あの日の誓いを忘れない

青空顎門

第四話 焔火斂は空気を読まない⑤

 征示の死から約一週間。時と共に心を癒す人間の機能のためか恐怖心は僅かに薄らぎながらも、未だに答えは出ないままだ。
 それでも那由多は今、戦場にあって空に渦巻く闇を睨みつけていた。

「隊長、大丈夫ですか?」

 火斂の気遣うような問いに何とか頷く。恐らく表情は相当に強張っているだろうが、彼はそれを指摘するような真似はしなかった。

 空の闇の中に彼等の気配が強くなっていくにつれ、再び心の奥底から恐怖が沸々と湧き上がってくる。そんな時、肩に手を置かれ、ハッとして振り返ると模糊の姿があった。

「無茶はしなくていいからね。いざとなったらお姉ちゃんが守ってあげるから」

 姉としての彼女の言葉に少しだけ表情を和らげて頷き、那由多は再び空を見上げた。
 やがて気配の濃さが臨界を迎え、次の瞬間、敵の軍勢が姿を現す。

「あ、あれ、どういうことや?」

 それを見て旋風が戸惑いの声を発する。そこには普段の数倍の魔導機兵と共にゲベットそっくりの漆黒の鎧が三体、そして、以前に現れた鏡張りの人形が二体存在していた。

「夕星模糊。以前の借りを返しに来たぞ」
「それはこっちの台詞。けど、それはどういうこと? 貴方、実は三つ子だったの?」
「俺の性能をコピーしたアンナ手製の人形だ。雑魚の相手には丁度いいだろう?」
「そう……」

 模糊は一瞬だけ思案するように言葉を切ると、隊の面々に対して言葉を発した。

「那由多と火斂君は黒い鎧を一体ずつ受け持って。水瀬君はあの人形二体を。旋風ちゃんは他の魔導機兵を全て任せるわ」
「了解です」「分かりました」「任せてえな」
「那由多、できる?」
「大丈夫。抑えるぐらい、何とかしてみせる」

 強張った口調ながら模糊に答え、飛行補助の魔造石英を身につけた那由多は己が受け持つべき敵へ向けて空を翔けた。

「口だけならば何とでも言える。怯えを隠せぬ貴様がどの程度戦えるか見せて貰おうか」

 那由多を待ち構えていた黒い鎧の内の一体が、静かに構えを取りながら告げる。

「君が本物のゲベットか。私如き臆病者の相手を本体が態々してくれるとは、言葉とは裏腹に随分と私を買ってくれているようだな」
「安い挑発だ。残念だが、俺のコピーは本体と同等の力を持つ。俺が誰の相手をしよう同じだ。それに以前言っただろう? 雑魚から潰すのが定石だと。〈IsUbOkOnUkOkkIs〉」

 握り締められたゲベットの拳に闇の気配が集まり出す。と同時にゲベットは空を蹴って一気に那由多へと飛翔した。

「くっ、〈収斂しゅうれん極天光きょくてんこう〉!」

 視界を駆ける影を目がけて巨大な光を放つ。しかし、確実にその存在は射線上にあったにもかかわらず、ゲベットの装甲は欠片も傷ついていない。

「その程度の光。もはや避けるまでもない」
(やはり、周囲の空間に遮られ、ゲベットまで到達していない)

 しかし、今の一撃や前回の戦いにおける那由多達の攻撃とは対照的に、あの日の模糊の魔法は確かにゲベットに届いていた。
 那由多の魔法と模糊の魔法。その違いは、才能ではなく――。

(魔力の密度)

 模糊の話によると、ゲベットの周囲は魔法によって空間が歪められているらしい。
 これを打ち破るには、敵の魔法が持つ単位体積当たりの魔力量を遥かに上回る攻撃を放てばいい。つまり、こちらの魔力の密度を増してやればいいのだ。
 通常、魔導師は周囲に存在するマナを魔力素に変換し、それをさらに属性魔力に変換した上で指向性を与えて魔法として行使する。この最後の段階は言わば、属性魔力素材を加工して魔法別のものを作っているようなものだ。
 この最終変換に魔力を圧縮し、密度を高める工程を加える。一旦属性魔力素材圧縮魔力別のものに加工し、それを用いて二次加工して魔法とするのだ。
 言うは易いが制御の難しいこの工程に慣れ、自分なりのイメージを見出し、その上で効率よく運用する。ここ一週間の特訓は正にそのためにあった。

「〈大収斂だいしゅうれん――」
「貴様、まさかっ!?」

 己の内に意識を向けて、生み出された魔力を極限まで圧縮する。その気配に、ゲベットは警戒するように構えを変えた。

「――星天せいてん紅鏡《こうきょう》〉!」
「〈EbAkOnUkkOkIs〉!」

 那由多が右手を掲げて集束された閃光を放つのとほぼ同時に、ゲベットが自身の前面に渦巻く闇を展開する。しかし、それは那由多の光を遮るには及ばない。
 そして、莫大なエネルギーを有する輝きは一瞬那由多の視界を白く染める。
 それが治まった時、那由多の目に映ったのは片腕を失ったゲベットだった。

(通った。これなら――)

 そんな相手の状態に特訓の成果を実感する。
 思えば、ここまではっきりとゲベットがダメージを負ったところを目の当たりにしたのは、初めてのことだった。当たり前のことだが、ゲベットとて無敵ではないのだ。

「〈UUhccAkOnUkOkkIs〉」

(なっ!? 馬鹿なっ!?)

 だが、欠片も動じた様子のないゲベットがそう呟くと、瞬時に欠けた左腕が再生されてしまう。その光景を前に、逆に那由多の方が動揺してしまった。

(身体の再生は土属性の魔法のはず)

 闇属性であるはずのゲベットが土属性の魔法を使えるはずが――。

(い、いや、落ち着け。事実は事実として受け止めろ。その上で可能性を探れ。……そうだ。水瀬のような複数属性持ちの可能性もあるし、己の体に関しては身体属性魔力化でも再生が疑似的に可能だ)

 揺らいだ感情を静めるために、心の内で自分に言い聞かせるように呟く。

(狙いは僅かにずれたが、通用はしている。私の魔法でも届いている。再生されようがされまいが、それは確かな事実だ)

 そう結論し、那由多は再度右手を伸ばして光を放とうとした。しかし――。

「威力は中々だ。が、戦いへの恐怖の見え隠れした心では狙いも甘くなるというもの」

 その余りに冷淡な言葉を前に、僅かな間だけ魔法の発動を忘れてしまう。

「それでは勝利は得られない。敗北し、ただ失うばかりだ」

 続く断定に征示を失った時の記憶が甦り、付随して恐怖心が心の奥から染み出てくる。
 それでも無理矢理己を奮い立たせ、魔法の光の名を告げようとする那由多に対して、嘲笑の気配と共にゲベットが言葉を続けた。

「心を必死に取り繕おうとすればする程、視野は狭まる。そして、全てを奪われる」

(な、何を――)

 忠告染みた言葉に思考が囚われる。それにより思わず意識が乱され、意図せずゲベットの言う通りに狭まっていた視野が僅かに広がった。

(え?)

 そして、気づく。いつの間にか那由多が正面に対峙しているゲベットが、模糊のすぐ斜め後方にいることに。
 その時、両者の間の距離は誰よりも近かった。
 そう那由多が認識した時には、ゲベットは模糊に背後から襲いかかっていた。

「ね、姉さん!」

 模糊は那由多の声よりも早く背後の気配に気づいて咄嗟に回避しようとしていたが、ほんの僅かな反応の遅れによって拳の直撃を受けてしまった。

「く、ぐぅ、あ、ああっ」

 その直後にゲベットに胸倉を掴まれ、その手で持ち上げられた模糊は、一撃のダメージと首にかかった負荷のために苦しげに呻き声を上げた。

「卑怯だぞ、ゲベット! 姉さんを離せ!」
「命懸けの戦いに卑怯も何もない。お前達が弱いだけのことだ。そして、弱い者は失うだけだ。弱肉強食。力こそが全てなのだから。〈IgUrUtOnUkOkkIs〉」

 酷薄に告げるゲベットは空いている手に闇を固めたかのような黒き剣を作り出し、模糊の心臓を狙うように胸元に近づけた。

(失う? 征示のように、姉さんまでも失うのか?)

 予想される結末に重なるように、あの日の征示の最期がフラッシュバックする。テレジアの剣に胸を貫かれ、その力によって粉微塵に分解されてしまった彼の姿が。

(あの光景が、繰り返される?)

 そう心の内で問うた瞬間、かつてない恐怖が那由多の心を埋め尽くした。
 それは征示に依存することで目を背け続けてきた漠然とした戦うことへの恐怖を、遥かに凌駕する恐れの感情だった。

(ああ、そうか。これが、姉さんの、征示の言っていた――)

 そして、那由多は知った。誰かを失うこと、奪われることへの恐怖。それこそが那由多にとっての本当の恐怖なのだ、と。

(それに比べれば、戦うことは……遥かにマシだ)

 たとえそれで傷つくことになろうとも、命すら落とすことになろうとも、それを上回る恐怖があるのなら。その時、臆病な人間も武器を持ち、戦うことを決意するのだろう。

「〈神降かみおろしあまてらす〉!」

 だから、戦いへの恐怖を別の恐怖で押し殺し、確固たる意思と共に告げる。
 瞬間、那由多の身体は瞬時に分解され、同時に光の集合体として再構築される。

「何だとっ!?」

 ゲベットが僅かな驚愕を声にする間に一気に距離を詰め、那由多は模糊を掴むその腕を光そのものと化した手刀で切り落とした。
 続けて攻撃を仕かけるが、ゲベットも己の装甲を凌駕する一撃を受け止める程愚かではなく、大幅に距離を取られて届かなかった。

「姉さん、大丈夫!?」

 それでも姉の安否を確認できる程度の余裕は生じ、もう一体のゲベットにも注意を払いながら模糊の傍に寄る。
 自由を取り戻した彼女は、咳き込みながらも何とか体勢を立て直そうとしていた。

「油断、したわ」

 やはりダメージが大きいのか、苦しげに声を出す模糊。しかし、彼女はそんな自分自身の体よりも妹が大事と言わんばかりに、那由多を気遣うような視線を向けた。

「那由多……もう、大丈夫、なの?」

 心配げな姉の問いにしっかりと頷いて答える。

「戦いよりも恐ろしいことに、気づいたから」

 そう伝えると模糊は少しだけ哀れむような目で那由多を見た。
 その意味を那由多は何となく理解していた。
 戦いこそが最大の恐怖なら、戦うべきではない。戦わせなくて済む。
 しかし、那由多は戦う道を選んだ。選んでしまった。
 そうすべきだと理解し、そう振舞っていても、模糊は身内を危険に晒して何とも思わないような人ではない。

「そう。なら、行くわよ」

 とは言え、戦場でそれを言葉にするような真似はしない。
 模糊はそうとだけ告げると、那由多を警戒しているゲベット達を厳しく睨みつけた。

「ね、姉さん、体は――」
「〈再生さいせい幽光ゆうこう幻無げんむ〉」

 確認する間に模糊は身体を一瞬だけ属性魔力化させた後「問題ないわ」とだけ告げ、先程まで彼女が対峙していたゲベットへと翔けていった。

(属性魔力化解除時の身体再生を利用して回復したのか。なら、姉さんは大丈夫だろう)

 そう自分に言い聞かせ、いつの間にか腕を再生させていたゲベットと向かい合う。

「多少はマシな顔つきになったか」
「偉そうに。もうお前には負けない!」
「ふ、やってみるがいい。AtAkOnUUhcIgUOUUyrnnEnnIhs」

 そう告げるとゲベットはこれまでの彼とは異なる構えを取った。

(この構え、どこかで……いや、今は考えている場合ではない!)

 既視感を振り払い、那由多は正面から光に迫る速さで間合いを詰めた。そして、そのまま最高速の一撃を連続して振るう。
 しかし、先程は模糊という重荷があったから回避できなかったと言わんばかりに、その全てを紙一重で避けられてしまった。

「どうして――」
「いくら速かろうと軌道が読めれば回避は造作もない。いくら光の速さに近づこうとも所詮考えるのは人間だ。それに、その大振りではな」

 その言葉にハッとして那由多はゲベットから距離を取った。と同時に唇を噛む。

「敵にアドバイスとは……余裕を見せているつもりか」
「さて、な」

 含みを持たせた物言いは罠を疑わせる。
 那由多の攻撃が届かないにしても、ゲベットが反撃できずにいることは確かだ。あるいは、得意の間合いへと誘導しようとしているのかもしれない。しかし――。

(私に格闘技の素養はない。新たに得た力に囚われ、少し振り回されてしまったが、本来の戦い方を選ぶべきだ。……そう導かれているのだとしても、それで勝てなければ、テレジアにも勝てまい)

 そう考え直し、ゲベットから距離を取ったまま那由多は右手を掲げた。
 それに呼応して、ゲベットが即座に構えを変える。

「AtAkOnUUkIgUOUUyrnnEnnIhs」

 そして、宣言するように告げると同時に那由多へと空を翔けてきた。

「〈IsUbOkOnUkOkkIs〉!」

 真正面から振るわれる闇を纏った拳。そこに込められた力は圧倒的で、恐らく触れれば命はない。たとえ光と化したこの身とて例外ではないだろう。
 その事実を直感し、恐怖がじわりと心を侵食してくる。しかし――。

(負ける……ものかっ!)
「〈大収斂だいしゅうれん流星りゅうせい煌雨こうう無量むりょう大数たいすう〉!」

 那由多はその恐怖から、迫り来る拳から目を背けずに、それ故に絶妙のタイミングで無数の光を解き放った。
 その輝きは寸前に回避しようと軌道を変えたゲベットを飲み込み、那由多の視界さえも埋め尽くしていく。そして、視覚の全てが光に染まった瞬間――。

『それでいい』

 那由多の耳に、そんな征示の安堵したような声が聞こえた気がした。

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