ギャルとボーズと白球と

野村里志

(この戦いだけは負けられない)









「入ったーー!!桐国先制!」


 テレビでは自然と実況に熱が入る。今年ここまで圧倒的な成績を残してきたエース、鈴木祐輔に対して初回にホームランを打って見せたのだ。その盛り上がりは妥当とも言えた。


 一塁側スタンドは既にお祭り騒ぎである。鈴木祐輔の名は観客全員に知れており、その男から打ち込んだ一打は士気を上げるにはもってこいであった。


 しかしそうした周りの空気とは異なり、それぞれの監督の考えは真逆であった。


(まずいな……完全にギアが入っちまった)


 小林はベンチに座りながら考え込む。鈴木祐輔は誠二に打たれた後は何事もなかったように次のバッターを三振に打ち取っていた。


(今日の試合、勝ち筋があるとしたら向こうが攻めあぐねている間にラッキーな形で点を取り、焦りを利用して逃げ切ることだった。しかしこうも初回から派手に点を入れてしまえば向こうも必死になってくる。木佐貫は向こうみたいに派手に抑えるタイプじゃない。うまくタイミングを外して焦りを誘っていくタイプだ)


 小林は向こうのベンチに座る松井監督に目をやる。向こうの監督もホームランによって焦る素振りは微塵もなかった。


(この試合、なんとしても追加点を取らなければ……。それも相手より先に)


 小林はそう判断する。しかし鈴木祐輔という壁は余りにも大きく厚く見えた。






(あの様子だと……流石に小林監督も気付いているか。おそらく坂本も……)


 三塁側に座る松井は小林の様子を見ながら、この先のゲーム展開について考えていた。


(この試合、大量失点で負ける可能性は低い。あるとすればピッチャーのアクシデントだろう。そのために控え投手も早い段階から準備している。あと気にするべきはあのキャッチャーだが……鈴木の様子を見る限り次は打たれないだろう)


 名将と呼ばれた男に焦りは微塵もなかった。それは強がりでも、序盤だからというのでもなく試合の「流れ」というものをよく理解しているからである。


(試合の「流れ」というものは、ホームランやファインプレーでたぐり寄せるものじゃない。「相手に譲り渡してしまう」ものだ。序盤のホームランなんか大きな影響は出ない)


 松井は今が勝負時ではないことを確信していた。


(敵に流れを譲り渡すとすれば、それは「四球」や「バントミス」だ。自己責任として降りかかる“間抜けなプレーボーンヘッド“こそが相手に流れを献上する)


 松井は打者の様子を見る。四番が凡打に倒れ、攻守交代となるも、各々の選手はよくボールが見えており、初回も相手ピッチャーに十分な球数を投げさせていた。


「よし!先制こそされたがその後は完璧だ。「流れ」をイーブンにまで持ってきている」


 松井はそう言って選手達を送り出す。選手達の返事は明朗で、油断や焦りを微塵も感じさせなかった。


「まだまだこれからですよ。小林先生」


 そう言って相手側のベンチを見る。小林も苦い顔をして松井を見つめていた。










(まずいな、頭では理解してたがこれは相当きつい打線だ)


 四回の裏、二ノ松学院は打順が一巡しており、三番からの打順であった。誠二はマスクをかぶり直しながらマウンド上の木佐貫に目をやる。


(木佐貫も既に疲労が見え始めている。そりゃこんなきつい打線相手にしてたら当たり前か)


 カキーンという綺麗な音が響く。すると打球は木佐貫の足下を抜けてセンター前へと転がっていく。


(流石二ノ松学院の打者だ。二巡目からもう修正してきている)


 四回にして初めて先頭バッターが出塁した。低めの良いボールであったがそれを見事に打ち返された。


(三番は俊足、あまり出したくはなかったが……)


 誠二は起きたことを言っても仕方ないと次の四番バッターに頭を切り替える。左バッターボックスに入るその姿は誠二ほど背丈はないものの、誠二以上に分厚く、まさに大砲であった。


(最初の打席は運良く打球が守備の正面に飛んだから良かったが……)


 木佐貫がセットポジションに入る。足を上げた瞬間、一塁ランナーがスタートした。


(走ってきたか?!)


 誠二は盗塁をある程度予想していた。そのため、木佐貫に外側に少し外すようにサインを出していた。


 しかし予想外だったのはその球をバッターが強振してきたことである。


 カァキイィィン!


 放たれた鋭い打球は左中間を真っ二つに切り裂く。俊足のランナーはその足を飛ばして悠々ホームに帰ってくる。


(あのボール球をあそこまで運んでいくか……)


 誠二は二ノ松学院の打線の恐ろしさを嫌が応にも感じさせられていた。










(負けられない……)


 坂本誠二と同様、二ノ松学院の打線の恐ろしさを目の前で体感させられている男がもう一人いた。


 マウンド上の木佐貫はここまで対戦してきて今までに無いほど消耗していた。既に自分でも分かるほど消耗し始め、額には大粒の汗がにじんでいた。


 四番に外側のボール球を運ばれ、五番の鈴木祐輔がバッターボックスに入る。四番の影に隠れているが、この男も打撃は光るものがあり、打率もここまで五割を超えていた。


 しかし木佐貫に気圧されている様子は微塵も見えなかった。誠二の構えるところへ力強くボールを投げ込んでいく。




 カキーン




 器用なスイングで低めの球を拾い、放たれた打球はセンターの前に落ちる。二塁ランナーは三塁を回り、一気にホームへと走ってきた。


「よっつ!!」


 誠二の指示が聞こえる。センターの正確な送球がワンバウンドで誠二の元へ届く。


「アウト!」


 ランナーの巨体を諸ともせず誠二がホームでタッチする。クロスプレーになり一瞬誠二の身が案じられたが、強くしなやかなその体はすぐに起き上がり、バッターランナーが二塁へ進むのを牽制して防いでいた。


(ふう……助かった)


 木佐貫はキャッチャーの裏でカバーリングをしながら一呼吸おく。


 しかしまだ気は抜けない。いや気の抜ける打者など二ノ松学院にはいなかった。


 木佐貫はマウンドの土を足でならし、次々と誠二のミットにボールを投げ込んでいった。




(この戦いだけは負けられない)




 その心に闘志を秘めて。










「一点返されちゃったけど……大丈夫かな」


 一塁側スタンドで試合を見守っていた優衣は左隣に座る芽衣とその奥に座る智に話しかける。四回の裏の守備は一点こそ取られたものの、追加点は防いでいた。


「大丈夫だよ。まだこっちが一点勝ってるし」


 智は元気づけるように言う。しかし野球をさほど詳しく知らない三人でも少しずつ流れが悪くなって行くのを感じていた。


 その感覚は一塁側スタンド全体でも同様であり、最初はお祭り騒ぎだった応援席も、相手ピッチャーの実力に徐々に元気を失い始めていた。


 芽衣は何も言わずにじっとグラウンドを見続ける。選手達の表情を見ても顔に余裕があるのは二ノ松学院の選手の方であった。


(頑張れ……)


 芽衣はただ祈るようにグラウンドに立つ背番号2を見つめていた。










(ちっ。先に一点取られたか)


 小林はベンチでさらに苦い顔をする。五回の表の攻撃も、あっさり三者凡退で切って取られた。


(見れば見るほど良いピッチャーだ。ここまで来ると初回に向こうがうまく試合に入れていなかったことがありがたく思えてきた)


 小林はそう言いながら、マウンド上の木佐貫を見る。


(木佐貫も徐々に相手打線に捕まり始めている。どこで交代させるかが肝になるが……)


 また鋭い打球音が響く。しかしショートの好守が光り、五回を無失点で切り抜ける。


(毎回ランナーを出しながらここまで、一失点か。成果としては上出来。何より今までに無い闘志が見える。これに賭けてみるのもありだが……)


 監督として最も判断が難しく、手腕が問われるものとして投手の交代が挙げられる。小林も今まさにその腕を問われていた。


 五回が終了したことでグラウンド整備が行われた。両チームはそれぞれ礼を行い、六回の表に備える。


(五回の整備のタイミングで一旦流れは切れる。問題は後半戦、どちらが先に主導権を握れるかだが)


 小林はマウンド上で投球練習を行う、鈴木を見る。その球は依然として走っており、コントロールが乱れる様子もなかった。


「一点勝っているっていうのに……」


 「こっちが劣勢みたいじゃないか」という言葉を小林は飲み込む。一歩でも引けば、たちまち飲み込まれることを指揮官はよく分かっていた。


「こりゃ後半戦も厳しい戦いになるな」




 太陽はさらに高く上り、日差しの鋭さはさらに増している。燃えるような球場の中で小林は寒気すら感じていた。









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