ヒエラルキーを飛び越えろ!!
9倉木すずか
「失礼します、今日から書道部に入部希望なんですけど……」
背中を丸めた倉木が、ゆっくりと部室のドアを開ける。部室といってもただの教室だ。机と椅子があって、前後には黒板もある。強いていうなら、倉木たちがいる教室よりは埃っぽくて、狭い。
「おお! 先生ぇ、これで一年だけでも五人だよ!!」と小金と似たようなちんまりした子が若い女の先生に話しかける。
「あら、貴女も一年生?」
先生もこちらに気付いて、「おいでおいで」と柔和な笑みとともに、中へ招く。
「入部の書類は後で私がテキトーに書いておくねー。だから今日はとりあえず、今ここらへんにあるお手本を好きなの一枚選んで書いてみて」
どうやら、若くて可愛らしい女の先生は、書道部の顧問らしい。倉木が知り合いのいない中、顧問の指示通りにしていると、周りで騒ぐ部員のおかげで、書道部の全容が少しずつわかってきた。
倉木がドアを開けて開口一番に顧問に話しかけていたのは、特進クラスの由香というらしい。もう一人特進クラスがいるみたいだが、やけに顧問と親しげなのは由香だ。
それは顧問も特進科専任の教師だというところだった。他にも旧校舎の部員が三人いた。
書道部と名前だけは厳かで、大人しくて真面目な子が文字を書いているイメージを連想していた。だが、実際は倉木以外の五人が既に入部していて、女子トークをしている。それも騒がしい。
そして、もっと驚くことに、二組の雰囲気と違えど、此処も温かい場所だったのだ。特進クラスの子がいると知って、倉木は一瞬身構えたが、それも杞憂に終わる。各が自己紹介をして話を広げる。
しかし、倉木は部内でも若干のヒエラルキーは存在するのかもしれない。その極め付けは、全員が倉木の書道歴より遥かに上だということだ。女子トークしかしていない彼女たちから余裕を感じられる。
「うわ。入部して一番上手い人が入ってくれた!」顧問は倉木の肩に手を置いた。
「この子だけだわ、真面目に取り組んでくれるの!」
「先生ぇ! うちらも真面目に取り組んでますよ! ほら!」
由香は話しながら書いた作品を顧問に堂々と突きつけた。
「あなたねぇ、こんなの中学生だって書けるんだからね!」
その後も由香をはじめとする同級生は、言い訳に言い訳を重ねていたが、顧問はちくわ耳になって倉木に視線をやる。
「あなた、この筆使ってみない?」
渡されたのは毛先が異様に長く、習字で扱っていた筆のように抑えると、簡単に穂先がくの字に曲がってうまく書けない。書道と習字の違いを早くも気づかされた。
「……これと同じもの、どこで買えますか」
倉木はこの筆を使いこなしてみたくなった。負けず嫌いの血が騒ぐ。「扱えるようになりたい」。
「これ、今すぐ準備できるよ。一年くらい触ってれば使えるようになるし、使いこなせたら、すごくいい味出す筆だから買って損はないわ」
顧問も購入を奨め、元から寂しい財布の中からなけなしの筆代を出した。休日のカラオケ三時間分に相当する。
その熱意が、自然と部員全体に浸透していき、夏が始まる頃には、部活へ行くのが楽しみになっていた。
由香にいたっては、野球部の追っかけもしているようで、夏休みが始まってからは、毎日のように差し入れを大量に作っていた。いわゆる「ガチ勢」というやつだ。筆を持っている時でも、試合に行けないことで上の空だったこともしばしばだ。
——今年の夏。
倉木はよく分からないまま、書道の高文連に出場した。会場で作品を書き上げるというセンスを問われる大会だった。しかし、上に上がることは叶わず、秀作という結果に終わった。これは、「頑張ったで賞」といっても過言ではない。
倉木は歯噛みして悔しさに耐えた夏だった。しかし、それは他の部員も同じだったらしく、それぞれが肩を寄せ合うこともなく、ただ、震わせて顧問の結果を聞き入れていた。
——その時期から、倉木は楽しみだった部活に週一のペースでしか、顔を出さなくなる。
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