勇者が世界を滅ぼす日

みくりや

閑話 母 その1





 あちはシルフィ。
 今はグランディオル王国の騎士団長代理をしている。エルダートという隣国ヴェントル帝国の将軍が王国に亡命してきて団長を務めていたが、召喚勇者に拉致されてしまった。
 初公演の日に臨時で指揮をしたことが見染められ、代理として就くことになった。


 締約会議という重要な会議が終わり、さっそく騎士団への指示と打ち合わせがあると言うので、騎士団本部へとやってきた。




 騎士団本部は王城の一角にあり、騎士団長の執務室と本部会議室が主な仕事場となる。待遇が良いことは何度もあったが、根城を得ることはほとんどなかったし、こんなにに大勢の部下を持つことはなかった。
 魔女と言えば孤独な存在だった。
 だからだろうか、とても気分が良かった。




「夕食時になったら迎えに来るのだわ」
「ああ、ここまでくるよ」




 すっかりアーシュの抱っこされた位置があちの定位置になっていたが、それはあって当然・・・・・の物。
 なくなることなんて全く考えていなかった。
 あちは特に何も考えずに、アーシュもいて、魔王領という帰る場所もあって、何万人といる騎士の王城の騎士団長という地位も得られたという、欲しいものが何でもそろっているなんて今までなかった。
 だからこそ、麻痺していたのだろう。




 アーシュはロゼルタ姫との面会があったから出て行った。それが最後の時とも知らずに、あちは調子に乗っていたのだ。
 班長クラスの人間が、アーシュを見下したように見ていたのも知っていた。でもアーシュならそんなものを相手にするほど器も小さくないし、力も強かったから気にも留めていなかった。




「シルフィ騎士団長! ああぁ‼ お美しい! 私はアルフィールド家三男のヴィンセント・アルフィールドと申します! 以後! お見知りおきを」




 いの一番に挨拶に来たアルフィールドの三男だ。どこのドラ息子と思えば、王都から北西に位置する大領地で、侯爵家の中では一番実権をもっている領主家の出だそうだ。




「ほぉ……美しいなのだわ?」
「えぇ! それはもう見目麗しく! 美しい髪に気高く勇ましく、そして聡明なシルフィ様に、私は心を奪われました!」




 なかなかわかっているではないか。
 しかしあちは、アーシュという愛しい夫がいるのだ。いくら迫られようが靡くことはないだろう。
 しかし褒めちぎられるのは悪気分ではない。








 そして夕飯時。
 いくら待ってもアーシュが迎えに来ない。何かあったのではないかと心配になってすこし焦っていた。
 しかし彼の事だから、そこらにいる奴にやられるわけがない。


 本部会議室にいた班長クラスの人間も、あちのことを気にしながらも、徐々に帰って行った。
 残業何て出来るだけさせたくなかったし、演劇や締約会議という大行事で、みな疲労がたまっていたはずだ。


 そんな部下の事を考えるなんて、始めての経験だったからこれもまた新鮮だった。




「おや? シルフィ騎士団長! まだ残っていらしたのですか」




 またやってきたヴィンセントという男。さらりとした金色の髪に金色の目で、騎士団員だというのに、青白い顔は本当に貴族の坊ちゃんというにふさわしい風体だ。
 顔と家柄だけは一流であったが騎士としては三流程度のようだった。




「そうですかぁ……こんなにお美しいシルフィ様をほおっておくなんて!! 許せない!!」
「ふん……貴様こそ……アーシュを悪くいうな」




 アーシュの悪口を言っているのに、自分を美しいと褒めちぎる男に、どこか憎めずにいた。
 今までは皆に『かわいい』『ちびっこい』「もちっとしている」などとガキ扱いされて来たが、美しいなんて……アーシュぐらいだった……。
 あちは滅多に言われないような言葉で褒められ、少し気を許していた。




「もう夕食の時間ですよ? よろしければ持て成しますのでご一緒しませんか?」
「……いや、しかし……」




 アーシュと夕食を一緒に食べるために待っていたのに、少し遅れたくらいで別の男と食べるなんて……まるで浮気しているみたいで気が引ける。
 いやいやアーシュだってハーレムを作っているのだ。ご飯を食べるぐらいなんてことはない。
 それ以上を許さなければいいだけだ。


 それにもう夕食の時間にしては遅すぎる。お腹が空きすぎて、待っているのもつらい。
 アーシュならきっと許してくれる。
 いつも一番にあちのことを考えてくれているし、ずっとべったりとくっついて心も通わせているのだ。
 たまに離れたからと言って、心まで離れるわけがない。




「豪華なディナーを用意してありますから」
「!! ……わかったのだわ……行ってやるのだわ」
「本当ですか!? ぜひいらしてください!」




 ヴィンセントはアルフィールド家の息子と言うだけあって、他の騎士たちとは違い、特別に王城に部屋を与えられていた。そこはとても広く豪勢で、何人もの使用人が給仕をしている。




「おおぉ……豪勢なのだわ!」
「そうでしょう! 自慢のお抱え料理人が作っていますので、期待してください!」




 この男は顔がいいだけでなく、気前も良いようだ。それに貴族特有の気品や所作にうるさくない。
 あちはその豪勢で食べきれないほどの食事を堪能した。少し上品すぎてあちには合わないと思っていたが、たまにはこういう食事も悪くない。


 食事も終わり、高級な酒もふるまってくれた。一本で白金貨が消えるほどの高級な酒だそうだ。
 それを贅沢にがぶ飲みした。あちは酒で酔いつぶれるわけがないので、とにかく飲んだ。




「……ぼ、ぼっちゃま……も、もう白金貨が二十枚分ほど、彼女のお腹に……」
「……き、きにするな」




 それに付き合っていたヴィンセントは、すぐさま酔いつぶれて寝てしまった。
 やはり青っ白い男だけあって酒にも弱いようだ。




「なんなのだわ。 だらしのない! まぁもう十分楽しんだから帰るのだわ!」
「でしたら、今から魔王城へ戻られるのもなんですから、客室をご用意いたしました」
「ほぉ……きがきくのだわ……じゃあそっちでいいのだわ」




 あちは部屋を出て、執事に案内してもらい。客室で寝ることにした。用意してもらった客室もみんなと泊まっていた客室と同じ大きさの部屋を独り占めだ。
 満足してその日は寝た。






 しかし次の日は顔が真っ青になった。
 別に二日酔いと言うわけではない。そんな軟な肝臓をしていない。ただ、すっかりアーシュの事を忘れていた。
 きっと……迎えに来てくれたんだろうな。
 それに夕飯も食べていないはずだ。アーシュは放っておくと、自分の事を忘れる悪い癖がある。あちがいてやらなければ無茶をするのだ。
 そんな夕飯ひとつとっても彼は大事にして、命までかけてしまうほどだ。


 それは受ける方としてはやや重すぎる。だからたまにはいいだろうと羽目を外してしまった。




 しかし騎士団に顔をださなければならない時間はやってきて、使用人にせっつかれた。
 そして今日も忙しい日はやって来た。
 アーシュの事なんて気にも留めていないように、皆忙しそうに仕事をしている。
 たしかに騎士団とアーシュのつながりはまだ薄い。これから濃くなると言う矢先にいなくなるとは、幸先が悪い。


 昼食になると騎士団専用の食堂へいって食べることにした。昨日の豪勢な食事もとても良かったが、庶民の味の方があちは好きだ。




「んしょ、んしょ」




 自分で食器のトレイをテーブルまで運び、席に着いて食べる。すると女性の班長であるカーネリアン、コリアの二人が寄って来た。




「団長代理。お疲れ様です!」
「……相席失礼します!」
「よきよき。 一緒に食べるのだわ」




 この二人は明るくてなんでも赤裸々に話してくれるので、とてもつき合いやすい。
 公演の時も、とっつきにくいあちに騎士団員たちとの橋渡し役をやってくれていた。おかげですっかり仲が良い。




「それより……団長代理……来て早々玉の輿ですかぁ?」
「小さい体で隅に置けませんなぁ?」




 冗談ぶいて、冷やかしてくるが何のことかさっぱりわからない。アーシュのことを言っているのならその通りなのかもしれない。だってアーシュは勇者であり魔王代理でありお金も寝床も十分なほどに与えてくれたのだから。




「そ、そうなのだわ?」




 なんともあやふやに応えてしまった。アーシュ以外にはちょっと考えにくいし、この娘たちもその様子を知っていた。あちがアーシュに送ってもらった時の様子を見られているのだから。




「きゃー! やっぱり! ……でもあの恋人のことは……?」
「しっ! コリア!」




 なにやら心配されてしまっているが、目の前でひそひそ話をされたら気になって仕方がない。それに常にあけっぴろげに話すこの娘たちがこうしているのはおかしい。




「いったい何のことなのだわ?」
「いやですよ! ヴィンセント様と昨晩……お楽しみでしたよね?」
「……正直ちょっとがっかりしました。送ってきていた彼、かっこよかったのに……。ちょっとかわいそう」






「は⁉」






 何か盛大な勘違いをされていないだろうか。そう思って慌てて訂正しようとするが、聞く耳を持ってもらえない。




「だって、逢引の現場を見られちゃってますし」
「昨晩遅くに、えっちな顔してヴィンセント様の部屋から出てきたのをたくさんの方に見られていますよ? 騎士団や、世間話が好きな貴族の奥方様の噂の的ですって」
「何なのだわ!」




 まずい……。こんなことをアーシュの耳に入ったのだとしたら、浮気したなんて思われないだろうか。
 実際のところは、ヴィンセントが嫌がるほど高級な酒を飲み干してやっただけなのだ。
 それを逢引したなどとは迂闊だった。




「……あ、あのアーシュは来てない……のだわ?」
「あの元彼? いくらなんでも節操ないんじゃない?」
「……ち、ちがっ……」
「まぁ来てないですよ? さすがに愛想つかしちゃったのでは?」




 何やら仲良くなれたと思っていた二人の態度もどことなく冷たい。それはそうか……。
 一夫多妻の世の中でも夫は等しく愛を注いで均衡を保つ。逆に女は一途に夫を支える。
 その常識の中で、とっかえひっかえやっているという噂が立てば軽蔑の対象だ。




「シルフィ様!! こちらにおられましたか!」




 うわさのヴィンセントも昼食に取りに来たようだが、今は特にばつが悪い。
 それに本人のこの上機嫌ぶりは、勘違いなどではなく既成事実を作ってしまう口実を作られてしまったのではないだろうか。




「昨晩は楽しかった・・・・・ですね! 今晩もどうですか?」




 わざとだ。すこし嫌らしく口角が上がっている。しかし二人からはただ優しく微笑みかけているようにしか見えてない。




「きゃー! ヴィンセント様!! 素敵!」
「行くわけがないのだわ!」
「いくら何でもそれは失礼ですよ! シルフィ騎士団長代理」




 これ以上この場にいたら、ヴィンセントの手練手管に巻かれてしまう。早々に立ち去ってしまった方が良いだろう。




 王城内の廊下を歩いていると、やはり噂されているようだ。こちらを見るなり何か噂をしていた。
 完全に王城内の貴族や騎士たちに広がってしまっている。
 もしやそれが原因で呆れてアーシュは魔王領に帰ってしまったのではないだろうか。




 まずい……まずい……いやだ……捨てられたくない……!!




 午後の訓練があったがそれは副団長に任せて急いで魔王城へ帰ろうとすると、止められてしまう。
 就任早々は勘弁してほしいと泣きながらに止められてしまえば、我慢せざるをえない。


 こんなことをしている場合ではないのに……。













「勇者が世界を滅ぼす日」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く