勇者が世界を滅ぼす日
境界線
学園の子供たち、それから演劇関係者はそろってお城に招待された。今夜は公演記念パーティをするそうだ。そのあとは一泊宿泊予定になっている。
みんなはすでにその会場へと向かって行った。
一方王国軍では、エルダート奪還の作戦会議が行われていた。会議には、今回団長代理を務めたシルフィが参加している。いまは指揮が乱れているから、今日だけでも参加してほしいと頼まれてしまったそうだ。
そしてボクだけはクリスティアーネを抱きかかえて、客室へ戻って来た。
彼女をベッドへと寝かせると一息つく。状態があまり良くないので、ボクは今晩ここで不寝番兼看病する予定だ。
王城にいる医務員に診せたが、すでに外傷がないので彼女の体力次第だと言われてしまった。
「……うひひ……い、いって……きて……?」
「いや側にいるよ。ボクは警護だけで活躍もしていないし」
「……うへぇ……へ……う、うれ……しいぃ……」
顔に手をあてて熱がないか確認していると、嬉しそうに頬を摺り寄せて涙を流している。クリスティアーネは長生きしているのに、本当に優しくされるという経験に乏しい。
そう思うと十五年しか生きていないボクの天涯孤独感なんて、ずっとちっぽけじゃないだろうか。
やがて握っていた彼女の手の力がだんだん抜けて滑り落ちる。肌の色がさっきより蒼白になって、額に大粒の汗が出ている。
「……クリスティアーネ?」
「……あ……あ……」
……これは寝たわけではなく、意識が混濁しているようだ。
明らかに悪い方向で症状が出ている。やはり大量の出血が原因だろう。造血剤もすぐに作用するわけでもないし、そもそも体に体力が戻ってないと意味がない。生命力が落ちて自己治癒が出来ないところまで来ている。
シルフィやアイリスには怒られそうだけど、あれしかない。
できれば避けたいが、このままではクリスティアーネは……。
――気がつけばボクは彼女に唇を重ねていた。
そしてレイラの時にやったように、生命力を千切り取って彼女へ分け与える。
こんな事できるのは以前の経験からか、あるいは勇者の特権なのか分からない。けれどもう二度目だから意識するだけで難しくはなかった。
問題はその後の激痛だけだ。
……ぐぅううう!!
ぷはっ!!
はぁ……はぁ……はぁ……
……やがて彼女の蒼白だった顔色に血が通って、赤く火照っているようだ。
頬に手を当てると、温かいものが感じられた。意識がないのに脊髄反射のように、ボクの手にほおずりしている。
……どうやら助かったようだ。
彼女の手を握ったまま、その場にへたり込んでしまった。力が抜けてしまってしばらく動けそうにない。
そのままでいると扉を叩く音が聞こえた。
会議を終えたシルフィが戻ってきたようだ。
「……おわったのだわ~……⁉」
「……お、お疲れ様……」
ボクは冷静を保とうと思ったが、シルフィには一発でばれてしまったようだ。楽しそうだった顔は急に、ひどく嫌な顔になる。
「おい……命を千切ったな?」
「……う、うん」
シルフィの顔がこわい。前回はオババしかいなかったから気がつかれなかったが、今回はごまかせそうにない。
バチン!!
「あほー!! そんなことしたらアーシュが壊れちゃうのだわ!!」
頬を殴られるなんて、魔王戦以来だから驚いてしまった。もっともあの時とは状況は別だが。
……シルフィは……ぽろぽろと泣いている。涙をぬぐうことも忘れて、顔を赤くして怒っている。そして何かを諦めたように俯く……。
「……そんなの無茶を通り越して、自殺なのだわ……」
「ごめん……でもクリスティアーネが危なかったんだ」
「……でも……」
「大丈夫だよ……これでも生命力はあると思うんだ」
「うるさい!! うるさいのだわ!! もう知らないのだわ!!」
そう言い捨てると、走って行ってしまった。周囲にはまだ人は帰ってきてないから廊下は静まり返っていた。
その静けさが、さらにボクに追い打ちをかけているようだ。
……シルフィに嫌われた?
さすがに甘えすぎたということだろうか。
シルフィもアイリスもボクのやることに、なんでも認めてくれて寛容に受け入れてくれていた。それに胡坐をかいて、彼女の事も考えずにやりたい放題やっていた。
そういうことだろう。
いつも隣にいてくれたのに、何の相談もなしに、文字通り命を削るなんてしたら怒るのは当たり前だ。
でも……クリスティアーネを放ってはおけなかった。
何千年と生きて、それでも友達すらできない子がやっと見つけた宿り木。なのにそれを守るために、死んでしまうなんてボクには我慢できなかった。
まだまだ楽しいことはいっぱいあるし、二度目の公演だって行けるんだ。
しかし……ぽっかりと開いてしまった風穴は埋められそうにない。
さっきから命を千切った反動が来ている。死ぬほど痛いはずなのに全く感じないほどに、心が千切れそうだ。
……ずっと涙が止まらない。止めようと思っても溢れてきてしまう。
そして何も感じずとも、冷や汗は流れてくる。
へその下を切裂いて、内側から内臓を引きずり出されるような感覚。痛覚はマヒしているから気持ち悪さだけが伝わる。
さらに胃から喉元へ、鉄臭い感覚。
前回は血を吐き出すほどではなかったが、今まさに口まで鉄臭さが来ている。たまらず部屋の隅にあった屑籠へ血を吐き出す。
……やばい……心が折れそう……。
しばらくすると、再び扉を叩く音が聞こえる。音の主はパーティを早く切り上げてきたナナだった。
「アーシュ? 部屋が暗いけど……」
「ナナ……クリスティアーネが寝ているからね」
「……そう。平気なの?」
「あぁ……もう大丈夫だよ……」
ナナは気を使って小声で話しかけてくれる。
彼女に言われて部屋が薄暗いことに気がついた。それどころではなかったから。でもそれを言ってしまうと、何かあったと思われてしまうから黙っていた。
冷や汗はまだ止まっていないが、痛覚は完全にマヒしている。話をするぐらいは大丈夫だろう。
「……アーシュ……泣いていたの?」
「……そ、そんなことないよ」
「うそ……かくさなくていいよ」
取り繕っていたのが一瞬でばれてしまった。魔王城の女性陣はとにかく全員鋭い。ボクの隠し事は隠し通せたことがない。
情けなくてあまり言いたくないが、正直に話すことにした。
「……シ、シルフィに嫌われちゃって……か、悲しくて……」
言っていて悲しくなって、みっともなく涙をこぼしてしまう。
やはり彼女のことになると、ボクは冷静でいられなくなるようだ。
「ふふ……」
「なにが面白いんだよ……」
「アーシュも人の子なんだなって……安心した」
「いや親の顔を知らないから、人の子かどうか知らないけど」
「小説でもよくあるこのセリフを、そんな返しする人、初めて見たよ……」
「小説?」
「お話を本にしたやつ」
異世界の本の呼び名らしい。最近では紙を使わないで魔道具で見る小説が流行りだという。まったく想像できないが、気を紛らわす話としてはとても楽しい。
そして少し話してから、シルフィについて教えてくれる。
そう言うところは少し意地悪いのと思うのだ。
「シルフィちゃんなら、怒っているだけで嫌ってないと思うよ?」
「……え?」
「パーティ会場に後から来て、やけ食いしていたから」
「……はは……そ、そうか……くくく」
てっきり、嫌われたのかと思っていた。
それだけであの絶望感。ボクはすっかり彼女が隣にいるのが当たり前になってしまっていたのだろう。
失ってその大切さに気がついた。
「ありがとうナナ! ちゃんと謝っておくよ!」
「急に元気になって……あれ?体調わるい?」
「ああ……いや大丈夫だよ」
シルフィの事はボクの考えすぎだった。それがわかって安心したら、今度は反動の痛覚が明確になって来た。
でもナナにこれは悟られたくないから、もう少し我慢だ。
ここからがナナの本題。
片付けをしているときに、アミが魔女に見染められたことを気にしていた話だ。ナナは羨ましがっていたと思っていた。
しかしそれはボクの勘違いだった。
「……ごめんね。ボクは交流が下手なんだ……」
「ふふ……知ってる」
「くくく……ひどいなぁ」
ナナは本当に話し上手だ。
つい乗せられてしまう。そんなナナでも話の、気持ちの整理がつかないようだ。すこし考え込んでしまう。
「うーん……違う……いや違わないのかな……」
「ゆっくりでいいから……」
「……うん」
まだ異世界にいた頃。
アミをいじめから助けられなかったと言っていたが、実はそうではなかった。
アミの性格はとにかくいじめられやすい。けれどそれ以上に、彼女の容姿は可愛いのだ。それが他の女子の反感を買った。
ナナも少なからずそれは感じていた。
――そして見て見ぬふりをした。
ナナはその感情と衝動にずっとさいなまれていた。
そして今回また手の届かないほどの能力を、努力で手に入れている。
ついに『人間』を辞めて、高位の存在へと進化するのだ。
あまりに正しすぎるアミにまた嫉妬してしまった。あの衝動がまたやってくる。
そんな自分に嫌悪するのだ。
「それに魔王城ってさ……みんな強いし、存在としても高位でしょ」
「いや……ボクは……存在としてはただの村人だ……」
「はぁ?……アーシュが村人だったらあたしはゴブリンになっちゃうよ」
いぜん人間なんてゴブリンと同等だなんて、言われたことを気にしていたのか。なんとも言えない腹黒い冗談だ。
「でもボクは人間だから……他のみんなと違って寿命がきたら死ぬよ」
「そっか……」
「そうしたらボクとナナだけおじいちゃんとおばあちゃんになっているね?」
そう言ってすこし悪戯っぽい顔をして見せると、ナナは目を丸くして驚いた。
「……ぷっ……あははは……それは楽しそう!!」
ボクにしては気の利いた冗談だったのか、殊の外うけた。
「……くくく。ナナとボクの悩みは何か考えてみるよ」
「うん……でも一緒に老人をするのも悪くないって思っちゃった」
そう言ってパチリと片目を瞑り、微笑みながら出て行った。その可愛らしさはアミに負けていない。
……なんだ、嫉妬する必要なんてないじゃないか。
そして静寂がやってくると、また痛みがひどくなっていく。
どうやら今夜も長そうだ……。
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