ブアメードの血

キャーリー

53

 八塚克哉は驚いていた。


ゾンビの真似をしていた男、尾坂が「ゾンビは互いに襲い合わない」と言ったことに。


そして、それを利用してゾンビのふりをすれば襲われない、と。




 「本当ですか、それは」


「嘘だと思うんでしたら、どうぞご勝手に。


でも、現に私はこうして生きています」


「ゾンビのふりなんて、私無理、絶対無理」


江角がそう言って、半分以上飲んだ炭酸飲料を八塚に返した。


「俺だって最初やる時は抵抗あったけど、足が遅い上に体力もないから、しょうがないだろ」


馬鹿にされたように感じた尾坂が、江角を睨みつける。


「べ、別に、私が無理というだけで…」


江角は不貞腐れて押し黙った。


「なんだよ、せっかく教えてやったのに…」


「まあ、とにかく、その情報はありがたいですね。


私は試してみようと思います。


もう、こちらも体力の限界に来ておりまして」


八塚が間を取り持った。


「それじゃあ、私はこれで」


尾坂は不服そうにその場を立ち去った。




 その様子を八塚たちが見送ると、尾坂はまた両手を上げて、ゾンビの真似を始めていた。


「それにしてもあのおじさん、ゾンビのふり、結構上手いですね」


阪水が笑顔を浮かべた。


「ああ、そうだね。様になってる」


八塚も笑う。


「でも、私あんな風にできないよ」


江角はまだゾンビの真似にこだわっているようだ。


「人間、死ぬ気になればなんだってできるよ、まあ、いざって時は覚悟を決めて」


「でもー」


「よし、少し休めたし、そろそろ行こう」


八塚は半ば江角の言うことを無視して、二人を促す。


「行こうって言っても、どこに?


当てはあるんですか?」


「当て…か…」


いくら有効なゾンビ対策がわかった所で、当てもなく彷徨っていては、いつか襲われてしまうだろう。


郊外に逃げるにしても、徒歩での移動となると、その距離は途方もなく遠い。


<ここから近くて安全な場所なんて、もう思いつかない…


本来、警視庁であれば…


よく考えたら、警視庁には結果的に近付いたな。


あれから、どうなったんだろうか?


電話は混線していて繋がらないし…あれ、そう言えばリネは繋がった…ネットはまだ生きてる。


だが、リネの登録してるっていったら、矢佐間さんぐらいだし…


いや、他にいたな…あいつだけ――>


 ◇


 成瀬里奈は迷っていた。


これからすべき行動について。




 一時間ほど前、坂辻のアパートの現場から警視庁内にある科学捜査研究所に戻ると、国立感染症研究所からの追加の報告書が上がっていた。


件の動画内で零が『オメガ』と呼んでいたウィルスの分析結果だ。


 留置場でおかしくなった常松の症状から、覚醒剤などではなく、細菌かウィルスの感染を疑ったのは、成瀬だった。


ただ、さしもの科学捜査研究所でも、未知の菌の調査には限界があり、常松容疑者から採取した血液鑑定を国立感染症研究所に依頼していたのだった。


国立感染症研究所は、先にオメガが寄生した細菌を見付けていたが、さらなる分析の結果、その中からオメガウィルスを発見。


今回の報告では、世界中のウィルスの情報を持つデータベースでそれを照合し、とあるウィルスと酷似していることを突き止めた、とあった。




 それは、正式名、パームウィルス。


 発見者、佐藤勝。




 かつて発刊された『インフレーション進化論』で話題となったウィルスだ。


そして、その報告書の最後には『佐藤教授の見識を至急求む』と結ばれていた。




 事態を重く見た科学捜査研究所は勝を聴取するため、すぐに捜査一課に連絡、任意同行を求めるよう要請した。


それはちょうど、池田の計らいで、城たちが囮として警視庁に帰ったタイミングであった。


ウィルスの解明は今後の捜査においても治療においても最重要、と判断した捜査一課は、囮として戻ってきた城たちに、佐藤教授を最重要人物として警視庁に連れてくるよう命令。




 城たちが佐藤邸にとんぼ返りした直後、サイバー犯罪対策課を発端として、次々と発症者が出現。


警視庁内は大混乱に陥れられた。




 現場の指揮に当たった幹部は、発症者への発砲許可、という苦渋の選択を決行。


発症者は次々と射殺され、先ほど、ようやく沈静化したところだった。




 死傷者は百人を超え、発症者から傷を負った者は留置所へと隔離されている。




 そうした中、いつまで経っても戻ってこない捜査一課の連中に、業を煮やした成瀬は直接一課のフロアに向かった。




捜査一課の捜査員はほとんどが出払っており、電話も混線して中々繋がらないと知った成瀬は、佐藤邸の城と無線で連絡。


何度かの発信の後、やっと応答した城によると、佐藤累が発症後、野次馬や警官の中からも発症者が続発、やっと落ち着いた頃には、佐藤父娘ほか、探偵両名の所在がわからなくなっていた、と言う。




 <佐藤教授はウィルス研究の第一人者、何か知っている可能性は高いし、ともすれば抗体を持っている可能性もある…


とにかく、発症のメカニズムがわからない…


あの動画の説明が本当なら、二年半以上前にウィルスは水道水を媒体として拡散されたことになるのに…


それが、なぜ今となって急に発症するのか…


なんとしてでも、教授にコンタクトを取って意見を聞かなければ…>




 そう考えている内にパート3が投稿され、発症の仕組みは解明されはした。


ただ、そのせいで、科学捜査研究所の中でも、残っていた八人のうちの二人がさらに発症。


仲間を撃ち殺されるという悲劇を身を持って体験した成瀬は、ウィルス対策への急務を再確認していた。


科学捜査研究所の研究員や捜査官の捜査権は、限られている。


できることはあくまで、鑑定や科学捜査だ。


成瀬にはそれがもどかしい。


こうしている間にも、次々と発症者は増えているだろう。




<もう、”あいつ”には頼めないし…>




 成瀬はふと、自分のスマートフォンを取り出した。


すると、何件かの電話着信と、リネの通知が来ている。


インターネット回線はまだ生きているようだ。


先に電話着信を見ると、家からの固定電話、母親、妹の瑠奈と、全て家族からのものだった。


次にリネを確認すると、やはり妹からのものばかりで、自分を心配する内容だった。


<そうだ、瑠奈に頼めば…いや、それは正規のやり方じゃないし…でも、そうは言ってらんない状況…だけど、やっぱり最後の手段にして…>


『こっちは無事だけど、今日は帰れそうもないから、ごめんね。


とにかく、家の戸締りをしっかりして、父さん母さんをよろしく。』


成瀬はとある思いが浮かぶが、思い直して、無難な言葉を返す。




「あれ?」


 リネの方も全て家族からものだと思っていたが、未読①のマークがまだ残っている。


つい先ほど、思い浮かべていた”あいつ”、八塚からのものだった。


「何よ、こんな時に…」


成瀬は思わずそう呟きながらも、その通知を開いた。


『こっちからもう連絡するなと言っておいてすまない。


まだ大丈夫であれば、これだけは読んでくれ。


今回の動画はこれ以上、見るな。


動画を見ると発症してしまうようだ。


発症した者から感染しても発症する。


両方経験した者は、より早く発症する。


推測だが、たぶん、間違いない。』




 八塚と成瀬は二年ほど付き合っていたが、去年のクリスマスに別れた。


初めは順調にいっていたが、仕事柄、互いに捜査に関する私的な依頼をするようになると、プライベートとの境が薄まって上手くいかなくなった。


別れてからも、成瀬は友達のように不定期に連絡をとっていたが、八塚はきっぱりけじめを付けようと、連絡をするな、と断っていた経緯があった。




「動画を見るなって、そんな…呪いの動画じゃあるまいし…それより…」


成瀬はスマートフォンを手早く操作する。


『了解。可能性のひとつということで。


それより、佐藤家の雇った探偵ってあの池田だよね?


連絡先教えて。


佐藤親子ともども行方不明になっちゃってるの。


感染研からの追加報告で、今回の事件のウィルスは佐藤教授が過去に発見したものに酷似している、とあった。


これはたぶん同一のものか、変異したものと考えられるの。


どうしても、佐藤教授とコンタクトしてなくてはならない。』


 しばらくすると、返信があった。


090から始まる電話番号。


その直後にさらに通知があった。


『そっちは大丈夫なんだな。


さっきはそこで発症者が続出して大変だったようだが。


連絡もままならなかった。』


『今のところだけど、一応解決済み。


ただでは済まなかったけど。』


『ゾンビに襲われたら、ゾンビのふりをしろ。


仲間だと思うのか、襲ってこない。』


『ほんとに?』


『ほんとだ。


さっきの現場で会った時、フォローしてくれてありがとう。


君が無事で良かった。』


「何よ、別に…」


成瀬はそう呟くも、八塚と付き合っていた頃、よく使っていた感謝のスタンプを最後に送り返した。


 ◇


 八塚克弥は喜んでいた。


元恋人の無事が確認できたこと、そして、”当て”ができたことに。




 「よし、警視庁へ向かおう」


「え、大丈夫なんですか?」


江角が不安そうに訊いた。


「今、リネで連絡が付いた。もうひと踏ん張りだ」


警視庁まではおよそ二キロメートル、普通に歩けば三十分の距離。


「いざとなったら、わかってるな」


「もー、やめてくださいよ」


「私も嫌ですけど、死ぬくらいならやります」


三人はそれぞれに覚悟を決め、歩き始めた。

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