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αφεσις

青空顎門

三 共に明日を生きるために④

 晶の制服と純白のタイツが、朔耶の制服と同じように雨に濡れていく。
 彼女のふわふわの金髪も半端に湿り気を帯びて、更に癖が強くなり、その一部が頬に張りついていた。
 もうここはアノミア内ではなく、現実の世界なのだからそうなるのも当然のことだ。

『助かった、の?』

 隣から千影の呟くような確認が聞こえてくる。
 朔耶に寄り添うようにその肩に手を置いて浮かんでいる彼女の体は、擬似アノミア内で見た時よりも遥かに透明度が高くなっていた。
 だが、肩に感じる彼女の温もりと耳に届く声だけは変わらずはっきりと感じられる。

「そう、みたいだな」

 緊張の糸が切れ、その場にへたり込みそうになるのを何とか耐えながら朔耶は答えた。

「晶先輩?」

 傍に立っていた晶に視線を向けると、彼女は未だに瞳に緊張感を湛えていて、自然と朔耶もその視線を追ってその先を見やった。

「あ、あいつ……」

 そこには宗則が気を失ってか、うつ伏せに倒れていた。
 通常アノミアの始まりと終わりは身体には影響を及ぼさないはずだが……。
 戦闘による精神力の消費が原因だろうか。
 しかし、彼以上に消耗しているはずの晶は意識をしっかり保っているようだが――。

「晶! 朝日奈君!」

 そこに焦ったような声と共に己刃が駆け寄ってきた。
 全力で走ってきたのか、息が少し乱れている。綺麗な黒髪も濡れるがままだ。
 彼女の後ろには同じく息を切らしている光輝の姿もあった。

「大丈……夫?」

 彼女の目がゆらゆらと浮かんでいる千影を認める。
 一瞬の驚愕。次いで納得が彼女の表情を過ぎった。
 それから戦闘時のように警戒を解かない晶へと目を向けた己刃は、その顔に僅かな緊張と疑問の色を生じさせた。

「晶? どうしたの?」
「己刃。奴を――」
「あれは、グノーシスの使徒か? 倒したのか?」

 光輝は晶の言葉を遮って、倒れている宗則を睨むようにしながら呟いた。

「よく分かりません。が、一応は拘束しておくべきだと思います。恐らく、彼はもう力を使うことができないと思われますし、現実では力も何もない可能性が高いですが」

 光輝はその言葉に少しの間訝しげに晶を見詰めていたが、そうか、と頷いて、気を失ったままでいる宗則に近づいた。そうしながら背広のポケットから携帯電話を取り出し、どこかに連絡を取り始める。
 一先ず、彼の処理は光輝に任せておけばいいのだろう。

「それで、己刃先輩達は大丈夫だったんですか?」

 朔耶は光輝から己刃に視線を移しながら尋ねた。

「え? あ、う、うん、まあ……ね。でも、二対一だったのに、情けないことに足止めしかできなかったよ。結局、逃がしちゃったし」

 ばつが悪そうに笑顔を作る己刃だったが、その瞳の奥には強い悔しさが見て取れる。
 彼女は、それより、とその感情を隠すように言葉を続けた。

「二人共、冷えるから雨宿りしよ。……今更だけど」

 己刃の提案に従って、朔耶達は近くのマンションのエントランスに入った。
 もはや濡れ鼠状態なので彼女の言う通り全く今更だったが。
 己刃はそれから朔耶の隣に浮かぶ千影に顔を向けた。

「この子が照屋さん?」
『はい。照屋、千影です。よろしく、お願いします。鳴瀬己刃先輩』
「あれ? 会ったこと、あったっけ?」

 フルネームで呼ばれ、己刃は自分の記憶を確かめるように首を捻った。

『いえ、朔耶君の中から、見てたので……』
「そ、そうなんだ。じゃあ、ずっと意識はあったんだね」
『はい』

 コクリと頷く千影。やはりその表情はどことなく硬く冷たい。
 そのせいか、己刃も軽く戸惑っているようだ。

「彼女、何だか聞いていたのと違うみたいな気がするんだけど……」

 千影に聞こえないようにするためか、己刃が耳元で囁く。
 が、視界の端で千影がぴくりと反応していたので、その試みは無駄だったと朔耶には分かった。
 恐らく、聴覚をある程度共有しているのだろう。
 彼女の精神も魂の欠片も朔耶の中にあるのだから。

「いや、ただ単に人見知りが激しくて緊張してるだけですから」
「そうなのか? 何と言うか、惚れた欲目のような感じで美化しているのではないか?」

 光輝に宗則を任せて一安心したのか、晶はいつもの調子でそんなことを言い始めた。
 戦いでの疲労は既に表情に見られず、彼女の精神的なタフさを実感する。が――。

「い、いや、あ、あの、惚れた欲目って」

 そんな晶の思わぬ物言いに朔耶はどもってしまった。
 まるで面白い玩具を見つけた子供のように、にやにやと妙に楽しげな笑みを見せる晶から逃れるように視線を横に移す。
 すると、聞こえていない振りを決め込んでそっぽを向いている千影のうなじが紅潮し、微妙にもじもじしているのが視界の端に映った。
 そんな彼女の様子に、激しい羞恥が相乗的に込み上げてくる。

「そら、本当のところを冷静に分析してみろ。あの仏頂面も、お前にとっては天使の笑顔以上に感じられる、とか何とか」

 しかし、余りに意地の悪いその笑みと酷い内容の言葉に朔耶は逆に冷静になった。

「……あの、晶先輩。さすがにそれは言ってて恥ずかしくないですか?」
「な、何を言うか。恋とはそういうものだと恋愛小説ではよく言うではないか」

 本当にそう言うのだろうか。
 正直そこまで都合のいい思考は、嫌な顔をしていてもあの人は自分のことが好きに違いない、と勘違いしている自分勝手なストーカーの考え方に近いように感じるが。
 朔耶は呆れのような感情を抱きながら、晶もそういうものに関しては机上の知識しかないんだな、としみじみ思い、微妙な同族意識を抱いた。

「な、何だ、その目は」
「いいえ、何でも」
「お、己刃」

 朔耶の生温かい視線の意味が分からないのか、晶は助けを求めるように己刃を見た。
 しかし、己刃は曖昧に笑って誤魔化すだけだった。

「む、むぅ」

 そんな己刃の様子に晶は居心地悪そうに唸り、何か話題を逸らす材料を探すように周囲を見回した。

「っと、来たか」

 微妙に安堵の混じった声。それを受け、晶の視線を辿る。
 その方向から清掃会社らしきロゴの入ったトラックが一台やってきて、中から清掃員のような服装の男が二人現れた。そして、光輝の傍に寄ると何やら話をした後、宗則を運び始める。
 どうやら光輝が電話で連絡を取っていたのは彼等らしい。

「あの人達は?」
「彼等はアフェシス派の教会の人達、信徒さんで私達のサポートをしてくれるの。でも、彼等にはアノミアに入る力はないんだけどね」
「え、でも、それじゃあ、どうして――」
「忘れずにその事実を知っているのか、か? それは簡単だ。あの中での記憶は一般の人間には残らないが、そういう知識は教えれば残せる。……まあ、だからと言って私達がむやみやたらとその事実を吹聴しても、単なる変人と思われるだろうがな。全ては長年に渡るアフェシス派の努力の賜物だ」

 気を取り直したように腕を組み、自分のことのように偉そうに言う晶。
 確かに現実で残した言葉なら、その人がアノミアで死んだりしない限りは残り続けるだろうが――。
「あるいは、それらしい作り話を信じさせているだけなのかもしれないけどね。その辺の詳細は私達も詳しくないの」

 朔耶はどちらかと言えば己刃の想像の方に説得力を感じた。

「それにしても、何で清掃業者みたいな……」
「それは単純にカムフラージュだろうな。それより井出教諭の方は終わったようだぞ」

 晶の言葉が終わるとほぼ同時に、目の前に光輝のワゴンが止まる。

「お前達、学校に戻るぞ」

 そして、助手席側の窓が開き、彼の声が届く。
 朔耶が信徒について聞いている間に車を取ってきたようだ。

「ほら、さっさと乗れ、朔耶」

 全身が雨に濡れてしまっていたため、そのまま乗り込むのを一瞬躊躇うが、晶に無理矢理押し込まれてしまう。光輝自身もずぶ濡れだったのだから別に構わないだろう、と朔耶は自分に釈明しておいた。
 結果、二列目に己刃と晶が並び、三列目に朔耶が座る形になった。
 朔耶の隣には千影が座っている風に浮かんでいる。
 彼女の手は朔耶の手の上に置かれていた。
 これまで触れ合ったりする機会は少なかったので正直恥ずかしかったが、見ていることしかできなかった、という千影の言葉を思い出し、朔耶は何も言わないことにした。
 きっと彼女は触れるという感覚を求めているのだろうから。

「何はともあれ、おめでとう、と言うべきかな。朔耶」
「だね。一先ず照屋さんと再会できた訳だし」

 シートベルトを歪ませて全身で振り返りながら言った晶に、己刃が首だけを後ろに向けて続ける。
 二人の口調はとても優しく、自分のことのように嬉しそうだ。

「は、はい。ありがとうございます」

 朔耶の言葉に続いて千影も小さな声で、ありがとうございます、と呟いた。

「ところで……そのような状態で触れ合えるのか?」

 朔耶の手に触れる千影の手へと視線を送りながら晶が尋ねてくるので、千影は慌てたようにその手を離した。温もりが遠ざかり、何となく勿体ない気分になる。

「え、ええ、みたいですね」
「千影。ちょっと私の手にも触れてみてくれ」

 かなり無茶な体勢で手を差し出してきた晶の気安い口調に、千影は少し戸惑った様子を見せたが、身を乗り出しておずおずと手を伸ばした。

「ふむ」

 晶は千影の手を握りながら小さく頷いた。

「確かに感触はある、か。しかし――」

 そう確認するように呟きながら、晶は手を繋いだまま腕を下に動かした。
 すると、千影の手が座席にめり込んでしまった。

「このシートは通り抜けるのか。……ならば、触れているように感じるのは錯覚、のようなものだな。魂の側が肉体を騙しているのだろう。半実体とでも言うべきか」

 納得するように晶が頷く間、千影の腕は座席に突き刺さったまま。
 幽霊然とした光景に何とも言えない気分になってしまう。
 前の座席に座っている己刃は、座席から突き出てきている千影の手を見ているのか、軽く表情が引きつっていた。

「ところで千影。姿を消したりできないのか? 信徒の様子を見た限り、一般人には見えないようだが、使徒なら認識できるようだからな。これでは他の使徒に対して、私は使徒です、と言いふらしているようなものだ。無法者の使徒でも現れた場合、現実で攻撃されかねない」
「まあ、色々と面倒なことになる現実で態々攻撃してくる使徒は普通いないけどね。とは言え、世の中の犯罪者の割合程度には警戒した方がいいから、一応ね」
『分かりました。やってみます』

 千影は短くそれだけ言うと少しの間目を瞑り、次の瞬間忽然と姿を消した。
 直後、体の奥底が充足感で満たされる。

『どうですか?』

 胸の奥から千影の確認の声が聞こえてきたが、二人には届いていないようだった。
 己刃は少し驚き、晶は千影が消えたのを見て頷いているだけだ。

「千影。二人には聞こえてないみたいだ」
『え? そ、そうなの?』

 千影は素の感じでそう言うと、すぐさま姿を現した。

「どうやら消えている間はお前達の間でしか会話できないようだな」

 晶は苦笑いのような表情を浮かべたまま続ける。

「それはともかくとして、だ。千影、消えることができるのなら、普段は極力消えたままでいるようにしておけ。アノミアの中か朔耶の家、あるいは、朔耶の中から見ていたなら知っていると思うが、管理棟一階のあの部屋、学院会室と地下を除いて、な」
『……分かりました』

 千影は晶の言葉に少し寂しそうに答えると、再び姿を消してしまった。

「い、いや、今は別にいいぞ。車の中だし、分からないだろうからな」

 軽く慌てたように言う晶に、千影は、あ、そっか、と呟いてから、また半透明の姿で現れた。
 晶はそれを見て、むぅ、と唸りながら何とも言えない表情になった。
 人見知りモードの千影は気さくな晶でも少々苦手のようだった。

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