ギャルとボーズと白球と
「初戦で結果が出せなかったら、お前は控えだ。坂本」
「これが今日やってきた抽選結果だ」
練習終わりのミーティング、監督の小林は夏の大会の抽選結果を印刷して各選手に配った。
「まあ、うちはシードだから2回戦からになる。うちのブロックは比較的平和そうだが、俺たちの目的はあくまで甲子園であり、その先だ。どちらにせよ強豪とはいつかはぶつかることになる」
小林はそう言ってはいたものの、内心ではかなり安堵していた。
最後まで勝ち抜けば必ず強豪とは当たる。しかし強豪と当たる回数は違う。夏の高校野球の過密なスケジュールにおいてピッチャーの起用法はその肝といってもいい。強豪とそれだけ多く当たれば、ピッチャーの負担も大きくなる。
(うちはピッチャーの層がいまいち薄いからな。これは助かった)
小林は選手の気を引き締めるべく、厳格な口調でこれからの調整および練習予定について説明していく。
(二ノ松とやるとしたら決勝か……)
小林の気持ちとは別に、坂本誠二は別のことを考えていた。自らがいけなかった二ノ松学園、そしてそこで活躍し、今年のドラフトの目玉と称されている親友のことを考えていた。かつて黄金バッテリーと呼ばれていたときの投手、鈴木祐輔である
(祐輔に勝てるか……?俺の今の実力で)
「よし、これにて解散」
誠二はその後も監督の話はまるで耳に入らなかった。
「坂本、ちょっと待て」
誠二が帰ろうとすると監督に呼び止められる。
「なんですか。監督」
「大会の初戦のことなんだが」
監督は一拍おいて続ける。
「初戦で結果が出せなかったら、お前は控えだ。坂本」
「っ!」
「それ以降の試合では使わないと考えてくれ」
誠二は衝撃に声がうまくでなかった。しかし監督の目とその話し方からそれが本気であることは十分伝わってきた。
「俺はお前が練習してきたもの、持っているもの、それらについて十分に分かっているつもりだ。だがな、それを発揮できるかどうかはまた別の話だ」
誠二は黙って聞き続ける。
「野球において必要なのは結果だ。過程じゃない。いいか、俺が認めたとしても他の連中が認めなければチームはまとまらねえ。他の選手なら話は別だが、お前はこのチームのキャプテンだ。中途半端な起用はできない」
小林はそこで一度言葉を切り、窓の外を見る。そして間を置いてからまた話を続ける。
「短期決戦において重要なのはスペックよりも選手の調子を見極めることだ。勝つために辛抱はできない。わかるな?」
「はい」
誠二は力強く答える。その返事をきくと小林は「時間取らせてわるかったな」とだけ言って誠二を帰す。
(俺にしてはらしくないことをしたな)
小林は自分の言動を顧みてそんなことを思った。小林はどちらかといえば選手にプレッシャーを与えすぎずのびのびやらせることを信条としていた。勝つことのために野球がつまらなくあってはいけない。そう信じていたのだ。
それ故にOBや他校の監督から生やさしいという言われ方も多数してきた。しかし野球というスポーツのことを考えて、それを変えようとはしてこなかった。
しかし殊坂本誠二に関しては話が違った。もしこの男がプロになろうとした場合、その唯一の足かせが彼自身の心になることが小林には分かっていた。それは乗り越え、克服しなくてはならない。
(監督としてはあっちゃいけないんだけどな。一人の選手に期待するなんて。……ただ、)
小林はもう一度先程の誠二の顔を思い出す。
(なるような気がするんだ。野球界全体を盛り上げてくれるような、スーパースターに)
小林はそんな未来を軽く妄想した後「まあ、ダメだったら俺のクビが飛ぶけどな」と呟き、対戦相手になり得る高校のデータを再度確認し始めた。
「初戦で……結果か」
誠二は暗い学校の敷地を一人校門まで歩いていた。ミーティングが長引いたことや、監督に呼び止められたこともありあたりはすっかり暗くなっていた。
「できるのか?……俺」
勿論自分のやってきたことは自分が一番よく知っていた。自分の実力も、積み重ねてきたものも。初戦の相手は弱小とは言わなくても桐国と比べればずっと格が落ちるあいてであることは分かっていた。
しかしすべてにおいて100パーセントというものは存在しない。特に野球というスポーツは相手ありきのスポーツであり、番狂わせもおきやすい。それ故にわずかな可能性が誠二の心を脅かしていた。
そして何より不幸であったことが誠二は一度その可能性を引いたことがあると言うことだ。二ノ松学園への入部セレクション。落ちるはずがないというそのテストで誠二は選ばれなかった。
落ちたらすべてのことが無駄になる。その逃げようもないわずかな可能性が恐怖として確実に誠二の精神をすり減らしていった。
(俺の野球人生が……もうすぐ……)
誠二は自分の震えだした手を押さえて、学ランのポケットに入っている音楽プレイヤーを取り出す。
イヤホンをつけ、音量大きめにいつも試合前に聞いているルーティーンの曲を流す。しかし震えは激しさを増すばかりであった。
(くそ、静まれ。震えるな)
そんななか校門近くに小さな人影が見えた。近づくにつれ見えてきたのは、すこし明るめの髪に、着崩した制服、そして小麦色の肌をした少女だった。
「お、お疲れ……」
「お、お前。なんでここに?」
「いや、その、なんというかあ」
芽衣は「あははは」と照れ笑いをしながら言葉を探している。誠二の方もこんな時間に芽衣に会うとは思ってもおらす何を話していいものかうまく考えつかなかった。
「お、お礼が言いたくて」
「お礼?」
芽衣の言葉に誠二がつい聞き返す。誠二としては思い当たる節がなかった。しかし芽衣も芽衣で今になって恥ずかしくなってきてしまいうまく言葉が出ない。
「あの!」
芽衣が勇気を出して話し出す。
「今まで、なんとなくなあなあでやってきた部活、あんたのおかげでちょっと本気でやれたの。最後だけだけど、本当にやって良かったって思った。だから……」
芽衣はどこか視線が合わない形ですこし下を向きながら続ける。
「その……お礼」
芽衣が絞り出すように言う。
しばらく沈黙がつづいた。そしてその後誠二が口を開いた。
「はあ?」
その意外な言葉に芽衣も頭を上げる。坂本は呆れたような顔で芽衣を見ている。
「いや、部活頑張ったのはお前達の頑張りだろ。俺は関係ないだろ。そんなこというために待ってたのか?律儀っていうか、馬鹿なやつだな~」
「なっ!」
芽衣は待たされた時間と振り絞った勇気に見合わない返答に少しずつ腹が立ってきた。
「何よそれ!わざわざ言いに来たんだから素直に感謝されときなさいよ!それにあんたが先に言ったから私も悪いなと思ってわざわざお礼言いに来たのに」
「はあ?そんなことあったか?」
誠二は気の抜けた表情で頭をかく。その様子も芽衣には気に障った。
「もういい、帰る」
そう言って芽衣は帰り出す。
しょうがないので誠二も帰り出す。
「ついてこないでよ」
「駅までの帰り道は一緒だろうがよ」
「また変に噂されるじゃない」
「それを言ったらこっちだってそうだ。部活の立場上、女とは帰れねえよ!恋愛禁止の部活で主将が女と帰ってるなんて言われた日にはすべて終わっちまう」
「じゃあ先に走って帰ればいいじゃない」
「こんな遅い時間に女おいて先に行けるか!」
誠二はそう言って距離を少しとった後方を歩く。しかし運悪く信号に捕まったことでまた芽衣に追いついてしまう。
(これはこれで気まずいな)
誠二はそんなことを思いながら早く信号が変われと願う。しかし誠二もこの学校前の信号がなかなか変わらないことを知っていた。
「前さ、」
芽衣が小さな声で話し出す。
「『何一つ意味の無いことなんてない』って言ったじゃない?」
「ああ」
二人はそれぞれ前を向いたまま話す。
「あれで、もうちょっとだけ頑張ってみようって思えたの。これは本当」
「そうか」
信号が青になる。芽衣は歩き出し、それを待って少し間をあけて誠二も歩き始めた。
手の震えはいつの間にか止まっていた。
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