勇者が世界を滅ぼす日
福音の恐怖
戻ってきた日の夜。
ルシェが話が二人だけで話したいというが、シルフィが離れないので仕方なく一緒に聞くことにした。ミルたちはもう休んでいる時間だ。
「どうしたんだ?あらたまって」
「……あ……うん。あのねアーシュ。」
少し赤らめて、どことなく瞳が潤んでいる。
魔道具の灯りが彼女をうっすらと照らすと、艶がかった唇がなんとも妖艶な雰囲気を見せている。
普段の中性的な容姿とはあまりにも違う彼女に少し緊張した。
「いいよ、落ち着いて話そう。こっちヘおいで」
「う、うん」
少し声が震えて緊張している様子だ。ただ緊張しているわけではなく、彼女から伝わってくるのは『恐れ』に近い緊張。このままではどうにかなってしまいそうなほど、思い悩んでいるような、悲しそうな感情が流れてくる。ベッドの横にちょんと座った彼女に頭をなでる。
そのまましばらく、静寂のまま撫でていた。シルフィも空気を読んで静かにしている。
「……ん。アーシュ。ボクもう大丈夫」
少し落ち着いたのか、真剣なまなざしでこちらを見ている。何か言うことを決心したようだ。
「ねぇ。アーシュが勇者パーティーの荷物持ちって嘘だよね?」
「さすがにルシェにはわかってしまうか」
「……うん。アイリスもわかっていると思う。アイリスの軌跡を追って分析した結果だから」
「そうか。ルシェは軽蔑した?」
「……ううん。おどろいたけれど、それより……」
「ん?」
「ううん。なんでもない!……それよりおねがいが……」
ルシェはボクの袖をつかんで、その先を言わない。でも何を求めているのかはすぐにわかった。悪魔族の常識的には構わないそうだけれど、人間的な感覚でいえばアイリスがボクのせいで思い悩んでいるのに、気が引けてしまう。
「ケケケ、アーシュは繋がりをもっと作った方がいいのだわ。あちはそっちで寝てるのだわ~♪」
スキルを理解している彼女は特に繋がりを持つように推し進める。精霊ハーフである彼女も嫉妬したり、嫌な感情を持つこともないそうだ。ちゃんと自分も見てくれるだけで満足だという。
気を利かせた彼女は少し離れた長椅子で横になって、すぐに寝息を立てはじめる。
「アーシュ……アイリスがいなくなってから、ずっと辛そう……」
「それは……ね。……ボクが悪いんだ。」
ルシェはボクの背中に腕を回し、涙ぐみながら慰めてくれる。そして耳元でこうささやく。
「絶対に、忘れたくない……。忘れたくないよぉ!」
「王国ではそう言ってくれる人がいなかったから、うれしいよ」
すごく焦りを感じている。いつそうなるか全く予想が付かない。王国では巨大な陰謀が要因であったけれど、勇者の感情が大きく揺れ動けば、些細なことだってそれは起こりうる。
エルランティーヌ女王がそうであったように、気持ちだけでなく記憶すら砂のように零れてしまうのは恐怖だ。能力的には、誰にも負けることのない強さを持つルシファーですら、その恐怖に震えている。
できればこんな恐怖や悲しみがきっかけじゃないほうが良かった。でもそれでもボクを求めてくれるのは、最愛の好意を抱いたからだと言う。
――だからボクは応える。
それでもまだルシェは『勇者の血』については知らない。これを知っているのはまだシルフィだけだ。その事実をしったらきっと絶望してしまうかもしれない。
でもボクのかけがえないものになってくれるルシェにはいずれ話そう。
ルシェが色々とぽつりぽつりと雑談交じりに今の事を話す。
王国の動きについても話した。つくづく仕事悪魔のようだと苦笑する。
あの時の女王は話さなかったけれど、世界のパワーバランスを気にしているそうだ。いま近隣国や魔王領から攻め込まれたら、ひとたまりもない程に王国は疲弊している。
それにアミたちと一緒に来た人間の中に、『勇者の福音』の持ち主がいるそうだ。しかもまた無能だと勘違いして、王都を追放してしまった。
『勇者の福音』持ちというのは、揺り返しがなくとも嫌われる傾向にあるのかもしれない。
女王は勇者の福音にあてがあると言ったのは、そいつのことだろう。
それから召喚した勇者たちの強さは比べるまでもなく弱い。女王は代替案を何か画策しているということも聞いた。召喚者はこちらの常識が通用しない、制御の利かないゴーレムのようなものだ。アミやナナのようにおとなしくて良い子ならよいのだけれど、強気な性格がきたら一発でアウトだ。
エル……はやまらないでほしいな。
「一時戦争回避したけれど、もう時間の問題だね。ボクたち魔王領はどうするの?」
ルシェが思う当然の不安だ。戦争なんかに巻き込まれれば、いくら戦闘力の高い悪魔族でも被害をなしに何てできない。
「魔王領に影響がなければ不干渉が良いと思っているよ」
「……うん。ボクもそれがいい。でも無理。きっと巻き込まれちゃう」
ルシェは言いづらそうにしている。
そう。次にいう言葉は分かっている。やはりこれもボクのせいだ。
「魔王という人類共通の敵がいなくなったのが一番大きいんだ……」
そう。魔王討伐。これが本当の引き金だ。
命令されてやっただけなんて、無責任なことは言えない。ボクもそう信じて討伐してしまったんだから。
勇者の血のこともあるし、ボクは本当に存在自体が悪だな。
「アーシュ……」
ルシェはボクを名を何度もよんで、慰めてくれた。頭を撫でて、手をしっかり握ってくれる。
「大丈夫なのだわ」
「「わぁ!!」」
二人で話をしていた反対側にいつの間にか、シルフィがいた。ボクの腕にピッタリとしがみついて、ニヤリといやらしい顔をしている。そんな顔も可愛いのだからシルフィは反則だ。
「いつのまに……」
「ケケケ……もういい?あちも混ぜるのだわ!」
ボクの沈んだ気持ちも、彼女たちが解してくれる。『世界の悪』であるボクには、許してくれる彼女たちが必要だ。
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