αφεσις

青空顎門

二 使徒達――新たな日常⑨

 家に着いてからは、己刃が母親と学院会に関する話をしている間、残る四人は朔耶の部屋でジン・ヴェルトの格闘ゲームで遊んでいた。

「うー、先輩には負けません!」
「まだ挑んでくるか。懲りない奴だ」
「軽くあしらっちゃって下さい。先輩」
「お兄ちゃん、うるさい!」

 晶に妙な対抗意識を燃やしている陽菜とそんな彼女を楽しげにいなす晶。
 いつだったかの千影と陽菜を見ているようで、妙な切なさが胸に渦巻く。

「ほら、次、朔兄の番だよ。陽菜の仇を取って!」
「ふ。新米のお前に負ける訳にはいかんな」
「お、お手柔らかにお願いします」

 それは確かに楽しいと言える時間ではあった。
 だが、だからこそ朔耶はそれを実感すればする程、千影がこの世界のどこにも存在しない事実をこれまで以上に突きつけられ、強烈な違和感と寂しさを抱いてしまっていた。
 もし今彼女がいれば、心の奥底から楽しめただろうに。

「己刃、話は終わったのか? なら、次はお前の番だ」
「え? わ、私、こういうの苦手なんだけど……」

 放課後という時間は短い。
 だが、今日ばかりはそれでよかったのかもしれない。
 そんな感情をこれ以上心に積もらせなくて済むのだから。
 やがて和也と陽菜は家に帰り、しばらくして己刃と晶も学校が完全に閉まる前に戻ることになった。

「あの、送りましょうか?」
「大丈夫、心配しないで。これでも昔は祖父に剣道を習っていたこともあるし、合わせて合気道なんかも嗜む程度には習っていたから」
「己刃はな。棒切れ一つでも持てば、そこらの男になど決して負けはせんし、生身でもかなり強い。ただアノミアの中では中々披露する機会がないがな」

 使徒が相手なら近距離では相手の力の直撃を受けかねないし、たとえタナトスが相手でも己刃の能力なら態々近寄る必要もない。確かに見る機会はなさそうだ。
 それはともかく、心配なのは己刃よりも小柄でブロンドの目立つ晶の方なのだが……。
 さすがに今更口にはできなかった。

「それに大して時間もかからん」

 晶の言う通り、学校までの道程は余り長くないし、人通りが少ない訳でもない。
 それに二人なのだから、と朔耶は自分を納得させて引き下がった。

「それより朝日奈君。照屋さんを早く助けたいのは分かるけど、余り焦っちゃ駄目だよ」
「え?」
「何だか、皆で遊んでいる時、凄く切なそうな表情をしていた時があったから」

 そんなある意味素の部分を見られていたのか、と思うと、まるで無防備な寝顔でも見られたような羞恥を覚え、朔耶は一瞬言葉を失ってしまった。
 日常生活の中では平静を装えるつもりでいたが、やはり思っていた以上に千影のことを想っていた、ということなのだろう。
 それにしても完全に見抜かれてしまうとは、余りにも恥ずかし過ぎる。

「そ、そんな顔、してましたか?」

 だから、朔耶は誤魔化すように目を逸らした。が、その先には晶の顔があった。

「していたな。総じて楽しそうにはしていたが、ふとした瞬間に、な」

 彼女は茶化す風でもなく、どこまでも真面目な口調で告げた。

「前にも言ったが、タナトスの現実化は一週間以内に必ず起こる。今日で三日だ。刻々とその時は近づいている。焦りを感じるぐらいなら、再び千影に会った時に伝えるべき言葉でも考えておくことだ」
「伝えるべき、言葉、ですか?」
「千影を失ったと思った時、お前は何かしら後悔したはずだ。彼女に伝えたい言葉があったはずだ。今度はそれを恥ずかしがらずに伝えろ、ということだ。……人は、もっとその場その場で自分の想いをしっかり口にすべきだと私は思う。いつ、どのような形で別れが訪れるかなど誰にも分からないのだからな」

 晶の瞳に宿る深い悲しみと真剣さに気圧され、朔耶はただ頷くことしかできなかった。
 どんな理屈も超えたような圧倒的な説得力。
 言葉の意味以上の何かを持った言葉。
 自分自身に納得できるだけの要因があったのだとしても、そんなものを現実の人間から感じるのは初めてのことだった。

「では、己刃。行くか」
「だね。じゃあ、朝日奈君、またね」
「は、はい。先輩方、また明日」

 そして、己刃は優しい笑顔で小さく手を振ってから姿勢よく歩き出し、晶は背を向けてひらひらと肩越しに手を振りながらそれに続いた。
 朔耶はそんな二人を見送りながら晶の言葉を反芻していた。
 あの時、千影が自分の手の中で砕け散った時に思ったこと。
 そして、今彼女に伝えたいことは一体何だろうか。
 やがて彼女達の姿が完全に見えなくなる。
 朔耶はそれを確認してから、マンションの通路から薄暗くなった空を見上げながら静かに呟いた。

「俺は……千影と一緒に生きたい。この日常の明日を一緒に生きていきたい」

 その願いを言葉にした瞬間、朔耶は胸の奥から熱い何かが込み上げてくるのを感じた。

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