ギャルとボーズと白球と

野村里志

「あんたさあ。視野狭すぎじゃない」







「三遊間抜けたー!繋いだ!繋ぎました!ノーアウト一塁、二塁!」


 実況の声が興奮のあまり、少し裏返っている。それもそのはず。一塁側の応援席を除く、すべての観客及び視聴者が、二ノ松学院の感動的な大逆転を期待していた。


 三塁側応援席からは大音量のファンファーレと歓声が打ったバッターに捧げられ、一塁を回ったバッターは大きく拳を突き上げた。


 この時の両監督の態度は対照的であった。二ノ松学院の監督である松井はチーム同様に喜びを爆発させているのに対し、桐国高校の監督である小林はただ静かにグラウンドを見つめていた。






誠二がタイムを取り、内野陣はマウンドに集まる。


「大丈夫だって。一個ずつアウトを取っていこう」


ショートの選手が木佐貫の背中を叩きながら軽口を叩く。全員はそれに表面上は同意しながらも次再び追いつかれれば、そこから突き放す力が無いことは自分たちが一番分かっていた。


(どうすれば……)


 誠二はネクストバッターズサークルで構える、鈴木祐輔を見る。祐輔はここまで5割近い打率を残しており、今一番迎えたくないバッターの一人ではあった。


(最悪祐輔を歩かして、次のバッターと?無理だ。ノーアウト満塁から無失点で切り抜けられるような打線じゃない。それにもう木佐貫も限界だ)


 誠二は木佐貫の方を見る。表情では余裕を見せているもののここまで二年半一緒にバッテリーを組んできた誠二にはその左腕にもうろくな力は残っていないことは容易に理解できた。


「けどよ、真面目な話、三塁にランナーを進められたらまずいでしょ?犠牲フライでもスクイズでも追いつかれるし」
「じゃあバントシフトか?」
「……それしかないんじゃね?」


 セカンドとサードがそれぞれ対応を議論する。しかしここでバッターが鈴木祐輔であるということが問題であった。


 祐輔は打者としての器用さは一級で、バントであろうがヒッティングであろうがどちらもこなすことができる。こちらが前に出ればヒッティング、下がればバント、どちらにせよ桐国にとってまずい状況ではあった。


「お前はどう思う?坂本」


 ファーストが誠二に問いかける。しかし誠二もここにきて解決策を思いつかないでいた。


(ノーアウト、ワンナウトでランナーが三塁に行けばほぼ確実に終わりだ。だとすればここは祐輔をランナーを進めない形で討ち取らなければならない)


 しかしバントを防ぐことは非常に難しいことは分かっていた。


(二塁ランナーは三番打者だ。チームで一番足が速かったはず。一塁ランナーは鈍足だが、祐輔も足は遅くない。内野ゴロを打たせてゲッツーを狙えるか?)


 誠二はここまでの祐輔の打撃を思い出す。やわらかい打撃で四打数二安打。一本はレフトへ、もう一本はライトへ打っている。長打はないもののインコース、アウトコース逆らわずに打つことが得意である。それは中学の頃から変わっていない印象であった。


(ダメだ。思いつかない)


「君たち、急ぎなさい」


 桐国の長いタイムに主審が急ぐように促す。誠二は仕方なく「バント警戒で」と方針を定め守備位置に戻らせる。


(クソっ。どうすればいい。どうすれば……)








(迷っているな。セイジ)


 バッターボックスに入る祐輔はその表情から誠二の気持ちが手に取るように分かった。誠二には既に先程のような大きさは感じず、縮こまっておびえているようであった。


(お前も大変だな。こんな時伝令の一つでも送って気持ちを楽になさせてやりゃ良いのに)


 祐輔は次に桐国側のベンチに目をやり、誠二を哀れむ。最終回を前に選手達の気持ちを立て直した松井監督と土壇場で選手に任せてしまう小林監督。その差がこの試合の勝敗を分けたと祐輔は感じていた。


 内野手は絶対にバントでの進塁を許すまいと構えてもいないのに極端な前進守備を敷いている。そこには必死の覚悟が見えていた。


(内野陣は覚悟を決めている。ピッチャーも。ウチの打者達もだ)


 祐輔はバットを構え、まっすぐピッチャーの木佐貫をにらみつける。そこには一切の気負いはなく、ただ「打つ」という心だけをもっていた。


(覚悟がねえのは……お前だけだぞ。セイジ!)


 木佐貫がセットポジションからクイックモーションでボールを投げた。








「ボール!」


(まるで振る気配がなかったな)


 誠二は初球、外側のボール球を木佐貫に要求。木佐貫は要求通りのボールを誠二に投げた。


 しかし祐輔はまるで振る気配もなく悠然とボールを見逃した。こちらがバントシフトをしくと見るや完全にヒッティングに切り替えているのだろう。バントの素振りは一切無かった。


 しかしこうなれば好打者、鈴木祐輔と真っ向勝負を挑まなければいけない。加えて桐国は前進守備であり、木佐貫は既に疲労困憊である。


(落ちる変化球で空振りを誘うか?それともストレートで力押しをするか。または横に曲がるスライダーでカウントを取りに行くか……)


 誠二は必死に祐輔を討ち取る配球を頭の中でシミュレーションする。しかしどの球を投げてもうまくいくビジョンが思い浮かばなかった。


(だめだ……スライダーもストレートも既に一回ずつ打たれている。縦に落ちるスライダーで空振りしてくれることを期待するしかない)


 誠二は一縷の希望を込めて木佐貫にサインを出す。木佐貫はうなずき二球目を投げる。木佐貫に投げられたボールが誠二の構え通りの位置に向ってくる。


「ボール!」


 しかし祐輔のバットは動かない。木佐貫の決め球である変化球を余裕をもって見逃していく。


 これでツーボール。誠二は完全に崖っぷちに立たされていた。


(ダメだ。もう……)


 誠二の体が小刻みに震える。その感覚は大会の初戦で味わったものと同じであり、その恐怖や不安は数ヶ月前に持ち続けていたものと同じであった。


(くそっ!静まれ!静まれ!!)


 誠二は右手で自分の腿の当たりを叩いて、木佐貫にボールを返す。しかし時間が経てば経つほど、震えは大きくなり、恐怖が心を蝕んでいった。


(やっと……ここまで来たのに……)


 誠二はマウンド上の木佐貫を見つめる。しかし既に視界はどこかぼやけており、何千何万と受けてきた木佐貫のボールすらも捕球できる自信が無かった。


(もう……ダメだ)


 誠二は木佐貫にうまくサインが出せずにいた。


 木佐貫はそれを察し、二塁に牽制をいれる。


(何やっているんだ!坂本!)


 牽制を入れて、ボールが二塁から戻されると、鼓舞するように誠二をにらみつける。しかし目が合っているはずなのに、木佐貫には誠二の視線が自分に向いていない気がした。


「しゃあ来いや!」


 ショートが叫び、ボールを呼ぶ。それに合わせて他の内野手、続いて外野手も声を出し始める。


「内野ゲッツー!外野四つ勝負!」
「内野意地でも止めろよ!内野で止めれば一点無いぞ!」
「よっしゃ!レフト来いや!」


 守備陣は必死の思いで備える。そこには一切の余念はなく、ただ「勝つ」という意志で動いていた。


 しかしそんな声も誠二の耳には入ってきてはいなかった。頭の中は既に真っ白であり、視野も限りなく狭く、暗くなってしまっていた。


(終わりだ……何もかも)


 誠二はとりあえずのサインを出して、木佐貫に投げさせようとする。しかし木佐貫は首を横に振り、もう一度二塁へ牽制を入れた。


(今までの努力も、辛い思いも……)


誠二は既に何が起きているのかまるで分かっていなかった。ただ呆然と木佐貫をみて、サインを出していた。誠二の頭の中で今までの努力や葛藤の記憶が走馬灯のように浮かび上がる。そのどれもが一つずつ崩れていくようであった。


(何の意味も……)


































































「あんたさあ。視野狭すぎじゃない」










































 その少女の顔が思い出された瞬間、誠二の頭で何かがはじけた。




 誠二はどこからか声が聞こえることに気付く。






「ん……れ」


 その声はどこか一生懸命で、必死で、そして優しい声だった。聞き慣れていて、どこか騒がしく、そして誠二が一番聞きたい声でもあった。


「が……ばれ」


 誠二はその声の主を探す。その姿は一塁側スタンドの数多の群衆の中から一目で見つけることができた。一塁側スタンドの一番最前列まできてフェンスにしがみついているその少女は日に焼けた肌に、少し色を抜いた髪をしていた。


 今日は暑い中の応援だったからだろうか。いつもより薄めの化粧はどこか新鮮味があり、とても可愛らしく見えた。


(あいつ……あんな必死になって。汗で髪がベトベトじゃねえか。顔にひっついてるぞ)


「頑張れ!キャッチャー!」


 誠二の中で音が取り戻される。三塁側からはこれでもかというほどの応援歌が。一塁側からは守る選手達を鼓舞する声が、そしてグラウンドからは仲間の声が聞こえた。


 視界は澄み渡り、扇状の球場をどこまでも見渡せる気がした。誠二の脳内は驚くほど冷静に、かつ素早く、起死回生の一撃を放つための作戦を紡ぎ出す。


(意味……あったんだな……)


 誠二はおもむろに立ち上がり、選手達にブロックサインを出す。そのサインに選手達は驚きを隠せなかった。


(おいおい……)
(マジかよ……)


 選手達はブロックサインを見て、バントシフトを解除する。全員が後ろに下がり、覚悟を決めた表情をしていた。マウンドにいる木佐貫だけはどこかうれしそうに笑みを浮かべていた。


(勝った!)


 松井はすぐさま祐輔にサインを送る。サインはセーフティバント。祐輔の技術、木佐貫の今の球威を考慮すれば必ず成功すると言えた。


(ヘロヘロな左投手にセーフティバントとは……流石は監督だ)


 祐輔は笑いながらつばを触り、監督に「了解」の合図を出す。通常左腕では一塁への送球が右腕の投手に比べ難しく、三塁側のバントはどうしても遅れがちになってしまう。三塁手が後ろで守っていることで必然的にピッチャーが処理しなければならず、内野オールセーフの可能性も残していた。


(仮にサードに投げようとしても、二塁ランナーは俊足……。俺が上げたりしない限り無理だろうな)


 祐輔は大きく息を吐き、頭の中でシミュレーションを行う。


(相手投手がもつ変化球は三つ。全部見た。三塁側に打球を殺すことだけを考えろ!)


 木佐貫が足を上げボールを投げ込む。リリースの瞬間、完璧なタイミングで祐輔はバントの構えに切り替えた。


(外側のストレート……速い?!)


 祐輔は三塁側へバントする。ボールは想定より速かった分、すこしだけ押されてしまい、自分の想像よりも転がった球の勢いは弱かった。しかし及第点なバントでもあった。


 何より、視界の端でピッチャーがスタートに遅れているのが見えた。


(もらった……)


 祐輔は勝利を確信した。


 その目の前に大きな背中が映るまでは。


(セイジ……?)


 誠二はまるで分かっていたかのように飛び出し、ボールをつかむ。そして全力で送球した。




「二ヶ月間、苦しかったろうな」


 小林はその光景に言葉を漏らす。肩を痛め、遠く離れていくような目標と向き合いながら、必死にここまで準備してきたことを小林を含めチーム全員が知っていた。


「回り道して、一人でもがいて……」


 目の前では矢のような……いやもはやバズーカ砲ともいえるような送球が二塁へと放たれる。


「よく耐えた……よく乗り越えた。坂本!!」


 ショートは送球を受け、一塁ランナーを躱しながらファーストへ送球した。


「アウト!」


 一塁審が大きく手を上げる。


 一拍おいてすさまじい歓声が聞こえてきた。












(やられたな……)


 松井は誠二が二塁へ送球したとき、そのすさまじい送球を目の当たりにしたときに、自らの失策を恥じた。


(“間抜け”をやらかしたのはこっちの方だったか。選手達には申し訳ないことをした)


 六番打者がバッターボックスに入る。ツーアウト三塁、まだチャンスは残っていた。


 しかし


「ストライク!ツー!」


 松井はわずかな可能性を信じながら、最後となるバッターを応援する。二ノ松学院の選手は一人として諦めてはいなかった。


(本当に、良いチームをもった)


カキーン!


 打球が空高く打ち上がる。一塁側の応援席は全員が総立ちになり打球の行方を見守る。センターの選手がその打球を捕球しグローブを突き上げたとき、会場を揺らしかねないほどの歓声がグラウンドに降り注いだ。


「負けたよ。コバヤシ」








 また一つ、夏が終わった。







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