ブアメードの血

キャーリー

52

 池田敬は驚いていた。


巨漢を倒した静の身のこなしに。




 突然現れた男が襲いかかると、静は持っていたスキーのストックを男に突き刺すように両手で向けた。


それに構わず、力任せに突っ込んで来た男を受け止められるはずもなく、押しつぶされそうになったすんでのところで、静は力を緩め、左に受け流したのだ。


男は足をもつれさせ、勝のところまで行くと、どしんと顔から突っ込んで倒れた。




 「ストック曲がっちゃいました…」


「いやいや、静さんナイスです。


それはもう捨てて…」


池田がそう言いかけた時、


「ぐおおお!」


と倒れた男が叫んだ。


四つん這いで立ち上がろうとするが、自重で頭を強く打ったせいか、ふらふらで上手く起き上がることができない。


その背中に中津が踵落としを叩きこむと、男はまた突っ伏した。




「さあ、今のうちです」


中津が振り向くと、三人が唖然としている。


「いえ、あの、ダイエットにキックボクシングを少しだけ…」


中津は、はにかむように、ずれたヘルメットを直し、フェイスカバーを下ろした。




 四人は倒れた大男を、誰と知らない後続のためにガムテープで縛った。


「な?これ、役に立ったろ?」


「はいはい、すごいです、すごい」


中津と相変わらずのやり取りをした池田が今度は池田が先頭に立ち、再び歩き始める。


「あの、これ、あなたが持っていた方が役に立ちそうだから」


中津は歩きながら、持っていたストックを静に渡した。




 一行がこれまでより大きな通りに出ると、車道は渋滞しており、歩道には自分たちと同じように大き目の荷物を持った人々がちらほら歩いていた。


遠くからは、叫び声や怒声の混じった騒ぎが聞こえる。


<いや、危ない危ない…冷や汗ものだったな。


静ちゃんが初めて前に行った瞬間に襲われるなんて、油断も隙もあったもんじゃない…気を引き締めないと…


ただ、こうして歩いて逃げながら、本当に岡嵜の元に辿り着けるのか…


何の支障もなく、まともに歩いて五時間だから、実際はもっとかかるだろう。


その間に、どんどんゾンビは増えていく…>




「そう言えば所長、ガムテープの使い道はわかりましたが、このゴミ袋って、いつ使うんです?


まさか、この期に及んでただのゴミ入れなんて言いませんよね?」


池田の後ろに続く中津がたすき掛けにしたバッグの中を気にする。


「ああ、それな。


いざという時、それに入って隠れるんだよ」


「え!?本気ですか」


中津が露骨に嫌な顔をした。


「誰もゴミ袋に人が入っているなんて思わないだろ?」


「そんなことで…いざという時って、静さん早速今、襲われたじゃないですか?」


「ああ、まあそう言われりゃそうだが、取りあえず、立ち止まった時に襲われそうになったらとか、何かの役に立つもんだ。


それこそ最悪、お前の言うとおり、ゴミ入れでも何でもいいじゃないか」


中津のするどい突っ込みに池田は機嫌を悪くする。


<しかし、中津の言うことももっともだな。


ゾンビ映画を観ていた時には、ゴミ袋は妙案だと思ってたのに…


実際、張り込みで一度使った時はばれなかったが、四人でゴミ袋被ってるのは、案外間抜けな絵面…>




「ちょっと、所長、あれ…」


中津の言葉に池田が見ると、前から何人か、様子のおかしい人影が近付いてきた。


もう少しで多摩川沿いというところ、道を戻っても別の発症者がいるかもしれない。




「ほら中津、今でしょ、いざっていう時」


「え?本当にやるんですか?」


中津はしぶしぶとバッグから黒いゴミ袋が入ったポリ袋を取り出す。


「話は聞いていらっしゃいましたよね」


中津が包みを破いて中身を一枚ずつ渡している間に、池田が佐藤親子に目配せをして言った。


「わかりました…」


「やるしかなさそうですね」




 四人は近くにあった電柱のところまで少し引き返して、ゴミ袋を急いで被る。


大き目のサイズなので、人が入るには十分な大きさだ。


「目の所を少し破いて、見えるようにしておいてください。


もしばれたら、私が引き付けますので、三人は逃げてください」


「いや、それは…」


「池田さんを置いて行けません」


「かっこつけて」


「お静かに!もう来ます」


池田はしゃがみ込み、ゴミ袋がなるべく自然に見えるよう、ゆっくりと袋の形を丸く整えた。


静たちもしゃべるのをやめて、それに倣う。




 そうしている間に先ほどの人影が、うめき声を上げながら、ゆっくりと歩いて来た。


池田はごくりと生唾を飲む。


<実際やって見ると、恐ろしいこと、この上ないな…


ばれたら一巻の終わりなんだから、うわ、来た、こっち見んな、気付くなよ…>


池田は破いた穴から恐る恐る様子を伺う。


池田たちの見立て通り、やって来たのは発症者だった。


老人の夫婦であろうか、寝間着を来た二人と、ネクタイを乱したスーツ姿の中年の男一人の計三人。


<うん?あれ?ちょっと待てよ、なんかひっかかるな…>


池田がそう思った時、


「きゃあ!」


と叫び声がした。


今来た道の向こうで、若い女が発症者に気付いたのだ。


その途端に、池田たちの目の前まで来ていた発症者たちは、唸り声を上げて走り出す。


危機はあっさりと回避された。




「もう、大丈夫でしょう」


中津が袋を取ると、佐藤親子も続いた。


「こんなことは、もう二度と御免だな」


「でも、さすが池田さん、ここまで想定してらっしゃったんですね」


「結果的には良かったですが、怖いなんてものじゃないで…あの、所長、何やってるんです?」


いつまでも動こうとしない池田に中津が気付いた。


「ああ、ちと考えごとを…」


池田はやっとゴミ袋を取った。


「考えてもいいですが、体も動かしてください。


焦るじゃないですか」


「わ、わかってるよ」


池田は立ち上がると、佐藤親子の方を向く。


「あの、この袋はまだ使うこともあるかもしれません。


たたんで、ポケットにでも入れておいてください」


池田は先ほど浮かんだ疑問と共に、ゴミ袋を一旦しまった。




「さあ、もうすぐ多摩川沿いですので」


池田が歩き始めると、中津、静、勝と続く。


 「でも、これ以上、ゾンビみたいな連中が増えてきたら、考えものですね。


三人だったから何とかやり過ごせましたけど、大群で来られたら、見つかってたかも…」


後ろでぶつぶつと言う中津の言葉に、池田はしまったばかりの疑問がまた浮かんできた。


<三人…大群…?>


「――映画のように上手くいくとは限りませんからね…」


返事のない池田に、中津は続ける。


<――映画、映画のように?


うん…?


そうだよ、映画だ>


「ねえ、聞いてます?」


「中津、ナイス!」


池田は振り返って、親指を立てた。


「なんですか、また急に」


「考えごとの答えがわかったんだよ」


「はあ、それで?」


二人が立ち止まると、後ろの佐藤親子は挟むように並んだ。


「あの、先ほどの、夫婦と思われるご老人二人と、それより若そうに見えた男、一緒に歩いていましたよね?」


「ああ、はい、それが何か?」


池田が三人の顔を見回すと、勝が代表するように訊き返した。


「私はゾンビ映画を観ると、いつも疑問に思うことがありまして、それは、どうしてゾンビ同士は襲い合わないのか、ということです」


「そう言われれば、確かに…」


勝は顎に手を当てた。


「まあ、ゾンビ映画特有の設定なんで、最近は観ても余り考えることはなかったんですが、実際、それを目の当たりにすると、やはりおかしいな、と…」


「いや、おっしゃるとおり、発症者同士がお互い襲い合わないのは事実のようですね。


逆に、後ろから来た女性には、明らかに反応していましたから」


「そうなんですよ」


「それで?」


「ええ、その疑問に、中津の言葉で気が付くことができました」


「はあ、いや、それで、その答えはどういう…?」


「いや、ごめんなさい。


それはまだわからないんですが、やっと、その疑問を思い出すことができた、ということでして」


「私の話で、ただ、その疑問を思い出したこと、が答えだと?」


中津が呆れたように腕を組んだ。


「ああ、答えって言い方は悪かったかもしれないが」


池田はそれが何が悪いかと言わんばかりの態度だ。


「所長…それ、今言う必要ありましたか?」


「だって、大事なことだろう。


もし、ゾンビ同士が襲い合わない理由がわかれば、また、ゴミ袋を被る必要がないかもしれないじゃないか」


「ああ、そう言うことですか?


まあ、確かに…」


中津は池田の意図を理解した。


「なるほど、池田さんの疑問はもっともだ。


それがわかれば、襲われないようにできるかもしれない」


勝が顎に当てた手をとんとんとノックするように動かしながら話を続ける。


「私もゾンビ映画を観た時に同じ疑問が湧きましたが、ゾンビは単純に仲間は襲わないのではないか、と考えていました」


「ええ、そうですよね。


私も結局はそれが落としどころじゃないかと思うようにしていました。


ゾンビ映画の中には、ゾンビの真似をする人間は襲わないって作品もいくつかありましたし。


でも、実際のこの現実に、果たして、それでいいのかどうか…」


池田も勝と同じように顎に手を当てる。




「あの、ちょっといいですか?」


そう言ったのは静だった。


「確か、ワールドZウォーっていう映画の中では、ゾンビ特有の匂いがあって、その匂いがする者は襲わない、ってことだったと思うんですが」


「ああ、そうでした、そうでした。


有名なゾンビ映画ですね、確かにそれもあるかもしれません」


池田が感心したように必要以上に頷く。


「匂いって…その設定無理がありません?


映画の中のゾンビは死んで息してないのに。


実際、そんな匂いなんてしなかったでしょう」


中津が嫌味っぽく言った。


「そんな言い方しなくても…」
「え?しませんでしたか?」


池田と静が同時に言った。


「うん?」


池田は首を傾げ、


「別に、私もしなかったと思うが」


と、勝は顎に当てた手を、今度は鼻に動かす。


「え?私だけ?


さっき襲ってきた大きな男の人と、すれ違った三人の人、それに…発症してしまったお母さんからも、同じ独特の嫌な匂いがしたんだけど」


静以外の三人は顔を見合わせ、互いに首を振るとまた静の方を見た。


「私の…気のせいかな…


でも、確かに…」


「それは死臭のようなものか?」


「死臭って言われてもわかんないけど、それって腐ったような匂い?」


「まあ、そうだな」


「本当のゾンビじゃないですから、生きている人間から死臭はしないと思いますが」


中津が佐藤親子の話に入った。


「そうですよね…うーん、なんて言うか…確かにしたんですよ、同じ匂いが。


あの、池田さんも匂いませんでしたか?」


「いやそれが全く気付きませんでした。


まあ、静さんはお若いですから、我々より鼻が利くのかも。


案外、その線もあるかもしれませんよ」


「そう言えば、お前は昔から鼻が利いたよな」




 四人は話を続けた。


さらに混迷を深め始めた夜道の中を。

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