ブアメードの血

キャーリー

34

 池田敬は急いでいた。


信号無視すれすれのことを何度もやってスクーターを走らせる中で、中津に電話し、彼女自身も佐藤邸に向かわせていた。


自分のいた多摩川台公園よりも佐藤邸に近いのもあるが、もう一つ仕事を先に頼んでおきたかった。


嫌な予感が止まらない。




 「大丈夫、大丈夫…」


そう自分に言い聞かせながら、佐藤邸の正門に到着。


中には、パトカーが二台、抑止効果を狙っているのか、赤色灯を着けたまま停まっているのが見えた。


付近は静寂に包まれており、何事もないようだ。


正門の内側に門番のように立っていた二人の警官が脇の通用門を開け、駆け寄ってくる。


池田は名刺を見せて名乗った。


「ああ、伺っております。どうぞ」


「すみません」


一人の警官に先導され、池田は大型スクーターを押して、中に入った。


 邸内は各所にある外灯でぼんやりと照らされている。


カイズカイブキの内側には高い鉄の柵が続き、三百坪はある敷地を取り囲む。


正門から伸びる道は石畳で、中庭の中央を通って一旦邸宅の玄関まで伸び、そこから右にある大きな車庫に曲がり続く。


その車庫の前に、池田探偵事務所の車が停まっている。


中津が先に来ているのだろう。


池田は石畳をゆっくり進む。


左側はよく手入れされた芝生が広がる庭だ。


二台のパトカーの奥にはもう一台、車が停まっている。


ナンバーから察するに、刑事たちが使う覆面車両なのだろう。


「この辺りにバイクを、では私はこれで」


警官に促され、池田は玄関の庇の下の広いスペースに大型スクーターを停めた。


ヘルメットを置き、門の方に戻って行く警官を一瞥すると、改めて玄関に向き直った。


玄関扉は大きく、年代を感じる木製の重厚な一枚板だ。


 その扉がガチャリと音を立て、ゆっくり開き始めた。


日本では珍しい内開き式だ。


そこから出てきたのは、池田の期待を裏切って、中津だった。




「お、ご苦労さん」


池田は残念さをおくびにも出さない。


「お疲れ様です。今のとこ異常なしです」


池田の労いに、中津は不貞腐れた態度で言った。


 続いて、期待していた方、静が顔をひょっこり出した。


「無事で良かった」


池田と静は同時に言った。


おもしろくなさそうな顔をした中津が間を空ける。


「ふふ、ハモっちゃいましたね」


静の言葉に池田は照れたが、静の後ろに大きな男がいることに池田は気が付き、表情を引き締め直した。


「あなたが探偵の池田さんですね」


池田と目が合った男が言った。


「あ、はい。えっと、警察の方ですかね」


池田はそそくさと扉の間を抜けて中に入った。


「ええ、警視庁の越智と言います。ここの現場を任されています。


で、こいつは城と言います。私の部下です」


越智と名乗った短髪の男は、中年ではあるが、スーツの上からでもわかるほど、いかにも柔道経験者のようなごつい体躯だ。


その後ろの城という髪をオールバックにした細身の男は、挨拶もなく、池田を睨みつけるように立っていた。


越智より、一回りほど若く見える。


「どうぞ、上がって上がって」


静が子供のように促した。


「お邪魔します」


遠慮がちに歩を進める池田が気に入らない顔をした中津が続く。




 池田は目を泳がすように周りを見た。


広く、吹き抜けの高い玄関ホール、大理石でできた土間床。


リノベーションしたのか、現代風の明るい内装が施されており、外観とのギャップが激しい。


とはいえ、池田にとっては目を見張るほどのものばかりだ。


天井から下がったシャンデリア、さりげなく置かれた調度品や花瓶など、どれほどの価値なのかわからない。


そのホールの段差の低い上がり框に、佐藤夫妻が不安そうな顔をして立っていた。


どちらも五十代半ばくらいに見え、部屋着でも品のある佇まいをしている。


<この二人が静さんのご両親か…父親の方は超エリート教授、背も高いし、さすが貫録あるな…>


池田は一気に緊張する。


「あ、こんばんは、初めまして。探偵の池田と申します。


あーあの、この度は大変なことになってしまい、な、何からというか、そのなんと言っていいのか…」


池田がどもりながら言った。


「いえいえ、娘が迷惑をかけたようで、さ、さあ、どうぞ上がってください」


累が頭を下げた。


「込み入った話になるでしょうから、リビングにどうぞ」


勝は軽く会釈してそう言うと、奥の部屋に入って行った。


「このスリッパ、使ってください」


靴を脱いで上がった池田に、静が足元の白い毛皮のスリッパを勧める。


冷たかった足先がじんわりと暖まった。




「あの、越智さんでしたか、よろしければ、ここの警備体制を教えていただけないでしょうか」


池田が一緒に框に上がった越智に言った。


「わかりました。


まあ、警備と言うよりは犯罪の未然防止と言いましょうか、表向きは、まあ、あくまでご長男が誘拐されたことに関する聞き取りということで…」


「警部、あまり部外者には情報を漏らさない方がよろしいのでは」


後ろの城が話に割り込んできた。


「まあ、いいじゃないか。


それにこの池田さんが襲われてのことだから、部外者ではないだろう。


矢佐間さんからも、無下にするなと言われているからな」


「そういうことであれば」


城は不本意そうな顔で引き下がった。


「どうも、すみません。根は生真面目な奴なんですが。


ああ、で、実際問題、ここへ来たのは、警備というより、表向き、こちらのご子息が拉致監禁されている、ということへの聞き取りです。


そして、暗に犯行予告があった、まあ、これはあなたが襲われたことがあたりますが、当然、それはそれで警戒しておりますがね。


まあ、こんなに大きなお屋敷とは思わなかったし、今日は色々あって、人数が少し足りないくらいですが…」


越智はそう前置きをした後、警備体制について続けた。




 警官は池田が最初に見た玄関の二人、裏庭への勝手口に一人、二階のベランダに一人、計四人を配備。


さらに、越智と城の他に、もう一人の刑事が巡回しているとのことだった。


「まあ、我々も今着いたばかりで、このお屋敷の全部をまだ把握しておりませんが、それにしても防犯にはもってこいのところですよ。


窓枠はしっかりしていますし、窓ガラスも防犯用の固いものだ。


まあ、何より、警備会社のセキュリティーが働いていますから、誰か入ろうとしてもすぐに警報がなります。


予備電源も備えられておるとかで、まあ、やはり、お金を持ってる方の住まいは違いますなあ。


まあ、改善すべき点があればすぐに変更しますけどね。


それから、ちょっと、まだお話はできませんが、まあ、他に考えもありますし」


まあ、を多用するのは口癖のようだ。


「わかりました。


私はこれでも元警官で、合気道や剣道を嗜んでおりましたので、いざという時はお役に立ってみせます」




 その後、通された部屋はリビングで、二十畳は下らない広さだ。


入って正面は、重厚なレースのカーテンで隠された掃出し窓。


そこに刑事が一人立って、カーテンの隙間から外を窺っている。


入って左側は壁面で、調度品が並び、その間に場違いのように六十インチはあろう薄型テレビが置いてある。


部屋の中央には、細かな模様が刻まれている大きな木製のリビングテーブル。


それを挟んで、三人が優に座れるソファが二つあり、勝がその一つに先に腰かけていた。


テーブルには、何か飲みかけのカップやグラスが数個、それに蓋が開いたノートパソコン。




 中津は勝の向いのソファに臆面もなく腰かけると、さっきからやっていたと言わんばかりに、パソコンのキーを叩き始める。


「どうぞ、あなたもかけてください」


勝がソファに手を向け促した。


「あの、その前に、改めまして、池田探偵事務所の、池田敬、と申します」


池田が近づいて、名刺を差し出すと、勝は立ち上がった。


「いや失礼、私はあいにく持ち合わせていなくて」


そう言いながら、それを受け取る。




「いいから、どうぞ座って」


静が池田の手を引き、中津の座るソファに誘導すると、自分も一緒に腰かけた。


「ずうずうしい女…」


中津が池田にしか聞こえないように言った。


池田は二人の女性に挟まれ、普段なら両手に花と喜ぶところだが、今はとても居心地が悪い。


「コーヒーで良かったかしら」


累がキッチンから盆に載せたコーヒーを持ってきた。


「ああ、なんでも喜んで、お気になさらず」


「それを言うなら、お構いなく、です」


中津がまた小声で突っ込みを入れた。


池田の言葉に累はカップを池田の前に置き、キッチンに戻った。




<どっかで見たことある顔だと思ったら、一志君はお母さん似だな…>


池田は思った。




 「さて、池田さんの言う通り、何から話せばいいのやら」


勝が口を開いた。


「まさか、命を狙われるなんて、思ってもみませんでした。


それに、一志が誘拐されていたとは。


てっきり、借金苦に逃げ出したとばかりと思っておりましたが…


娘の言う通りなら、どちらも岡嵜零とその娘の仕業、ということになりますかね?」


勝は額に手を当てた。


「はい、そういうことのようです。


静さんからある程度、お聴きになっているようなので、繰り返しになるかもしれませんが、少なくとも岡嵜の娘から呼び出された場所で、私が襲われたのは事実です。


今日、こちらの静さんと一緒に、大学でその娘に会っています。


たぶん、私たちが訪ねたことで、自分たちに手が回ることを恐れての犯行ではないかと…」


池田の説明に、静はうんうんと頷く。


「そうみたいだが、全く敵わんことですね。


こんな状態がいつまで続くのか…


明日も仕事があるし、困ったものだ」


「そうですね、彼女たちが捕まれば、当然こんなことをしなくて済むのでしょうが…


まあ、少なくとも今晩だけでも様子を見ていただければと。


彼女たちもこうやって物々しく警察が来ていることがわかれば、あきらめるでしょうし、今度は自分たちが逃げる番になるのでは…
といっても、これは警察が判断することですが」


「まあ、そうですね。


ただ、こんな状況が続くようなら、当面、仮住まいを考えた方がいいかもしれん。


なあ、累、優の家がまだ空いてるんだ。一時、そっちに移るか」


キッチンから戻って勝の隣に座りかけていた累に、勝は言った。


「それはまだ気が早いでしょ。


落ち着いてから考えたら?」


「いや、だから、続くようならと前置きしているだろう」


「はい、はい…


…あの、それより、池田さんでしたか、その、一志…息子はまだ見つからないんでしょうか」


累が池田に向き直って、心配そうに訊いてくる。


一時のパニック状態からは落ち着いたのだろうが、累が気が気ではないのは池田にもわかる。


「ええ、残念ながら。


まだ岡嵜零に拘束されている可能性が高いと思いますが…ただ、う、うん」


池田は、「生きている保証はない」という言葉を飲み込んだ。


<ここはもう自分の領域ではない。説明しなくていい…>


中津がその様子を横目で見る。


「ただ、岡嵜の家に今頃、警察が向っているはずです。


彼女はもういないでしょうが、そこで発見されることを願いましょう」


池田は中津に突っ込まれる前に前向きな言葉に置き換えた。




「そうですね…ああ、一志…」


累は両手で顔を覆った。


「あの、それでですねえ、言いにくいのですが、この度の、その、静さんに依頼を受けたことに関してなんですが…」


「また、相変わらず間が悪いですね。


それなら私から、ここに着いた時、すぐにご相談いたしました」


中津が今度はこちらを向かず、パソコンを操作しながら言った。


「ああ、その件だがね。


それはこちらの中津さんにも言われたが、それはもちろん構いませんよ。


静が未成年で問題があるとか、それは法律の話かもしれないが、こちらから頼んでおいてなかったことにはしません。


こちらこそ、娘が無理を言ったようで、申し訳ない。


私から正式にお願いします。


料金もなるべくかからないよう配慮してくれたようだが、これからは、お気になさらず、正規の料金を請求してください…


全く、わがままに育ててしまって、言い出したら聞かないから、なあ、静」


「お父さんたちが動かないからでしょ」


静はぼそりと言った。


「どうも、すみません」


池田は頭を下げると、隣の中津に


「先に言っておいてくれよ」


とささやき声で愚痴った。


「これまでの流れで、どの時点で言えましたか?


私はこちらの仕事で手一杯ですから」


「料金のことまで言うことないだろ?」


「いえ、言っておかないと、静さんが今後、探偵の料金を侮ることとなってはいけませんので。


それに、今日の私の残業代、サービスとは言いましたが、これなら出していただけるでしょう」


中津は池田を見ず、ずっとキーボードを叩いていたが、その手をふと止めた。


池田に画面を見るよう目配せする。


「どれ…あ、ちょっと失礼」


画面にはいくつかウィンドウが開かれ、その一つに『メモ帳』というソフトがあった。


そこに何か書いてある。


『この邸宅の無線LANに繋がれた所在不明の端末二つあり


音声に反応してトラフィック増大


Wifi利用型端末が恐らくこの部屋のいずれかに存在


データ量から盗撮器ではなく盗聴器の可能性大


なお通常の電波型盗聴器発見機に反応なし』


「ああ、仕事の続きか、ご苦労様。


ただし、ここはちょっと直しとこうか」


池田は内容を確認すると、パソコンを自分の方に引き寄せ、キーボードを叩いた。


『そのIPアドレスを俺のスマホに送れ』


メモ帳の続きにそう打って、「これでどう?」と中津に押し返す。


『了解。ただし偽装されている可能性あり』


中津は続きにそう打った。

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