の大半が追われている。防衛のための手が足りない。最悪の場合は我が自らいくしかない。




「……おい……この体たらくはなんだ!」




 宰相が毎日の日課のように決まった時間にやって来たと思ったら、いつもより癇癪を起している。前線の町が全滅した責任をこちらに押し付ける気なのだろう。奴に言われるまでもなくこちらで尻ぬぐいはするつもりだ。




「い~い手がございますよ! 王国に手が足りないのなら借りれば良いのです!」




 乗り込んできた宰相にうんざりしていた団員達をしり目に、ヴィンセントが嬉々として声をあげる。
 沈んだ空気にそれはとても不釣り合いだった。




「シルフィ様には良い伝手があるではありませんか!」




「――悪魔という」




 ……これは……まさか……。
 誰だ? この絵を描いたのは。


 悪魔を利用とする計画に集約された用意周到な流れは……。




 ヴィンセントが? いやこの小物がそんな壮大な計画ができるとは思えない。


 宰相が? こいつは醜く狡猾だがあくまで自分本位だ。自分の為にしか動かないし、自分の為なら威厳も捨てる。




 ……まさか……。









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