勇者の出番ねぇからっ!!~異世界転生するけど俺は脇役と言われました~
第79話 この世で一番ヤバいヤツら!
「クリスがハメられただって!?」
サダマサの声が、夜のアウエンミュラー侯爵家別邸に響く。
そして、この男がこのような声を出すなんて……と、その場に居合わせた全員が図らずも同じ感想を抱くこととなった。
「……あぁ、先ほどクリスから無線連絡があってな。国境手前で不意打ちを喰らったらしい」
「それでふたりは?」
「ふたりとも無事であることは確認された。だが、まさかこんな手段を聖堂教会がとってくるなんて思ってもいなかった……」
応接室も兼ねたサロンの椅子に座り込んだヘルムントが、あまり優れない顔色で事情を説明する間、その場にいた全員が食い入るように聞き入っていた。
「……よし、国ごと滅ぼすか。せっかくじゃ、妾の黒き焔でことごとく灰燼に帰してやろうではないか。聖堂教会の歴史に新たなページを刻んでしんぜよう!」
「だ、ダメ! ティアねぇさま、それはダメ!!」
いつも通りの秀麗な表情のままにもかかわらず、とんでもなく過激なセリフを吐いて、スクっと立ち上がろうとしたティアマット。
その透き通るように美しい海を思わせる色に染められた着物の袖に必死でしがみつくイゾルデ。
「離すのじゃイゾルデ。物事にはのう、超えてはいけない一線があるのじゃ。知らなかったでは済まされぬ」
メーターを振り切らんばかりの怒りからか、表情こそ憤怒のそれにはなっていないものの、既にこめかみの後ろ辺りから竜の角が現れ始めている。逆鱗に触れたようなものだ。
この時、クリスがヘルムントに『神剣』による負傷の件を伝えなかったのは、後から考えれば大正解であった。
もしそれがティアマットの耳に入っていれば、即座に『神魔竜』本来の姿と化して、神聖アウレリアス教国まで焦土を作るために一直線で飛んで行った可能性すらあった。
「落ち着けティア。イゾルデの言う通りだ。お前が《神魔竜》として大暴れしたからって、クリスが戻って来るわけじゃないんだぞ」
クリスというツッコミ役がいないからか、サダマサもふざけてはいられないとイゾルデを擁護するようにティアマットの抑えに回る。
その額にわずかな汗が滲んでいたのは、もしも制止がきかなかった場合、どうやって歩く戦略兵器であるティアマットを止めればよいか考えていたからであろう。
「まずはクリスの救出方法と事態の鎮静化を考えるべきだ。クリスが冒険者として復帰ができない以上は、貴族としても復帰は困難になる」
「どういうことじゃ?」
「冒険者ギルドとしては、帝国からの依頼で2人にフェイクの身分を認めて今回の依頼に派遣をしている。聖堂教会が身元を洗おうと多少圧力をかけてきたところで、それに屈する可能性は少ないと思う。数日なら時間稼ぎはできる」
「じゃが、いつまでも待ってはおられぬ! 春先のまだ寒い時期だと申すのに、クリスとベアトリクスはどこかに潜伏しておるのじゃぞ!? 風邪など引いてしまってはと思うと妾は……!」
いやいや、仮にも《神魔竜》に実力を認めさせたヤツ相手に心配し過ぎだよ……とは、サダマサも思いこそすれ口には出さなかった。
クリスに対して、これでもかと愛情を注いでいるティアマットの反応がいくらかオーバーだとしても、クリスたちの身はこの場の誰もが案じている。
そこはさすがのサダマサも空気を読んだ。
「クリスの身に関しては、今は信じるしかない。それよりも、今回の一件で聖堂教会が派遣してきたと思われる護衛冒険者は、聖堂教会総本山にある神託の秘跡から現れた『勇者』だというのが実にクサい」
「――――なんじゃと!? クリスの話では、対魔族の『勇者』が現れるのはもう数年は先のことではなかったのか!?」
ヘルムントの言葉に、ティアマットが強く反応する。
この《神魔竜》は、彼女の父親同様に、人類世界の危機に現れながら、一度として竜峰の《神魔竜》に会いに来たことのない『勇者』が嫌いなのだ。
また、乙女のごとく好意を寄せていると言っても良いクリスが『勇者』となれなかったこともティアマットにとっては相当気に入らなかったらしく、元々の『勇者』嫌いに更なる拍車をかけているようだった。
「私にもわからない。だが、『勇者』は人類の切り札であり希望でもある。それを帝国への干渉のためだけにでっち上げることは考えにくい」
「しかし、逆にそう考えれば、帝国に借りを作りたくないというだけの理由で、聖堂教会が要人の護送にもかかわらず帝国聖堂騎士団の派遣を断っていることにも説明がつく。こうなってしまえば、すべてが最初から計画の内だったと見るのが自然だ」
陰謀論はどこの世界でもお盛んだ。
溜息とともに、ヘルムントの言葉を引き継いでサダマサは語る。
「ということは、聖堂教会の真の目的は帝国内部へと何らかの形で『勇者』を食い込ませることか? 早いのはどこぞの家に入れ込むことか」
「だろうな。そう考えれば一連の流れすべてに説明がつく」
既に、聖堂教会が大司教の命を狙った不信心者『クリス・バッドワイザー』という冒険者だけを指名手配していることから、現時点での狙いはクリスの抹殺とベアトリクスの身柄の確保だろう。
ベアトリクスが公爵家の人間だと気付いていなくとも、貴族の子弟であればとりあえずの足がかりにはできる。
実家の爵位が大したことがなければ、『勇者』の名を使って他の家から名乗りが上がるのを待てば良いのだ。
いかに他国の勢力であっても、『勇者』を血縁に取り込めることと、聖堂教会が後ろ盾になるということはちょっとした争いが起きるほどの価値がある。
「ところで、この辺りの話が出ている中で、公爵家への連絡と、事態に関する根回しは済んでいるのか?」
冒頭からずっと気になっていたことをサダマサはヘルムントに尋ねる。
この一件、既にクリスひとりの問題で済む話ではなくなっている。
「事情の説明は、クリスが設置してくれた無線で済んでいるよ。公爵も陛下に事情を説明すると仰ってくれた。ただ、婚約破棄はなんとしても食い止めるつもりだが、それすらも『勇者』がクリスを討った場合にはその限りではないと……」
「結局、この状態では時間稼ぎしかできないということか」
「ああ。今回の件とて、恐らくは貴族派の聖務卿あたりが聖堂教会とグルになってのことだ。初めから、帝室に食い込もうとしているようにしか見えない、アウエンミュラー侯爵家次男クリストハルトを狙い打ちにしているんだよ」
そう言いながらヘルムントは深く唸りながら、激しい後悔の念に駆られた。
現時点では、帝室派は完全に後手に回ってしまっている。
なんと甘い判断だったのか。今回の件では聖堂教会の動きにしか注意を払っていなかった。
既に、監視の目は侯爵家を全力で包囲しているに違いない。
たとえ、ヘルムントが動かなくとも、素性不明とはいえアウエンミュラー侯爵家の客人であるサダマサやティアマットがクリス救出のために動けば、即座に次の手を打ってくることだろう。
それこそ敵対勢力なら「アウエンミュラー侯爵家は、次男のクリストハルトを冒険者として潜入させ、大司教を賊の襲撃に見せて暗殺しようとした!」くらいは平然と言ってのける。
帝室派の影響力を低下させるだけなら、欲をかいてエンツェンスベルガー公爵家まで責任の追及をせずとも、アウエンミュラー侯爵家だけをピンポイントで潰せば良い。
彼らの狙いはむしろそこだ。
帝国議会上席議員として頭角を現し始め、来春より中央直轄軍の参謀本部に議会派遣参謀として加わろうとしているヘルムントを失脚させれば、空いたポストへ新たに貴族派の人間を送り込める。
そうすれば、既に採用が始まっている火縄銃の利権とて奪取することができ、中央直轄軍は強硬派筆頭のクラルヴァイン辺境伯が動けない中でも貴族派が息を吹き返す。
あとは、辺境伯の帰還を待てば良い状況となる。
この時点で、趨勢は決まったようなものである。
中央直轄軍が帝室の命令系統に属しているとはいえ、貴族派が主流となれば、帝室としては喉元に剣を突きつけられたようなものなのだから。
もちろん、それはヘルムントが焦って下手に動いた場合の話で、現実的にはクリストハルトを『勇者』に始末させることが精々で、到達可能な目標としてはベアトリクスと『勇者』を婚姻させることができれば十分くらいに考えていることだろう。
そのための、シナリオも既に用意されているに違いない。
思いつく範囲でも、クリストハルトが貴族の誇りを見せるべく、賊から婚約者を救出するために出向いて行方不明となる。
状況から見て賊に返り討ちに遭ったのだと、どこからその情報を得たかは謎でも、早々に貴族派が噂を流して公式に死亡扱いへと追い込めばいい。
そして、今度は公爵家令嬢を救い出した『勇者』こそが公爵家に入るのが相応しいと喧伝し、クリストハルトとベアトリクスが冒険者として潜入していたことを公にしない代わりに公爵家に婚約破棄をさせようとするのだ。
これだけで、アウエンミュラー侯爵家は、帝室との繋がりを失うばかりかクリストハルトがベアトリクスを救出できなかったことで帝室派からも人望を失い勝手に傾いていく。
「そうまでして権力が欲しいのか、あの者たちは……!」
描かれているであろう最低なシナリオを予測したところで、ヘルムントの声が怒りに震える。
貴族派は、帝室派の排除のためだけに、こんなふざけたシナリオを飲んで聖堂教会に帝国を売ろうとしているのだ。
「これじゃクーデターどころか政権転覆レベルだな……。ヘルムント、この計画を練ったヤツはおそらく教会上層部だぞ。今回帝国に派遣された大司教程度ができることじゃない」
サダマサも『同郷』出身のクリスが窮地に追い込まれていることに心中穏やかではないのか、その表情に僅かではあるが不快感を露にしている。
「枢機卿レベルか、それとも……。あまり考えたくないが、異端派も暗躍している気がするな。ヤツらも侯爵家には恨み骨随だろう」
「ヤツらバカなのか? 《神魔竜》である妾や『使徒』のクリス、更には人類最高戦力クラスのサダマサをいっぺんに敵に回すつもりかえ?」
これまたクリスが用意していた扇子を手に打ち付けながら、不快感を露にするティアマット。
これ以上感情の幅が大きくなれば、その扇子とて無事では済まないだろう。
冷静になろうとしているのはわかるが、この後の言葉次第ではそれもどうなるか――――ヘルムンントは既に半分くらいは生きた心地がしていなかった。
「……知ってるかティア。威力の知られていない兵器は抑止力にはならないんだぜ」
そう、ヘルムントに代わってサダマサが言った通りであった。
実は、他国からの要らぬ干渉を避けるべく、帝国は未だに《神魔竜》ティアマットと『使徒』クリストハルト、『転移者』サダマサの存在を秘匿していたのだ。
さらに言えば、それは帝室派でもごく一握りの人間しか知らない超極秘情報のため、敵対勢力である貴族派が知ろうはずもない。
本気で怒らせれば帝国の存亡と引き換えに、人類圏のヒト族国家を石器時代に戻せる連中がいるのだと。
「なんと……。アレから3年近く経っているのにまだ掴んでおらなんだか。この時ほど、貴族派の情報収集力が情けないと嘆くこともないじゃろうなぁ」
少し気分が落ち着いたのか、ティアマットは椅子に腰を下ろした。
そこまで確認して、それまでずっとティアマットの着物の袖を握りしめていたイゾルデも、軽くホッとした様子でようやく手を離すことができた。
「それで、ヘルムントよ。クリスはなんと申しておったのじゃ? 妾たちのことに言及してないはずもなかろう?」
心配をかけたことを謝るように、傍らのイゾルデの頭を撫でながらティアマットは侯爵家の当主へと尋ねる。
「あぁ、これは失礼を。サダマサ殿とティアマット殿には「今は堪えてくれ」と。それから、「『勇者』は俺がなんとかする。この世界に『勇者』の出番なんてねぇからな!」……とも」
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