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αφεσις

青空顎門

三 共に明日を生きるために③

『やっと、やっと、声が届いた』

 その表情に浮かぶのは今にも泣き出しそうな、しかし、喜びに満ちた微笑み。
 それは朔耶でも見たことがなかった彼女の特別な笑顔だった。
 彼女の姿はあの日のまま。小柄な体とそれを包む制服。
 僅かな動作にさらさらと揺れる短めに切り揃えられた黒髪。
 普段は少し冷たく見えるが本当はとても可愛らしい、幼げな顔つき。
 朔耶の知っている千影そのものだった。
 それを前にして視界が揺らぎ、朔耶は自分までもが目を潤ませていることを知った。

「千影……」

 その名を呟きながら右手を差し出すと、彼女はそれに応えてその手を取った。
 八割方魂の欠片を回収したことで、不確かながら形を成すことができたのだろう。
 朔耶の手には、彼女の感触が確かに感じられた。
 その事実が嬉しくて思わず笑みが浮かぶ。
 そんな朔耶に釣られるように、千影もまたはにかむように微笑んでくれた。
 しかし、すぐに何かを思い出したように彼女の表情は慌てたものに変わる。

『さ、朔耶君! 晶先輩が!』

 千影の言葉にはっとして晶に目を向ける。
 既に晶は息も絶え絶えといった様子だったが、それでも鬼のような形相をした宗則が放つ風を炎の壁で防いでいた。自分に向かってくる風の塊だけでなく、朔耶に向かって発せられたものも含めて。
 先の攻撃は正に全身全霊を込めた一撃だったらしく、その顔にはもはやいつもの余裕も力強さもない。限界以上に力を振り絞っているのだろう。

「せ、先輩」

 迂闊過ぎた。
 千影との再会に気を取られ、現状を完全に失念していた。
 そんな自分の愚かさに腹が立ち、朔耶は両手をきつく握り締めた。

「晶先輩っ!」

 そして、そう叫びながら晶の傍に走り寄る。
 彼女は苦しげに表情を歪ませながらも無理矢理作ったような笑みを向けてきた。

「朔耶……どうやら、欠片は回収できたようだな」
「は、はい。何とか」
「しかし、誤算だった。あの技ならば、奴にも多少なりダメージを負わせられると思ったのだがな。思った以上に力の差があった、という訳か。……相手の力量を知るのもまた己の力量と言うが、全くだな」

 話をしている間にも、風を束ねて作り出された刃が次々と襲いかかってくる。
 晶が生み出した炎は、本来なら風に吹き消されるか煽られて自分自身を焼き尽くしそうなものだが、彼女の強い精神力、いや、覚悟によってかそれを打ち消していた。
 だが、明らかにその炎の勢いも弱まっている。
 下手をすれば現実の常識に引きずられ、自らを焼くことになりかねない。
 あるいは、炎を突き抜けた風の刃に切り刻まれるか。
 朔耶と晶が一ヶ所に集まったため、炎を分散させる必要はなくなったものの、風の密度も増している以上、これはプラスの要素になり得ない。
 むしろ、そのために宗則が少しずつ近づきつつあるのだからマイナスだ。
 デュナミスを得られなかったためか表情を怒りに染める彼を見るに、朔耶達を見逃す気もなさそうだ。

「この状況は非常にまずい。タナトスが滅びた以上、間もなくこの擬似アノミアは崩れ去るだろうが、正直、それまで持つかどうか……」

 晶は風を防ぐだけで精一杯で反撃など望めない。
 彼女の端整な顔は苦痛にゆがみ、呻き声を漏らしながら息を荒くしている。

「くっ……朔耶、お前だけでも逃げろ。私が、食い止める」
「そ、そんな、そんなこと、できません!」

 晶が力を大きく消費した原因は、デュナミスを、千影の魂の欠片を回収するため。
 つまり朔耶の願いのため、千影を甦らせるためだ。
 それを諦めれば、逃げに徹すれば、生き延びることぐらい容易かったはずなのに。
 晶は命を今尚懸けている。
 そんな彼女を見捨てることなどできない。
 心の奥底では彼女達を仲間として信用し切れていなかった自分に、きっと彼女はそれに気づいていたはずなのに、そこまでしてくれた人を残して引き下がる訳にはいかない。
 それは決して自分の望む生き様に合わない。
 その思いと共に、朔耶は隣に浮かぶ千影を見詰めた。

「仲間を最後まで見捨てない。それが俺の憧れたヒーローの姿。人間としての理想。だから今は――」

 千影は朔耶の目から視線を逸らさずに頷き、小さく、包み込むように優しく微笑んだ。
 そんな彼女に頷き返し、朔耶は炎の壁の先にいる宗則を睨みつけた。
 命懸けの時間稼ぎ。字面は何とも情けないが、それでもその覚悟を決める。

「しかし、お前では無理だ!」
「なら、晶先輩。貴方が倒された後、俺が逃げ切れると思いますか?」
「そ、れは……」

 位階の違いは身体能力の決定的な差だ。
 多少逃げたところで追いつかれるのが関の山。
 晶は限界が近く、擬似アノミアはいつ終わるとも知れない。
 結局は運次第。しかも、それは晶が犠牲になる可能性の高い賭けなのだ。
 なら、全員が助かる選択に賭けた方がいい。
 そんな理屈は全て後づけに過ぎないが。

『大丈夫。朔耶君のことは、わたしが守るから』
「何を馬鹿なことを。お前は、くっ」

 炎の壁が力なく揺らぎ、晶は片膝をつきながら歯を食い縛った。

『わたしはあの時、最後の瞬間、力に目覚めていました。朔耶君と生きたいと強く願ったから。その願いから生まれた力なら、きっとこの状況を打開してくれるはずです』

 朔耶以外に対する時の硬い口調で淡々と告げる千影。
 しかし、晶はその言葉に耳を傾ける余裕も失っているようだった。限界が来たのだ。

『朔耶君、一人の時はずっと辛そうだった。なのに、わたしは何もできずにただ朔耶君の中から見ていることしかできなかった。だから、今は――』

 そして、遂に晶の決死の精神力を上回り、炎の壁を突き破って風の刃が迫る。

『わたしが朔耶君の力になる!』

 朔耶達を守るようにそれらの前に飛び出し、千影は両手を突き出した。
 その瞬間、千影の半透明な姿が白銀の輝きを放った。
 眩さの中での刹那の静寂。敵の攻撃が届く気配はない。
 やがて光が千影の中に収束する。と、彼女の目の前で空中に停止していた刃は形を保てなくなったかのように揺らぎ、黒い粒子と化して霧散してしまった。
 その現象を目の当たりにし、ほんの一瞬だけ、時間が停止したように誰もが動きを止めていた。
 己の力をかき消された宗則は驚愕を、守られた朔耶と晶すらも戸惑いをその顔に浮かべながら。

『朔耶君っ!』

 千影の叫びに朔耶は我に返り、時は再び動き始めた。
 そして彼女の声に導かれるように、朔耶は宗則との間合いを詰めた。
 それは本来、宗則からすれば遅いはずの速度。
 だが、恐らく先程までの速さが朔耶の限界だと判断していただろう宗則は、デュナミスを得たことで強化された速さと、己の困惑とが相まって完全に対応が遅れてしまっていた。
 朔耶は、この唯一無二のチャンスに己の力を全て込めるように右手を固く握り締めた。
 その拳に千影の手が重なり、吸い込まれるようにその姿が消える。
 と同時に彼女の力を宿したように右手が白銀の輝きを放ち始めた。

「おおおおおっ!」

 全身から力をさらに引き出すように絶叫し、しかし、何の技巧もなく、ただひたすら全力で拳を振るう。
 確かな手応えが拳から伝わってきた。
 その一撃は宗則の顔面を捉え、その威力によって彼は回転しながら十数メートル先まで飛ばされた。
 役目を終えたように右手の発光が弱まり、千影は半透明な姿を再び現す。
 彼女は厳しい視線を宗則へと向け続けていた。

「ふん。やはり弱い、な。その程度の力で俺達は――」

 普通の人間ならそれだけで死に至りそうな一撃。
 にもかかわらず、何事もなかったように宗則は立ち上がった。
 しかし、力を発現させようとしてか、右手を掲げた瞬間、その表情は愕然としたものになった。

「ば、馬鹿な! 何故、力が使えない!?」

 彼は軽くパニックを起こしたように呆然と自らの両手を見詰めながら、わなわなと震わせた。
 その瞳には絶望の色が見て取れる。

「使徒としての気配が消えた? これは、一体――」

 晶はよろよろと朔耶と千影の傍に歩み寄りながら呟いた言葉をそこで区切り、ハッとしたように空を見上げた。

「擬似アノミアが、崩れる」

 彼女に釣られるようにして、いつの間にか強くなっていた雨を右手で遮りながら朔耶は顔を上げた。
 視界には穢れのない空が、とは言っても雨天であるため雲で覆われているのだが、現実世界としての空が近づいてくるように映る。
 恐らくそれは相対的な錯覚で、急激に擬似アノミアが縮小していっているのだろう。

「や、止めろ! こんな状態でアノミアが終われば――」

 懇願するような彼の叫びはただ空しく響き、次の瞬間、世界から死の穢れが全て取り払われ、呆気なく擬似アノミアは終わりを告げたのだった。

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