勇者が世界を滅ぼす日

みくりや

魂再生薬



 次の日は、本当に久しぶりに良い目覚めだった。
 クリスティアーネはまだ寝ているが、昨日よりかなり顔色がいい。カサカサだった唇も血色がよく艶めかしい。




「……ぐひひ……すきぃ……」




 涎を垂らして幸せそうに寝ている彼女が面白くて、ずっと見ていたい気分になる。両手両足でぎゅっとボクに抱き着いてくるのは彼女らしい。


 そろそろ起きる時間だ。
 彼女は昨日あまり食べられなかったから、お腹が空いているはず。先に起きて、一階の食堂からもらってくることにした。


 昨日宿屋に駆け込んだときには、クリスティアーネの顔色に宿屋の娘も驚いて慌てていた。それから色々と気を使ってくれている。
 彼女の為に消化の良い食べやすい食事を用意してくれていた。








 部屋に戻ると彼女ももう起きているようだ。




「おはようクリスティアーネ」
「うひ……し、しゃわせぇ……お、おお、おはよ」




 そう言って恥ずかしそうにシーツから半分顔をだしている彼女に苦笑した。






 朝食を食べ終わると、あの禁書書庫の本のことを思い出す。試しに読んでもらいたいので、すこし経緯を説明した。




次元の魔女ディメンジョン・ウィッチは……わ、悪い魔女ぉ……ぐひ」
「うん……痛感しているよ」
「うへへ……そ、それにやっぱり……あ、あの噂……う、嘘だった」
「……でも公の事実だよ」




 ボクの手をつかんで嬉しそうに首をふる彼女。話したのはシルフィの契約の状態についてだけ。それでも彼女は多くを理解したようだ。
 そして渡した禁書を手に取る。




「ぐへへ……よ、読めそう……」




 ――一瞬だけ本は光を放つ。思った通り上位魔女に権限があった。


 魔女は研究の資料を自身の亜空間書庫へ蔵書する。しかし王国が研究費を出すか、実験体を提供していた場合にはその写しを献本した。
 クリスティアーネの話ではグランディオル王国と魔女は、戦争以前は共生関係だった。そのことで多くの研究資料が蔵書されているという。
 だから禁書書庫に関する権限制限は上位魔女であることは不思議じゃないそうだ。








『禁忌の書』
 この書は上位魔女による封印が施されている。もし貴方が上位魔女でなければすぐに閉じるべし。さもなければ呪われるであろう。




「うへぇへ……の、のろわれちゃう……」
「大丈夫、上位魔女でしょ?」
「ぐへ……そ、そだった」




 次の項をめくっていくと、ボクが見た時には何も書かれていなかったのが、今はずらりと記されている。


 この本は上位魔女の禁忌に関する魔法書だった。




 読み進めると、項目名だけで恐ろしいさが伝わる研究もある。その中で契約魔法についての項目も見つけることができた。




 まず記されていたのは人間同士でもできる契約魔法。
 ただし不履行による呪いが伝染し、過って村の全員が呪われて死滅した。それで禁忌魔法とされたそうだ。




 それと同じ項目の中に悪魔、精霊の魔術の強制解除のやり方が書かれている。まさに僕が探していたものだ。
 契約が簡単に解除出来ると、その信頼性が失われるので禁忌とされたようだ。


 これは次元の魔女ディメンジョン・ウィッチがボクにやった方法だった。
 自分の体内に魔法陣を仕込み、かつ相手の魂に接続しやすくする無臭香料を散布。一定時間一緒にいて口付けで粘液交換をすると、魂に接続できる。
 そこで契約者との接続因子を無理やり切断するのだ。
 通常の魔法で切断すると二人とも全身の魂に傷が行くので、特殊な操作系魔法が使えないとできない。次元の魔女ディメンジョン・ウィッチならばそれが容易だろう。


 この方法で切断されたものは魂に傷痕が残ってしまう。結果シルフィは契約の悪い部分を抱えたまま二度と契約ができない状態になっている。
 悪魔であるアイリスは傷痕が残っていても、別の人物となら再契約が可能のようだ。




「……つつ、つまりぃ……は、白紙化するなら……た、魂の修復が必要だよぉ」
「それって出来ない?」
「……うぇへ……あ、あたし、無理」




 ボクは肩を落とす。これ以上この本からも情報を得ることができなそうだ。でもクリスティアーネがいなかったら、魂の修復にすら至っていない。




「ありがとうクリスティアーネ」
「……うぇへへ……えへ……ぐひ……ぐひ」




 ボクはいつものように、彼女を撫でていた。そして彼女は恥ずかしくて俯いていると思ったが、違うようだ。
 その雫が彼女の手の甲へと落ちて弾ける。




 ……泣いている?




「ど、どうしたの?」
「……う、うそ……ほ、本当はできる……ぐひ」
「え⁉」




 以前、クリスティアーネとレイラを救った命の譲渡だ。本来あれは意識してできる物ではなく、薬品を使って行う。研究が魔女の文献にも残っている。




「……あ、あたしに……使ったの……うう、うれしかった……で、でも危険」
「確かに一晩、激痛に悩まされることになるけど、死にはしないよ」




 彼女はこちらをじっと見て、止めてほしいと目で訴える。でもボクの意思は固い。やっぱりシルフィを救いたいし、そのためには命も賭けられる。




 ――しんと部屋が静まり返る。二人とも話をしなければ何も聞こえてこない。




 ボクは目を逸らさずに、言葉にしないで絶対に死なないと訴える。いつもなら彼女は恥ずかしがって目を逸らすけれど、今回ばかりは逸らさない。




「……わかった。 や、やる」






 彼女が提示した方法は直接シルフィの魂に接続するのではなくて、ボクの命の魂から『魂再生薬』を調合するというのだ。
 その方法は禁書にも記されていなく、クリスティアーネ独自の方法だった。


 直接命を渡す方法は、身体全体には作用するから致命傷などを治すには効果が高い。しかし契約魔術を強制的に千切られた魂の修復は、直接だと無駄が多くてボク一人でも魂が足りなくなるそうだ。一部を修復するだけで、すべてを損失してしまう。
 だから薬品を使って最小限だけ取り出し、点で作用する薬剤を作って修復するのだ。








 一晩しっかり休んでボクからも魔力を得た彼女は、テキパキと亜空間書庫から道具を取り出して準備をする。
 その様子はまさに魔女だった。
 普段の彼女からは想像もできない専門職の矜持を感じる。




「……うへ……ぐひひ……」




 ……喋らなければ。






「……じゅ、準備できた」






 ボクの方も、終わった後に血だらけになる可能性を考慮して、洗面台周囲を準備した。念のためバケツも用意しておく。汚れてしまうだろうから、服も簡素なものに着替える。




「こっちもいいよ」




 魔法を扱うので、周囲に気づかれないようカーテンを閉めて魔道具の明かりを灯す。二人はテーブルをはさんで対面に座る。
 テーブルの上には薬剤が三つ。そして変な形の大皿と空の瓶が一つ。大皿の上には変な固形物が乗っていてそれが触媒となるそうだ。




「うへ……こ、これと、こ、これ飲んで……ち、鎮痛剤と溶解液」
「ありがと……それは?」
「……こ、これは混ぜる薬」




 クリスティアーネは真剣な面持ちでそれを眺めている。死霊を扱う彼女にしてみれば魂をいじる作業は頻繁にある。ただ今回のような場合ほとんどない。
 そもそも精霊という存在が希少。人間の活きの良い死体に宿った精霊というのはさらに少ない。そのシルフィの魂の修復なんて機会は初めてだ。似たような調合は経験があっても緊張もするだろう。




「失敗しても怒らないから気楽にね」
「……うぇへへ……だ、大丈夫……この触媒に命を……」
「……う、うん」




 いつもは咄嗟の判断で、それを行っていた。彼女たちの命がかかっていたから、何の苦も無く実行できた。でもいまこう冷静になっているところでやるとなると、若干恐怖が湧いてくる。




「ア、アーシュちゃんこそ……」
「ははは……やるね」




 ――触媒に手を当てる。すると勝手に吸い出されるように、千切れる。




「……ぐっ⁉」




 ――痛い!!






 以前とは違って、千切れる瞬間に激痛が全身を駆け抜けた。そして千切れていった魂は感覚が共有されているのか、その先で変質していくのがわかる。
 その変質の時にもまた違った激痛が走る。まさに自分の命が消費されて行く感覚だ。






 ――痛い!!




 ――痛い!!






「ぐひぃ! ……もももも、もういいよぉ!!」




「ぐっ……ヴヴ……」
「……あ、あと任せてぇ……」




 そう言われてボクは洗面所へ駆けだす。あまりの慌てぶりに躓いてしまうが、今は必死だったので、みっともなく這いつくばってなんとかたどり着く。




「ぐばぁ!! げほっ……げほっぶはっ‼」




 苦しくて吐血が止まらない。
 涙や涎、鼻水まで出て顔はくしゃくしゃだ。さらに手足は痙攣して、びくびくとあらぬ方向へ動く。それは神経が別の者に支配されているみたいにまったく別の方向に動くものだから、当然骨が折れる。
 ごき、ごきっと何度も音を立てて折れているが、痙攣と反射運動を止めることができない。
 以前より反動が明らかに強かった。


 クリスティアーネがくれた鎮痛剤が効いてきて痛みが和らいだが、それでもじぶんの足があり得ない方向に向いてもビクビク動く様子がまた気持ち悪い。


 夜に来るであろう反動が、すぐに来ている。
 以前と違う様子に恐怖した。




 ……ボクはどうなってしまうのだろう。












 完全に意識がなくなっていた。
 気がつけばベッドに寝かされていた。身体も血と汚物まみれになっていることを覚悟していたのだけれど、奇麗になっている。


 見渡すと周囲は薄暗く、もう夜になっていたことがわかる。
 そして何かくすぐったいような感覚があってベッドの中がもぞもぞと動いていることに気がついた。




 ……。




 ベッドの中の暗がりから覗く、ギョロヌとした目がこちらを見ていた。




 ――見つめ合う二人。お互いフリーズする。




「お、おはよう……」
「うへぇ……お、おひひゃった……」




 事前に飲んだ鎮痛剤のおかげで、激痛連鎖の間は意識がなかった。それはうれしいけれど、あの鎮痛剤はきっと『何もわからなくなる薬』だと思う。


 今はまだ身体が動かないので、そのままなすが儘にされていた。




「ご、ごめんなさい……ま、魔力……な、なくなっちゃった」
「クリスティアーネになら、いくらでもあげるよ」
「……ほんとぉ……う、うれしぃ……うひひ」




 彼女もまだ魔力も体力も足りていないのに、薬を作ってくれたのだ。魔力もすぐ枯渇しただろう。


 そのおかげで完成した薬は、彼女に預かってもらう。
 きっとボクが直接飲ませることは出来ないだろうから、それを彼女に託す。計画の全容は彼女には話していないが、すべて終わった後に飲ませるようにお願いした。















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