ギャルとボーズと白球と

野村里志

「男には男の世界がある……って感じかな。ちょっとうまくいえないけど」









「さあ、夏の高校野球選手権大会、先日西東京大会もベスト4まで出揃いました。そして決勝進出をかけた本日、準決勝第一試合は二ノ松学院が勝利しております」






 高校野球もそれぞれの地方で数が絞られはじめ、所々で既に甲子園の切符をつかんだ高校も出始めていた。西東京大会では準決勝から地上波のテレビ中継が入っており、世間の関心も徐々に高まり始めていた。


(くそっ。こいつらこんな強かったか)


 準決勝第二試合、桐国高校と甲西学院高校の試合は気温は35度を大きく超える中で行われていた。


 甲西学院の先発ピッチャーは額に流れる大粒の汗を拭う。監督が二度目のタイムをとり伝令を送ってくる。


「監督は前進守備、これ以上の点はやれないって」
「ああ。わかった」


 内野陣が集まり、方針を確認する。三回裏、3対0、の3点ビハインドでワンナウト二、三塁。これ以上点差が広がると苦しいことは全員分かっていた。


 だが問題は次のバッターであった。桐国高校の四番、坂本誠二。一昔前は騒がれており、その代のホープであったが高校ではあまり名を聞かなかった。


 しかし今、二年越しにその才能を開花させていた。


(前進守備?バットに当たれば内野抜けるような当たり打つくせに)


 無論ピッチやーとして、何より男として、そのような情けないことは言えない。他の野手も同様であった。どんなに前進守備の間を抜かれるような打球が容易に想像できたとしても、ここで引くことはできなかった。


 前進守備を横目にピッチャーはセットポジションに入る。


(クソ。集中した目をしやがって。少しは油断しろっての)


 ピッチャーは足を上げ、投球を開始する。スクイズも警戒はしておけとの伝令ではあったが、それは無視した。


 ボールが外側、逃げるような回転をしながらキャッチャーのミットに向っていく。自身が一番得意とするスライダーである。


(よしっ、見逃……)




 ガァキィィン!!!!!




 ボールがミットに吸い込まれたと確信したそのとき、鋭い打球音と共に白球が空高く舞い上がる。


 ピッチャーは野球をやっていて初めて、打球を確認することをしなかった。する必要も無かった。


 そして後から聞こえてくるすさまじい歓声がその打球の行方を教えていた。


(……俺はひょっとしてとてつもなく凄い奴と戦っているのかもしれないな)


 監督が選手の交代を告げる。ピッチャーは何を聞くまでもなくブルペンから走ってくる後輩にボールを渡し、マウンドを後にする。


彼にとっての最後の夏が終わった。










「しかし凄い人気だね」
「メイ~、どうするライバルいっぱいだよ」
「あはは……」


 試合後、三人が応援を終えて球場から出るとそこにはすさまじい人だかりができていた。これまでの戦績と、久しぶりの決勝進出とあって、選手達の出待ちは過去最大級の規模になっていた。そしてそこには黄色い声援も少なからず含まれていた。


「あ、出てきたよ」


 智が指さす方向から桐国高校の選手が出てくる。しかし大きい人だかりによってその姿はほとんど見ることはできなかった。


「うーん、これじゃ見えないね」


 智が背伸びしながら見ようとするも半分以上がかぶって見えなくなってしまっている。


「でも、ユイ。これは問題じゃない~?ミーハーな連中がほとんどだけど競争率は馬鹿にならないよ~」
「そうだね。メイは見た目によらず、純情乙女で奥手だからね」




 二人はからかうように芽衣に話しかけてくる。智が右から、優衣が左から。芽衣は二人に挾まれ逃げ場を失っている。


「も~。二人とも勘弁してよ~」


 芽衣は笑いながら両サイドの親友に言う。三人のあり方は一見して以前と同じように戻っていた。


 しかし三人の中だけでその新しい形を認識しており、その新しいあり方は今までに無く心地よいものであるように感じられた。


「でもさ、真面目な話」


 智が少し真面目な顔で芽衣に聞いてくる。


「坂本君に声かけなくていいの?」


 優衣も智も真面目な表情で芽衣を見つめている。芽衣自身、自分の気持ちを自覚したことは最近であり、まだ二人に教えてなどいなかった。しかし二人は既に芽衣の気持ちなぞ知っており、芽衣自身ですら二人が知っているような気がしていた。


 堀岡芽衣が坂本誠二に恋をしていることを。


「うん。いいの」


 芽衣はきっぱりと告げる。智はどこか納得がいかなさげに首をかしげていた。


「まあメイのことだから、口出しはできないけど……焦ったりしないの?」


 智は少し聞きづらそうに質問する。


「ん~。まあそうだけど、アイツにとって一番は野球でしょ。それに……」


 芽衣はすこし考えてから答える。




「男には男の世界がある……って感じかな。ちょっとうまくいえないけど」




 芽衣がそう言って二人を見る。二人とも初めてみるようなポカンとした顔をしていた。


「どうしたの?二人とも」
「いや……」
「なんといいますか……」


 二人はその先の言葉を飲み込んだ。


((まさか、ここまで正妻の貫禄をみせてくるとは))


 芽衣は二人の心情のよそにいつも通り振る舞っている。
 智は芽衣に聞かれないように優衣の近くで質問する。


「ユイ、メイってまだ付き合ってないよね?」
「そのはずだけど」
「二人とも何の話してるの?教えてよ!」


 芽衣は自分がハブられて智と優衣が二人で話し出したことに不満を口にする。


「ごめん、ごめん。メイが可愛いねって話」
「そうそう。おこらないで」


 三人は笑いながら球場を離れていく。その後ろ姿を遠目に見ながら、誠二はチーム全体に今後の指示を出していた。












「セイジー。ちょっとー。お客さんよ」


 準決勝が終わった日の夜、誠二は自分の部屋で今日の試合のビデオを見ていた。すると途中で下の階から母親の呼ぶ声が聞こえ、部屋を出て玄関に降りる。するとそこにはかつて見知った顔がいた。


「よ!セイジ!」
「祐輔……」


 二ノ松学院のエース、鈴木祐輔がそこにいた。


「どうしたんだ。こんな時間に」
「いやー、つい会いたくなっちゃってさ。それにもう一人連れてきたんだ」


 すると祐輔の後ろからひょこっと一人の女性が顔を出した。


「久しぶり、セイジ君。……覚えてるかな?」


 現れた女性は長く美しい黒髪にすらりととのった目鼻立ちをしており、誠二は瞬間的に心を揺さぶられた。しかしそれはその女性の美しさから来るものではない。忘れたくても忘れようがない相手であるからだ。


その女性はかつて誠二が恋をし、失恋した、野崎玲奈であった。






「いやー懐かしい。このあたりよくランニングしたな~」


 三人は久しぶりに話をしようと近くを散歩していた。夜といえど気温は依然として二十度を超えており、夜風が丁度すずしく快適であった。


「覚えてる?レナが中一の夏の頃に転校してきて、学校中噂になってたよな。すげー綺麗な子が来たって」
「もー、やめてよー」
「それで誠二も誘って一緒に隣のクラス見に行こうって行ったのに、誠二は全然興味示さなくてさ」
「そうだったかな?」


 祐輔は昔を懐かしむように楽しそうに会話を続ける。玲奈もその話に花を咲かせながら楽しそうにしている。誠二も昔を思い出し、少しだけ懐かしさを感じていた。


「そういえばセイジ君、今大活躍だね!」
「え?」
「そうそう。メッチャ打ってんじゃん!もう決勝が怖くてしかたないわ!」


 二人が誠二のほうに向いて誠二の活躍を褒め称える。


「別に大げさだ。祐輔程じゃない」
「またまた~。謙遜しちゃって」


 祐輔が肘で指示の脇腹を小突く。その態度は昔と今でまるで変わっていなかった。


 気がつくと三人はいつもシニアが練習していたグラウンドに来ていた。


「うわっ!懐かしい!」


 そう言って祐輔は駆けだしてグラウンドに入り込む。


「おい!勝手に入っちゃ……」
「いいの!いいの!」


 そう言って祐輔はグラウンドを走り出す。ライト側からレフトポールへ。中学時代数え切れないほど走らされたコースだ。


「あいつは変わらないな」


 誠二は遠くまで走って行っている祐輔を見ながら呟く。


「そうね。昔から」


 玲奈は誠二の言葉に返答する。


「……セイジ君は……」
「ん?」


 玲奈の言葉に誠二は玲奈の方に顔を向ける。見ると玲奈がまっすぐ誠二の方を見ていた。


「セイジ君は……変わった?」


 玲奈は誠二から目をそらすことなく聞いてくる。


「さあ……どうだろうな」


 誠二は遠くで走っている祐輔を見ながら答える。


「少なくともアイツよりは、変わってるかもな」
「私は……」


 玲奈が答える。


「私は……変わってないよ」  


 誠二は黙って聞き続ける。


「今も昔も……セイジ君のことが……」
「おーい!セイジー!一緒にポール間しようぜ!」


 玲奈の言葉を遮るように祐輔が帰ってくる。


「セイジ!競争だ、競争!中学の時は結局決着ついてなかったからな!」
「ああ。いいぜ。じゃあ野崎、スタートの合図してくれ」
「え?うん、わかった」


 玲奈は二人の急な展開にすこし慌てるも二人が見えやすい位置に立つ。
 そして二人はライトのポール横に並び、玲奈の「よーい、どん」で走り出す。祐輔が少しフライング気味にスタートする。


「よっしゃ!もらいっ……ってあれ?」


 誠二は遅れることなく祐輔についてくる。結局競争は誠二の勝利で終わった。


「うわー。速いな。負けたよ」


 祐輔はそう言いながら地面に腰を下ろす。遠くからゆっくり玲奈が近づくのが見えた。


「お前さ……」


 誠二が祐輔の隣に座って話し出す。


「さっきわざと、俺と野崎を二人にしたろ?」
「え?」


 驚いたような様子で祐輔は誠二を見上げた。しかし誠二はお構いなしに続ける。


「今の競争のフライングも。俺がムキになってアップもしないで全力出すように仕向けて、あわよくば怪我を狙ったろ?」
「…………」


 祐輔は何も言わずに黙り込む。その沈黙が質問の答えであった。


「……随分、足速くなったな」
「ああ。今まで肩を怪我して走り込みとトレーニングばっかだったからな。嫌でも速くなる」


 誠二は自嘲気味に答える。しかしその余裕が祐輔を苛立たせた。


そして誠二は全力を出すことなく祐輔に走り勝ったのだ。その事実が祐輔にとってさらに癪に障った。


「二人とも、明後日決勝なのに危ないよ!てか今、どっち勝ったの?暗くてよくみえなかったけど」


 玲奈がやってきて二人に問いかける。


「祐輔が勝ったよ。流石ドラフト一位指名確実投手だ。馬力が違うな」


 誠二はそう言うと座り込んでいる祐輔を引っ張り上げる。祐輔は何も言わずに立ち上がる。


「本番はこうは行かないぞ」


 誠二はそう言うと「帰ろうぜ」と歩き出す。玲奈もそれについて歩き出す。


「祐輔、どうしたの」
「……ああ、……今行くよ!」


 祐輔は先程同様の明るさで玲奈の元まで走り出す。


「あいつ……変わったな」


 祐輔は漏らすように話す。


「そうかな?確かにけっこう大きくなってるよね」


 玲奈の返答に、祐輔は何も言わずじっと誠二の背中を見つめる。その姿はここ二年間では見られなかった誠二の姿であり、中学の頃に似ていた。


(いや、あの頃以上か)


 祐輔は軽く舌打ちをして、もう一度誠二の後ろ姿を見る。その背中はさらに存在感を増していた。


(あのとき完全に折れていれば良かったものを)


 祐輔には誠二が何故ここまで立ち直ってきたのか知るすべはなかった。しかし今、目の前にしている男はかつての男ではないということだけが知るところであった。






 男達の戦いの火蓋がもうすぐ切られようとしていた。









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