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αφεσις

青空顎門

二 使徒達――新たな日常①

 放課後。朔耶は疲労感に包まれて、机に突っ伏していた。
 そのままの体勢で隣を盗み見ると、今日の朝まで千影の後ろに座っていた男子がさも当然のように帰り支度をしている。
 その光景に、千影が世界から忘れ去られた事実を突きつけられているように感じ、朔耶は今日何度ついたか知れない溜息をまたついてしまった。
 恐らく誰の記憶にも彼女の姿は残っていないだろう。
 だろう、と確証がないのは、誰にも尋ねられなかったからだ。
 しかし、休み時間に和也と交わした会話から、彼の記憶に千影が含まれていないことは感じ取れた。
 朔耶を通して、たまに一緒に遊んでいた仲の和也でさえ彼女を忘れてしまっているのだから、他のクラスメイトが覚えているはずがない。
 正直、今日程授業を苦痛に感じたことはなかった。
 もしもパウロから、千影を甦らせられるかもしれない、と聞いていなかったら、己刃に注意されていても大きく取り乱し、結果このクラスでの居場所を失っていたに違いない。

「朔耶、大丈夫か?」

 そこへ帰る準備万端という感じの和也が心配そうに声をかけてくれる。

「昼よりも調子悪そうだけど、本当に、早退した方がよかったんじゃないか?」
「いや、大丈夫だよ」

 何とか普段通りの笑顔を作ろうとしながら答えると、そうか、と和也は困ったように苦笑した。
 やはりぎこちない笑みになっているようだ。

「あー、もしかして、あれか? 昨日、陽菜がはしゃぎ過ぎたせいか?」
「そ、そんなことないって」

 和也はそんな朔耶を前に、むしろ冗談めかして悪戯っぽく言った。
 普段はそんな彼に釣られて自然と笑みも浮かぶが、今日ばかりは上手く合わせられなかった。
 彼が改変された昨日の出来事を話題に出したこともそうだが、それ以上にアノミアから戻り、彼の顔を見た瞬間、一つ思い出してしまったことがあったためだ。
 それは、彼には姉がいた、ということだ。
 三年もの間、そんな当たり前に知っていた事実を忘却し続けていた。
 つまり彼女は三年前にアノミアで死んでいた訳だ。
 身近に潜んでいたアノミアの影響。
 家族である和也、陽菜、そして彼等の両親も思い出せずにいる事実を知り、知っていながら決して言うことができないもどかしさと申し訳なさ。
 改めて、朔耶はかの現象の本当の恐ろしさを知った気がした。

「朝日奈君、早く机下げて」

 掃除当番の女子に注意され、謝りながら慌てて机を教室の後ろに下げる。
 それから、朔耶は和也と共に廊下に出た。

「あ、いたいた」

 と、丁度廊下の少し先から聞き覚えのあるハキハキした声が届き、まだ教室前の辺りにいたクラスメイト達がほぼ同時にその方向へと意識を向ける。

「全く探しちゃったよ。何組か聞いていなかったから」

 彼女、鳴瀬己刃は朔耶の目の前で立ち止まると安堵したように微笑んだ。
 確実に美人に属する彼女がそんな卑怯とも言える表情をすると、男子は目で追ってしまうに違いない。

「さ、朝日奈君、行こっか」

 だから、そんなことを言われては周囲が軽くざわつくのも必然だ。
 何か妙な噂にならなければいいが。
 朔耶はそう思いつつ、ふと間近から感じた視線に顔をその方へと向けると、和也が驚いたように朔耶と己刃を見比べていた。

「お、おいおい、お前、いつの間に……ってか、一体誰だ? 新しい特撮仲間か?」
「と、特撮、仲間?」

 意味がよく分からない、という感じの戸惑ったような表情をする己刃。
 さすがに知り合って間もない状態の相手にいきなりその手の趣味の話はまずい。
 布教するにしても手順というものがあるのだから。いや、それは今関係ないが。

「ただの先輩だよ」

 その言葉に和也は驚きを体で表すように大袈裟に仰け反った。
 リボンの色から分かるだろうに和也がそんな反応をするので、己刃は困惑の色を強めていた。

「え、えーっと、君、朝日奈君の友達? ちょっと急ぎの用事があるから、もしも何か予定があったのなら、ごめんね」
「え? あ、いえいえ、別に大丈夫です。今日は特に約束はしてないし。あ、でも、こいつ、体調が少し悪いみたいなんで、もしそんなに重要な用事じゃないなら家に帰してやって下さい」
「だから、大丈夫だって」
「ま、そういうことにしておいてやるよ。でも、何があったのかは知らないけど余り抱え込むなよ? 俺や陽菜はいくらでも相談に乗るからな? んじゃ、朔耶。また明日」

 和也は途中まで真剣な口調で、最後だけ普段通りの口調に戻して言うと、片手を軽く上げながら背を向けてその場から去っていった。

「いい友達、みたいだね。……っと、それはともかく、体調、悪いの?」

 己刃が心配そうに至近距離で顔を見上げてくるので、朔耶は一歩後退りしつつ答えた。

「や、それは、その、千影が皆から忘れられているのが少々ショックでして……」

 内容が少し女々しいような気がして尻すぼみになる。
 周囲にはクラスメイトの喧騒があり、声もひそめていたため、もはや言葉尻は自分にも聞こえない程に小さくなっていた。

「……そ、っか。そう、だよね」

 しかし、己刃はしっかりと内容を把握したらしく申し訳なさそうに呟いた。

「あの、己刃先輩。それより、これからどうするんですか?」

 重苦しい雰囲気になるのを嫌って、朔耶はなるべく明るい声で尋ねた。

「あ、うん。私について来てくれる?」

 己刃の確認に、はい、と頷いて、歩き出した彼女の後に続く。
 正門から見て右にある高校と左にある中学校の校舎の繋ぎ目、礼拝堂や職員室がある中央の棟の二階に至り、そこから一階へと向かう。
 靴を変えずに棟を行き来するには二階の渡り廊下を使用するしかない。
 この中央棟、管理棟の一階には開かずの扉が存在し、その先を見た者はいないと言われている。
 時折、宿直の先生や警備員がその扉から光が漏れているのを目撃しており、それが噂を呼んで学校の七不思議の一つになっていたりする。
 曰く、校則違反者を罰する独房がある。
 曰く、学校を隠れ蓑にした秘密組織の隠れ家がある。
 曰く、非合法の研究が行われている。などなど妙な噂も流れている。

「ここよ」

 己刃が目線で示したのは、一階の奥まったところにある教員の休憩室のさらに一つ奥の部屋だった。
 その先には件の開かずの扉が何かの秘密を封じている。
 それはともかく、己刃の視線を辿るとその部屋の入口に書かれた文字が目に入った。

「学院会、室? 何ですか? 学院会って」
「えっと、私達使徒――アノミアで力を得た人をそう呼んでいる、と言うより、昔の人が自称したんだけど、この学校の使徒が所属する組織のことよ。まあ、部活の体裁でカムフラージュしているんだけど」
「は、はあ」

 となると、この部屋は部室のようなものか。

「使徒はここに集まって、アノミアでの巡回のローテーションを決めたり、今日襲ってきた人達への対策を考えたりするの」
「え、なら先輩以外にも生徒で、その、使徒の人って沢山いるんですか?」
「ううん、今は私と朝日奈君を除くと、生徒で使徒は一人だけ。先生は結構忙しいし、だから、実際のところ普段は二人で雑談しているぐらいなんだけどね」

 己刃はそう言うと決まりが悪そうに頬をかいた。

「成程……って、うわっ!」

 学院会室の前で話していると、その扉がいきなり開かれる。
 引き戸の教室とは違って外開きのドアだったため、鼻先を物凄い勢いで扉がかすめていき、朔耶は驚いて一歩二歩と後退してしまった。
 突然のことに心臓も早鐘を打つ。

「己刃、遅いぞ!」

 そこから出てきたのは尊大な物言いをする少女。
 小柄な千影といい勝負どころか完全に圧勝の、色々な部分が小さい女の子だった。
 髪の毛はブロンドでふわふわしているが、それとは対照的に吊り目がちな碧眼からはプライドが高そうな雰囲気がびしびしと感じ取れる。
 その容貌が日本人離れした西洋の人形のような美しさを湛えていることからも、少なくとも生粋の日本人でないことは確かだろう。

「ん? 誰だ、こいつは」

 彼女は今気づいたというように朔耶へとその澄んだ青色の瞳を向けた。
 制服のリボンから高校生、しかも三年生だと分かる。
 つまり、こんななりでも朔耶より一つ年上ということだ。
 一つ服装で特徴的なのは、そのほっそりした足は白いタイツで包まれているという点か。

「今日から仲間に加わった朝日奈朔耶君よ、晶」
「ほう。そうか。まあ、立ち話もなんだ。入れ」

 簡潔に言って部屋に引っ込む晶と呼ばれた少女に従い、己刃に続いて中に入る。
 そこは入ってすぐに一段床が高くなっていて、その上は畳張りだった。
 靴を脱ぐスペースには、晶のものらしい小さ目の上履きが変に潰れた状態で置かれている。
 どうやら彼女はそれを足場にしてドアを開けていたようだ。
 やや緊張しつつ畳に上がると己刃が奥から座布団を二枚持ってきて、部屋の中央に据えられたちゃぶ台の前に敷いた。

「あ、ありがとうございます」

 己刃に礼を言ってそこに正座すると、座布団の配置のために真正面に晶が座る形になっていた。
 彼女は、一本芯が入ったように綺麗に正座する己刃とは全く対照的にあぐらをかいていた。
 座り方から何となく性格が分かる気がする。

「さて、まずは自己紹介と行くか。私は橘晶。三年C組だ。勿論、高校のだぞ?」

 改めて本人の口から利かされても、内心では彼女が先輩であるという事実を信じられずにいたが、朔耶は表情には出さないように心の内で抑え込んだ。
 この手の人は外見で判断されるのを嫌う傾向にあるはずだ。多分。

「に、二年C組の朝日奈朔耶です。よろしくお願いします、橘先輩」
「橘先輩はちょっと硬いな。仲間になるのだから、名前の方で呼んでくれ」

 晶はにやりと悪戯っぽく笑った。
 尊大そうなのは口調と目つきだけで、案外親しみ易い人なのかもしれない。
 ちゃぶ台に肘をついて、あぐらなんかかいている訳だし。

「は、はい。分かりました。晶先輩」

 朔耶はそう言いつつ、よく考えたら己刃のことも己刃先輩と呼んでいたが、それでいいのだろうか、と今更思って己刃を見た。
 名字よりも先に名前を知ったため、彼女を最初に呼んだ時、つい名前が口に出てしまった。
 それ以来、そのまま呼んでいたのだが。

「どうしたの? ……あ、そう! そうなの。朝日奈君が考えている通り、晶はハーフなんだよ。日本人とお父さんとイギリス人のお母さんの」
「は、はあ、そうなんですか」

 己刃は何故か嬉しそうに見当違いの返答をした。
 どうやら彼女は呼び方を特に気にしていないようなので、今更態々問題にする必要はないか。
 しかし、晶はやはりハーフだったらしい。

「でも、日本語しか喋れないんだよね?」

 己刃が少し意地悪く言うと晶はむっと不満そうに顔をしかめ、それから諦めたように深く嘆息した。

「母上が大の日本好きでな。父上と話をする時も日本語ばかりだった。そのせいで私も日本語しか話せないのだ。しかも、気がついた時にはこの口調だ。まあ、そのこと自体は別にいいのだが、この外見とそのせいで昔は下らないことを言われたものだ」

 彼女は腕を組み、そんな過去を射抜くように虚空を睨みつけていた。
 細かな差異が争いを作る。現実もそうだし、フィクションでも題材にされる。
 有り触れた構造だが、克服できないのは人間の愚かさ故か。

「っと、そんなつまらん話はどうでもいいな。それで、お前の力はどの程度だ? せめて『力天』ぐらいあれば私達も楽になるのだが。ちなみに私は己刃と同じく『座天』だ。どうだ。凄いだろう」
「へ? え、えっと……それ、何です?」

 断崖のような胸を精一杯に張った晶だったが、言葉の意味がよく分からない。
 困惑しつつ朔耶がそう尋ねた途端、晶は顔を急激に紅潮させて己刃を睨んだ。

「ご、ごめん。まだ、概要の概要しか話してなかったから」
「う、うぅ、これでは私が痛い人間みたいではないか。馬鹿みたいではないか」

 ばんばんと本当に恥ずかしそうにちゃぶ台を叩く晶。
 何と言うか、体つきが幼いせいで子供が駄々をこねているように見えて何となく微笑ましい。

「い、今、ちゃんと説明するから、ね?」

 己刃が宥めるように言うと、晶は台を叩く手を止めて唇をへの字に曲げながら頷いた。

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