ブアメードの血

キャーリー

61

 池田敬は歩いていた。


落谷をあっさり失い、他の三人と共に黙々と。




 志田を先頭に、中津、静、殿は池田。


スマートフォンのGPSを頼りに、岡嵜邸の所在地を目指して。




 落谷の件で、先頭を切って進む志田は、すっかり用心するようになっていた。


池田から借りたバッテリーライトを頼りに、暗闇の中を必要以上に慎重に進む。


時折聞こえる、周りの木々の葉のかすれる音にさえ、敏感に反応する。


他の三人も、逆手に持ったライトを右に左、時には上にも向けながら、恐る恐る足を進めた。


そのため、谷津田らがかけた時間より、二倍近く歩いているが、まだ岡嵜邸に到着していない。


警戒すべきは発症者だけではない、ここはすでに岡嵜のテリトリーのはずだ。


もしかしたら、何か罠や仕掛けがあるかもしれない。


そんな、言い知れぬ不安が、四人に付き纏っていた。




 「あの、もうすぐ、岡嵜が指定した一時間が経ちますけど…」


静が沈黙を破って言った。


「もう、この際、連絡はする必要ないでしょう。


間もなく、到着しそうですし…」


池田がスマートフォンのマップで現在地をチラ見しつつ、右回りに一回転して、警戒を怠らない。


「あの、それはどういう意味ですか?」


前を歩いていた志田が後ろを振り向かずに訊いた。


「ああ、すみません。


岡嵜から一時間毎に連絡して来いと言われていたので…


それから、連絡がないと兄を放逐するとも…」


「そうでしたか…あの…言いにくいことですが、岡嵜やその娘はもういないかもしれません」


「え、そうれはどういうことですか?」


怪訝そうな静の後ろの二人も目を見張った。


志田は歩みを止め、ゆっくり振り向いて三人の顔を見ると、観念したように口を開いた。




「申し上げてなかったのですが、ヘリの中で警視庁に連絡を取った時、岡嵜母娘が確保されたとの不確かな情報がありました」


「ええ!?」


三人から驚きの声が漏れると、志田は左の掌を向けて、それ以上の言葉を制する。


「もちろん、捕まったお兄さんや外国人らの救出というのが一番ですが、その情報が本当かどうか、確かめる命も受けているのが、実際でして…」


「そうでしたか…あ、なら、私がリネしてみたらそれがわかるんじゃないでしょうか」


「うん?」


「リネして既読や返信がなければ、本当に捕まった可能性が高いでしょうから」




「なるほど、では、お願いしてよろしいですか」


静がスマートフォンを取り出すと、残りの三人はそれを囲むように立って周りを警戒する。


「とりあえず、まだ生きているということだけ伝えて、近くまで来ていることは伏せておきましょう」


池田の言葉に無言で頷き、静は指を動かした。




「定時の連絡です、待っていてください、とだけ打ちましたけど、流石にすぐに既読は付きませんね」


「こればかりは時間が少し経たないと何とも言えませんね。


万が一、捕まってなかった時のことも考えておかないと…」




 その時、ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。


「まずいな。これでは視界もさらに悪くなるし、音も聞こえにくくなってしまう」


志田がまた眉間に深い皺を寄せる。


「とは言っても、もうすぐそこです。


ここまでくれはなんとか…」


「しっ!」


中津の言葉を止め、志田が急に身を屈めて警戒態勢を取った。




「…があああ」


前方の暗闇からの唸り声。


他の三人にも緊張が走り、身構える。


間もなく現れたのは、明らかな発症者だ。


スーツ姿の男で、身なりはきちんとしているが、その表情は穏やかではない。


「下がっててください」


志田は後ろに目もくれずにそう言うと、銃を両手で構えた。


三人はその男にライトの光を集中させて援護する。


男は勢いを増して、走ってきた。


バン!


志田の弾は男の心臓付近に命中し、勢い余ってつんのめり、志田の前方二メートル近くまで来て、突っ伏して倒れた。


志田は、ゆっくりとその発症者に近付くと、止めとばかりに二発の弾を背中に撃つ。


中津と静はその様子に声こそ上げなかったものの、正視できずに顔を背けた。


「気の毒ではありますが、念には念を、です。


本当のゾンビではないとのことですから、三発の弾を胴体に食らって生きていらいれる人間はいませんよ」


志田はそう言って銃を下ろすと、銃創を取り出して、落谷から預かった弾を詰め込む。




「しかし、この恰好、もしかして…」


志田はそれでも慎重を期して、右足で俯せの男をひっくり変えそうと力を込めた。


その時だった。


発症者が急に息を吹き返したように動きだし、その志田の足首を掴むと、噛み付いた。


「ぐあ!馬鹿な!」


バン!


志田は今度はその発症者の頭を撃ち抜いた。


近くから発砲したため、頭の何分の一かが吹き飛び、脳漿が飛び散ると、さすがに静と中津から悲鳴が上がった。


それを気にする余裕もなく、志田は噛み傷の痛みにその場に座り込み、傷を手で押さえる。




「ちくしょう!なぜ、こいつは死ななかったんだ!」


志田はまだ信じられない様子で、俯せの死体を強引に仰向けにひっくり返す。




「防弾チョッキ?…こいつ…」


志田は死体の懐を弄ると、警察手帳を見付けた。


「警察庁公安部外事課…岡孝雄…、先に来ていた公安だったか。


外傷はないようだから、例の動画を見ての発症か…」


志田は動画での零の言葉を思い出していた。




「当然ながら映画のようなゾンビそのものにはなりませんよ」


「まあ、本当のゾンビじゃありませんから、別に頭を撃ち抜かなくても、普通の人間が死ぬことをすれば、死にますからね」




そんな言葉が、自然にインプットされていたのだろう。




無意識に、頭を撃ち抜くことを避けていた。


至近距離で撃ち抜かれた頭は、原型を留めなくなる場合があることを知っていたから。


先ほど、落谷を襲った操縦士を撃ち殺した時もそうだった。


若い女二人の前で、これ以上、残酷な光景を見せないように配慮する気持ちもあったかもしれない。


だが、そんな配慮でさえ、この世界では致命的なミスに繋がることとなった。




「志田さん、何と申し上げればいいか…」


池田が恐る恐ると志田に近付き、声をかけてきた。


静と中津の方は怯えて、声を出せずにいる。


「慎重に慎重を重ねたつもりだったんですがね、それでも甘かったようだ。


まさか、刑事が刑事を撃って、こんな結果になろうとは…


皮肉なものです…」


志田は、あぐらをかくように座り直すと、また一発空いた銃の弾倉に、落谷から預かった最後の弾を詰め込んだ。


「これをお預けします」


「よろしいんですか」


そう言いつつも、池田は銃を受け取る。


「銃を持ってても、この有様です。


あなたたちの軽装備では、余りにも心許ない」


「しかし…」


「銃刀法違反…ですが、そんなことを言っていられる世界ではなくなったでしょう。


この刑事はあいにく銃を持っていないようですが、持っていれば、私は躊躇なく奪っていた。


法と命、どちらが大切か比べるまでもない。


それでも敢えて法律で言うなら、正当防衛ですよ。はは」


「わかりました。これでも、元警官ですし、銃の扱いは心得ております。


大事に使わせていただきます」


「ああ、そうでした。


あの池田計探偵、元捜査一課刑事の甥っこさんでしたね」


「叔父をご存知で?」


「ええ、私の年代で知らない者はいないでしょう。


優秀な方でした。


ただ、あの奔放さは警察の枠には収まらないというか、合わなかったというか。


探偵業を始められたと聞いても、不思議には思いませんでしたよ。


あなたも、その血を継いでいるのでしょう」


「いやいや、叔父には、探偵のイロハを叩きこまれましたが、甥だからというだけで、事務所を引き継いだだけの分際です」


「そうですかね?


ヘリコプターでは思うようにならなければ、我々を襲おうとしていたくらいだ。


臨機応変、やるときはやる、まさに池田家の血筋でしょうな、はは」


「すみません、と言うべきか、そんなことなないです、というべきか」


<親父も優秀だった、という、お褒めの言葉と受け取ろう>


池田は謙遜しながらも、内心そう思った。


「お恥ずかしい、では?」


中津がまたぼそりと呟いた。




 志田はその場に残ることとなった。


足首の出血がひどく、歩くこともままならない。


助けを呼ぶことができず、いつ発症するかもしれないこの状況では、いずれにせよ、助からないであろう。


志田は落谷のように自死も選ばず、残りの時間はスマートフォンで家族への連絡に充てることにした。


ネット回線も重たくなってきてはいるが、まだ辛うじて動いている。




 池田は、岡の着ていた防弾チョッキを使おう、と提案したが、発症者の物を身に付けるのはどうかと、中津にたしなめられて、諦めた。




 「――では、お気を付けて。


お兄さんが見つかるといいですね」


そう言う志田に三人は無言で頷くと、重い足取りで岡嵜邸へとまた歩き始めた。


声の掛けようもない。


志田の潔い覚悟がなければ、さらに時間と苦悩を要したことであろう。




 しばらく進むと、大型バイクが道のそばにあるのが見えてきた。


「シノビH2…か…


いいバイクだが、ヘルメットがあるってことは…どういうことだ?」


「きゃあ!しょ、所長!」


「なんだ」


「あの、ちょっと、こっちに…あ、静さんはそこで待っててください」


バイクの前方に進んだ中津が小さな悲鳴の後、すぐに落ち着きを取り戻すように言った。




 池田が中津の方にライトを向けて近付くと、すぐに悲鳴の意味が理解できた。


そこには、頭を撃たれた男、田中が倒れていた。


普通なら惨たらしくて見られたものではないが、先ほどの件もあり、二人は用心しながら、ライトを向ける。


田中はワイシャツにネクタイ姿で、そばに上着が無造作に置かれている。


顔にライトを当てて見るも、瞳孔を開いたまま、ぴくりともしない。


それでも、池田は田中を杖で何度が突いて様子を伺った。




「間違いない、亡くなっている…」


池田は杖を地面に置き、先に上着の方を探ってみると、警察手帳が出てきた。


「田中可奈太…この人も、さっきの人と同じ、公安の所属か。


頭を撃たれてるが、発症して撃たれたのか、それとも…」


池田は次に、田中の身体を探り始める。


「やっぱり、銃は持っていないか…いや…!?」


「何かあったんですか?」


静が少し離れた場所から声をかけた。


「ちょっと、待ってください…よっと」


池田は男のズボンの右ポケットに銃を見付けた。


やはり、K&H製だ。


それは、岡の銃だったが、池田に知る由もない。


弾倉を抜いて確かめるが、弾は全て詰まっている。


「弾を使った形跡がありません。


なんで、この田中さんを撃った犯人は別の銃を所持しているということに…


この人が発症して、別の刑事が撃ったのかもしれないですが、それなら、仲間に対してこんなぞんざいな扱いはしないでしょう。


ということは、撃ったのは、岡嵜か有馬…でしょうね」


静は無言で頷く。




池田は立ち上がると、周りへの警戒を怠らない中津に近付き、銃のグリップエンドを向ける。


「え?私、銃なんか使ったことありませんよ」


中津はそう言いつつ、恐る恐る受け取った。


「いいから、こいつはオートマティックで扱いが比較的、簡単なんだ」


池田は懐中電灯をポケットにしまうと、志田の銃を出して構えた。




「ここの隙間を空けずにしっかり握る、こんな感じで手首は真っ直ぐ、左手で包むようにこうもって…」


中津は見よう見まねで池田と同じように構えると、静が懐中電灯を照らして、それをサポートする。




「――そう、そうだ。


それから、目線に上げて、この飛び出たところ、フロントサイトとリアサイトね、それでこのリアサイトの隙間から覗いて、フロントサイトが見えるように合せて…


打つ時だけ、こうして人差し指を穴に入れて、指の腹、ここで引き金を…って、今は、撃つなよ。


弾が無駄になるから」




池田は身振り手振りで中津を指導した。




 「――こんなの怖くて実際、人を撃てるかどうか…なんとも…」


中津が珍しく、弱音を吐いた。


「まあ、ほんとにいざっていう時だけにしてくれ」


「あの!池田さん!」


「え!?何、またゾンビ!?」


静の呼び掛けに驚いた池田が素っ頓狂な声を上げると、中津も焦って銃を左右に向ける。


「いえ、あの、リネに既読が…」


静が手に持ったスマートフォンの液晶側を二人に見せた。


「ああ、そういうこと…」


中津が恥ずかしそうに銃を下すと、取り繕うように口を開く。


「返事は…なし…ですか。


捜査員が見た可能性は否定できませんが、やはりいることを前提に動いた方が良さそうですね」




 雨が少し強まる中、三人はついに岡崎邸の門まで辿り着いた。


門の扉は開きっ放しになっており、マリアが外灯を切ったため、建物に灯りは見えない。


池田が奥に見える建物を懐中電灯で照らすと、玄関らしき扉が見えた。


「池田さん、あれ…」


静が門扉の一部に懐中電灯の光を当てる。


そこには、666の数字を円形にあしらった紋様があった。


映研の映像で、一志の被された黒い袋にあったものだ。




「あの映像に出てきた模様と同じ…ここで間違いない。


ようやく、辿り着いたか、長かった…


ゲームで言えば、ラスボスの城に到着でございってか。


それにしちゃあ、随分、今風の洒落た城だがね」


「そういうのはいいとして、いよいよですね。


それでどうするんです?


やけに静かですが、まさか、やっぱり警察に逮捕されて、もぬけの殻なんてことは…」


「確認するまでです」


それまで後ろに着いて歩いていた静が、話す二人を追い抜くと、さっさと玄関に向かった。


「ちょっと、静さん、待って待って」


慌てて池田が後を追い、中津が仕方ないという風に続く。




「静さん、気持ちはわかりますが、ここは慎重に」


池田が追いついて静の肩を持った。


「ごめんなさい。


ここに兄がいるかと思うと、いてもたってもいられなくて…」


「あの、家の向こうに灯りが見えます」


少し外れて着いて来ていた中津が、建物の奥を指差した。


二人が少し左によって見ると、確かにうっすらと光っている。


「確かに。静さん、ちょっと回ってみましょう」


池田の提案に、静は無言で頷いた。




池田を先頭に三人は慎重に建物を迂回し、裏庭に向う。




 「うわ!これは…ひどい…」


目の前に広がる光景は、地獄絵図だった。


芝生の上に転がる死体の山。


発症した裸同然の外国人の男女十二人、スーツ姿の男が四人。




「そんな…」


静は凄惨な現場にも関わらず、ふらふらとその現場に足を進める。


「静さん、気を付けて」


「所長、あれを…」


顔をそむけた中津が、建物の掃出し窓からカーテン越しに見える灯りに気付いて、指差した。


「あそこに、岡嵜か有馬、或いはその両方がいるかも…ってことか?」


池田は生唾を飲んだ。


「取りあえず、静かに、いることを前提に、気付かれないように、慎重に…」




三人はなるべく音を立てないように、死体を調べて周る。


「半裸の人たちは、どれも外人さんみたいだな…あの動画に出ていた…


みんな、銃で撃たれているから、発症してこの刑事さんたちを襲おうとして、反撃された…


で、スーツのご遺体はやはり、さっきと同じ、公安の方々か…」


一通り調べた池田が言った。


「銃が一丁だけ落ちてました。


それと、これも…」


中津が、尾津の残した銃と、零の放り投げたスタンガンを見付けて、池田に示す。


「その銃はいざって時に役に立つかもしれん」


池田は、中津から銃だけを受け取ると、銃創を外して中を確認した。


「残りは…三、四…五発か。


しかし、他の刑事たちが銃を持っていないところを見ると、岡嵜母娘が奪ったとみて間違いないだろう」


そう言いながら、隠れ蓑として使った大きな黒いポリ袋を取り出し、銃を入れる。


「どうするんですか、それ」


中津が半ば軽蔑するような目つきでその様子を見守る。


「雨に濡れないようにな。


適当な袋がないから、これ使ったけど。


要は、これを万が一に備えてこの辺に隠しておくんだよ。


ほら、ドラマとか映画でよくあるじゃないか。


誰かが捕まって人質となる。


そして、銃を捨てろと言われたり、奪われたりするだろ。


そんな時、俺はいつも思うんだよ。


予備の銃をどこかに隠しておけば良かったのにって」


「そんなもんですかね」


「ま、俺も役に立つとは思えないけど、これからこの"城"に入ったら、銃撃戦も覚悟しないとな…」




 「――全員見ましたけど、兄はいないようです…」


全ての死体を調べ終わった静が伏し目がちに言った。


それは、一志がまだ死んでいるとは限らないという、望みにつながる一方、では、どこに、もしかしたら、という漠然とした不安にもなる。


池田はさすがにその思いは口に出さずに、ポジティブな言葉を探した。


「良かった。それなら、まだ、どこかに…」


バンッ!


唐突に銃声が鳴り響くと同時に倒れたのは、池田だった。

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