ギャルとボーズと白球と
「お願い、今だけはあいつに告白しないで」
「今日はダメだな」
小林はベンチに深く腰かけながら吐き捨てるように呟く。夏の高校野球選手権大会、西東京大会四回戦、七回終わって五対二とリードしていたが監督の小林はすこぶる機嫌が悪かった。
原因はひとえに坂本にあった。ここまで三打数無安打。内容も精彩を欠いたものであった。
(完全に集中ができてない。「オン」にも「オフ」にもならない中途半端な状態だ。試合に入り込めてない)
小林はブルペンに待機させているリリーフを見る。ここまでの試合ピッチャーの調整はほぼ完璧にできており、この試合に関しては心配はなかった。
(しゃーない。坂本と心中するって腹くくってんだ。このままいこう)
小林は覚悟を決め、試合を見守る。
試合は木佐貫の踏ん張りもあって、五対四で切り抜けた。
「アイツ……なんか変だったな」
堀岡芽衣は三塁側の応援席にいた。四回戦からは全校応援となり学校総出で応援に行くことになっている。もう既に夏休みにも入っていることもあって、スタンドはいつにも増して多くの生徒で埋め尽くされていた。
先日のこともあり、芽衣に試合の内容はまったく頭に入ってこなかった。ただファミレスで見た光景、そしてコンビニで去り際にみた誠二の顔ばかりが思い起こされた。
その時丁度歓声が上がる。ツーアウト二塁のピンチながらも、最後のバッターを打ち取り桐国高校が勝利したのだ。
「勝ったみたいだよ、メイ」
「あ、うん」
隣の席に座っていた優衣は興奮気味に芽衣に話してくる。試合自体はスリリングで面白い展開であり、観客は大盛り上がりであった。
(やっぱり、何か変だよね)
しかしそんな中芽衣の心だけはどうにも晴れやかではなかった。
「いや~。今日は危なかったですね。相手も良いチームでした。しかし今日勝てたのは大きいですね」
試合後、コーチは食い気味に小林に語りかける。手に汗握る大接戦を制したことでいくらか興奮しているようであった。
「ああ、そうだな」
「あれ?あまり浮かない様子ですね、先生。先生はやはり余裕で勝つべきだと?」
「いやそういうわけじゃない。相手は間違いなく強かった。あそこに負けたとしても選手は責められない。だから今日は本当によくやってた」
「では何故?」
コーチは小林が言葉とは反対にどこか不満ありげに語っていたことが気になっていた。
「坂本がな」
「坂本ですか?」
「ああ」
「まあ、確かに今日はヒットはありませんでしたが、四球もきちんと選んでますし、打球自体も鋭かったですし……次は大丈夫ですよ!」
コーチはフォローと同時にそのあって欲しいという願望も半分込めながら力強く言い切った。
「まあ、結果が問題なんじゃないんだ」
「といいますと?」
「試合に入れてない、集中できてないことが問題なんだ。何か余計なことを考えてる気がする」
「余計なことって………プロとかってことですか?」
「それは分からん。少なくともそれがある限り甲子園行きは難しい」
普段温厚で、基本的にプラスな発言を多くする小林だけに、その言葉はコーチにも重く響いた。彼らの会話は選手達を迎える歓声の中でかき消されていき、誰の耳にも入ることはなかった。
偶然近くに来ていた一人の少女を除いて。
(やっぱりそうなんだ)
芽衣は自分の感じた言いようのない感覚を確かめたくなって、出てくる選手を見に来ていた。芽衣が来たときには既に多くの生徒や保護者が集まっており、選手を近くで見ることは難しそうであった。
「坂本がな」
ふと知った名前が挙げられていることに気付き、注意を向ける。そこには野球部の監督である小林先生とコーチと思わしき人が話していた。
(余計なこと……やっぱり、そうだったんだ)
芽衣は自分がもっていた疑念が少しずつ具体性を帯びていくのが分かった。おそらくきっと私が聞かなければ、坂本誠二は智とのことで変な負い目を負うことなく試合に臨めていたのであろう。芽衣にはそれが凄く申し訳なく感じていた。
(でも今更気にしないでって言ったって意味ないだろうし)
智と誠二が具体的にどういう関係なのかはわからなかった。
ただ本来なら帰るはずのない二人が帰っていたこと、そしてそれで誠二が集中できていないことだけが確かだった。
そしてそのことから一つの結論にたどり着くのは難しいことではなかった。
「なんだ……もう答え、出てるじゃない」
芽衣は自分の頬に涙がつたっていることに気付いた。気付いたところで現実は何一つ変わることなく、変わる余地さえも残してはいなかった。
そしてとめどなく溢れる自分の涙が、自分の気持ちを、目の背けようのない形で芽衣に押しつけていた。
(そうか……私やっぱりあいつのこと好きだったんだ)
「あー、メイ!こんなところに……っ?!」
退場する人混みをかき分けて優衣が芽衣の元にやってくる。同時にわっと歓声が上がる。球場を出てきた選手達が応援してくれた人達に対してあいさつしたのだった。そしてその先頭に立っていたのは坂本誠二であった。
「……メイ。ここじゃ人が多いからあっちの日陰に行こう」
芽衣は優衣に連れられて近くの木陰まで歩いて行く。桐国高校野球部への盛大な拍手を背に、芽衣はただ静かに泣いていた。
「今度……優衣にちゃんとお礼言わなくちゃ」
試合後、芽衣は学校に忘れ物をとりに帰るべくバスに揺られていた。野球部の選手達はとっくに学校へ帰っており、他の生徒達は授業もないため思い思いに帰宅していた。
優衣は最後まで芽衣の心配をしていたが、芽衣が大丈夫というと「わかった」と言ってバス停まで送ってくれた。
「次は桐国高校前、桐国高校前~」
(降りなきゃ……)
芽衣はICカードを取り出し、バスから降りる。校外からでも野球部の声が聞こえてきた。
(今は……流石に会いたくないかな……)
芽衣はそんな風に思いながらなるべくグラウンドが視界に入らないように教室へと向う。全校応援で学校には一部の部活動の生徒しかおらず、学校内にはほとんど人がいなかった。
(こんなにだれもいない学校、初めてかも)
芽衣はそんなことを考えながら教室のドアを開ける。
そこには芽衣にとって会いたくないもう一人の少女がいた。
「あら、メイ。どうしたの?」
「トモ……」
桑原智がいつものような可愛らしい笑顔で芽衣を迎える。いつも芽衣の心を温めてくれたその笑顔は、今日ばかりは締め付ける鎖として作用していた。
「学校に忘れ物しちゃって」
「メイらしいわね」
そう言いながらトモは笑う。メイも同様に笑いながら自分の机にある忘れ物を取り出す。
「ねえ、メイ」
智が少し神妙な面持ちで聞いてくる。長い付き合いだからだろうか芽衣にはそれがどんな内容かすぐに察しがついた。そして今一番ききたくない話であることも。
「メイはさ、坂本君についてどう思う?」
「どうって……」
芽衣には口が裂けても本当のことは言えなかった。ここで「好き」といえたらどれだけ良かったか。しかしそんなことをすればトモに変な罪悪感を押しつけることになる。辛くてもそれだけはできなかった。
「どうも思ってないよ。周りが変にからかってくるだけだよ」
「本当?」
「そうだよ。困っちゃうよね」
芽衣は嘘を一つ一つ重ねていく。そのたびに心のどこにひびが入っていく音がした。
「じゃあ、私、告白してみてもいいかな?」
「……っ?!」
芽衣はその言葉で心のどこかについたひびが、そのまま穴になった気がした。
「え?!トモ、あいつのこと?」
「うん。ちょっといいかなって」
「でも……彼氏は?」
「なんか最近うまくいってなくてさ。ちょうどいいかなって」
芽衣は今すぐその話をやめてどこか遠くに行ってしまいたいそんな気がした。しかし親友のためそれはできなかった。傷ついても、つらくても、嘘をはき続けるしかなかった。
「そうなんだ。いいんじゃない。トモなら大丈夫だよ」
「そう言ってもらえて良かった。芽衣に応援してもらえるなら頑張れる」
芽衣は智の笑顔がただただ辛かった。視線を合わせることができず、話している最中に一度も目をトモに合わせられなかった。
「だからね、今日告白しようと思って、今待ってるの」
「へー、そうなんだ」
芽衣はもう耐えられなかった。すこし不自然になるような気がしたが「ごめん、私急がなきゃだから、頑張って」とスマホで時間を確認する振りをして教室を出た。スマホの画面は既に半分にじんでよく見えてはいなかった。
教室を後にして、数歩歩いたとき、芽衣の足は不意に止まった。一刻も早くはなれたい、早く帰ってこの気持ちをどうにかしたい。そんな思いと同時にまた別の想いも生まれていた。
芽衣はUターンして教室に戻る。智は突然もどってきた芽衣におどろいたように「どうしたの?」と聞いてくる。芽衣はしっかりと智の目を見ながら智に近づいた。
そしてすぐ目の前にまできて頭を下げた。
「ごめん。トモ!今だけ私の言うこと聞いて!」
智は突然芽衣が頭を下げてきたことに驚いていた。しかし芽衣はそんなことお構いなしに話を続ける。
「お願い、今だけはあいつに告白しないで」
智は芽衣の言葉に息を詰まらせる。
「今、あいつ大事な時期なの。それに野球部は部内恋愛禁止だし……何より今この時にアイツがいままでに賭けてきたものがかかってるの」
芽衣は続ける。
「だから今だけは、アイツを放っておいて!」
芽衣は力強く言い切ると頭を上げて智を見る。
しかしそこで見たのは今までにない智が怒りをにじませた表情だった。
「メイさ、なんで私がそんなこと聞かなきゃいけないの?」
「へ?」
芽衣は智の初めての口調にすこし驚く。しかしここで目を背けることはなかった。
「メイさ、やっぱり坂本君に気があるんじゃん。だったらそう言いなよ」
「違っ」
「違わないよ。芽衣はいつもそうだよ、そうやって正しいようなことばかり言ってる」
智はいつも通りニコニコ振る舞いながらも、その様子からはいつもとは対極の空気を醸し出していた。
「私、ずっと好きじゃなかったんだよね。メイのそういうとこ」
「……っ?!」
「正しいことばかり言って、皆もそれに従っちゃって、そういうとこ……ホントムカつく」
そのとき初めて智の笑顔が消えた。芽衣は親友の初めて見せる表情に戸惑いを隠せなかった。
「ごめん、メイ。あなたの言うことは聞けない」
智はそれだけ言って教室を出ようとする。
「……どいてよ」
「嫌、どけない」
芽衣は教室の前の扉に立ち塞がり手を広げ智の進路を阻む。芽衣は視線を一切そらすことなく智の瞳を見つめた。そしてその視線に智はさらに態度を荒くした。
「メイにいったい何の権利があって邪魔するのよ」
「それでもだめなの!今だけは。これだけは譲れない」
智の怒りにも一切ひるむこと無く芽衣は立ち続ける。
(その態度だ。……そのあり方が最高にムカつくんだ)
とうとう智の怒りが限界を迎える。
「そういうとこが……そういうところが嫌いなのよ!」
智は大声を張り上げて芽衣をにらみつける。芽衣ははじめて親友に嫌いといわれたことでゆっくり手を下ろし視線を下げる。
「私は自分のためじゃないって顔して、人のこと気に掛けて、部活の皆もクラスの人達も、そんな偽善にのらされちゃって」
智は息を切らしながら続ける。
「そういうところがずっと大っ嫌いだったのよ!」
智はそれだけ言って芽衣の横を通り抜け廊下へ出て行ってしまう。芽衣はただ呆然と近くの椅子に座り、今日二度目の涙を流した。
三日後、芽衣は優衣と一緒に野球部の応援に来ていた。
優衣はしきりに「大丈夫?」と心配しており、実際来るのは辛いものがあった。
しかし芽衣はどうしても見届けなければならないものがあった。
(もし本当に告白していたら……今日のアイツは……)
誠二が仮にあの後本当に告白されていたら、間違いなく今日の試合に影響が出ているだろう。仮に両思いであっても部のルールとの板挟みにあい、余計な気持ちが生まれてしまう。そしてそれが誰にとっても報われない結果を生み出してしまうことを芽衣は分かっていた。
だからこそ一縷の望みを信じていた。嫌いと言われながらも、その友人を。
両チームが整列して、挨拶が行われる。芽衣のいる一塁側スタンドでは先攻ということもあり既にブラスバンドが応援歌を演奏している。
「いきなりチャンスで四番だ!」
「頼むぞキャプテン!」
ワンアウト二、三塁で誠二に打順が回る。いきなりの先制のチャンスに応援席は大盛り上がりだった。
芽衣は静かに見守る。坂本誠二のその打席、本来なら見たくない相手だがこの打席だけは見ずにいることはできなかった。
「ボール」
ボールが二球続けて外れ、ノーストライク、ツーボールとなる。
(お願い、打って)
そしてその三球目であった。
ガァキィイイン!
荒々しい強烈な打球音が球場に響く。その音は応援団の大きな声援を突き抜け球場中の観客の耳にまで届いた。
その清々しく、迷いのないスイングで放たれた打球は左翼フェンスを大きく越え、球場の外まで運ばれていった。
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