涙はソラを映す鏡

青空顎門

異形の者

 音もなく、両手首から先を切断され、それが床に転がり落ちる。

「穹、路……手が」

 余りにも非現実的な光景が我が身に起こっている事実に、ただでさえ小さい螺希の声が更に遠く聞こえる。
 振り返ると、彼女は顔面を蒼白にしていた。
 だが、気が遠くなりながらも疑問が浮かぶ。
 痛みを感じない。血も流れていない。それは一体何故なのか。
 そんな問いが脳裏を駆け巡ったその瞬間、夢の中の彼女の、記憶にあるはずがない優しげな微笑みが脳裏に浮かんだ。

「ウーシア?」

 無意識に彼女の名を呟く。
 すると腹部の奥底から焼けるように熱い感覚が生まれ、全身がそれに包まれた。
 床に落ちた両の手首が粒子と化して消え去り、穹路の腕に機械的な手を作り出す。
 それに合わせるように視界に映る体の全てが空色に輝く装甲に覆われていった。

「これ、は?」

 その自問について何か考えるよりも前に、今正にこの手を切り落とした爪が再び迫り、穹路は思わず先程と同様に腕を前に出してしまった。

「お、お前、一体……」

 武人の驚愕したような呟きと同時に、硬い何かが床に落ちる音が響く。
 今度は穹路の腕ではなく、グリーフの爪がその床に転がっていた。

「グリーフ? いや、違う、のか?」
「桐生君、後ろだ!」

 呆然としている武人に叫ぶ。
 我に返った彼は穹路とは違い、後ろから攻撃をしかけてきたグリーフを容易く回避すると槍で一撃した。
 理屈は分からないが、相手の攻撃が自分には効かないというだけで、僅かにだが精神的な余裕が生まれる。
 それによって穹路は冷静な思考を取り戻すことができた。
 グリーフを警戒しながら、手を切断された瞬間に落としてしまった翠の銃を見る。
 それから穹路は、数日前に翠が自分のティアが連関型ではなくなったことを喜んでいたのを思い出した。そのおかげで彼女はグリーフにならずに済んだ訳だ。

 だが、何故、翠のティアからリンク機能が失われたのか。
 彼女は、穹路君が触ってくれたからかもね、と冗談っぽく言っていたが、このティアに異変があったのは確かに穹路が貸して貰った後のことだった。
 あの時、問題があるならそんな機能はなくなってしまえばいいのに、とも穹路は心のどこかで思っていた。

「なら、もしかしたら」

 爪を再生させたグリーフに接近し、その攻撃を体の装甲で防ぎながら、グリーフの頭をその手で掴む。
 そして、ティアのリンク機能と書き込まれたプログラムの消去を強く願った。
 瞬間、グリーフは糸の切れたマリオネットのように床に倒れ込み、気味悪く痙攣し始める。と同時に、その体内から全ての元凶であるティアが転がり出てきた。
 恐らく。翠のティアと同様にリンク機能が失われ、しかし、彼女の時とは違いブランク状態にあるのだろう。

 理由はともかく効果がある。穹路はそう確信し、残る二体に向き直った。
 一体を武人が抑えてくれている間に、もう一体に駆け寄り、ほとんど殴りつけるような勢いで顔面を掴む。同時にプログラムの消去を望むと、それはやはり力なくその場に崩れ落ち、ティアを落とした。

「桐生君!」

 その一部始終を視界の端で捉えていたらしい武人はそれを合図に後退し、穹路は彼と入れ替わるように残る一体に近づいた。

「はっ!」

 そして、他の二体と同様に掴んだ頭部を床に叩きつける。
 振動と共に床面に亀裂が走り、グリーフが気絶したように動きを完全に止めた。
 穹路は転がり落ちたティアを確認し、それの頭から手を離した。

「これで――」

 一先ずこの教室のグリーフは全て行動不能に追い込むことができたはずだ。
 一つ安堵の息を吐く。
 既に何名か犠牲になっているのに今更だが、それでもクラスメイトとしての意識を持つ彼らもこれで助かるかもしれないと考えて。
 しかし、突然目の前に武人が躍り出て、床に伏せたまま動かないグリーフ達の四肢を素早くバラバラに切り裂いてしまった。

「桐生君、何を――!?」
「一度グリーフと化した者は、たとえティアを切り離そうと人間を襲うことをやめはしない。だからもう殺すしかないんだ。……これからも化け物として意識だけを保ち、他の誰かを殺し続けなければならない地獄を味合わせるのは、余りに酷だ」

 血に濡れる槍を睨みつけながら、武人は心底悔しそうに呟く。
 そんな彼の言葉と表情を前に、穹路は何も言うことができなかった。
 複雑な気持ちを抱きつつ、武人から視線を外し、床に転がる三つのティアを手に螺希の傍に歩み寄る。

「螺希、大丈夫か?」
「穹路……その、姿」

 微かに怯えたような表情の螺希に、穹路は窓ガラスに映る自身の姿を見詰めた。
 そこにいたのは人の形をした異形の存在。
 遠目ではグリーフに近く、しかし、どこか生物的なそれとは違い、人工的な、金属光沢を放つ薄い装甲に包まれたような姿だった。
 何より違うのは、頭部も全ての部分が装甲に覆われていることだろう。
 それでも単なる人間とは言いがたい姿であることは間違いない。

「これ、は……い、いや、今はそれどころじゃない。早く逃げないと」

 無理矢理その姿を忘れるようにして螺希に手を差し伸べる。
 螺希も今はそれを優先すべきと考えたようで、その手を取って何とか立ち上がろうとした。しかし、どうにも体に力が入らない様子で何度か失敗する。

「そ、そうだ! 真弥!」

 螺希は思い出したように叫び、立ち上がれないまま縋るように穹路を見上げる。

「穹路、私より真弥を、真弥をお願い!」
「ああ! ……いや、でも螺希は――」

 何とかして真弥の状況を確認したいのは山々だが、こんな状態の螺希も心配だ。

「俺がしばらくここで守ろう。だから、早く行ってこい」
「そんな、一人じゃ――」
「相坂さん……しっかりしろ!」

 穹路の言葉を全く黙殺して、武人は呆けたままの翠の肩を揺さぶった。
 それで翠の目の焦点がようやく合う。

「あ、あたし……」
「望月君。ここは俺と相坂さんで何とかする。相坂さんのティアを彼女に」
「……分かった」

 武人の強い瞳を信じて頷く。
 螺希もこの状態では一旦落ち着かなければ逃げるに逃げられないだろうし、何より穹路自身、真弥の元に向かいたかったから。
 銃に再構成されたままの翠のティアを拾い、それを彼女に渡そうと近づく。

「ひっ、グ、グリーフ?」

 が、翠は穹路の姿を見ると、小さく悲鳴を上げて座ったまま僅かに後退りした。
 何も知らずこの姿を見れば当然と言えば当然だが、それでもそんな彼女の態度に少なからずショックを受ける。
 友人であるからこそ、尚のことだ。

「相坂、さん……」
「え? あ……その声、穹路、君?」
「これ、相坂さんのティア。俺達を助けてくれたよ」

 そのリボルバーの銃身部分を持った手をそっと翠に伸ばすと、彼女は少し手を震わせながらもそれを受け取ってくれた。
 とりあえず今はそれだけでよしとする。

「螺希を、頼むよ」

 そして穹路は、それだけ言うと即座に真弥の教室へと走り出したのだった。

コメント

コメントを書く

「SF」の人気作品

書籍化作品