勇者が世界を滅ぼす日
閑話 センシティブ その4
それからというもの、何をするにも彼との距離感が変わった。なんとなく次に彼のすることがわかる。そして彼もあたしのことをわかってくれている。そんな安心感だ。
アイマ領主とアーシュちゃんの会合がある。宿屋で待っていることも提案されたけれど、領主も顔見知りだからとついてきた。
……本当は離れたくないだけ。
領主との謁見の為にアーシュちゃんは貴族用の衣装に着替える。あたしはそのままでもいいのだけれど、彼がどうしても見たいといって使用人にお願いしていた。
なぜか使用人も乗り気だ。
別室で着替えさせてくれる。豪華な侯爵令嬢が着るような品格のあるドレスだ。誰にあっても『キモい』『キモ娘』とか『不細工』『キモちわるい』しか言われたことがない。
きっと使用人も引いているだろう。
「わ~奇麗~素敵ですよ! 魔女様!」
「そうそ……ひぃい目! 目ぇ閉じてくださいまし!!」
やっぱりキモイらしい。
「うん。 細目にするくらいがちょうど良くて綺麗ですよ」
「ではメイクもしてしまいましょう!」
あたしの髪は長くてつるつるしているので編み込むのに苦労している。でも丁寧に結ってくれてシニヨンヘアという髪型にしてくれた。
後ろ髪を上げて首筋を見られるのは思ったより恥ずかしかしい。前髪はやはり目がキモいので、目元で切りそろえてくれる。
メイクはただ液体をぐりぐりと塗りつけられただけだった。旅と貧血で血色が悪い部分だけを隠せばそれで十分らしい。
「さ、最高傑作……!!」
「……うぇへへ……よ、喜んでくれるかなぁ?」
「もちろんですよ!! さぁさぁ意中の殿方に見せに参りましょう!」
……たのしい。
アーシュちゃんが喜んでくれるのを想像しながら、奇麗にしてくれるのは想像以上に楽しかった。でも細目なので前が良く見えなくて歩きづらい……。
あたしの着飾った姿を見たアーシュちゃんが固まっている。やっぱり気持ち悪いのかもしれない。
すると……
「……きれいだ……」
すごい。
あのアーシュちゃんがあたしを凝視している。いつも性に対しては受け身だった彼が、あたしに見惚れる日が来るなんて思ってもみなかった。
それにみんなは目がキモイから閉じているというのにアーシュちゃんは……
「……ボクはその方が好きだな」
「うひひ……うれし」
そういってみんなが怖がっているのに、普段の目のあたしを好んでくれるというのだ。この言葉にあたしはやられてしまったようだ。
顔が真っ赤になって、心臓の鐘がうるさい。
何回か肌も重ねたし心の距離も近くなったのに、さらにこんな経験をしてしまうなんて、あたしは完全に彼に堕ちてしまったのだろう。
それがとても心地よかった。
カタストロフとの謁見でアーシュちゃんは試されていたけれど、無事見染められたようだった。あたしの顔見知りということで、アーシュちゃんは少し警戒を解いていた。
でもこの男はものすごく人を謀る。隙を見せると足元をすくわれるのだ。
あたしも以前には謀られて依頼料をケチられたので、弱みを握って言うことを無理やり聞かせた。アーシュちゃんがひどい目に合うならその弱みを使うことも考えている。
でもアーシュちゃんはきっと大丈夫。
案の定。些細な情報からエルランティーヌ女王がいるという結論を導いた。カタストロフが驚いて冷や汗をかいている。そして大笑いしてごまかしている。
「うぇへへ……エ、エルちゃん……こ、ここにいるのぉ?」
「いや、そこはまぁ……あえて黙ってよ?」
「うはははっ!! こりゃいい夫婦だな!!」
あたしが空気を読まずに聞くと、窘められる。
おそらくエルちゃんは今誰の目にも触れてはならないほど、微妙な立場だ。いくらあたしたちを信用したとしても一切会わせる気がないのだ。
長々とカタストロフさんの話に付き合わされたが、他愛もない話のおかげでいまのグランディオル王国内の情勢を知ることができた。
そしてシルフィ率いる王国騎士団が、アイマ領の高山麓付近で起きた雪崩遭難者の捜索依頼を無視した話があった。
いくら契約が切れて絶望して『停滞』が起きているとはいえ、多くの人を死なせすぎている。最後にはアーシュちゃんが引き受ける予定なのだから、これ以上業を積まないでほしい。
結局、王都へ戻る前までにアーシュちゃんがご遺体の捜索をすることになった。半分脅迫に近い形だったが、アーシュちゃんの計画が漏れるよりはマシだろう。
アイマ領北部に位置する高山の麓にやって来た。近くに村もあるけれど、ほとんどは避難している。捜索によってさらに雪崩が起きるとも限らないからだ。
すでに死んで埋まっているはずなので、魔力を検知して探すのは難しい。だからあたしが死霊を検知して大体の位置を教える。
アーシュちゃんが『勇者の剣技』で雪を吹き飛ばして掘り起こす。この地帯の雪は魔力を帯びていて少し凍り気味。堅いはずだけれど、アーシュちゃんの剣で奇麗に吹き飛んでいる。
五日ほどかけて総勢二百三十五名のご遺体が見つかった。遭難者名簿と照らし合わせて、残すはあと四体となった。
でも探しても、もう周囲に死霊がいない。
森の近くには浮遊している死霊はいるけれど、明らかにぼやけている。これはもうすでに肉体を失っている死霊だから対象ではない。
資料をみたアーシュちゃんの判断で、その場は撤収となった。
ご遺体のお別れ会場も王城へ変更にした。おそらくこの場でやったらご遺族ごと雪崩に巻き込まれる危険があった。
とても嫌な予感がしている。
次の日に最後の捜索をすることになった。手伝いの騎士も二人だけだ。
雪崩が起きた場所の近隣の村へ捜索に入ると、すでに避難して人がいないはずの村に微弱で今にも死にそうな魔力がある事に気がつく。
小さな小屋に二人の男性を見つけた。おそらく名簿に載っていた人物だ。瀕死であるのであたしの亜空間書庫へ突っ込み、帰還することになった。
あたしが亜空間書庫を開いていると――
ゴゴゴゴゴ――
と大きな地響きが聞こえた。あたしはまだ彼らを亜空間書庫へ入れている最中だったので、アーシュちゃんが外に出て確認する。
すると地響きはさらに大きくなる。不安が大きくなって一人入れた時点で立ち上がり、あたしも外へ出ようとする。
「アーシュちゃ――」
……何かを悟ってこちら見て、微笑んでいる彼が見えた。その次の瞬間に小屋の周囲は光に包まれていく。
……これはゲート⁉アーシュちゃんが……
「……ぐひぃ……い、いや‼ アア、アーシュちゃん!!!! いやぁあああ!!」
光が薄れると、そこは墓地だった。
周囲を見渡すと見覚えのある城が見える。ここは王都の墓地だ。
あたしの位置から見えなかったけれど雪崩だ。同時に転送できない距離感だった。それにあたしの認識しているゲートはすでに使えなくなっている。
アーシュちゃんはそれを見越して咄嗟にあたしを庇ったのだ。
アーシュちゃんが……アーシュちゃんが……
混乱しかけた。このままではいくらアーシュちゃんでも死んでしまう。すでに死んでいる可能性すら……。
どうしよう……どうしよう……どうしよう……。
『……ボクはその方が好きだな』
彼の言葉が脳内に木霊している。
『クリスティアーネになら、いくらでもあげるよ』
あの時も微笑んでいた。
『クリスティアーネは色々やってくれているだろう?手紙、助かったよ。ありがと』
この時も自分が辛いのにあたしを気遣う。
『クリスティアーネ!!』
あの時の彼の必死な呼びかけが脳内に浮かび上がると、あたしはハッとなる。
慌てない。冷静に。そして考え続ける。これこそ魔女の矜持。
あたしは上位魔女になったのだ。
狼狽える前に考えるのだ。
アーシュちゃんが雪崩に飲まれてからまだ一分程度しか経っていない。まだあきらめるのは早すぎる。後悔するのは最善を尽くしてからだ。
アーシュちゃんの肉体の隅々間までの記録はある。身長体重、体積と筋肉量、それから熱量から導き出されるのは、彼の生存時間。
雪崩で死亡する原因は窒息だ。
通常の人間程度であれば約三十五分程度。悪魔でも二時間程度だ。アーシュちゃんの身体を勘案すればおそらく三時間は窒息状態でも生存しているはず。
逆にアーシュちゃんの場合は低体温による場合には人間で九十分、逆に悪魔は寒さにあまり強くないので窒息より低体温で死ぬ場合が多い。
アーシュちゃんは命を削りすぎているから、その意味では生命維持能力が低下している。とくに低体温になった場合の生命維持能力は低いと思う。
生存は見積もって二時間。
今ここから出て、死霊馬車が最速で走ったところで、アイマ領まで二時間以上かかる。そしてそこから雪崩の現場まで三十分。すでに間に合わない。
でもそこで彼の場合は生命の死はまだ来ない。おそらく凍結の仮死状態になる。そうなれば自己復帰は不可能になるから実質死ぬのと変わらない。
その状態になって生きる意志が強ければ、霊魂がある程度維持できる。
意思が衰弱し、死霊となるのは一日程度かかると思われる。
その冷凍の仮死状態から復帰させる時間を逆算すると、約五時間かかる。つまり限界値は二十一時間ということだ。
二十一時間以内に彼を雪底から引き上げて、復帰させる魔法を施す必要がある。
……間に合わない……。
ううん、諦めない。まだ手はあるはずだ。
あたしはこのままアイマ領へと向かわず、王城へと乗り込んだ。
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