ギャルとボーズと白球と

野村里志

「堀岡、好きだ。俺と付き合ってくれ」









「そういえばさ、来週とかじゃなかったっけ?坂本君が帰ってくるの」


 学園祭の片付けをしながら不意に智が話し始める。その言葉に芽衣はビクッと体を震わせた。


「「………………」」


 智と優衣はじーっと芽衣の方を見つめる。芽衣はすぐに先程同様に作業を進める。しかしその手はどこかおぼつかなく動いていた。


「なんかすごいファン増えたよね。甲子園でも凄い活躍だったし、挙げ句の果てには日本代表だからね。憧れてる子も結構いるって」


 芽衣は再びビクッと体を震わせる。その様子を二人はまた静かに見つめている。


「そういえばなんか女の人と一緒にいるとこ写真撮られてたよね。中学時代からの友人って書いてあったような」
「え、うs……」
「嘘」


 芽衣は驚き二人の方を見る。瞬間、芽衣は「しまった」と反省する。二人はしてやったりと言わんばかりのしたり顔で芽衣の方を見ていた。


「……何よ?」
「「何も」」


 二人は楽しそうに芽衣のムスッとした顔を見ている。その様子に芽衣の我慢が限界を超えた。


「もー!二人とも!からかわないでよ!」
「あははは。ごめーん、メイ。怒らないで」


 可愛らしく怒ってみせる芽衣にそれを聞きながら楽しそうに笑う智。そしてそんな二人を優衣が微笑ましく見ていた。


 三人の日常は今日も平常通り過ぎていた。










「セイジ、今日はこのまま帰るのか?」


 電車で隣に座る祐輔が誠二に聞いてくる。成田空港からの帰り、共に戦ってきた日本代表の選手達と空港で別れ各々帰路についていた。そして東京出身で近くに住んでいる二人は一緒に帰ってきていた。


「いや、学校に寄ろうかなって思ってる。荷物は両親が持って行ってくれたし、今のうちに部室の物をすべて空にしておきたいからな」
「お前は本当に几帳面だな。ロッカーなんて、卒業するまで占拠しとけば良いのに」


 祐輔は笑いながら答える。アメリカとの時差や長時間のフライトは、どうにも祐輔には堪えたらしくどこか疲労がたまっているようであった。


「なあ、セイジ」
「何だ?」
「お前、プロ行くか?」


 祐輔が今までに無い真剣な表情で誠二に質問する。誠二もまっすぐ視線を返しながら「ああ」とだけ言って肯定する。


 誠二は「そっか」とだけ言って黙り込む。その表情はどこか安心したような表情であった。


「最も指名されればの話だけどな」
「まあ、間違いねえな。俺も誰かさんに打たれたおかげで指名かかるか分からねえからな」


 祐輔が冗談混じりに言ってくる。甲子園に出ていようがいまいが、その右腕の価値は既に揺るぎないものではあった。


「じゃあな、大学で頑張れよ。もっとも、入るだけの頭があったらだが」
「何を!」


 祐輔はそう言って誠二を睨む。そして二人はそろって笑い出した。二人で気を許してふざけ合えたのは一体いつぶりのことだっただろうか。誠二は中学時代を思い出すようなどこか温かい懐かしさを感じていた。


「じゃあ、セイジ。俺は次の駅で乗り換えるから」


 祐輔はそう言って立つと、荷物をまとめ始める。遠征帰りの大荷物はどこか重そうではあったが祐輔はそれをなんなく持ち上げる。その体躯は十分に鍛え上げられており、顔に似合わず分厚く発達した大腿部は野球人としての基礎ができていることの証だった。


(こいつ、やっぱり良いピッチャーだな)


 誠二はそんなこと考えながら祐輔の太ももから腰回りを観察する。すると祐輔がこちらの視線に気付いて、誠二の方を見ていた。


「セイジ……悪い。俺……そっちの趣味は」


 誠二は少しして祐輔の意図に気付き「馬鹿言うんじゃねえ、気持ちわりい」と言って、さっさと行くように手で払った。


 電車がとまり、ドアが開く。祐輔は「じゃあな」と言って駆け足で電車を出て行く。一人電車に残された誠二はまた静かに考え込んだ。


(これまで色々なことがあった)


 誠二は外の景色を眺めながら、今までのことを思い返す。


 甲子園では三回戦まで進んだ。木佐貫を含め、全員が泣いていた。誠二も自身では泣くことはあるまいと思っていたが他の選手の顔を見た瞬間、気がつけば涙で溢れていた。


 誠二は甲子園の三試合で十二打数八安打で二つの四球を選んだ。自分自身、できすぎに思えるほどの好成績であった。ホームランも三本放ち、ニュースでも取り上げられていたと両親から連絡があった。


 そんな成績のおかげか、いくつかの球団からスカウトも来た。そして間を空けずにU18の世界大会の日本代表にも選ばれ、初めてベースボールの本場、アメリカの地を踏んだ。そこでも躍動し、準決勝で見せた鈴木―坂本のバッテリーは日本どころか世界にも衝撃を与えていた。


 野球に関して言えばこれ以上ないほどに充実しており、そこに悔いが挟まれる余地はなかった。


 (なんだか信じられないな)


 誠二自身、今の自分の状況にあまり実感が追いついていない感じであった。わずか半年前には何もかも投げ出したくなっているほどに絶望していたとは自分でも不思議であった。


 しかし振り返ったときに思い出されるのは、直近にあった西東京大会の熱戦や甲子園、世界大会ではなく、苦しく、悩み続けた二年半の方であった。そして何より……。


「さて。行きますか」


 電車のドアが開き、誠二は電車を降りる。最寄りの駅から学校までは一キロ半ほど歩く。誠二は学校へ最後にやり残したことを終わらせに足を進ませる。普段は全く気にしないその距離も、今日ばかりは異常な程長く感じられた。
















「メイ、帰ろう~」


 智が疲れたように芽衣に後ろから抱きつく。芽衣は「ちょ、重いよ」と言いながら振りほどこうとしている。優衣はそれを呆れたように見ながら帰り支度を進めていた。


「も~ふざけてないで帰ろ。もう皆帰っちゃってるよ」


 ふざけあっている智と芽衣に優衣が言う。実際三人(主に二人だが)が喋りながらやっていたせいで仕事が進まず、片付けが遅くなってしまっていた。現在まだ教室に残っているのは三人だけで、最後まで一緒にやってくれたクラスメイト達も先程帰ってしまった。


(ん、あれは……)


 優衣はふと窓の外に見知った後ろ姿を見つけた。遠く離れていてもその姿は間違いようがなかった。


「じゃあメイ。校門のところで待ってるから。ほらトモも行くよ」
「え?そんな急がなくても……」
「いいから行くよ」


 優衣はやや強引に智を連れて廊下へと姿を消す。芽衣はすこし不思議に思うも特に深くは考えずに帰り支度を進めて追いつくことにした。


 すこしして芽衣も廊下に出る。二人は既に見えなくなっていた。


(も~。行くの速いなあ)


 芽衣は追いつくことを諦めて校門まで行くことにする。下駄箱で靴を履き替え、階段を降り、校門まで歩いて行く。ふと見ると二人はまだそこにはいなかった。


(あれ?どこいったんだろ?)


 芽衣は校門の近くで丁度良い高さの場所に腰を下ろす。二人がどこに行ってしまったのか分からなかったのでスマホでメッセージを送る。


(「今どこ?」っと)


 メッセージを送り返信を待つ間、スマホでブックマークしてあるネットニュースを見る。記事は高校野球の世界大会について。芽衣自身既に何回見たか分からないその記事は、既に内容をそらで言えるくらい覚えてしまっていた。




 少しして足音が近づいてくる。芽衣は二人がやってきたものだと思い顔を上げた。


「も~、どこ行ってた……」


 芽衣は言葉を失う。見上げた先には今スマホの画面で見ていた写真と、同じ人物が立っていた。


 二人とも何も言わなかった。何を言っていいか分からなかった。ただお互いを見つめ、気まずい時間が過ぎた。


「「あ、あの」」


 二人とも被って話し始めてしまう。お互い「「どうぞ」」と譲り、また沈黙が続いた。


(まって……何話そう?何も考えてないし、とにかく急すぎるし……)


 芽衣はこれまでにないほど慌てていた。誠二への気持ちを自覚して以降、ほとんど初めてと言っていい二人で話す機会である。そうした状況でうまく口が回るほど、少女は男慣れしていなかった。


 誠二は黙って芽衣の方を見ている。芽衣は見られているせいかうまく誠二を見ることができず、少しうつむき加減で誠二の足下を見ていた。


(えっと、待って、なんか話さなきゃ。ずっと下向いてたら、変に思われるし、でも……)


 考えれば考えるほど芽衣の頭はショートして、思考能力を失っていく。ただただうつむき、黙り込んでいた。




 そんなときだった。




「好きだ」
「……へっ?」


 芽衣は顔を上げ、誠二を見る。そこには顔に似合わず、少し照れている男がいた。


 芽衣は急に心が楽になるとともに、言われた言葉を理解して、再度頭がショートした。


(え?今好きって、言った?全然聞こえなかった。どうしよう、幻聴だったりしないよね)


 誠二は黙って、芽衣の方を見て返答を待っている。再びうつむきだしたその少女からは表情が読み取れなかった。


(まずい、もっと場所とかムードとか考えりゃ良かったか?でも何話して良いかわかんねえし)


 誠二も誠二で頭の中をフル稼働させて芽衣の様子をうかがった。下を向いている少女はしばらく待っても何の返事もしてこない。


「なあ、返事は?」


 誠二は沈黙に耐えきれず、返事を求める。その言葉に芽衣はビクッと肩を震わせた。


(返事?やっぱり好きって言った?言ったの?でもよく聞こえなかったし。あーもうちゃんと聞けば良かった……)


 芽衣はうつむいたまま漏らすように返事をする。誠二はそれがよく聞き取れなかった。


「ん?何だ?」


 誠二は徐々にこの状況に耐えられなくなってきていた。振られるならもういっそはっきりと振って欲しい。とにかくこの状況を終わらせたい。その一心であった。


「……もう……って」
「は?」


 誠二はなかなか返事がかえってこないことがストレスになり、言葉に少しばかりの怒気がこもる。それは逆に芽衣を萎縮させた。


(また、黙っちまった)


 誠二は既にどこか冷静になっていた。男の性というものだろうか。告白という一瞬を超えてしまった以上どこか達観している自分が誠二の中にあった。


「だから……」
「もう一回言って!」


 芽衣が急に出した大きい声に、誠二は少し驚く。


「よく聞こえなかったから。もう一回」


 芽衣は顔を上げ誠二の方を見る。誠二はその言葉に少し呆れていた。自分は一世一代の大勝負のつもりで思いを伝えている。「もう一回」で「ハイそうですか」と言うような気持ちにはならない。


 しかしそんな締まらない感じも誠二はどこかうれしかった。そしてこの少女と一緒に入れたらどれだけ楽しいだろう、そんな自分にはどこか似合わないような感覚まで持ち始めていた。


「しゃあねえな。もう一回言うから、はっきり聞いとけよ」


 誠二は頭をかきながら芽衣に言う。ボーズは少し髪が伸び始め、手触りは未だになれない気がしていた。


 その言葉に芽衣は静かに頷いた。それを見て誠二は一拍おいて気持ちを再度整えてから芽衣に向って言う。


(世界大会なんかよりもよっぽど緊張するぜ)


 誠二はそんなことを思いながらも、自分の中に溢れる感情をできるだけシンプルに、熱く伝えようとした。その際、咄嗟に出てきた言葉はかつて自分が言った言葉とまったく同じであった。






























「堀岡、好きだ。俺と付き合ってくれ」




























ギャルとボーズと白球と     完



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